坊太郎日記 その③  

             1981年3回生

 

1981年4月11日(土)※三回生

 ビックリした。いや、ほんま、こんな事が現実にあるんやな。生まれてきて人生最大の衝撃や。今日、受講登録ガイダンスがあったんだけど、日本史3回生のところに金髪の女子学生がいたのだ。その子は階段教室、俺らの2段前に座ってた。久保やカルラが、あいつ誰やってヒソヒソ言ってるから見たら、確かに見知らぬ女子学生だが、なんとなく見覚えもあるような。そしたらその子、後ろを振り向いて俺と目が合うと、おーーとか言って手を振る。

 

 おったおった、おーい、うちやうちや、山下くん

 

 林香澄だった。広島の予備校で一緒だった。あの林香澄だ。速攻、廊下に連れ出して訳を聞くと、転部したんよ、ときた。

 やつは2年間、広小路の法学部にいたらしい。浜田も一緒だと言う。浜田がしつこく誘うんで日本史と一緒に法学部も受けたら、法学部だけ受かった。絶対嫌だって思ったんだけど、2年間成績優秀なら転部が可能だって浜田がどっかで調べてきて、それなら2浪するより良いかって感じで。今は浜田と同棲してるって聞いて2度ビックリした。

 いつもの連中がニヤニヤして見てるんで、紹介しといた。やつらぎこちなく、あ、どーも、とか言ってて面白かった。

 いや、それにしても流石は林香澄。執念というか粘り勝ちというか、まさかこういう感じで日本史に来るとは予想もしなかったぜ。

 

 ビックリしたと言えば杉原の件だ。俺は自動車学校がらみで岩国に帰省していて全然しらなかった。なんと公判の後に7件連続放火事件の真犯人が逮捕されたというのだ。つまり杉原の供述どおり1件だけの事だったらしい。それならボヤ騒ぎに関わっただけの事でさっさと出られそうなもんだが、検察も逮捕起訴した手前メンツがあるから、ごめんちゃいって誤魔化す訳にもいかず長引いていたらしい。

 2月の中旬に第2回の公判があってから、3回目がなかなか開かれず、杉原は拘置所ってところに入れられたままだったが、3月に3回目の公判があった。7件連続放火事件関与の部分が削られて、1件だけの放火事件に修正されたが、検察は1年6ヶ月の懲役刑を求刑、弁護側は事件内容が、偶発的な1件だけのボヤ騒ぎであり、本人も深く反省しているからと情状酌量を求めた。

 有罪にはなるだろうが、執行猶予がつくんじゃないか?遅くとも夏休みまでには戻ってこれるはずだ、と後藤は言ってた。

 

 

4月14日(火)

 今日から授業開始。

でも、俺の登録した講義は無しで昼頃まで寝ていた。(今年は随分授業が少ない。1、2回生で必要な単位はしっかり取ったから。今年はゼミに集中できそうだ)

 

 でカルラに聞いた話。平田、根尾、谷口が自主ゼミを辞めるそうな。明日、4限目に今後の活動について話そうって谷口に電話したら、めっちゃ機嫌悪かったわって。カルラはショボンとしていた。

 まあ、去年の様子を見てたらそろそろ限界かなって思ってたけどね。こればっかりはどうしようもないね。

 

 

4月15日(水)

 4限目、自主ゼミ。結局、平田、谷口、根尾、城山がやめた。カルラが、昨日1人で書き上げたらしい原稿(なんだか卒業していく人に贈る言葉みたいだった)を読むと、みんなそさくさ部屋を出て行った。去年、始めた頃は楽しかったのになあって思った。なんでこんなになっちゃうんだろうねって。

 とりあえず、東大出版の史学論争を6回シリーズでやろうやって事になった。5月いっぱいかな。その後の事は、終わった頃また考えようやって。

 

 夕方、清心館のピロティーで林と浜田に会う。なんだか俺を待ってたらしい。久しぶりじゃんって事でさっそくヨークにしけこんで喋る。

 広小路閉校に伴って今年から法学部は衣笠に移った。大きな時計台のあるシックでいかした校舎ができあがった。地下にできた法学部の食堂がまた良いらしい。綺麗で安くてメニューが豊富だって浜田が自慢してた。

 お前ら、同棲してるって?って聞いたら、ああ、俺ら卒業したら結婚するんだって浜田が林を見た。林がちょっと照れて、へへって苦笑いした。俺は、へえーとしか言えなかった。うらやましかった。ただただ、うらやましかった。たしかにこんなパートナーが居れば、なんだって頑張れるよなって。

 

 

4月17日(金)

 午後から図書館にこもって今年の研究計画を考えた。

 昨日、ゼミで、研究テーマをハッキリさせえ、って言われたのだ。俺は近現代のゼミを取ったのだが(なんと林も一緒)掛谷って名前の先生がなんだか厳しそうなのだ。上回生の話では、いい加減なレポート出したらビリビリに破られて床にたたきつけられ、靴で踏みつけられ……。おおこわ。

 

 で図書館で練り上げた俺のテーマは「ファシズム論」

 前期はファシズムの概念と、日本ファシズムの特徴(天皇制との関わり)を押さえ、後期で、同じ事を逆の視点から見直す。つまり反ファシズム闘争(人民戦線)とその解体。

 日本では反ファシズム人民戦線が明確な形で認められない。かろうじて作られた人民戦線的な闘いももろくも解体させられてしまう。そもそも人民戦線の位置づけが曖昧な上に解体過程に天皇制イデオロギーが色濃く影を落としている。それこそが日本ファシズムだよなって思うからだ。

 

 よし、方針は決まった。がんばるぞ。

 

 

4月18日(土)

 去年は週24コマのうち17も授業を取ってたけど、今年は11。しかも火曜日は授業なしという楽勝のスケジュール。2年間、数学を除いて単位を落とさずに頑張った地道な努力が実を結んだのだが(今年全部単位を取れば、来年は卒論だけになる。教育実習もあるし、採用試験の受験勉強もあるから卒論だけでも大変なのだ)授業がないぶん、自分のテーマに沿った研究を進めていかないといけない。

 

 掛谷氏の言う事にゃ「講義にでるやつは阿呆」なんだそうだ。教授自身が書いた、碌でもない本をテキストにして学生に買わせた挙げ句、その本の中身をダラダラ1年間かけて喋るのが大学の講義なんだから、そんなもん、図書館で借りて読んだら一晩ですむ。それを律儀に出席して、しかも1番前の席で熱心に聞くなんて、阿呆の所業としか言い様がない。

 

 講義に出る暇があったら、論文読め。

 

 暴論やなって最初は思ったけど訳を聞いていると、それもそうやなって気になってくる。ほんとあの先生はユニークだ。つまらんレポートを本当に八つ裂きにするのかどうかはまだわからないが、その逸話をさもありなんと思わせるものがある。

 

 今日は新歓夜祭。2年前焼き鳥屋をやったあれだ。行く気はなかったのだが久保が行こう行こうって言うもんで行った。いやあ、ほんますごい人で、人に酔ったわ。30分ぐらいで退散。カルラの下宿に12時くらいまで居座る。

 

 

4月19日(日)

 昼過ぎに起きる。窓の外は雨。今日は岩波講座を買いに行く積もりだったのに、雨か、と思う。雨がやむのを待ってみたが、どうにも止みそうにないので渋々でかける。

 馬塚町から27甲のバスに乗って河原町まで。あんな雨降りなのに河原町はたくさんの人出。駸々堂で岩波講座、日本歴史の近現代だけ8巻を買う。締めて18400円。出費もきつかったが、本の入った袋を持ち歩くのもきつかった。

 すぐにでも帰りたかったのだが次のバスまで時間があったので、三条あたりのbiguboyというジャズ喫茶に入る。なんだかやたら明るくて、お酒飲んでおしゃべりしてもオッケーみたい。ジャズ喫茶らしからぬ店だった。松岡直也の新譜がかかってた。1人で行くときは店を選ばなくちゃいけない。ドアに「私語は慎みください」と張り紙がしてあるような店がベストだ。

 4時15分のバスに乗って帰る。馬塚町でスーパーに寄る。もやし、ハム、卵入りの超豪華版のラーメンを作ってかき込んだら、疲れがドッと出て夜中の1時頃まで寝てしまう。

 今、夜中の3時。これから岩波講座を読みます。

 

 

4月21日(火)

 昨日は1限目同和教育、4限目日本史特別講座Ⅴ。同和教育の教授はやる気ムンムン、エネルギッシュ。毎回レジュメを配るからなって言ってた。俺も煽られてやる気を感じる。

 それなのに特別講座Ⅴ。カルラが絶対Aを呉れるってよって言うから取ったんだが、コテコテの考古学じゃねえか。カルラは専門だから良いけど、俺は考古学の基礎知識はゼロ。考古学的興味はゼロどころかマイナス。後悔先に立たずってやつだね。

 

 夕方大家さんの本宅で下宿人歓迎パーティー。今の下宿人達とはほとんど付き合いがないから、疎外感を感じたものの、タダのビールやご馳走の魅力には勝てず参加する。すき焼きにちらし寿司にと文字通りご馳走だった。

 同じ文学部の藤見君と喋ってたら、去年数学取ってたのに落としちゃって、今年は地学にしたんですよ、なんて言うもんで、じゃって事で、俺は地学の教科書を上げて、その代わりに数学の教科書をもらうことになった。やっぱ、下宿人とは仲良くしておくものだなあ。

 

 で、今日は授業がない日。惰眠を貪って昼過ぎ2時頃起きる。夕方、教科書を買いに大学生協に行く。8千円。高い。

 生協でカルラに会う。昨日、唐津川尻が講義の時に笹田に声かけられて喜んでいたという話を聞く。なにそれ、もちっと詳しく聞かせろよって言うとカルラが言う。

 

 そりゃ、もう、ちょっとやそっとの喜びようじゃありませんよ、なんつったって、

 嬉しさ余って気が触れるってくらいでしたよ。

 

その足で久保の下宿に寄ったら、ちょうど川尻がいた。カルラから聞いたんだけど、笹田に声かけられたんだって?って聞いてみたら、

 

 まあね

 

 って余裕ぶっこいてたわ。良いなあ。うらやましいなあ。ごく普通のあいさつだって、可愛い子からしてもらったら嬉しいよな。

 

 そういえば杉原の判決公判の日程が決まったって、後藤からクラスに報告があったんだ。来週の月曜。行ってみようと思ってる。

 

 

4月23日(木)

 この頃、ものすごく眠い。いくら寝ても眠い。自律神経失調症かもしれない。煙草の吸い過ぎ?食生活の不規則さ?長いこと風呂に入ってないから?いろいろ理由は考えられるけどなあ。

 

 今日、ゼミで掛谷先生が言ってた。

 

 1つの論文はある人間が再構成した歴史やで、それは実際にある歴史

 像を資料を通してみてできたもんや。お前らはその人間が見て再構成

 した歴史像と実際の歴史像とを、今度はお前らの目をとおして見なあ

 かん。それにはお前らが史料に実際にあたってみんならんちゅうこっ

 ちゃ。

 

 EHカーの「歴史とは何か」を思い出した。歴史的事実は歴史家が取り上げるまでは歴史的事実ではない、とか、歴史を理解するには、その歴史を書いた歴史家を理解しなければならない、とか書いてあったな。

 

 なんかすごくやる気になった。

 

 

4月24日(金)

 明日は文学部のソフトボール大会1回戦。性懲りも無く今年も参加。今年こそは優勝をと思う。ってなわけで夕方、グランドでみんなと練習した。明日は高めのボールには手を出さない。高めに手を出すとポーンとフライになってしまう。我慢して山なりのスローボールを待とう。膝を折って内野の頭を狙う。外野の間に飛べば長打になる。

 みんなで決めたスタメンで俺は4番?。責任重大だ。なんとしても5割は打たないと面目が立たない。さあ頑張るぞ。明日は2講目に出席せな。もう寝よう、もう寝よう。

 

 

4月25日(土)

 1回戦快勝。スコアは8対6。でも俺は駄目。全然駄目。4打数1安打。それも内野のエラーっぽい。勝てたのは良いがなんともすっきりしない試合だった。

 

 

4月27日(日)

 今日は休み。昼頃起きて、勉強するつもりだったのに、あまりにも部屋が汚い事に気づき、よせばいいのに掃除を始め、掃除のついでに洗濯もするかって気分になってなんだかんだやってたら4時。なんも喰ってねえわって思うと、恐ろしいくらいの空腹に見舞われる。

 スーパーでしこたま買い込んで、ラーメン(もやし、ピーマン、卵、鶏肉入り)にコロッケ6つ、いなり寿司5つ、食パン4枚を食い散らす。

 空腹は収まったが、その代わりに睡魔が来襲。ベットに倒れる。

 気がついたら今、(月曜日の)朝の7時。怖いくらいの爆睡。オーマイガ。

 

 俺らのグループは女っ気がない。いや、なさすぎる。社会は男と女で成り立っていて、男女を軸に回ってるのだから、男ばかりというのは異常だ。異常な集団の中だから人生観や思想、処世観等々、いわゆる精神的価値体系まで歪んでくる。男だけの身勝手な理屈や、仏像を崇めるような空想的女性観なんかを生むことになる。俺らが恋愛で失敗するのはこれが原因ではなかろうか。現実離れした恋愛観は幻滅や挫折しかもたらさない。俺らは女を見る場合「女やっ」と浮かれず、まず同じ人間なのだと思うべきなのだ。男女間の友情も可能だし、人として共感、尊敬する部分も多いはず。俺らは性急に恋愛やセックスの対象と考えすぎる。そういう思考回路がいけない。これを変えない限り俺らの恋愛は日の目を見ることはないだろう。

 

 

4月28日(月)

 杉原の判決公判に行ってみた。前、公判に行った時と同じメンバー。

法廷に出てきた杉原は髪の毛もちゃんと伸びていて、それをきちんと7:3に整えていた。服装も背広にネクタイで、前回とは随分感じが違ってた。

 なんだか緊張感のない中で、おもむろに裁判官が話しだして裁判が始まった。ダラダラと述べた判決理由で、なんとなく執行猶予になるのかな?って感じだったが、予想通りだった。

 

 懲役1年6ヶ月。ただし3年間、執行を猶予する。再びこういうこと

 のないよう、しっかりと学業に励みなさい。

 

 裁判官はのんびりと杉原を励ました。

 

 大学当局もどうやら停学処分を解除する方針らしい。試験を受けてないから単位取得や今期の受講手続きなんか、いろいろ大変だろうけど、早くキャンパスに戻ってきてほしいものだ。

 

 

5月2日(土)

 昨日はメーデーでお休みだったから、一昨日の夜、俺の下宿で大河原、尾崎の3人で麻雀をやる。10時ごろ川尻が来て、ウィスキーを飲み始める。カルラは早々に寝てしまい、川尻も夜中の2時頃帰ったが、俺は尾崎と4時くらいまでウダウダ喋ってた。

 実は一昨日の夜から久保の友人が来てて、久保の下宿には宿泊はNGなので、カルラの下宿に泊まり、追い出されたカルラは俺の下宿に来たって訳だ。

 

 今日は尾崎に言わせれば、北海道の真夏の暑さだとか。空を見上げると雲一つない青空で、そこに太陽がギラついている。でも、日陰に入ると風もあって気持ち良い。

 そんな陽気に誘われて、3人で船岡山に登ってみた。千本北大路まで自転車で行き、麓に止めて歩いて上がった。大汗かいて上ったら、京都市街が一望のもとに見渡せて、と思いきや、木が生い茂って視界を妨げること甚だしく、残念だった。

 

 

5月5日(火)

 昨日、昼過ぎに起きて外出。まずは久保の下宿ヘ行ってみるが不在。それで千本仲立ち売りの尾崎の下宿へ移動。しかし、またしても不在。どっかへ出かけてましたで、と大家さん。もしかしたら俺の下宿に来るつもりか?とUターン。広島対阪神の中継を見ていたら、ちょうど2回の表が始まった時に尾崎出現。

 4時前、試合も5対0と楽勝ムードだし、せっかくの休みに下宿にいるのも勿体ないってことで外出。尾崎と2人で嵐山へ。いつだったかカルラと行った「禅」という喫茶店でレイコーを飲み、パックマンに現を抜かす。

 帰宅途中に寄った王将で久保、唐津に会う。彼らは今日の阪神広島戦を見に行く積もりだったようだが、結局行かずじまいだったと話していた。

そのあと俺の下宿で麻雀。

 

 今年の連休の総括

  良  ・ゼミの論文二本読む(軽く)

        ・自主ゼミの論文二本読む(極めて軽く)

        ・石川セリのレコードを録音する

        ・小説を書き始める

  悪・ゼミ用の論文の熟読できず 参考文献一覧作れず

 

 このまえ「禅」って茶店で尾崎と話してて言われた。俺の小説には情景描写がない。話を先に先に進めようとする余り薄っぺらい印象。情景や心情を描写して話にタメが欲しい。そう言われればその通りだ。自分では全然気がつかなかった。

 

 

5月7日(木)

 4講目、掛谷ゼミで掛谷が爆発した。噂には聞いていたが、まさに爆発。

 今日は林香澄のレポートだったのだ。テーマは「日の丸、君が代法制化の今日的課題」ひと目見た時から、これはまずいだろって思った。だって、第1回の冒頭、戦後は研究対象から除外するで、お前らにやらせたらアジ演説みたいな、現状分析みたいなんをやって研究やって言うやつ出てくるからな、って言ってたのだ。案の定、これはあかんで、って先生は言った。はい、すみませんって言えばそうでもなかったんだろうが、林香澄の事だ、なんでですか?と来た。おい、やめとけって言いたかったんだが声がでない。

 

 なんでって、おまえ聞いてなかったんか?戦後は研究対象から外すで

 って言うたやろ

 しかし、反動勢力が日の丸、君が代の法制化を企む裏には天皇制復活

 そんなことは言われんでもわかってる

 なら良いじゃないですか

 ええけど、それはアジ演説でやれって言うてんにゃ、歴史学の研究対

 象にはせんでって

 いや、しかし私は「法制化」の重大さに警鐘を鳴らしたいんで

 もうええ

 いや、しかし

 もうええ言うてるやろ、お前はやりなおし、別のテーマで書き直して

 こい、おい、次、次は誰や

 

 もうこの時点で充分危なかったのだが、なんと次のレポーターは梶井あさか。「大正期のモガモボ」べつに風俗的な事を研究したって良いとは思うが、さすがにあれはまずい。歴史学的なレポートというよりは、大雑把な、それもかなり不十分なファッション史のメモ?って感じで、最後にはモダンガールのイラストが書いてある。

 掛谷先生は無言であさかのレポートをつまみ上げると、ビリビリと破り捨てた。

 

 ええかげんにせえ

 お前ら、歴史研究をなんやとおもてんのや

 

 怒鳴り声が教室中に鳴り響いた。さすがに俺も肩をすぼめた。先生に怒鳴りつけられたのって、もしかしたら中学以来かもしれない。

 5分、いや10分?ほんとはもっと短かったのかもしれないが、無言の重たい空気が教室を支配した。この空気、はやく過ぎ去って欲しい。レポートはもう誰も準備してない。まだ授業始まったばっかりだと言うのに、残り1時間、ずっとこのままかよって絶望してたら、先生が言った。

 

 もうレポートはないんか?どないすんねん。今日は何もでけんやない

 か。

 ええか?よう聞いとけよ。レポートいうもんは、お前らのオリジナル

 が大切やねん。もう他の誰かが言うてる事を小綺麗にまとめてもしゃ

 あないやんか。大事なのは誰も言うてないって事や。どんな不細工で

 もええ、幼稚でも、大雑把でもええ。お前らだけの何かがあるかどう

 かや。それさえあったら、俺はとことんつきおうてやる。お前らが納

 得するまでとことんや。せやから全力で書いてこい。お前らがもって

 る力を絞り出して、凄いの書いてこいや。俺のゼミに時間制限はない

 からな。

 

 それだけ言うと、先生は立ち上がった。ちょっと俺に着いてこい、と言う。え?え?なに?と戸惑う俺らにはお構いなしだ。仕方なく後を着いて行く。先生は清心館を出て早足でキャンパスを歩き、正門を抜けバス停に行く。河原町行きのバスが来ると、それに乗り込んで、お前らも乗れ、と命令した。

 

 三条に着くと、まるで別人みたいに機嫌が良くなった。お前ら、高いもんはあかんど、ワシも金欠やからな、と爆笑した挙げ句、串揚げの店に入っていく。俺らが戸惑ってたら、はよ入らんかい、と促し、ワシの奢りや、はよせえ、と笑顔で手招きした。

 お前ら上級生から聞いてへんのか?って先生は言った。ゼミの締めはこれが最高や。歴史は酒場で語られんねん、と言い放って豪快に笑う。何がなんだかわからなかったが、とにかく食べて飲んだ。熱々の串カツが無性に美味かった。バスの中でずっと拗ねてた林香澄も機嫌を直したみたいにむしゃむしゃ喰ってた。

 

 おい、金髪、お前のレポート、中身はなかなかえかったで、さすがは

 法学部のエースや、ただな、戦後はあかんでって言うた手前、お前の

 だけええって言う訳にもいかんやろ?。

 

 先生は林へのフォローも欠かさなかった。なら、あれで良いじゃないですか、と林はしつこく先生に食い下がったが、金髪、お前のそういうガッツがええぞ、ワシ好みや、その勢いで研究せえ、次のレポート期待しとるで、とビールを注ぐ。うれしいくせに、林は、あたし、林香澄ですから、金髪って名前じゃないですからって口をとがらせていた。

 

 

 一字一句までわからんとこは徹底的に解明せえ。そうやって論文をバ

 ラバラにして理解し尽くす。その論文がええとか悪いとか、評価はそ

 の後や。 

 

 掛谷先生は酒場で歴史学研究を語っていた。

 

 

5月9日(土)

 電車の中、誰かが言ってた「シャワーコロン」

 電気屋さんの店頭、テレビが歌う「イオナ」のコマーシャル

 そういえばこれ使ってるって言ってたっけ

 雨の日はなぜかあの子を思い出す

 雨に濡れたドアの取っ手の冷たさ

 その奥は荒れはてた俺の部屋

 雨の日は君のこと思い出すよ

 

 今日は1日中雨が降ってた。そのせいかこの詩(2回生の梅雨頃俺が書いた)を思い出した。そして谷口頼子を思い出した。

 なぜか森田童子の「グッドバイ」が聞こえてきた。

 頬を膨らませたあいつを見て爆笑したら「山下くんに笑われるのはショックだな」なんて俯いた。そういう言い方をする子だったよな。あいつを意識し始めた頃だった。間抜けな俺は真に受けて恋に落ちた。

 あんなに好きだったのに、最近は挨拶もしてない。元気かな。

 

 

5月9日(土)

 牛乳配達の瓶の音、雀の鳴き声に迎えられて下宿に戻った。今となっては悪夢。でも紛れもない事実。

 

 8日は掛谷ゼミのコンパだった。いつも以上に盛り上がって4次会のスナックでは「雨上がりの夜空に」を爆音でかけて踊り狂った。そしたら店の隅に置いてあった消化器が倒れ、狭い店内に煙りが充満。慌てて店を飛び出したついでにとんずら決め込んだのだ。久保と尾崎も一緒だった。

 タクシー拾って帰ろうぜって通りに駆け出したら、いきなりクラクションを鳴らされた。白いシビックだった。見れば窓のガラスは閉まってる。俺はそれまでの馬鹿騒ぎの勢いを借りてその車に罵声を浴びせた。窓ガラスが閉まってんだし、聞こえやしねえだろって思ったのに、シビックから人が降りてくる。えらい剣幕だ。しまった。と思ったが、もうこうなったら殺るしかない、とも思った。歩く俺を早足で追いかけてきた男が罵声を浴びせながら俺の肩に手をかけた。そこまでは覚えている。

 気がついたら、俺はその男(そこそこ若い兄ちゃんだった)を駐車していた車のドアに押しつけ、両手で髪の毛を鷲づかみにして、何度も膝蹴りを喰わせてる。久保と尾崎が俺を羽交い締めにして止めに入った。見れば着ていた柄物のシャツはビリビリに破れている。

 その兄ちゃん、喧嘩はからっきし弱いくせに、口論になると別人のように威勢が良い。嘘か本当かわからないが、俺は極道や、とまくし立てる。そこの店に兄貴を迎えに来たんじゃ、こないなことになって、どない落とし前つけるつもりや、なんて脅しにかかる。最初は怒鳴り声で応戦していた俺も、極道という言葉に戦意消失。すっかりびびってしまって、掌を返して誤る。

 

 すんませんでした

 あやまってもうても、破れたシャツはもどりまへん、ワシの傷は治り

 まへん、学生みたいやけど、あんたの頭やったらそれくらいの事わか

 りますやろ?

 じゃどうしたらええんですか?

 そんなん、ワシの口から言えますかいな、自分で考えてえな

 

 てな感じで揉めてたら2人の警官が通りがかった。どないしたんや?なんて優しい声をかけてくれる。

 

 このヤクザに脅されてるんです、助けてください

 

 それまで無言で見守っていた尾崎と久保が急に元気になった。

 それでも極道、全然びびってない、びびるどころか、お前らには関係ない、これは民事や、ワシは被害者や、示談交渉してるとこやんか、邪魔せんと向こういっとれや、と威勢が良い。あっそうなんや、って向こう行かれたらどうしようと焦るが、警察官もなれたもので、うんそうか、そうかわかった、一応、署の方でこの子らから事情聞くさかい、あんたも一緒に来て貰えるか?とお兄ちゃんの手をつかもうとするが、兄ちゃん、乱暴に手を振り払って、今すぐいけるか、兄貴が待っとんじゃ、相談してから行くわ、待っとれよ、と捨て台詞を吐いて夜の闇に消えた。

 

 その後、交番からパトカーで松原署まで行く。その時、午前2時。俺ら3人は事情聴取。まあ、相手はチンピラやろうけど、それなりに組織力あるからな、君が喧嘩で勝っても組織力で負けるで。怪我した車壊したってイチャモンつけてきて、身ぐるみ剥がれるで、ちょっと腕力に自信があるからっちゅうて気質の大学生が調子に乗ったらあかん、なんて説教され、調書を取られ、拇印をつかされた。

 夜が明けようとしていた頃、俺ら3人はやっと解放され、警察署の前からタクシーに乗り衣笠まで帰った。生きててよかった。

 

 久保や尾崎まで巻きこんで迷惑かけてしまった。本当に悪かった。困った時の友達やで、と久保は言ってくれた。感謝やな。

 しかし、相手がヤクザだとわかって急にペコペコするような奴は屑だ。これは喧嘩だけじゃなく、生き方の問題だ。ペコペコするくらいなら、はじめから謙虚に過ごせ。弱いくせに粋がってんじゃねえよ俺。

 

 

5月13日(水)

 一昨日、昨日、今日と3日連続で図書館にこもる。無論、勉強するためだが、下宿にいるとあのチンピラが来るような気がして怖いのだ。大学なら、万が一来たとしても援軍には事欠かない。学生課も黙っちゃいないだろうし。そんなこんなで今日も、早朝から夜10時まで籠もった。

 昨日はひどく蒸し暑かったのに夜中の雨の後、急に涼しくなった。尾崎は、去年の北海道の夏くらいだなって言う。去年は例年にない冷夏で半袖では過ごせなかったらしい。窓を開け放った図書館にいると寒いくらいで、俺は持って行ったセーターを着た。

 

 午後は夕方までゼミの論文を熟読した。掛谷さんの言う通り、ノートを取りながら一字一句おろそかにせず、じっくり読み込んだ。たった5ページ読むのに4時間。ノートは18ページにも及んだ。地道。時間を食う。

 夕方からは、1931年(満州事変)から1945年(敗戦)までの内閣と事実経過の表を作る。

 しかし、図書館は良い。閉館になって外にでると、ああ、よく勉強したなって思う。幸福な気分になる。

 

 今日のメモから

 

 夕暮れが近づいている。窓の向こうに見える空は深い碧に染まり始めている。声が聞こえる。講義も終わって家路につく学生達の声、仕事を終えて大学にやってきた2部学生達の声。誘われるように窓際に立ってみた。開け放たれた窓から入ってくる冷たい風。2部学生のアジ演説が遠くから聞こえる。窓の右側には夕暮れをバックにした清心館。左には夕日を浴びた中川会館。

 俺が入学した頃は、まだ中川会館も法学部もなかった。中川会館のところにはCO-OPの入ったプレハブがあった。いこいの広場になっているところだ。

 図書館の中はたくさんの学生。開いた本を睨み付けているやつもいれば、突っ伏して寝てるやつもいる。おしゃべりに夢中な女子学生。腕組みをしてなにかを思案中の男子学生。

 夕暮れが近づいている。

 

 

5月14日(木)

 今日も図書館に登校。珍しく暴走族志村が来ていたので2階の喫煙室で雑談をする。志村はユキちゃんに振られたと言っていた。ユキちゃんは就職浪人中の高田さんと付き合ってるのだそうだ。あんなに仲よさそうにしてたのに、志村のどこが嫌なんだろうねえって同情した。

 奴は就職の話もしてた。去年の日本史卒業生で中高の教員になったのは5、6人しかいないんじゃない?って暴言を吐いていた。歴研の連中はみんな就職浪人だそうだ(それはまあ当然だろ)

 5、6人ってのが事実かどうかはわからないのだが、ああいう話を聞くと不安になる。俺は採用試験に受かるのかな?なんてぼんやり考えてしまう。まだ、教育実習にも行ってないのにね。

 ポーランド自主管理労組「連帯」の議長、ワレサのインタビューをNHKで見た。感激した。要するに大切なのは国民の幸せ。国家体制なんか二の次だ。と言っていた。

 まったくその通りだ。「歴史の必然」ってやつに惑わされちゃいけない。社会主義の国が資本主義的な政策を取ったって、反動でも退行でもない。

 

 

5月15日(金)

 夜の妙心寺は真っ暗闇。月の明かりだけが頼り。怖い寂しい夜の妙心寺のまん中辺りで立ち止まってみた。お堂に腰掛けてぼんやりしてみた。何も考えずに暗闇を見ていた。

カルラの下宿でウィスキーを飲んだ帰りの事だ。

 

 世の中こんなに広いってのによお、俺を好きな女の子、1人もいねえ

 んだよなあ。

 

 そうつぶやいてみてハッとした。そう言ってみればそうなのだ。世の中こんなに広くて、たっくさんの女の子がいるってのに、俺の事好きだって言ってくれる女の子はたった1人だっていない。これまでもいなかったし、今もいない。よく平気でいられるよなって思う。なんとか生きてられるのは、いつかきっと良い子が現れるさ、なんてありもしない未来を信じてるからなんだろう。

 いつだったか、梅田の地下街でコンクリの上に寝っ転がってるおっさんを見た。あの人が死んでも、世の中の人は驚かないだろう。気にもとめないだろう。ましてや泣いてくれる人なんているはずもない。地下街を訪れた人達は目もくれずにそのおっさんのそばを歩いて行く。おっさんに同情すらしない。自業自得だと思ってる。どう間違っても自分だけはそうはならないと信じてる。でも、あのおっさんだって、若い頃からそこに転がってたわけじゃない。希望に満ち満ちて、生き生きとしていた頃があったはずだ。

 通行人だって、いつどういう事情でそうなっちゃうかも知れない。なのに平気でいられるのは、それを忘れてるか、見ないようにしてるかなんだ。

 俺って梅田地下街の通行人と同じだ。いや、もうコンクリの上に寝転がってるって?。

 

 

 夜の妙心寺は真っ暗闇だったぜ。

 

 ちなみに、今日でチンピラ事件から1週間。お礼参りの気配はない。

 

 

5月16日(土)

 健康診断。尾崎と2人で行く。レントゲン。血圧(104/66)と色覚。「これで俺が結核だと言うことがはっきりする」なんてほざきながら尾崎はレントゲン室に入っていった。

 その後図書館で医学全書をめくりながらあれこれ話した。血圧検査の結果を見て、てっきり低血圧だと思い込み、それで朝起きれないんだ、なんて言ってたが、医学全書には「最高血圧が90以下を低血圧という」なんて書いてあった。なんじゃつまらん、と俺が言うと、馬鹿、つまらんなんて言うもんじゃねえ、血圧良好なんだから良いでねえか、なんて尾崎はムキになってた。そのくせやつは、癌と結核のページを熟読して、もしかしたら俺は結核じゃなくて癌かもしれん、なんて言い出す。結核は微熱を伴うが癌はない、俺は微熱がないから、、、俺はガガガガ癌なんじゃ、とはしゃいでいた。

 病名に倒錯した憧憬を抱き、病名の響きを弄ぶごときこの会話、本当に結核や癌の人が聞いたらどう思う?反省。すんません。

 

 

5月17日(日)

 昨日、立命館大学80周年のフェスティバル。図書館の1階でやってた「戦後立命館の歴史展」を見る。たくさんの写真パネルが掲げられ、どれにも解説文が添えられていた。

 荒神橋事件、警職法反対闘争、60年安保、70年学園紛争(新聞社事件)

 69年の学園紛争の写真には全共闘会議の手によって引き倒され頭をぶち抜かれた「わだつみ像」の写真もあった。封鎖解除された翌朝の広小路キャンパスはまさに戦場だった。解説にはトロツキスト(全共闘の蛮行)と何度も繰り返し書かれていて、おいおい、そんな一方的な言い方はないだろうって思った。ゲバ棒にヘルメットだったのは全共闘だけじゃない。民青ゲバルト部隊なんてのもあったんだ。大学当局から提供されたゲバ棒とヘルメットで武装して全共闘に襲いかかった。なのにそんな言い方はない。そもそもそんな単純な問題じゃない。あいつらのせいでこうなった、なんて子どもの喧嘩じゃあるまいし、酷すぎるじゃないか。いや、子どもの喧嘩だって両成敗だ。一方だけが絶対的に悪いなんて事があるはずがない。真剣に同時代を生きた学友への敬意はねえのかよって腹が立った。意見や思想は違えど、同じ教室で学んだ友達だったじゃねえか。

 荒神橋事件のパネルの前で、女の子を連れたおじさんが言ってた。

 

 パパもこの時いたんだ、パパ、この時警官につかまっちゃってさ

 

 あのおじさんの中にこそほんとの歴史がある。

 

 夕方、高石ともやとナターシャセブンのコンサートに行く。そのあとカルラの下宿でウィスキー。下宿に帰ったのは夜明け前の5時。

 

 そういえば

 

 コンパの時、酔っ払って、ようねえちゃん、踊りにいかねえか、って

 アサカを口説いたってほんと?

 

 って根尾さんに聞かれてたまげた。な、な、なにい?って目ん玉ひんむいたら、豊島やカルラはゲラゲラ笑うし、参ったよ。全くのデタラメだが、そういう事をアサカが言うってどういう積もりなんだろ。訳が分からない。

 

 

5月21日(木)

 俺が好きになった女の子。島津さん。谷口さん。

 島津さんはどこにいるのか行方知らず。最近はとんと姿を見ることもない。谷口さんはよく見かけるが、どこで出会っても初めて会った人のような顔。去年の今頃が嘘のようだ。

 

 尾崎がカルラの下宿でラブレターを書いていた。相手はメルクル。前々から可愛い子がいるんだってみんなに話をしてたその子だ。いつだったか俺の下宿で飲んだ時、誰かがメルクルって言い出して、そりゃ良いってんで、それいらい俺らの間ではメルクルって勝手に呼んでたんだが、その子に手紙を渡すんだと言う。文面を見せてもらったが、やたら詩的な名文調。こんなラブレターもらったら嬉しいだろうな。俺だったらそれだけで好きになっちゃうけどなあ、なんて言ったりした。尾崎は清書しながら、明日、手渡して、日曜日の午後3時頃、図書館に来てもらうのがベストだな、と浮かれてた。

 

 

5月22日(金)

 尾崎が例のブツを手渡したらしい。朝1番の講義に来るところを待っていて渡したらしい。これ読んでくださいって言ったら、困ります、って言われたらしい。それでも粘って、そんな事言わないでとかなんとか言いながら手渡したらしいのだが、奴は「困ります」と言われた事で酷く落ち込んでいた。

 みんなは、そんなの気にすんなよ、って言ってたけど、本人はすっかりしょげて元気がなかった。

 

 

5月24日(日)

 悲惨な事になった。尾崎のことだ。

 今日の午後、メルクルが手紙の返事を言いに図書館に来る事になってたので、野次馬根性で出かけたのだ。尾崎に頑張れよって声をかけて、少し離れた席から成り行きを見守った訳だ。すると少ししてカルラと唐津がやってきて3人で見てた。無論、尾崎は2時前からずっと待ってる。それなのに約束の3時になっても来ない。4時になっても来ない。万が一だが、断られるにしても流石に来ないって事はないだろう。だから4時を過ぎてから緊張感はマックス。誰かが入ってきたら、思わず3人で立ち上がったりしてた。それなのに5時を過ぎても来ない。もしかしてバスが遅れた?自転車がパンク?来る途中で友達に会って引き留められた?まあ、あり得るわな、なんて話ながら結局6時まで待ったけど、とうとうメルクルは来なかった。

 いやあ、あれはないな。あれはない。酷すぎだよ。たとえ断るにしても図書館に来るくらいはしようよ。あれじゃ尾崎が可愛そうだよ。

 

 

5月25日(月)

 午後、4講目特講Ⅴから学校に行く。

 尾崎はさかんに咳をして、だるそうにしてた。

 

 俺の一生はつまんなかったなあ

 どうせ、俺は死んじゃうんだからいいか

 

 そういう悲観的な台詞を乱発していた。昨日の今日だからなんとも言えない。っていうかそういう辛い経験は俺も負けてないから、気持ちはよく分かる。今、思い出しても心がしぼむ。

 でも、本当に体調も悪そうだったので、学校の保健センター行くだけ行って来いよって行ったら、ウンウンって頷いてた。

 

 

5月27日(水)

 今日はカルラゼミ(自主ゼミ)の最後の日。尾川昌法の「帝国主義論ファシズム論」を久保がレポートした。1年半。11人いたメンバーも最後には7人になったが、今日で一応の完結を見た。

 最後に1人ずつ総括的な事を喋った。学問とは別の面でいろいろ勉強になった。たくさんの人間が集まって活動していくってのは本当に難しいもんだ。みたいな事を俺は喋った。正直に言えば、俺だって谷口に会いたい一心だったもんな。谷口と目が合えば幸せになり、つれなくされて落ち込んだ。学問なんて二の次だった。

 そんな自主ゼミカルラも今日で終わった。

 

 

6月3日(水)

 昨日は暴走族志村がぼやくので、つきあってやった。奴の下宿でサントリーホワイトを飲む。9時から12時まで。

 やつは彼女と別れてからぼやきが多いのよ。今日だって、しょっぱなからユキちゃんネタだからね。※ユキちゃんってのが元彼女ね。

 で、酔っ払っちゃってからは、高田さん(よせばいいのに同じ下宿なんだなこれが)を部屋に連れ込んで(今、就職浪人中の2こ上の先輩、ユキちゃんと交際中)絡み出す。

 

 高田さん、そりゃあないでしょ、え?そりゃあんまりだよ

 

 高田さんも、多少、罪の意識があるのか、だから、すまんって言ってるじゃないか、もう勘弁してくれよ、なんて逃げ腰で、なんだか見ちゃいられなかった。

 女の子と仲良くなるのは良いけど、こうこじれると面倒臭いもんだななんて思いながら飲んでた。もてないってのも案外幸せなのかもね、なんて。

 

 

6月7日(日)

 日曜だというのに朝早くから起きだして学校へ。今日は教職員試験の一般教養模擬試験があったからだ。

 朝9時から夕方3時までびっしり、ぎっしり。模擬試験は難問のオンパレードでお手上げ。法律なんて1問しかできなかった。

 終わった後、無性に不安になった。こんなんじゃ絶対採用試験には受からねえぞ。就職浪人確定だぞ。浪人して大学入ったボンクラが就職まで浪人なんて洒落になんねえわ。

 後期からは受験勉強始めないと間に合わないなあって実感した。

 

 昼間は暑かった。もうすっかり夏だな。

 今、夜の7時。すっかり陽が暮れちまったけど、窓全開にして中島みゆきを聞いてる。どこかで赤ん坊が泣いてる。カセットの音がうるさいのかな?でも、窓から入ってくる風が気持ち良いのだ。もう少しこうして風に吹かれていたい。許せよベイビー。

 

 

6月10日(水)

 2時20分に学校に行く。社会学の教室に入ったら講義が終わった。残念

 夕食は生協で730円も食べた。

 小ライス×2、大ライス×1 ジンギスカン 魚のフライ 

 ポテトサラダ 牛のレバー

 

 昨日は夜中ベットに入っても腹が減って寝付かれず。電気をつけて起きたものの、どこを探しても食べ物はない。ふと、銭湯近くの酒屋にツマミの自販機があったことを思い出す。藁をもつかむ思いで小銭入れから30枚もの10円玉を取り出して、夜中の1時すぎ、夜の町へノコノコ出かける。

 しかーし

 つまみの自販機は100円玉のみとある。この畜生め、と蹴飛ばしてビールだけを買って帰る。空きっ腹にビールはこたえる。信じられないくらいの勢いで体内を駆け巡り、あっというまに泥酔した。

 そんなこんなの今日の夕食なのだ。

 今日もまたそんなことがあると困りと思い、夕食の後、生協で塩ラーメンを3つも購入。さして腹は減ってないのに昨日の恨みだって事で、そのうちの1つをさっき喰ってやったわ。わははは。

 

 

6月12日(金)

 昨日の話

 図書館が閉まった後、久保と一緒にカルラの下宿に上がり込んでウィスキーを飲んだ。そしたら同じ下宿の飯田さん(司法試験を受け続けている法学部2部学生、今年27歳)が来て、俺も一緒に混ざっていい?なんて言うので、どうぞどうぞって事で一緒に飲んだ。

 飯田さんはなかなかの博学で、いろんな事知ってるし、バイト経験も豊かだから話が面白い。なんだかんだで盛り上がったのだが、あんたら卒業後はどうしたいの?なんて振ってくるので、ついつい、俺は文士になりたいんだ、てな事を言ってしまった。そしたら、それまで愉快に喋っていた飯田さんの顔が突然、真剣になって、君には無理だって言った。好意的に聞いてもらえると思っていたので、意外だったし、ショックでもあったので、はぁ?なんでですか?って気色ばんだら、

 

 顔が悪い、甘すぎる、そんな顔じゃ小説は書けないよ

 

 って言う。小説って顔で書くもんなんですか?俺も酔ってたのでムッとして聞き返した。あんただって司法試験とか言いながら27にまでなっても合格してないじゃないか、人の事言えるかよって言い返してやろうかって思ったら飯田さんは言ったのだ。

 

 今、あんたは小説書いてない、書きたいんならなぜ書かない?いつか

 書く、いつか書くって言いながら一生書けない自称文士は世の中ごま

 んと居るんだぜ、ほんとに書きたい事があるのなら、今、この瞬間に

 でも良い、この窓ガラスを突き破って下宿まで走って帰って、死に物

 狂いで書くはずだ、でもあんたは書かない、甘っちょろい顔で小説書

 きたいとほざきながら酒を飲んでる、違うか?

 

 きつい一言だった。何も言い返せなかった。仰る通りだ。

 

 

6月15日(月)

 朝、井町先生から電話もらった。昨日、夜に帰宅したら郵便受けに高校の担任の先生から電話がありましたと大家さんのメモが貼ってあったのだ。井町先生がなんでわざわざ俺の下宿に電話してくれるのか不思議だった。可能性としては①教育実習の件②修学旅行で行くから会えないか?(って事はないよな)

 まあ、教育実習しかないだろうなって思ってたら、やっぱりそうだった。いろいろ話して下さったが、要するに岩国高校で実習ができるか微妙だから、他も当たっておけよって事だった。

 なんでも最近野村清隆が日本史で教育実習やりたいと言ってきたらしい。教育実習受け入れについては「1教科3名まで、1科目1名限定」という内規がある。日本史で俺と野村がかぶれば俺があぶれる(可能性大、奴は現役早稲田で成績優秀、俺とは比べものにならない)実習生受け入れが決まるのが9月10日。もし駄目だった時、そこから次を探したんじゃ遅いかも知れないから、あらかじめ当たっておいた方が良い、という事なのだ。

 この前の教育実習ガイダンスでも、出身中学にも出向いて情報を集めておくように言われたし、たとえ高校が駄目でもなんとかなると思う。それよりも、俺の事を気にかけてくれた事が嬉しかった。俺は井町さんに心配してもらう程良い生徒じゃなかった。今だって鳴かず飛ばずのボンクラ学生なのだ。それだけに増して嬉しかった。

 大家の奥さんも、ええ先生やなあって褒めて下さった。

 

 

6月28日(日)

 昨日、夜9時ごろから暴走族志村の下宿でウィスキーを飲んだ。最近、毎日、どこかで飲んでるよな。日常化してる。アル中か?。

 途中で東田と高山も乱入。メンツがメンツだけに歴研や民青の話題がメイン。自然俺は聞き役に徹したわけで、つい飲み過ぎてしまった。

 しかし、高山という男。大したもんだ。杉原の時も思った事だが、言う事に無駄が無い。理路整然としていて誰が聞いても納得するように喋る。以前は、生意気で嫌みな野郎だぜって思ってたが、俺の勝手な思い込みだった。ユーモアはあるし、笑いのオチも洒落が利いてる。俺が黙ってたら、気を遣って話を振ってくれたり。

 ハッキリ言って俺より何十倍もえらい。

 

 

7月10日(土)

 この前、ゼミナール委員会発行の「日本史論集」なるものをもらった。上下2冊の冊子になったこの論集は、各回生3名ぐらいの割で優秀なレポートが載せてある。俺らのクラスでは高山と城山が選ばれていた。山尾先生の講評には「じつに画期的な発想だ。世俗的な常識を疑おうともしない人間に日本史研究はむいていない」とあった。まったく自分の事を言われてるようで辛い。たしかに掲載されたレポートを読むと、俺のレポートがスポットライトを浴びて稚拙さが浮き彫りになり、嘲笑されているような気がして耐えがたく、論集を閉じた。

 今の2回生、研究入門で選ばれた3編も秀逸で、山尾先生はそのレポートの素晴らしさを「ひとつの異変」だと表現されていた。去年の卒論のいくつかよりは確実に勝っているとも。

 場違いなところに来ちゃったなあ、という入学当初の印象は今も拭えない。

 愚痴ってもしかたない。とりあえず後期の研究方針をハッキリさせなくちゃ。

 

 昨日、杉原がアッセンブリアワーに来た。裁判中、みんなには励ましてもらって感謝してます、ほんとにご迷惑かけましたって生真面目な顔で頭を下げた。みんなで拍手した。

 講義には後期から出るって話だった。

 

 

7月15日(水)

 昨日、火曜日の話。

 4時から鞍馬口カンブリの前のアミッチという喫茶店で掛谷先生との面談があった。中身は後期の研究方針についてだ。

 水曜日の晩、久保と尾崎が泊まったのだが、昼頃起きて尾崎はバイトに行き、俺と久保は後期の研究方針をでっち上げ衣笠のバス停に。そこで東田、高山、小谷、そして林と落ち合ってアミッチへ向かう。

 掛谷先生は、今日は機嫌がええねん、自分でも甘いなあって思いながらやってんねん、気分でどうこうすんのはあかんのやけどなあ、とか言いながら面談。その言葉どおり東田以外は一発合格、やれやれ。

 

 6時すぎ。面談が終わると予想通り、一杯行くか?と来たので、行きましょ行きましょと鞍馬口から地下鉄に乗る。この前のチンピラに会わないか少し不安だったが、誘惑には勝てない。四条から祇園まで歩いて万町酒場でビールと串カツ。スナック「藤」で水割り。そしてバー「さりげなく」で水割り。さりげなくには高山が気に入ってる女の子がいるってんで見てみたら、なかなか清楚な日本美人で、ええ趣味してるなあって思った。

 そこでいったんお開きになったのだが先生は飲み足りないようで、林香澄にええとこ連れていったるとか声をかけてる、林は1人じゃ不安だったみたいで、俺にも一緒に来いと服を引っ張るのでやむなく2人して先生について行った。俺も林もおそらくバーみたいなとこでオンザロックでもチビチビやるんだろうって思ってたのに、先生は飲み屋街から少し外れたマンションの3階に上がる。林と顔を見合わせていたら、3階のある部屋のブザーをなれた手つきで押す。もしかして先生の自宅?って思ったら、なんだか品の良い中年の女性が出てきて、あらいらっしゃい、かなんか言ってる。え?奥さんじゃないの?もしかして愛人?とかコソコソ喋ってたら、なんと学者サロンだった。

 

 会員制のサロンだが、会員は歴史学専門の研究者か大学教授連中。しかもマルクス主義歴史学を信奉する左翼限定らしかった。

 中はいわゆるマンション。10畳以上ある床張り、ソファー有りの部屋(しかも照明が落としてあって薄暗い)でゆるめのジャズを聴きながら、オンザロックでウィスキーをやるって雰囲気。

 隣り合って俺と林がソファに小さくなってると、品の良いママさんが、あなたたちも日本史専攻なんでしょ?なんて言いながらグラスを持ってきて呉れ、ここに連れて来てもらうって事は相当期待されてるのね、なんて微笑む。

 

 この金髪見てたら、ママの学生時代を思い出してなあ、つい誘ってし

 もたんや

 

 掛谷先生が伸びた髪の毛を掻き上げながら笑った。どうやら、ママって人も日本史学を専攻した学生(?研究者?)だったようだった。京大の〇〇も、〇△も、あいつも彼もみんなここの常連だと先生は、俺達がいつも読んでる近代史の学者の名前をあげつらった。

 

 京大の〇〇がまだ院生やった頃、もう先輩の〇△は助教授になってて

 なあ、論文を書いては奴のとこに持って行ってたんや、そしたら〇△

 はペラペラって眺めて、あかん、書き直しや、って突き返す。仕方な

 しにまた書き直して持って行く、それでも斜め読みして書き直せって

 突き返す、それでも〇〇は書き直して持って行く。三回目も同じ。全

 然あかんやん、お前、やる気あんのか?って小言まで言われる。さす

 がの〇〇も辛抱できずに言い返した。どこがあかんのですか?言うて

 もらわな、書き直せません。そしたら〇△は何て言うたと思う?。

 

 そんな事聞かれてもわかるはずもない。俺と林香澄が顔見合わせていたら、ママが代わりに答えてくれた。

 

 お前、人民に奉仕する気がなくなったんか?どこがあかんのかぐらい

 自分で考え

 おいおい、ママが言うたらあかんやん

 私もよう言われましたわ、さすがにそれ言われたら、書き直すしかあ

 りませんもんね

 せやな、そういう時代やったなあ

 

 若き歴史学者達はそうやって、人民の為に命を削った。自分の名誉とかお金とか社会的地位の為に歴史研究してるんじゃない。歴史学は人民に奉仕する学問なんだ。権力者や財閥どもの玩具でもない。名も無き人民同胞、自分達と同じ、同士の為だから妥協はしない。とことん極限まで突き詰めていく。命の限り頑張れる。

 

 先生とママは、そんな話をゆっくり時間をかけて話してくれた。

 

 すごいです。

 あたし、頑張ります。

 とことん。極限までやり抜いてみせます。

 先生、ありがとうございます。

 

 となりの林香澄は身を乗り出すようにしてその話を聞いていた。感激のあまり泣き出しそうなくらい興奮していた。その気持ちは俺にもしっかり伝わってきた。予備校時代から真剣に歴史学者を目指していた林香澄なのだ。先生も先生だ。一目見て、こいつは本物だってすぐにわかったんだろう。林香澄。掛谷先生に出会えてよかったなあ。

 でも、俺はどこか醒めていて、地元の中学校に教育実習の事きかなくちゃとか、手紙かな、それとも電話ですますか?とか、どうでも良いことを考えたりしていた。