覚悟はしていたものの、この高校に入学してからというもの、見るもの聞くもの驚く

事ばかりでさすがの大磯坊太郎も疲れ気味だった。同じ国の同じ県の同じ町の学校なの

に、こうまで違っていいのかと思うのだが、あれだけ大騒ぎして送り出されてきた以上

今さら地元の高校に転校するわけにもいかず、どこか欧米の見知らぬ国にでも留学した

とでも思って受け入れ順応するしかないわけで、ぼやく暇があったら早く慣れろと思う

のだが、それにしても男女共学を謳いながら、それは正門までで、正門から一歩足を踏

み入れたら、その実男子校女子校とまったく別の学校が二つあるこの実態はどうなんだ

と言いたいのだが、あまりそこに拘るとまるで坊太郎が女の子目当てでこの学校に進学

したように誤解されるから敢えて口には出さないが、他の新入生達はというと先刻承知、

まあこれがこの学校のこの学校らしいところだからね、なんてさして違和感もなく過ご

しているからすごい。

 

 合格発表の日、坊太郎が合格者一覧表の中に自分達の名前を見つけて小さくガッツポ

ーズを作った、その場所と全く同じところに張り出されていたクラス分けの表を見た入

学式の日の衝撃は今でも忘れられない。

 というのも、たまたまそこに居合わせて一緒に一組から探していた藤原友里が、なん

で男子しかいないの、女子の名前が一人もいないじゃんといつもの調子で騒ぎ出したの

だ。全部で十一あるクラスは六組を境に前半と後半がきれいに男女別に別れていた。

 結局、坊太郎は五組、友里は九組だったのだが、いつもはマイペースで坊太郎の気持

ちなど忖度する気配など見せない友里が声を潜めて、

 

 ねえ、ちょっとこの学校、狂ってんじゃないの?

 

 とささやき、いつもならスルーしてしまう坊太郎も、ちょっとじゃないよ、相当いか

れてるよ、と応じたのが最後で、坊太郎と友里は最初の連休を間近に控えた今に至るま

で学校外はおろか、校内でさえお互いに口をきいたことがない。

 

 古くからこの学校にいると噂されている年輩地理教師に言わせれば、異性は学問の邪

魔でしかないのだそうだ。

 

 男女は本来なら全く別の学校で教育を施されるのが筋だが、敗戦国の日本は戦 勝国

 の堕落腐敗したイデオロギー、乱れきった教育観に占領支配され、旧制中学、女学校

 という我が国の美しき伝統的高等教育制度は蹂躙され男女共学などという陳腐なもの

 にすり替えられてしまった。しかし、地元政界財界のご尽力もありこの学校だけは表

 向き新教育制度に迎合するような体裁をとりながらも、その実、明治以来の伝統を死

 守して今日にまで至るのだ。それにしても女はいかん。女子生徒のみならず、成人女

 性も同様。傲慢で陰険で誉めればつけあがり、けなせばつむじを曲げとどうにもならん。

 

 その老地理教師は最初の教科の時間、授業オリエンテーションの代わりにそんな話を

ブチ上げ、最前列の席の生徒に唾の雨を降らせた。

 地理教師の話を大袈裟に過ぎると感じる人もいるかも知れないが、実態はそれ以上で、

男子棟、女子棟と校舎が分かれているこの学校では職員室も二つに分かれているし、男

子クラス担当は男性だけ、女子クラス担当は女子教師だけで担当教師の入れ替えや交流

もない。噂では教頭も二人いるらしいし、部活動の成績や大学への進学状況は言うまで

もなく、服装、頭髪、挨拶等、学校生活すみずみに至るまで男女でお互いに張り合って

いるのだそうだ。

 生徒玄関もそれぞれ男子棟、女子棟と分かれた校舎にあるわけだから、正門を通過す

るや生徒は男女に分かれてそれぞれの校舎を目指すことになるのだが、男子棟一階の廊

下を通過して体育館に向かう場合と女子棟一階の廊下を通り抜けてゴミ焼却炉に向かう

場合を除いてそれぞれがお互いの校舎に立ち入る事は厳しく禁じられていた。

 

 

 坊太郎と友里はこの高校のある町からバスで二時間足らずの離れた山村にある同じ中

学出身の同級生だ。同じ村で生まれて村で一つしかない保育所に通い、村で一つしかな

い小学校を経て、村で一つだけの中学に進んだ。

 坊太郎達の学年は三十五人。全校生徒百一〇六人の小規模中学だったが、中山間部に

あって鉄道や高速バスもなく、町の進学校に通うには下宿するしかないという地理的事

情や、町の進学校がそれでなくてもやたらと入試レベルが高い上に、学区外からの越境

入学だから五百名の定員の一割しか割り当てがなく、その五十名に郡部の秀才が集まっ

てくる激戦状況もあって、ここ二十年ほどの卒業生は例外なく隣町にあってバスでも自

転車でも通える地元の分校に進学していた。

 だからこの村の卒業生が最後に町の進学校に入学して以来二十年ぶりであることに

加えて、坊太郎、友里と一挙に二名も進学したのだから、村にとっては甲子園になど出

場したこともないような田舎高校の野球部から首都圏にあるプロ野球チームに同時に二

名ドラフト指名をされたくらいの衝撃なわけで大騒ぎにならない方がおかしい。

 坊太郎も友里も幼い頃から神童と呼ばれ、常に他の生徒とは遙かかなた成層圏くらい

の高みで学力を競ってきたし、小学校の時は坊太郎が児童会長、友里が副会長、中学の

時は友里が生徒会長で坊太郎が副会長と主要ポストを歴任してきており永遠のライバル

と周囲の大人達には見られてきたのだが、じゃあお互いが刺激しあい切磋琢磨しあった

かというと全くそんなことはなく、身長が高く一見スポーツ万能に見える坊太郎は学校

の水泳授業中、浅いプールで溺れそうになったかと思うと跳ねるサッカーボールに手こ

ずる様子が盆踊りのようだと失笑を買いとさんざんで実は運動音痴でだったが、小柄な

友里は小さい頃からかけっこが速く、とりわけ中長距離が得意で小学校六年生の時、軽

いノリで出場した県レベルのマラソン大会で高校陸上部や実業団の選手を抑え優勝して

一躍有名人になった。

 だがその一方で、写生大会に行けば決まって最優秀賞を取り、五年生でショパンを弾

きこなすほど芸術系に秀でている坊太郎に対して友里はというと音程をとるのにも四苦

八苦するほどの音痴で、絵を描かせば決まってキュビズムかと評されるくらいに芸術系

はアナーキーだったから、テスト学力が飛び抜けているという共通点を除けば水と油、

太陽と月、プラスとマイナス、北極と南極くらいタイプが違っていて、お互いがお互い

を苦手だなあと思いながらも干渉しようにも干渉しようがないくらい接点がなく、それ

ゆえ過剰に親しくもなれず、かといって反発反目もできず、それぞれがマイペースで過

ごすという不思議な関係で中学まで来たのである。

 その他大勢の生徒達との関係にしては極めて良好で、それがゆえに会長、副会長に選

ばれてきたのだが、それは友里の規格はずれの天然キャラといつも男子の真ん中でニコ

ニコしているような坊太郎の性格によるところが大きかった。

 そうした人間関係もあり、村の期待を一心に背負った二人は卒業式の後に行われた村

主催の壮行会で喝采と万歳の祝福を受けた。そんなこんなの事情で、男女共学とは名ば

かりの不可思議な校風が気にいらないからなんて理由で出戻るわけにはいかないのだが、

それにしても、修学旅行で四大工業地帯のひとつに数えられている関西の都市を訪れた

時、駅前を行く人の多さにみんな絶句したが、それに勝るとも劣らない人口密度の高さ、

とくに休憩時のトイレや教室移動の時の廊下のそれは想像を絶しており、坊太郎は入学

当初、人酔いで何度も吐きそうになったが、それも最近は慣れたから人間の順応性とは

怖ろしい。

 

 なしてこがあに人が多いんじゃろうの。

 それいね、うちらの村っちゃ、人間より猿やら狸の方が多いちゅうのに。

 それっちゃ。

 

 なんて人口密度の低い田舎者同士でヒソヒソ、コソコソやりたいと坊太郎は思うが、

この学校でヒソヒソささやいて、ソレイネと同意してくれる人間といえば友里しかおら

ず、この際だから友里でもいいやと思うのだが、男子ばかりの男子棟に入ってしまうと、

女子棟の様子など地球の裏側にある国よかその様子がわからない。近くて遠い国の代表、

韓国と北朝鮮みたいに女子棟の様子は闇の中で、どこを見渡してみても友里どころか女

子の影すらない。同じ敷地にいて、教室の窓から見えるあの女子棟のどこかで坊太郎と

同じように、人口密度の高さに目を丸くしているに違いないと思うのだが。

 

 

 数えるほどではあるが坊太郎にも友達ができた。一人は同じクラスで席が近くになっ

たことから口をきくようになった大谷という男子、もう一人は坊太郎が入部した軽音楽

部の三上という男子、そして同じ下宿の村田という先輩だ。その中でもとりわけ三上と

の出会いは衝撃的だった。

 坊太郎はピアノの達人だったが、それはピアニスト志望だった母親から強制的に練習

させられてきたからで自分から望んで修得してきたものではなく、中学に入ってからは

むしろピアノの練習を苦痛に感じるようになっていた。ピアノに代わって坊太郎の心を

掴んだのはギターだった。昔、父親が弾いていたというガットギターを譲り受けてから

というものギターの音色の虜になっていたのである。ただ、和音で伴奏しながらメロデ

ィーを弾いたり、メロディーに合わせて複雑なベース音を操ったりできるピアノと較べ

るとギター一台でできることはやはり限られており、そのうえ演奏技術の未熟な坊太郎

のことだからピアノ程には思うようにならず、仕方なく一台のラジカセに録音した伴奏

を流しながらメロディーを弾いて録音してみたりしていたのだが、それももはや限界だ

と思っていたところギターやマンドリン演奏を楽しむ軽音楽部ってのがあると聞き入部

を決めた。

 軽音楽部に入部した翌日の放課後、早めに部室に行ってみると、誰もいない部室で一

人の男子が椅子に座った姿勢でギターを抱え、思いつくままにコードを弾いていたのだ

が、そのコード進行が定番のようでいてところどころおや?っと思わせる展開をみせて

おり、それに引き込まれるように聞き入った坊太郎は気がついたら、チューニングもそ

こそこに部室に乱入し、その男子の音にアドリブのメロディーをあわせていた。坊太郎

がアドリブで合わせてきたことに気がついた後もその男子は驚くことも慌てることもな

くそれまでと同じようにリズムを刻み、そして坊太郎に目配せして曲を終えた。坊太郎

はこれだ、と思った。一人であくせくしながら、出したいけど出せなかった感じ、もう

目の前に見えているようなのに見えずにいた音、わかっているのに楽譜には書き表せな

いリズム。それが全部そこにあった。坊太郎が彼の名前を聞こうとしたら、彼の方から、

おまえ上手いのおと微笑まれ、わしの名前は三上じゃと名乗られた。

 

 軽音楽部はギターマンドリンクラブとも呼ばれていて、文化祭で大編成での合奏を披露

することを除けば、流行りのフォークソングトリオを組もうが、個人でクラッシックの名

曲を練習しようが自由だったので、坊太郎の方から申し込んで三上とギターデュオをやる

ことにした。

 坊太郎はクラッシック音楽以外にも演歌、音頭、雅楽などの伝統的な音楽やロック、フ

ォーク、ポップス、ジャズなどの洋楽もジャンルに拘らず聴いて育ってきたし、とりわけ

小学生の頃は実家が経営している製材所で働くお兄さんお姉さんの影響でグループサウン

ズも、ギターの弾き語りで政治的メッセージを詩的に歌い上げるフォークソングも好きだ

ったから、音楽の嗜好を語れる相手が初めてできた嬉しさもあって、その事を熱く語った

ら、くだらんなあと鼻で笑われた。

 坊太郎は口論をしたことがない、というかこれまでは口論の相手になるような存在がい

なかったから(友里もそういう対象にはならなかった)坊太郎がこうだと言えば、へえそ

うなんだと感心されて話はお終いでそれ以上話が発展することはなかったからムキになっ

て口論する必要もなかったのだが、さすがにこのときだけは気色ばんだ。どこが下らない

のかと問いつめると、だって真似じゃん、と返された。グループサウンズはイギリスの、

フォークソングはアメリカの猿まねで、うまいこと真似できてるじゃないかって以上の価

値はないと言い切る。たしかに坊太郎も元ネタはあるやに聞いていたが、それでも元ネタ

をアレンジして新しく音楽を作ったんだからいいじゃないか、それに聞きやすくてカッコ

イイしと言い返すと、リンゴの絵を見て描いたリンゴがそんなに良いかよ、リンゴが描き

たかったら本物のリンゴを見て描かなきゃダメだろ、なんて禅問答みたいな言い方で煙に

巻かれた。それでも不満そうな顔をしていたら、

 

 じゃあどうしてアジアやアフリカや南アメリカじゃなくてアメリカとイギリス なのか

 考えた事があるか?

 

 と問われ答えに詰まった。アメリカの人気フォークデュオはペルーの民謡をモチーフ

にして曲を作ってヒットさせ、日本人もありがたがってそれを口ずさんでいるけど、だ

からといってもっとペルーの音楽を聞こうとする日本人は少ない。イギリスの有名なバ

ンドのメンバーはインドの音楽の虜になって自分たちのバンドの曲にも取り入れていて

それを有り難がって聞いてる日本人は多いってのに、インドの音楽をもっと聴いてみよ

うとする日本人はいない。なぜペルーやインドの音楽よりもアメリカイギリスなのか。

おまえはさっきカッコイイ音楽だと言ったが、世界中の音楽を聴き較べてやっぱりアメ

リカやイギリスの音楽が世界一だと思ったからじゃあるまい、と迫ってきた。そうじゃ

ないけど、と坊太郎が口ごもると、操られてるんだよ、と三上は笑った。

 

 操られてる?誰が?

 俺達だよ。

 誰に?

 日本のマスコミにだよ。

 マスコミ?。テレビとかラジオとかか?

 もっと言えば、アメリカやイギリスのレコード会社かな。奴等日本のマスコミと手を

 組んで自分達のレコードを日本人に買  わせようとしてるのさ。

 そうかな。

 そうだよ。俺達はいつのまにか慣らされ操られ、金を出して奴等のレコードを買うよ

 うにし向けられてるのさ。

 

 世界にはさまざまな音階やリズムがあって、中には楽譜に書き残せないようなすごい

音楽もあって、音の楽しみは無限だっていうのに西洋音楽が世界一みたいに思わされ、

西洋音楽の屁理屈からはみ出すのは音楽じゃないなんて思わされているのも同じ事で、

それからまず解放されなくちゃ本当に音楽を楽しむことにはならない、と三上が喋るの

を聞いて、これまで正面からしか見た事のなかった銅像の後ろ姿を見せつけられた感じ

というか、当たり前だと思っていた日常の軸が歪むような感覚を覚えた坊太郎だったが、

その一方で生まれて初めて自分の意見を頭ごなしに否定されいじけた気分も残っていて、

お前って変なやつだなあ、なんて悔しまぎれに苦笑いで誤魔化したら、それよく言われ

るんだよな、と三上も苦笑いで返してくれてなんとかその場をしのいだのだが、その後

意識してテレビやラジオから耳に入ってくる音楽をチェックしてみると、三上の言うよ

うにほぼ例外なく西洋音楽で、アジアやアフリカの音楽は皆無だった。

 

 

 下宿の先輩である村田さんという人は、初めて下宿で食べた夕食の席で

 

 わしゃ不良じゃけえ気を付けえよ

 

 と自己紹介して、こりゃ村田くん、あんまり驚かしたらいけんよ、と下宿のおばちゃ

んに窘められていた。下宿人は二年の村田さんの他には一年の坊太郎と三年の原田とい

う真面目な先輩がいたが、原田さんも中山間部からの越境入学らしかったし、村田さん

も下宿しているくらいだから恐らくそうだろう思い、自分が山村の出身だと自己紹介し

ついでにそのことを問うと、町の港から連絡船で一時間のところにある島の出身だと無

愛想に告げ、この学校は貧乏な漁師の息子が来るとこじゃないっちゃ、と自虐的に笑っ

た。その自虐的な感じが気になったから、返答もできずに黙っていると、まあおまえも

地元じゃ神童じゃの秀才じゃの言われて調子にのって来たんじゃろうが、ここは田舎と

はレベルが違うんじゃレベルが、田舎の神童は町のボンクラ言うてのお、必死で勉強し

ても落ちこぼれ間違いなしで、と自分に言うように言い、原田さんを指さして、まあこ

の人は本物の天才じゃがね、と頷いたが、原田さんはご飯をかき込んでいた箸を止めて、

村田くんもまじめにやりゃできるのに、とつぶやき、その続きはみそ汁をすすって誤魔

化した。

 村田さんのいない時に下宿のおばさんが語ったところでは、島では勉強、剣道、何を

やらせても一番の秀才で、とりわけ剣道ではこの近辺のみならず県内でもかなり有名で、

幼い頃から将来を嘱望された剣士らしく、奨学金をもらってここに入学してきたのだけ

ど、入学後すぐにあった新入生歓迎実力テストとやらでショックを受けすっかり自信を

なくしてしまったのだそうだ。今は部活の剣道部へは欠かさず通っているものの学校は

行ったり行かなかったりで、去年はぎりぎりでなんとか単位を取れ二年に進級できたの

だとも付け加えた。

 新入生歓迎実力テストとやらに関しては坊太郎も少なからず面食らっていたところだ

ったので、村田さんがショックを受けたというエピソードには納得できた。

 つい先月行われたその新入生歓迎実力テストとやらで坊太郎は五教科平均八十五点、

合計四百二十五点をとっていて、それは中三の時何度か受けた公開模擬テストとほぼ同

じ出来で、まあこんなもんかなと手応えを感じていたというのに、その合計点をもとに

した席次でいうと学年五百人中なんと三百五十番だったのだ。発表されていた最高点が

四百七十五点だから五十点の点差の中になんと三百五十人もいる勘定になる。中学の時

は大半の生徒が勉強嫌いで、試験の前になると部活が休みだからとほぼ例外なく遊び呆

けていたからテスト学力でいえばたった四十人足らずの点差は三百点くらい開いていて、

マラソンで言えば先頭から最後尾までひどい縦長になっていたのだが、ここでは五百人

もいるというのに点差はほんの百点かそこらで、マラソンで言えば先頭から最後尾まで

ほとんど差のない団子状態と言える。中学の時は友里が一番か、そうでなければ坊太郎

が一番と決まっていて、それが当たり前になっていたから三百五十番という数字を見た

ときは理解するまでに結構時間がかかった。

 

 

 戦後長い間続き、もはや泥沼化していた東南アジアの戦争がやっと終わったと、テレ

ビや新聞が報道していたが、それは学校でも同様で、担任の世界史担当教師は、この勝

利は歴史の必然だとか、世界の歴史は法則的な発展をしていくのであって、多少の後戻

りはあっても誰にもその流れは止められないのだとかよくわからない解説をしてみせた

が、江戸時代の生き残りと思われる例の地理教師は普段言っている事からすれば、東側

の勝利など認めんぞ、糞くらえだ、とでも言いそうなのに、アメリカ憎しのあまりアメ

リカが負けさえすれば中身はどうでもいいみたいで、正義は必ず勝つのだと顔面を紅潮

させた。

 その他の教師も負けず劣らずで授業を始める前には必ずその歴史的戦争終結について

一言述べ、その影響でか、休み時間にアメリカの歴史的敗戦の世界情勢への影響なんか

を得意げに解説してみせる生徒もいたし、そうした話に疎い坊太郎としては一度ちゃん

と勉強しなければという焦りみたいなのも感じてはいたが、それはそれとして坊太郎が

気になっていた事といえば間近に迫ったゴールデンウィークだった。

 入学前にとりあえず連休には帰省するようにと言い含められていたし、坊太郎もその

積もりでいたのだが、帰省すれば当然成績の事を聞かれるだろうし、新入生歓迎実力テ

ストの結果をどう報告したものか思案に暮れていたのだ。

 素直に報告して両親や親戚をガッカリさせるのは野暮だと思われたが、だからといっ

て嘘を言う訳にもいかずどうしたものかと悩んでいたが、定期テストならいざ知らず新

入生歓迎実力テストなんてものがあるなど実家の人間が知るはずもないということに気

がついた。敢えて触れずに過ごせばガッカリさせることも嘘をつくこともないのだ、と

思えば一気に気が楽になった。

 

 そんなこんなで迎えたゴールデンウィーク。やっぱり実家は懐かしいなあと靴を脱ぎ

かけた実家の玄関先で、迎えに出た母親が開口一番、入学した直後にあった新入生歓迎

実力テストの結果はどうだったの?と切り出し心臓が止まりそうになった。どうしてそ

んな事を知っているのかとどもりながら返したら友里ちゃんのお母さんから聞いたのよ

と母親は嬉しそうな笑顔を見せた。坊太郎の実家は田舎で代々続く製材所だが、友里の

実家はその製材所の向かいの工務店だ。今でこそ林業も廃れ製材業も勢いがないが、洋

材の入ってきていなかった祖父の時代には地元の杉松の製材で随分羽振りが良かったし、

林業、製材業、工務店といずれも地場産業の中核として持ちつ持たれつ、親戚つきあい

をしてきた関係もあって母親同士も随分と仲が良いから、そのあたりの情報は筒抜けだ

ったようだ。

 坊太郎は実家をでて入学してから今日まで実家へは電話の一本も入れなかったが、ホ

ームシックにでもかかったのか友里のやつは毎日のように電話をしていた様子で、

 

 友里ちゃんみたいな秀才でも一番になれないっていうのだから、あんたの学校 

 って相当レベルが高いのね

 

 なんて感心してみせる母親の口振りに坊太郎は驚いた。たしかにあの学校の生徒達の

テスト学力が相当高いのは事実だが、その「友里ちゃんみたいな秀才でも一番になれな

い」という言い草はどうだと思ったのだ。もし坊太郎の成績を元に言うのであれば、「

あんたの学校って相当レベルが高いのね」という感想はでるにしても「あんたでも一番

になれないなんて」とは言わないはずで、それこそ村田さんではないが「やっぱり田舎

の神童は町のボンクラ」と溜息の一つも出そうなところをああ表現するのを見ると、相

当成績が良かったのだろうとさぐりを入れてみたら、かろうじてトップテンには入った

らしいけど、と返ってきて驚いた。で?あんたはどうだったの?と問いつめられたが、

さすがに三百五十番だったとは言いずらく、まあ似たり寄ったりさ、と誤魔化すとさす

がは親馬鹿、息子の言うことを真に受けて、まあ友里ちゃんが一番になれないくらいだ

からあんたじゃ無理よね、とあくまで一番に拘るから怖ろしかった。そのやりとりを聞

いていた父親や祖父は、やあお帰りとも言わずに会話に入ってきて、まあ三年までにぼ

ちぼちやって、友里ちゃんかおまえかどっちかが主席で卒業してくれりゃそれでええわ、

なんて冗談かましてくるので鼻血を抜かしそうになった。

 しかし、どうにも腑に落ちないなあと坊太郎は思った。トップテンというのが本当で

あれば五教科平均九十五点、合計四百七十五点の最高点とさほど違いはないと思われ、

たしかに友里は努力家ではあるしひらめきも鋭いが、テストでいえば坊太郎と似たり寄

ったりで、差がついてもせいぜい十点くらいのものだったから、ほんの一月くらいの間

にいきなりそんなに差がつくとは思えなかった。さすがの坊太郎も向かいの友里の実家

に行って、直接確かめてこようかと思ったが、幼い頃は別として、中学に入ってからは

一本道を隔てた向かいにあるというのに坊太郎も友里もお互いの実家を訪れた事はない。

とはいってもとりわけ理由もないのに訪問するほど仲が良いわけじゃないだけの事でお

互い避けていたわけではなく、それにいちいち自分が行かずとも日常的に母親の口から、

やれ友里ちゃんが大きなマラソン大会でまた優勝して新聞記者から取材を受けたらしい、

明日の新聞に載るらしいよとか、昨日友里ちゃんがロシアの煮込み料理を作ったらすっ

ごくおいしくっておじいちゃん達も大喜びだったってとか、今度の誕生日何が欲しいっ

てきいたら友里ちゃんったらサイクリング車っていうの?競技用の自転車が欲しいって

言ったって、自転車なら一日100キロは走れるからって、とかしょっちゅう友里の様

子は聞かされていたし、向こうは向こうでこっちの情報は筒抜けで似たような状況と思

われ、強いて出向いていかずとも、お互いの様子は把握できていたのだ。そんなこんな

で向かいの実家に友里を訪ねて、本当なのか?と問いだたすのは違和感ありありで憚ら

れたが、しかしこのまま家族に囲まれてねちねちやられるのも勘弁してほしいわけで、

下手すりゃ「まあ似たり寄ったり」が嘘っぱちだとばれないとも限らない。

 

 そうだ、中学の先生に挨拶に行ってこなきゃ

 

 と上手い口実をみつけた坊太郎は実家を飛び出し、実際に母校である中学に顔を出し

たが、そこで偶然にも友里をみつけて驚いた。

 連休中も部活動の練習だけはあるみたいで、グランドでは野球部が、体育館ではバレ

ー部の女子達が練習中だったが、職員室に入ると友里と元担任の岡崎先生が入り口そば

のソファーに座って話をしていた。岡崎先生は禿頭の上に腹の出た五十絡みの典型的な

おじさん先生だったが、いつも陽気で気さくな性格から一切構える事なく思った事を何

でも気軽に話せたが、卓球部の顧問をしている先生はちょうど練習を終えたばかりと思

われ、坊太郎達が在籍中も着ていたクリーム色の野暮ったいジャージ上下を身につけて

いた。先生は、坊太郎を見ると、お?神童アベックの登場だなといつもの冗談を口にし、

それを聞きつけた教頭と理科の田中先生も、おお、神童がダブルでお揃いだ、とソファ

のところに集まってきたが、自然話題は進学先の高校の話になり、教頭先生が、どうだ

い?勉強の方は、入学後早々に新入生歓迎テストなんてのがあるそうじゃないか、なん

て探りを入れると、どういう積もりか友里は、

 

 いやあできる子ばっかりでホントびっくりですよ

 

 なんて珍しく謙遜してみせ、またまた、藤原ならどこに行ったってトップクラスだろ

うに、とタイミング良く理科の田中先生がお世辞交じりの突っ込みを入れたから、まあ

ね、などとしたり顔で坊太郎の方をちら見すると思ったのに、どういう訳か渋い顔で、

それが全然なんですよね、やっぱレベルが高いです、なんてどこまでも控えめなので、

痺れを切らした坊太郎が、でもトップテンには入ってるんですよ、と補足してやると、

岡崎先生も教頭も田中先生も同時に声を挙げ拍手と笑顔で藤原を讃えたが、ソファ脇に

立っている坊太郎を振り向いた友里は上目遣いに睨むような視線で舌打ちをしてみせた。

で?ボウちゃんの方はどうなんだ?と教頭が水を向けてきたから、残念ながらトップテ

ンには入れませんでしたが、とさも上位には食い込んでいるのだとでも言いたげな口振

りでお茶を濁し、それはそうと軽音楽部に入部したんですよと話題を変えて、親しくな

った三上の事なんかを話すと、友里も機嫌を直したようで世話になっているという親戚

宅や入部した陸上部の様子を楽しそうに語り、早速連休明けには五千Mの試合に出場す

る予定だなどとひとしきり近況報告を続けたが、いつのまにか教頭が事務仕事に戻り田

中先生も野球部の指導にと職員室を出ていくとなんとなく解散の雰囲気になり、岡崎先

生に挨拶をして坊太郎も友里も職員室を後にした。

 こういうシチュエーションではとくに親しい間柄ではなくてもこの後どうするの?と

か、じゃあまた今度ね、とか二言三言言葉を交わして別れたりするものだが、友里の場

合は決まって何も言わずにとっととどこかに消えてしまうので、どうせそんなところだ

ろうぜと正門を出たら、後ろから早足で近づいてきた友里は坊太郎の脇腹を拳でこづき、

さっきの話、ホンマなん?と聞いてきた。

 

 さっきの?

 うん、テストの、ほら。

 ああ、あれかあ、ま、まあね。

 すごいじゃ、さすが坊太郎、運動神経は鈍いくせにテストだけはできるっちゃね。

 なに言いよるんじゃ、お前の方こそトップテンなんじゃろ?すごいじゃ。

 ばあか、嘘じゃ、トップテンじゃの入れるわけないじゃ。

 え?嘘なん??。

 嬉しいんか、人の不幸がそねえに嬉しいんか。

 いや、違うっちゃ、じつは。 

 点数はこれまでで最高の出来じゃったのに順番はちょうど真ん中っちゃ、最高点じ

 ゃったのによ?トップテンじゃの無理に決まっちょるわいね。

 いや、実は俺も。

 じゃけど親には言えんじゃ、みな一番になるのが当たり前じゃ思うちょるもんね。

 ああ、それっちゃ、俺も、じつは。

 まあ、あれっちゃ、とりあえず陸上だけは一番にならんと格好つかんけえ頑張るわ、

 坊太郎はトップテンから落ちんように頑張りいよ。

 

 とまあ、こんな感じで友里ははなから坊太郎の言うことを聞こうとしないから会話

はチグハグで、坊太郎が出任せでついた嘘を撤回することさえできなかった。友里の

トップテンが嘘っぱちだったのにも驚いたが、嘘をつきあっていて成績はお互い鳴か

ず飛ばすだったとはいえやっぱり友里の方が良かったというのも少し癪ではあった。

それでも一応釈明だけはしておこうとしたら、友里は何か思い出したように顔を上げた。

 

 あっそうじゃ、熊野千春が坊太郎とデートしたいんと。

 

 友里は唐突にそう言うと、町のやつらの趣味がわかんわと鼻でせせら笑うような仕

草をしてみせたが、何の説明もなく熊野千春とか、町のやつらの趣味とか言われたっ

て何がなんだかわからないから、いきなり何を言いよんやと坊太郎が口を尖らすと、

 

 坊太郎、お前、女子の間で人気者になっちょるん、知らんの?

 

 と意味不明な事を付け足した。

 熊野千春とは友里と同じクラスにいる女子生徒らしいが、彼女も坊太郎の入部した

軽音楽部に入りそこで坊太郎を見て一目惚れをしたらしい。クラスにいる市内の全て

の中学出身者に聞き取り調査をしても大磯坊太郎なんて変な名前の生徒知っている生

徒はおらず、身許不明の転校生みたいなところが女子生徒の恋心をくすぐった上に熊

野の隠し撮りしてきた写真が出回って人気に火をつけた。坊太郎という名前を小耳に

はさんだ友里がもしやと思って写真を確認するとやっぱり思った通りだった。同じ中

学の出身だと話すと仲を取り持ってくれないかと泣きつかれた。

 適当で曖昧で飛躍と偏見に満ちた友里の話をまとめてみると、どうやらそういう事

らしかった。確かに軽音楽部には女子生徒も結構いるようだし合奏の練習の時は一緒

になるらしいが今はまだ合奏練習は一度もないし、男女別々の教室で練習するのが基

本で理由なしに一緒に練習するのはやめてくれみたいな事も言われていたので、女子

部員はいてもいないようなものだったというのに熊野千春なんて固有名詞で言われた

ってわかるはずもなく坊太郎が呆けた顔で突っ立っていると、友里は詳しい事は電話

で伝えるから下宿先の電話番号を教えろと言うので、何が何やらわからないままに電

話番号を書いたメモを渡した坊太郎だったが、友里はというと、

 

 まあ坊太郎も見た目だけ言やあ不細工じゃなあけど、あねえな境遇に置かれたら、

 とんでもない運動音痴じゃいうのもわからんし、どねえな子じゃろうが良う見える

 っちゃね、

 

 なんて嫌みか皮肉かみたいな憎まれ口を叩いてどこかに消えた。

 「あねえな境遇に置かれたら」というのは男女共学のくせに校舎もクラスも男女別

に別れてて、できるだけ接触しないように規制されている学校の様子の事だと思われ

るが、たしかに友里の言わんとしていることはよくわかった。

 いっそ何もなければ我慢できそうなダイエットも、これ見よがしにご馳走の臭いだ

け嗅がして食べちゃダメですよぉなんていたぶられればもはや我慢の限界と悶え苦し

むように、男子校、女子校と全く別の学校にしてくれりゃ治まる煩悩も、ああ中途半

端にやられちゃ治まるものも治まらなくなる。

 時折体育の授業で体育館に向かう女子クラスの集団が廊下を通過することがあるの

だが、誰かが「女じゃ」と叫ぶと教室中の男子はヤモリそのままに廊下側の窓窓に貼

りつき、女子の集団が通り過ぎるまで目をギラギラさせて無言で息を止め、その異様

な雰囲気を察した女子達は奇声を上げながら全力で廊下を通り過ぎ、と異様な光景が

繰り広げられていたが、それは女子棟でもそうで、唯一女子棟の通過が許された焼却

炉へのゴミ捨て業務でゴミ箱を持った男子生徒が廊下を通過しようものなら、廊下の

左右に整列した女子生徒達の足先から頭のてっぺんまで舐め回すような卑猥な視線に

晒されることとなり、それに耐えきれずに赤面涙目で引き返す気の弱い男子も続発す

るほどだったのだ。

 教師達が言うように、異性を排除してこそ学問は成就するというのも一理あるのか

しれないが、目にはみえずとも甘い香りだけがするような中途半端な排除の仕方では

逆効果であることは疑いようがなかった。

 

 連休を終えてしばらくしても友里から電話はなく、部活の時間にそれとなく女子生

徒の様子を盗み見ても視線が合ってもしかしたらこの子かも?なんて思うような子も

見あたらず、さすがに間抜けな坊太郎もからかわれた事に気付き、なるほど友里お得

意の悪意に満ちた冗談だったってわけかと悔しい思いをし始めていたある日の夕方、

坊太郎は下宿先の古い民家の軒先で路地から出てきたその子に声をかけられた。

 

 坊太郎の下宿先は、高校のある丘を下り高架になったローカル線を潜りしばらく行

った先、この町出身の著名な女流作家の生家や大きなお寺なんかがある古い町並みの

一画にあり、古い民家はみな隣家と壁を共有するような作りで軒を連ねていたし、そ

こここに湿気の多い路地なんかも残っていたから坊太郎はその子が隠れていることに

気がつかなかった。

 

 来週の日曜日、空いてる?もしかして週末は帰省するの?

 

 視線をそらさず流ちょうな標準語でその子は言った。帰省した際、久しぶりに村の

言葉で喋って胸がスカッっとした坊太郎も街に戻ると無意識に固い標準語で喋ってし

まい、どこかもどかしさを感じていたが、その子の標準語はひどく柔らかかった。坊

太郎も背は高い方だが、その坊太郎と並んでもさほど見劣りがしないほどスラリとス

タイルの良い子だった。右手にもった学生鞄を左手に持ち替え、顔の前を浮遊する小

さな蛾か蚊を右手で払うような仕草をしたが、頭を振った時に揺れた頭髪は校則どお

り三つ編みにしてあったがほどけば軽く胸まではありそうだった。坊太郎と同じ学校

の制服を着ていたので友里の言っていた例の子だなと坊太郎は思ったが、それにして

も随分前から知り合いのようななれなれしい口調には面食らった。

 

 いかした映画があるんだけど、あんたも一緒に見ない?、

 

 とその子は続けたが、その前に熊野千春なら熊野千春っていうんだけどって名乗る

のが礼儀ってもんだろう?と言いたくて黙っていたらその子はてっきり坊太郎が映画

が嫌いなんだと思いこんだようで、映画嫌いなの?わかるわかる小さい頃さ、映画見

てると決まって頭痛がしてさ、やだったんだよね、なんて言うので、嫌いじゃないけ

ど、自分の田舎には映画館がないからテレビでしか見たことないんだよと答えると、

じゃちょうどいいじゃない、と勝手に決めてしまった。

 

 日曜の朝一〇時にスバル座の前ね、

 

 なんて言って帰ろうとするので、何の映画なの?と呼び止めたら満面の笑顔で、

だからいかしてる映画なのよ、この週末でお終いだからどうしても今度の日曜でない

とダメなんだ、と訳のわからない事を言い放って歩いていった。

 

 翌日、弁当の時間に席が近くでクラスの中では割と話しをする大谷くんに、スバル

座って映画館がどこにあるのかさりげなく聞いてみたら、一瞬怪訝な顔をしてみせた

が、まあ俺の家から自転車で一〇分くらいのとこだけど?と教えてくれた。

 大谷くんが米軍基地のある校区の中学校出身だというのはこれまでの話で聞いて知

っていたから基地から近いのかと聞くと、そりゃ言ってみれば基地の米兵相手の映画

館だからもう基地とは目と鼻の先だよと答えてくれたが、やはり怪訝な感じは消えて

なくて、

 

 なんだ?まさかスバル座に映画でも見に行こうってんじゃないだろうな、

 

 なんて返してくるのでその反応が気になったが、周囲で黙々と弁当をかき込んでい

た他の生徒も寄ってきて、

 

 なんだって?スバル座に見に行こうって?誰が?

 

 なんて会話に割り込んでくるので、いやいやちょっと下宿の人がそういう映画館が

あると言ってたから、と誤魔化した。

 体育館に行く途中の女子の集団が廊下を歩いていただけで大騒ぎになるクラスの中

で、脳天気に熊野千春って子に映画に誘われちゃってさあなんて喋ればどんなことに

なるか容易に想像がついたが大谷はそっちには無頓着で、あそこだけはやめとけよ、

ばかりを繰り返し、会話に割り込んできた生徒も激しく同意してみせた。どうしてあ

そこだけはやめた方がいいのか気になって仕方なかったが、それ以上聞くとやっぱり

行く積もりなんだな?となり、まさかデートじゃないだろうな?となり、無言でいる

と、ほんとにデートなのかよ?となり、うん、まあなんて苦笑いした日にはクラス中

の生徒の憎悪の的に成りかねず、ここは気にはなるがこのまま流しておこうと黙った。

 実は坊太郎の田舎にも昔は二つも映画館があったらしく、お爺さんから林業が盛ん

だった頃は、娯楽といえば映画でなあとよくその話は聞いていたし、二つあった映

画館の新しい方も確かスバル座という名前だったから、てっきり場末の三番館だろう

と思いこんでいたというのに、これはとんでもない事になったなあと坊太郎は思った。

かといって藤原友里の親戚んとこの電話番号も熊野千春って子のそれも知らないから

電話もかけられず、学校内であの子を見つけて声をかけ、やっぱ行くのやめるわなん

て伝えるのは電話をかけるよりも百倍困難と思われ、まごまごしているうちに週

末になった。