「快晴 青空 ひとりきり」その①

 

 

4月1日(土)

 

 今日から4月。今日は誰も来なかった。

 今日も司馬遼太郎を読んで過ごした。

 お前歴史学者になりたいんか?と夕飯の時、父親に聞かれた。うまく答えられなかった。そもそも歴史学者が何なのか全然わかってない。そういうのってどんな本を読めばわかるのだろうか。誰に聞けばわかるのだろうか。

 父親に聞いてみたら、知るか、知っとったらワシがなっとるわい、と吐き捨てた。

 

 是枝さんは遊びに来ない。キー子と一緒に行くけえねって言ったのに。電話もない。

 

 昼寝してた時に、加奈子の夢をみた。というか、夢に加奈子が出てきた。俺はなぜか加奈子と仲が良い。何のためらいもなくべらべら喋ってる。じゃ、お前んちに行こうか?って加奈子の家に行こうとして、ええよ、きんさい、牛乳が余っとるんじゃ、とか言われて、え?俺んちと一緒じゃん、とか思ってた。

 やっぱり俺は頭がおかしい。

 

 

4月4日(火)

 

 今日は地元、修道大学の入学式だった。これで荒井、池永、山脇の3人は正真正銘の大学生だ。なんだかうらやましい。

 

 母親が牛乳が余ってやれん、とぼやいていた。

 うちは毎日2リットルの牛乳を配達してもらってる。高校に入った時、もっと背を伸ばしたいからとねだって取ってもらったのだ。部活してる時は少なくても1リットル、夏場は2リットル、1人でがぶがぶ飲んだ。でも身長は伸びなかった。だから止めてもいいんだけど、ついズルズルと続けている。だから余る。余った分は、遊びにきたやつらの為に取ってある。

 

 

4月6日(木)

 

 久しぶりに岸部が遊びに来た。母親が大喜びで牛乳パックとあんパンを持ってきた。

 ワシも英数学館仲間になってしもうた。岸部は凹んでいた。今、手続きに行った帰りだそうだ。来年の共通一次が心配でやれんけえ、とぼやいていた。母子家庭の岸部は高校卒業したら、今まで住んでた母子寮を出ないといけないらしい。今日からは和木の親戚のとこに厄介になるんじゃ、と言っていた。

 

 野村はどうだったのか気になったので電話してみたが、電話に出た弟は、さあ、どっか行ったきりですけど、と呆れてた。それじゃあ、と是枝さんに電話してみた。今から家に来ないか?って誘ってみようかと思った。いっぱい牛乳あるんだけどって。でも、電話に出た母親は、昨日寮の方に引っ越しましたけど、と素っ気なかった。

 

 岸部くんはあんまり牛乳飲んでんないねえ、どうする?まだ牛乳いるん?はあ取るのやめようか?母親は機嫌が悪かった。

 

 

4月7日(金)

 

 暇でしょうがなかったから姉の持ってる「二十歳の原点」って本を読んでみた。たしかあの日記を書いた大学生が立命館じゃったと思うたけど?なんて昨日の夕飯の時、姉が言ってたからだ。え?そうじゃったかいねえ、って思った。たしか、俺が高校生になった時、この本を読んだ姉がすごいすごいって騒ぐもんだから俺も読んでみた。なんだかやたら難しい上に支離滅裂で全然つまらなくて、たしか途中で読むのをやめちゃったはず。あれを書いたのが立命館の学生だったなんて。

 

 たしかに立命館の学生だった。しかも、文学部史学科日本史学専攻。なんと俺が受験したところだ。学部だけじゃなくて専攻まで同じ。こりゃ何があっても読まにゃって思って読み始めたが、やっぱり難しかった。そして怖かった。すごく怖かったし、わからない事ばっかり書いてあったけど、なぜだか止められず、時間を忘れてずんずん読んだ。

 日記の中の立命館は学園紛争で荒れ果てていた。校舎の窓ガラスは1枚もなく、机も椅子もはぎ取られバリケードに、教室の壁はスローガンだらけ。完膚無きまでに破壊し尽くされた、なんて文章がたくさん出てきた。バリケード封鎖された校舎。それを排除しようとする学生団体と抵抗する学生団体が殴り合い、怒鳴りあい。そこに機動隊も導入され。

 最初はハラハラしながら見ているだけだった主人公は、全共闘の学生と徹夜で座り込んだのをきっかけに、どんどん変わって行く。だんだん過激になっていく。その一方でバイト先の人を好きになったり、タバコやお酒を飲んだり。実家の両親と喧嘩したかと思えば、突然、サミシイヨ、なんてつぶやく。この人、意志の強い人なんだなあと思ったとたん、赤ん坊のような弱音で肩すかしをくらう。

 今、車のヘッドライトの方へ飛び込めばそれで終わりだ、とか、布団の中でぼやっとしながら自分で首をしめてみた、だとか、なぜ私は自殺しないのだろうか、だとかやたらと自殺願望が語られる。

 

 日付を見たら1969年。ちょうど10年前。俺が小学校低学年だから、まだ広島に住んでた頃の話だった。たしかに俺が小学生の頃はそんなニュースでいっぱいだった。東大全共闘や連合赤軍、浅間山荘事件等々。ヘルメットかぶってゲバ棒もって機動隊と闘ってる過激派のシーンはテレビニュースの日常だったのだ。

 日記の中の主人公が、だんだん壊れていくのがわかった。これはもしかして、と思ったら、やはり、そういう結末だった。

 巻頭の写真を見たら綺麗な子、というよりはお嬢さんだった。10年前の二十歳だが、今の俺と2歳しか違わない。とてもじゃないがデモに参加したり、機動隊に石を投げつけたりするようには見えない。こんな子が学園紛争の中で壊れていくなんて、と思ったら怖くなった。

 今はどこの大学も学生運動は下火だと聞いている。立命館の受験パンフレットには学園紛争のガの字も書いてなかったけど、10年前はいろいろあったんだな、と思った。

 

  高野悦子さん。

 

 津田加奈子にも、是枝さんにもない不思議な魅力のある子。生きてることが知りたいからと指をカミソリで切っっちゃったりする子だけど、なぜか惹かれる。立命館大学が第一志望なんだ、と言ってるくせに俺は何も知らない。パンフレットに印刷された、芝生の上で笑い語らう学生と教授。それしか知らない。でも、この本を読んでぐいぐい迫ってきた。立命館大学文学部史学科日本史学専攻が近づいてきた。生身の身体で。体温が伝わってくる。荒く乱れた吐息が俺の頬にかかる。

 

 日記に何度も出てきた喫茶店に行ってみたいと思った。立命館大学文学部史学科日本史学専攻の学生になった自分がその喫茶店に座っているところを想像してみた。高野悦子さんがリクエストした、スティーブ・マーカスがかかるだろうか。

 

 未熟であること、孤独であること、それが私の二十歳の原点

                  ソレガワタシノハタチノゲンテン

 

 

4月8日(土)

 

 頭の中で「二十歳の原点」がぐるぐる回ってる。昨日、読み終えてからずっとだ。勉強も手につかない。どうやら高野悦子さんに恋したようだ。津田加奈子も消えた。是枝さんも消えた。

 

 レストランでウェイトレスの制服きた清楚な高野悦子

 ヘルメットに覆面、ヤッケにすり切れたGパン姿の高野悦子

 

 俺は学生運動してた人たちって、一日中ヘルメット被ってるんだと思ってた。バリケード封鎖した校舎の中で暮らしてるんだとばかり思ってた。でも、高野悦子さんは、ウェイトレスとしてお客さんに笑顔をふりまいて食事や飲みのもを給仕してたかと思うと、制服を脱ぎ捨ててGパンヤッケにヘルメットをかぶり、ゲバ棒担いで機動隊に突っ込んでいく。まるで普段は真面目なサラリーマンが、誰かの危機を察知するや、ビルの窓から飛び出して急降下しながらスーパーマンに変身する感じ。スーパーマンは作り話だけど、高野悦子さんは実在の人物だ。

 

 高野悦子さんは純粋だ。自分の大学が日に日に壊れてくのを見ていたら、居ても立ってもいられなくなる。ただ見てるだけの学生。あいつら何やってんだ?馬鹿馬鹿しいってどっかいっちゃう学生。そんな学生も多かったらしい。でも、高野悦子は焦る。入学して2年間、一緒に勉強してきた学生達が2つに分かれて闘ってるのだ。なんとかしないとって思う。このままじゃ大学がめちゃくちゃになる。でも、どっちが正しいのかわからない。何か言いたいけど何も言えない。日記の中の高野悦子さんは、いろんな本を読み漁って、いろんな人に意見を求めて必死で考えてた。そして全共闘と徹夜して踏ん切りがつく。

 

 わからなくてもいいんだ。とにかく行動しなきゃっ。

 

 それまでの、うじうじした自分をぶっ飛ばして、突き進んで行く。

 

 小学生の頃、東大全共闘が安田講堂を占拠して機動隊と闘ってた。毎日テレビでニュースを見てた。すげえな、って子供心に思った。正義のためにこんなにたくさんの東大生が闘ってる。機動隊に負けたって、こんな偉い人がたくさんいれば、きっと日本はいい国になる。そう思ってた。だからあの頃は、大学生になったら俺も機動隊と闘うんだろうなって、けっこう本気で思ってた。

 だけど大学生になり損ねた俺は思う。あの時の正義の味方はどこに消えちゃったんだろう。あんなにたくさんいたのに。日本中に掃いて捨てるほどいたのに。みんないなくなっちゃった。安保条約も岩国の米軍基地も全然変わってない。

 立命館の騒動も全共闘が学校から追い出されて終わったって。高野悦子が死んじゃった数ヶ月後には平穏を取り戻したってさ。あの騒ぎがまるで無かったみたいに。

 

 今日は予備校のクラス分けテストだった。英語と国語。でも、テスト中、ずっと高野悦子さんの事を考えてた。 

 

 

4月9日(日)

 

 もう一度「二十歳の原点」を読み返した。この前は学園紛争の事ばかりに目を奪われて、よくわからなかったけど、日記の中で、高野悦子さんは恋をしていた。バイト先の人。学園紛争に絶望して命を絶った、って思いこんでたけど、そうなのかな?って思った。ほんとは失恋が原因なのかもしれない。

 主任の鈴木さんや、コックの中村さんって人の名前が頻繁に出てきた。コックさんとは「火遊び」をしたって書いてあった。もっと生々しい表現も出てきた。女の子でもそうなんだって思った。しかもあんな感じの子でも、そうなんだって思って衝撃だった。

 俺は日記には一切書いてない。書いてないけど、高野悦子が書いてたと全く同じ事をずっと考えてた。津田加奈子と、そうなりたい、って。高野さんの文章、主語を俺に換えれば、そのまま俺だって思った。

 だからこの話が頭から離れないんだってわかった。そうなりたくて、そうなった人が、そうなったとたんに冷たくなるなんて。そりゃ死にたくもなる。俺なんか、電話で話した事しかないのに、いつまでもクヨクヨ考えてる。

 俺には社会正義も理想も、なんもない。政治の事もわかんないし、独りじゃ喫茶店にも食堂にも入れない世間知らずだ。だけど高野悦子さんの死にたくなった気持ち。それだけはよくわかる。

 

 どうして、前に読んだ時、俺は何にも感じなかったんだろう。なんで支離滅裂だなんて思ったんだろう。なんで途中でやめちゃったんだろう。まだ子どもだったからだろうか。

 18歳のボンクラの心に、二十歳の高野悦子さんが住み着いた。

 

 

4月10日(月)

 

 今日も誰も来ない。勉強しなくちゃ、と思うのに全然手が着かない。高野さんが書いていた。

 

  だだっぴろい空間にポツンと独りでいる姿を思い浮かべている。

 

 「あのすばらしい愛をもう一度」って歌を思い出した。中学校の文化祭で合唱した。みんな身体を揺らしてニコニコしながら歌ったけど、ほんとはそんな歌じゃない。

 

   広い広野にポツンといるよで 涙が知らずにあふれてくるのさ

   あの時風が流れても 変わらないと言った二人の

   心と心が今はもう通わない

 

 そういう救いようのない歌だ。

 

 高野悦子さんは「なんとなく」立命館に行ったらしい。日記にはこうある。

 

  大学に入りたての頃よくきかれたものだ。「あなたは何故大学にきたの」と。 

  私は答えた「なんとなく」と。勉強も出来ない方ではなかったし、家庭の状

  況もよかったから、日本史専攻に籍をおいているけど、英語でも体育でも何

  でもよかった。就職するのはいやだし、大学にでも行こうかって気になり、

  なんとなく来た。なんとなく大学に入ったのである。

 

 俺だって、なんとなくだ。なんとなく子どもの頃から大学に行くつもりでいた。父親が出た広大に行くつもりだったけど、それだって本当は理由になってない。就職したくないからってのも同じだ。日本史専攻へのこだわりがないところも似てる。

 ただ、一番違うのは、なんとなく「来れた」ところだ。俺だって、なんとなく立命館を受けたけど、入れなかった。

 

 どこかの教室だった。でも知らない教室。そこに一人だけ座ってた。ベージュのトレーナーを着てた。女子だった。知らない人。俺が見てたら顔を上げて俺を見た。やっぱり知らない人だったけど。

 っていうのが今日の夢。

 

 

4月11日(火)

 

 久しぶりに野村が来た。山大だめじゃったけえ英数学館仲間になった、と言った。じゃ8日のクラス分けテストも行ったのか?って聞いたら、おお、岸部がおったで、と言った。俺が電話した6日の日、手続きに行ったらしかった。まあ、牛乳でも飲めや、と母親が差し入れたそれを薦めたら、おかしな事をしゃべりはじめた。ざっとこんな調子だ。

 

  夢を見たんじゃ。フリルのいっぱいついた服を着た美少女と仲良うなる夢じ

  ゃ。初対面なのにワシはその美少女とすぐにうち解けて、いろんな話をする

  んじゃ。

 

 そりゃ夢でなら、俺だって津田加奈子とずっと前からつきおうちょるわい、と思ったが、野村は話を続ける。

 

  で、あの日、予備校の手続きを終えて広島駅まで歩いた。ホームに止まっと

  る電車に乗って、あいた席を探しとったら、4人がけのボックス席に独りで

  少女が座っとった。フリルのいっぱいついた、裾の長い白いワンピースをき

  ちょった。まさに夢で見た、その子じゃったんじゃ。わしはその席にすわっ

  て挨拶した。

  こんにちは、実はボク、今日あなたの夢をみたんですよ。

 

 こいつ完全にいかれちょる。知らん子にそねえな事言うたら駅員呼ばれるで、と思ったが、野村はこっちの感情なんか完全無視だ。

 

  そしたら、え?私の夢ですか?ってニコニコ笑うじゃないの。そうです、も 

  のすごい美少女で、こんなフリルのついた服を着てて、って続けたら、もの

  すごい美少女とか、やめてくださいよ、もう、なんて喜んでくれるんで、す

  っかり嬉しゅうなってのお。

  じつはボク、大学落ちちゃって、浪人確定しましてねえ、今予備校の手続き

  してきたところなんですよ、って事情を話したら、じゃ、これからは広島に

  通うんですか?って言うから、そうなんですって言ったら、お家は?って言 

  うんで、岩国なんですよねって答えたら、あら、私も山口県ですよ、私は徳

  山なんですって言うじゃない。きけば、今年、徳山高校の3年。ひとつ下っ

  て訳だ。なんでもその子は芸大のピアノ科希望してるらしい。でも、芸大受

  験は特殊な事情があって、ただピアノを練習しとけばいいってもんじゃない。

  この辺なら広島の先生に個人レッスン受けてるのが最低条件。だから、週に

  1度は独りで徳山から広島まで通っている。

  予備校に通うって事は、これからも列車で出会うかも知れませんね、なんて

  言うんで、会えるといいですねえ、言うたっちゃ。

 

 とまあ、こんな調子なのだ。あとはかいつまんで書くと、そのまま高校生活や趣味の話で盛り上がって徳山まで行った。あれ?岩国で降りないんですか?って言うから、だって独りになったら寂しいでしょ?って言ったら、あら、優しいのね、って笑ってくれたんだぜ、だって。それで、徳山で折り返して帰ってきたのかと思ったら、ちょっと駅前の喫茶店でもどうですか?って彼女が言うから、それもつきあって、クリームソーダよ。最後に電話番号交換してきた、だって。

 

 広大ならまだしも、山大落ちたのが相当ショックだったようだ。もう妄想と現実の区別さえつかなくなってる。そうか、そりゃ良かったじゃないか、また会えるとええのお、ってお愛想のつもりで笑ったら、また会えるに決まっちょる、これは運命なんじゃ、ワシはあの子と赤い糸で結ばれちょるんじゃ、って怒られた。

 

 野村が帰ったあと、独りの部屋で「あの素晴らしい愛をもう一度」を口笛でふいた。

 

 

4月12日(水)

 

 昨日は朝から市の図書館にでかけて6時間、今日は自宅で5時間勉強した。なんだか、無性にやる気になった。正しいのかどうかわからなけど、とりあえず立命館の文学部を目標にすることにした。俺は高野悦子さんと違って「なんとなく」入学なんかできない馬鹿だから、必死で頑張るしかない。

 

 馬鹿であること、独りであること、それが俺の18の原点

 

 まねっこして言えばそんな感じだ。

 

 夕方、散歩がてら駅前をぶらついた。あてもなく本屋に入り何気なく受験雑誌を手に取った。立命館大学が特集してあった。思わず読みふけった。立命館大学の文学部史学科日本史学専攻はかつて「立命館史学」と呼ばれ、歴史学会では在野史学の雄とされていた。現在も大学の看板専攻になっている、とあった。ついでに学内では偏差値も1番高い。今の俺の学力じゃ到底無理。高嶺の花。こりゃ高野悦子さんには手が届きそうにないなあ、と溜息をついて雑誌を棚に返したら、あれ?坊太郎じゃん、って声かけられた。吉松さんだった。

  女子大ってほんまに女子しかおらんのんよ。吉松さんはそんな事を言って笑った。吉松さんは地元の安田女子大学に入学した。どこ見渡しても女子しかおらん風景ってなんか不気味よね、って言う。

 吉松さんはいろんな話をしてくれた。是枝さんの高等看護学校は、同じクラスの湧永さんも一緒じゃけど、寮に入ったら部屋まで一緒じゃったらしい、とか、スケートに一緒に行った沖田さんが、また荒井くんとスケートに行きたいって言ってるとか、朝は何時の電車で行くのか?とかだ。俺が7時4分の電車で行く積もりなんじゃがって言うと、うちと一緒じゃ、また会えるかもしれんね、なんて喜んでた。

 他にもなんだかんだ喋ったが、最後の方で、予備校にも女子もおる?って聞くから、まだクラス分けのテスト受けただけじゃけえわからんけど、3分の1くらいおったんじゃない?って言うと、なんでYMCAにせんかったん?って言うから、受験で3連敗して予備校試験でまた落ちたら立ち直れんじゃん、って真面目に答えたら、YMCAにしとったら津田さんと一緒じゃったのに、ってちょっと意地悪そうに俺の顔を覗き込んだ。

 

 え?津田加奈子が浪人?YMCA?

 

 あの子ねえ、滑り止めのしとった私立が、大風邪で受験できんで、それが尾を

 引いて広大もだめじゃったんと、2期校も受けたらしいけどね。

 

 

 ショックだった。秀才の津田加奈子が3連敗ってのも信じられなかったが、せっかく?浪人したのに、せっかく広島に通う事になったのに。予備校が別々?。予備校は2つしかないってのに、よりによって別々?オーマイガー。

 何も言わずに黙ってたら、気になっとったじゃろ?って言うから、なんで?って聞くと、長谷田淳子から全部きいちょるんよ、と顎をとがらせた。

 

 全部いうて?まさか

 そう、そのまさか。体育祭の後に津田さんに電話で告白して玉砕。そうじゃろ? うちも 卒業してから聞いたんよ。

 

 俺が絶句して黙ってると、しらばっくれてもバレちょるんよ、馬鹿じゃね、って脇腹を拳で軽く殴られた。

 俺のどこが気にいらんのんかのお、って溜息をつくと、さあね、津田さんの考えちょる事はわからんよ、坊太郎も結構ええ線いっちょる思うがね、是枝さんが言うちょったよ、坊太郎と一緒におると退屈せんって、次は何やらかすか思うとハラハラしたりワクワクしたりする言うてね、と笑った。

 書店の人がシャッターを閉め出したので、店内を見渡すと、広い店内には俺と吉松さんしかいなかった。時計を見たら、小一時間もたってる。慌てて店の外に出た。

 8組女子の中じゃ坊太郎の評価は高い。今年はわやじゃったが、来年はやるんじゃない?って子が多い。期待されちょるよ、って励ましてもらった。お礼のつもりで、いつでもええけえ是枝さんと遊びに来いやって言ったら、それいね、是枝さん誘ったんじゃけど、うちははあええ、って言うんじゃもん、って口を尖らせた。

 

 はあええ??

 そう、はあええって。

 どういう意味?

 坊太郎は坊太郎、自分は自分。春休みにいっぱい遊んだし、はあええって。

 

 

4月14日(金)

 

 毎日,市の図書館に通って勉強してるけど、今日は畳の表替えだったので図書館へは行かなかった。8時には起こされ水屋や箪笥を庭に運びだすのにこき使われた。

 昼から荒井と山脇がきた。春闘で国鉄が止まったけえ、今日は休みいや、って言いよった。やっぱ大学はすごいわ。ようけえ人がおるし、楽しいで。毎日祭みたいなもんじゃ。わしゃ美術部へ入ろう思うちょるんよ、と荒井が言ってた。

 小学校の校庭でボールを蹴った。久しぶりの快晴で、トレーナー一枚でも走ると暑かった。まるで夏じゃのお、って3人で笑った。

 

 明日は予備校の入学式だ。野村が電話かけてきて、おまえ、どうするんや?って言うから、一応行く積もりじゃが?って答えたら、あほくさ、予備校の入学式に?馬鹿じゃないんか?なんて言うので、嫌なら行くなや、って突き放したら、まあ、お前が行くんなら、わしもついていっちゃるが、とかぐずぐず言ってた。

 同じクラスの大山幹男は自宅浪人することにしたらしい。自宅で勉強して、模擬試験だけは予備校で受けるつもりらしい。荒井が言っていた。本当はみんなそうするべきだと思う。予備校が良いの悪いの言ったところで始まらない。所詮は自分がやるかやらないか、だ。それだけだ。評判の良い予備校に行けば、予備校の講師が代わりに受験してくれるって訳じゃない。俺も受験勉強の要領さえ解れば、予備校通いは止めて、自宅で勉強したいと思う。わざわざ広島まで行くのは時間の無駄だ。

 大山って大人しい男だが、わかってるなあ、って思った。

 

 

4月15日(土)

 

 予備校の入学式。広島のど真ん中。見真講堂で10時から。こんなにいるのか?ってくらい予備校生で溢れかえっていた。中に入れない予備校生が中央玄関の外で騒いでいた。

 式の中身は普通の学校と同じ。知らないおじさんがたくさん出てきて、グダグダ喋ってた。

 一時に終わり、SOGOで待ってた池永と合流して昼飯を食べた。結局、サッカー部で英数学館仲間になったのは、俺と野村、岸部。

 本音でいえば予備校の入学式に出てもなあ、と思ってた。でも実際参加して良かったと思う。大勢の予備校生を生で見て考えが変わった。こんなにたくさんの18歳が大学に行けなくて涙を流した。予備校生の数だけ悲劇がある。みんなそれを乗り越えようとしてる。そう思うと、なんだかやる気が湧いてきた。

 それを野村に話してやると、お前は単純でええのお、と呆れていた。

 

 

4月17日(月)

 

 やっぱり英数学館って、YMCAに行けないボンクラの集まりなのかもしれない。

 予備校1日目。

 

 朝一番、予備校に行ったら、道路まで予備校生があふれかえっていた。クラス分け決定のカードを渡すから受付で並んでくれ、という。最後尾に並んで待つが、待っても待っても順番は来ない。おいおい、午前中はクラスが決まって、それで終わりじゃねえか?わざわざ岩国くんだりから来てそれはねえだろ、なんて文句言ってたら、やっと順番がきた。ところがだ、俺のカードには何も書いてない、教務室へと書かれた付箋が貼ってあるだけだ。言われた通り、事務室横の教務室って部屋に行くと、眼鏡をかけたおっさんが、ちょっと点が足りないが、希望があれば「特進クラス」に入れてあげるが、どうする?と来た。ちょっと足りないんですか?と聞くと、そう、この前のテストで国語、英語とも50点以上なら特進クラスなんだけど、君は英語55、国語48なんだ、と下唇を剥いてみせる。特進クラスってのは?って聞くと、成績上位者だけが入れるトップのクラスで早稲田慶応を目指すという。私立文化系はCで、特進クラスの下はC2、C3,C4と四ランクに分けられるのだそうだ。じゃあ、C2ってやつで良いです、と答えると、え?特進クラスじゃなくて良いの?ほんとに?なんてしつこいので、もしあれが入試だったらたとえ2点でもアウトでしょ?って言ったら、しばらく黙って俺を見ていたが、そうか、わかった、って言ってC2っていうゴム判をポンと音を立てて押した。

 そもそも、俺みたいなボンクラが特進クラスなんてちゃんちゃらおかしい。たいして勉強もしてないのに、こんな短期間に成績が上がる訳がない。考えられるのはただ一つ。まわりが馬鹿ばっかりなのだ。ボンクラの俺よりも、もっとボンクラな奴らが集まってるってだけなのだ。

 3人で広島駅まで歩きながら、その事を話したら、野村が、お前は徒然草を読んだことがないのか?と言い出した。吉田兼好は言っている、まだ下手だからといって舞台に立たない役者は一生ものにならない、人の誹りはばからず、舞台に上がり精進することこそ唯一の道である、と。お前の未来は決まったな。来年もまた落ちるわ、なんて言って笑いやがった。うまい事言いやがるな、とは思ったが、俺の決断は間違っていない、と思う。

 未熟であること、馬鹿であること、それが俺の原点なんだ。甘やかすんじゃねえよ。

 

 予想どおり、今日はクラス分けがあって、担当の教員?から今後のスケジュールを聞き、教材を配ってもらって終わりだった。野村は国立文科系、岸部は国立理科系、俺は私立文科系。国立系の教室は本部棟だが、私立系は100メートルくらい離れた分館の6階だ。とうとう独りぼっちになった。同じクラスに知り合いは誰もいない。 

 

 

4月21日(金)

 

 7時4分の電車に乗る。広島着8時ちょうど。駅から英数学館まで歩いて30分。授業開始は9時。

 吉松さんが、津田加奈子も他の子も、みんな7時4分で行くってよ、ってわざわざ教えてくれたから、無理して頑張ったのだが、いくら周りを見回しても知ってる子は誰も居なかった。

 

 夕方、岩国に着いて東口を出たら、うちの母親が長谷田淳子の母親と立ち話をしていた。ども、って一応頭は下げたが、見れば、ちょっと離れたとことに長谷田もいる。どこかにでかけた帰りなのか、大人びた服装に化粧までしてた。

 うちの母親はパートの職場が長谷田淳子の母親と同じなのだ。この母親同士が知り合いってのは曲者だ。職場が暇なのか、他に話す事がないのか、一から十まで子どもの事を喋ってる。淳子ちゃんは受けたとこ全部通ったんと、だとか、同じクラスにつきあっちょる男の子もおるんてね、ようもてるらしいじゃ?なんて嬉しそうに話す。ってことは、うちの母親経由で俺の恥部も晒しものになってる可能性が高い。しかも、津田入試情報漏洩の一件でもわかるとおり淳子自体がお喋りときているから始末に悪い。もしや津田加奈子告白の一件まで親に知られたら?もう生きていく自信がない、と思った。

 この野郎、うちの母親に余計な事言うんじゃねえぞ、ってガン飛ばしておいた。

 

 

4月26日(水)

 

 俺の教室は本館から100メートルほど離れた分館の6階だ。金石情報通りバイク通学の奴が多い。朝、大勢の予備校生でごったがえしている本館前に爆音を響かせてやってくるが、そういう奴らはだいたい昼で帰る。

 教室は狭い。そもそもビルが狭い。階段と教室しかない。教室を出たら階段があるだけ。トイレは1階にしかない。その狭い教室にぎっしり70名。黒板に向かって中央に通路。通路の両側に3人座れる長机が12、3列。今のところ落伍者はいない。俺のいるC2には、授業中騒ぐような幼稚な奴もいないし、意外に真面目な雰囲気だ。

 誰がどこに座るのかで最初は混乱していたが、このごろやっと落ち着いた。俺が行く時間には3分の1くらいしか来てないので、いつも真ん中右側の奥。窓際に座る事にしてる。

 

 このまえ、いつも俺の前に座る男に声かけてみた。どっからきちょるん?って言ったら、それ広島弁?って聞くので、うんにゃ、わし岩国、って答えたら、へえ、わし浜田からって苦笑いした。島根県の浜田から来てるらしい。松江ならいざ知らず浜田には予備校がない。松江か広島かになるが、どうせならって事で広島にした。下宿してるのだそうだ。国立駄目だった河合が京都の予備校に行くって言ってたが、それと同じだなって思った。

 ここに来て良かったって言うから、なんで?って聞いたら、予備校にまで可愛い子がおる。さすが都会じゃな、と恥ずかしそうに笑った。そんな可愛い子いたか?って思った。

 講師は現代国語の岩崎、古文の名前は忘れたが関西弁が面白い。ラジオで有名な広中と英語長文読解担当のおっさんもなかなか良い。あとは、今ひとつ。まあ、講師が勉強するんじゃない。講師で勉強するのだ。どうだっていい。

 

 

4月27日(金)

 

 朝から大雨。雨の中、駅から予備校まで歩く。毎週金曜日は「週間テスト」。週間テストってくらいだから、学校でやってた小テストみたいなもんだろ?って思ってたら、まるっきり模擬試験だった。3教科とも90分。高校時代、旺文社模試とか、県の統一模試とか、校内模試等々、いろんな模擬試験を受けてきたから、一応模擬試験のなんたるかは解っているつもり。その基準からしても、充分模擬試験と言える。

 担任?の言うには、受験勉強はすなわち野球の練習なのだそうだ。毎日バッティング練習や守備練習ばかりやってたって勝てない。試合に勝ちたいなら練習試合が一番。それと同じで入試に受かりたいなら模擬試験。それをたくさんやるべし。やる気があれば今年の私立大学で出題された入試問題を全部やってみればいい。出題傾向がわかるし、それで平均八割取る力があれば、たいていの大学は通る。らしい。なるほどなあって思った。

 てな訳で明日も模擬試験。全国予備校協会模試。

 

 

4月28日(土)

 

 全予協の模擬試験。昨日ほどじゃないが雨降りの中をがんばって行った。7時4分に乗っても津田はいないから、今日から7時24分に変えた。朝がゆっくりになった。でも7時24分の電車にも津田はいない。

 共通一次を意識してか、マークシート方式だった。自己採点では英語56、社会70、国語54、合計180。このごろ英語でコンスタントに5割取れるようになった。高校3年の一年間6回の模擬試験平均が300点中、75点だから一気に倍増した。というより、75点って方が情けない。この点で自信満々だったんだから恐ろしい。

 

 俺が「二十歳の原点」良かったで、って言ったら、姉は、あんたね、変な事考えちゃいけんよ、と真剣な顔で言うからおかしかった。あの本、続編みたいなのが出とるらしいよ、と教えてくれたので、予備校の帰りに本通りの本屋に寄った。

 「二十歳の原点序章」「二十歳の原点ノート」を見つける。おお、これだ、って思って2冊とも買って帰った。

 

 本通りのプレイガイドに韓国代表とボルシアMGの試合のポスターが貼ってあった。ボルシアといえばシモンセンがいる。本物のシモンセンが見れると思ったら、どうしようもなく行きたくなった。誰か誘ってみようか。

 

 夜、久しぶりに「ふきのとう」のLPを聴いた。勉強を始める前、少し休憩の積もりだったのだが、それがいけなかった。高1の夏休み、このアルバムばかり聴いてたよなって思い出したのだ。夏休みの部活。グランド整備を終え練習が始まるまでのわずかな時間、テニスコート奥の木陰で腰を下ろして「ふきのとう」の歌を歌ったよな。ひんやりした草の感触が甦る。

 アルバムをめくると、部活引退の頃、グランドで撮ったみんなの写真があった。風の感触、土の臭い、空の色。俺は卒業したんだな、と初めて実感した。もう2度とあそこには帰れない。俺は独り。もう仲間はいない。自力で明日に突き進んでいくしかないんだ、と思うと、悲しくなった。

 

 何のあてもなく町を歩いていたら

 自然に足が君の家に向かう

 見慣れた君の赤い屋根の家も

 白い雪の中でボクをみていた

 雪の中に映る君の笑顔が

 寂しく降り続く牡丹雪

 

 雪が音も立てずにそっとボクの

 心まで冷たくつもるけど

 ポケットに手を突っ込んで背中を

 丸めながらいつまでも

 君の、部屋の、灯りを、見ていたい

 

 家族はもう寝ていたけど、独りで散歩に出た。ふきのとう、の歌を歌いながら誰もいない夜道を歩いた。駅の東口あたりまで行ったら、津田加奈子の家が気になった。家の近くまで歩いていったら窓に明かりがついていた。津田加奈子の家は東口から東に延びる大通りに面している。道ばたに立って、七つ星をくわえながら、しばらくぼんやりながめていた。そして、歌を歌いながら帰った。

 

   君に逢いたいけど勇気がでない

  いつも、みじめになる帰り道

 

 月がきれいな夜だった。高野悦子が俺の心にすみついて、津田加奈子は消えたと思ってたけど、やっぱり生きてた。ときどきひょっこり現れて俺を困らせる。

 

 

4月29日(日)

 

 ゴールデンウィークが始まった。予備校も休み。

 昼過ぎ、野村が来たから小学校でボールを蹴っていたら、校庭の向こうからおーーい、って声がして、木下ヨウチャンがかけてきた。パーマかけてたからどこの兄ちゃんかと思った。ヨウチャンは同じ中学の同級生。ライバル校だった岩国工業でサッカー部に入った。県でも注目されたFWだ。卒業して大阪に就職。連休で帰省してきたらしい。今の会社はサッカー部がないけど、野球やらんかって誘われて、久しぶりにやりよるんよお、と楽しそうだった。わしら二人とも浪人じゃあ、って言ったら、へえ、大学行くんも大変なんじゃのお、って言ってた。

 そのあと、哲夫も来た。哲夫は大阪経済大学に進学した。大経大はワヤで、嗚呼花の応援団の南河内大学そのまんまじゃ、といって笑わせていた。

 

 

 夜「二十歳の原点ノート」を読んでみた。

 高野悦子さんは中学生の頃から毎日日記を付けてる。俺と一緒だ。俺も中1からほぼ毎日、書き続けている。なんだか嬉しくなった。

 1番気になる高校3年生の部分を先に読んでみた。俺の去年とくらべてどうなんだろ?って思った。高野さんは栃木県の女子校。自宅を離れて下宿生活をしていたらしい。受験の事もいろいろ出てくるが、初めて立命館大学の名前が出てくるのは9月。この時期、すでに意識している。「なんとなく」立命に来たなんて書いてあったけど、なんとなくじゃないじゃん、って思った。

 俺の場合、末川博氏の存在が大きい。高野悦子さんの時代の立命館大学総長だが、末川氏は岩国高校の卒業生でもある。以前、母校に講演に来られた事があったらしく、その時の事を井村さんがしつこく語っていた。

 

 「未来を信じ、未来に生きる、そこに若者の命がある」

 

 講演の出だしがこれだぞ、どうだ?すごいだろ?俺は感動したんだよ、なんて言うので、末川氏の生い立ちを書いた新書「彼の歩んだ道」も読んだ。

 それがあったから、どうせ歴史をやるんなら立命館かなって思った。しかも、調べてみたら授業料が日本全国の私立大学の中で2番目に安いと来てる。もうこれしかない、って思ったのだが、如何せんレベルが高すぎた。

 

 私は勉強していない。高野さんは繰り返して書いている。すぐに怠けてしまう。あきっぽい。集中力がない、と。でもねえ高野さんって思わず本に呼びかけた。ほんとの怠け者ってそんなレベルじゃないんだよ。ボンクラの俺に比べたら、そもそもの勉強量がちがうし、読書の量も内容も違いすぎる。

 結局、國學院、立命館、立教、明治と四校を受験して四校とも合格。流石だ。ちなみに立命館は法政大学での地方試験。

 

「二十歳の原点序章」では入学してから京都での新しい生活が記されていた。荒井や山脇は、毎日がお祭りみたいで楽しいって言ってたけど、日記の中の高野悦子は、あんまり楽しそうじゃない。歴史学が、というより自治会活動の事や、サークル活動、それに伴うメーデーや集会なんかの記述ばかりだ。そして、そこでも高野さんは悩んだり迷ったりする。行き詰まっては、どこかに行きたくなったり、死にたくなったり。

 なんだか辛くなって、途中で読むのをやめた。

 

 

5月3日(水)

 

 今日から5連休。1日10時間の計画を立てた。この予定を完璧にこなして、連休明けの旺文社模試にチャレンジだ。

 と思ってたのに、風邪をひいた。鼻が詰まるし頭がぼうっとして起きてられない。それでも、朝飯を食ったら少し元気になったので、根性だして市の図書館まで自転車漕いだら祝日で閉館だった。オーマイガー。フラフラになって家までたどり着いたが、畳に転がった途端、起きれなくなった。

 

 

 高野さんは、すぐに死にたがる。俺は自慢じゃないが、死にたいなんて思った事はない。津田加奈子に振られて落ち込んだけど、死にたいとは思わなかった。数学で零点とった時も青ざめたけど、死にたいなんて思わなかった。そういう発想自体がない。根本が楽天的なのかもしれない。老人になるまで生きている事を前提に物事を考えている。

 だって、1度も女の子とつきあったことがないのだ。無論、童貞である。男に生まれてきたからには清いからだのまま死にたくはない。汚れたい。こんな俺でよければ、どんどん汚してください。それまでは石にしがみついてでも生きていきます。と思ってる。

 ってことは、高野さん、念願どおり「汚れた」から、もういいやって思ったのかな?

 

 

5月5日(金)

 

 幸いな事に誰も来ない。連休で世の中の大学生諸君は青春を謳歌しているのであろう。

 

 大学生諸君、大いに楽しみ賜え。青春は短い、恋せよ乙女。

 我々浪人には基本的人権はないのだ。ただただ勉強するのみ。

 

 なんて恨み事をいいながら勉強した。喉の痛みと頭は普通になったが、まだ鼻がつまる。

 

 予備校の担任?が連休で読書をと言うので、久しぶりに「ドクトルマンボウ青春期」を読んでみた。中学生の頃の愛読書。北杜夫が過ごした松本中学の学生寮の生活を面白おかしく活写している。北さんの語り口が絶妙だ。

 俺は中学卒業の寄せ書きに「俺を笑ってくれ、笑ってくれるうちはまだいい」なんて書いた。実はこのフレーズ、北さんのパクリだ。今思えば卒業寄せ書きに書くセリフかよって思うが、あの頃はニヒルな感じが好きだった。

 

 そういや今朝方、津田加奈子が夢に出てきた。あいつ、何も言わずに教室だかの窓際に座ってた、俺がいくら呼びかけても答えねえの。おまえってほんっと感じ悪いよなあ、って夢の中で思った。

 

 

5月6日(土)

 

 11時まで寝ていた。夢を見た。幸せな夢。目を開けてガッカリした。もう一度目をつぶったら、夢の世界に戻った。そのまま2度寝したみたいで、次に目を開けたら午後1時だった。

 夢ってなんであんなに都合良く物事が運ぶのかな?俺は何もしないで立ってるだけなのに加奈子は微笑みかけ、俺の手を握って、ほらこっちこっちって、どこかに連れて行ってくれる。

 一生、夢の世界で暮らせたらいいのになあ、って思った。かなり真剣に。

 

 

5月8日(月)

 

 おとといの日記見て愕然とした。現実はきびしー。

 今日は最悪の一日。生まれて初めて死にたいと思った。まあ、一瞬だけど。

 あまりに悲惨だから、ちょっと小説風に書いてみるさ。

 

 そもそも、悲劇の始まりは旺文社の模擬テストだったんだ。

 勝負をかけた連休明けの旺文社模試。いさんで臨んだが、さんざんな出来。おそらくこれまでで最悪だろう。高校時代に逆戻りだ。

 

 配られた問題解説の小冊子を読みながら広島駅まで歩く。途中、積善館に寄るのを楽しみにしていたが、あまりの出来の悪さに行く気が失せる。駅についたら列車が出るところだった。見れば満員だ。いつもなら次の列車を待つところだが、待つのが面倒臭くなって列車に飛び乗る。やはり空席はない。岩国まで立つのも癪だからと空席を探して車両を歩く。3つ目の車両で通路側の空席を見つけて小走りにかけよった。

 席に座るや問題解説の続きを読む。ケアレスミスが多い。誤字書き損じも多い。なんでこんなところ間違えてんだよって歯ぎしりする。いつまでもこんなんじゃ来年もまた同じ事のくり返しじゃん、って舌打ちをする。人がいなけりゃプリントを破り捨てて床に叩きつけたい気分だ。溜息をついて天井を仰ぎ見た。 

 ドキッとした。4人がけ。満席のボックス席。対角の窓際。

 

 津田加奈子、だ。

 

 と思った。初めて電車で逢った。こいつに会いたいばかりに早起きして7時4分に乗った。会いたくて会えないから1本遅らせた。それでも会えなかった。やっと会えた。津田加奈子が広島に通ってるってのは本当だったのだ。でも、念願叶ったというのに、津田加奈子だと思った瞬間、頭が真っ白になった。会いたくて会いたくて仕方なかったけど、ホームで見かけるくらいだと勝手に思いこんでた。こんなに近くで、いや近すぎる。しかもいきなり。心の準備が間に合わない。心拍数が上がる。顔が火照る。喉が乾く。呼吸困難寸前。

 

 そうだ、挨拶しなきゃ、と顔を上げたら窓ガラスに頭をもたせかけて目を閉じている。寝てる?。

 向かいは中年のおばさん。いぶかしげな感じで俺を見る。それまで冊子を睨み付けては舌打ちとかしてた学生風の男が、突然、そわそわし出して不審に思ってる様子。津田加奈子は起きる気配がない。細いジーンズに白い綿のブラウス。長袖を少しまくり上げている。私服姿を見るのは多分初めてだ。洗い立てのブラウスに短い髪がよく似合ってる。へえ、こいつってこういう服が好みなんだ、って思った。

 

 それにしても俺が席についてもう2駅すぎた。こいつは俺に気がつかなかったのだろうか。最初は本を読んでいた風だったから、本に夢中で気付かなかったのか。いくら無愛想な俺だって、座った瞬間にわかれば反射的に挨拶しただろうに。でも、このタイミングじゃ、どうにも間が悪い。

 どうしようと思った。思い切って起こすか?それとも目が覚めるのを待つか?。どうしようどうしよう、と思えば思うほど混乱してくる。今、声かけたら、緊張で声が裏返りそうだ。

 ふと、この前の野村の話を思い出した。あのー実はボク、今日あなたの夢をみたんですよ、なんて声かけたって言ってたよな。それがきっかけで仲良くなった。徳山までしゃべって、徳山駅前でクリームソーダだよなって思った。まったく同じパターンだ。俺だって話のなりゆき次第では毎日同じ電車で通学なんて事になるかも。何回かに一回はクリームソーダが飲めるかも。

 五日市で向かいのおばさんが席を立った。今がチャンスだと思った。加奈子の膝を叩いた。

 

 津田さん津田さん。ごめんね、起こしちゃって。久しぶり。

 じつはさあ、今朝、俺、津田さんの夢みちゃってねえ。

 

 がんばって声かけたら、寝てると思ってた隣から声がした。え?誰?この人、って津田加奈子に聞いている。同年代の見知らぬ男だった。髪の長い、ついでに背の高そうなイカした感じ。津田加奈子は苦笑いしながら、えっと、同級生、高校の、って俺の方は見ないで答えた。へえ、そうなんだ、って隣りの男は俺を見た。で?どんな夢だったの?なんて聞くので焦った。いやぁ、そんな、うん、大した事ない、そう、どうでもいい話なんでって誤魔化したら、いいじゃん、俺も聞きたい、としつこい。いや、ほんと、冗談だから、ごめん、そういうんだと気がつかなかったから、っていうと、そういうのって?え、ああ、カナちゃんと俺?そういうアレ?、いやいや参ったなあ、とか言いつつ笑っている。

 ほんとにいいの?って念を押すから、ああ、どうぞどうぞって譲ったら、悪いね、なんか、と爽やかに笑いながら俺と津田加奈子の顔を交互に見た。

 

  で、さっきの話だけどさ、どうする?カナちゃん、今度のボルシアの、一緒

  に行かない?木戸のやつ誘ったのに、行かないって言うんだよな。

 

 木戸くんって?津田加奈子はつぶやいた。俺が加奈子を盗み見たら、ちょっとだけ目があった。加奈子はすぐに目をそらした。

 

  木戸って、ほらこの前お好み食いに行った時に来たでしょ?俺の高校の友達。

  今、英数行ってんだよ。あいつさ、高校の時、成績最悪でさ私立の文化系全

  部落ちちゃったのに、英数じゃ特進コースだってさ。クラス分けテストで五

  十点とってれば特進コースだよ。慶応早稲田目指すコースらしいけど、いく

  らなんでも五十点じゃ通らないでしょ。笑っちゃったよ。ほんと英数レベル

  低いわ。 

 

 隣りの男は鼻で笑うと、俺が手に持っていた旺文社の問題解説をチラッと盗み見た。

 

  でも、今日の旺文社模試は楽勝だったなあ。現役の時は、やたら難しいなっ

  て思ってたけどさ、やっぱ浪人すると全然違うよな?まあ授業しながら部活

  しながらだから、無理ないけどね。カナちゃん、あれじゃない?旺文社のほ

  ら、全国成績上位者とかに名前出るんじゃない?カナちゃん、俺なんかより

  断然頭良いもんな。

 

 隣りの男は廿日市で降りていった。降り際に、じゃチケット買っとくから、一緒行こうね、って声をかけ、手を振った。加奈子も、じゃね、とか手を振りかえして笑った。

 いっぱいだった乗客もどっとおりて、車内はガランとした。俺の座ってるボックス席には、俺と津田加奈子だけが残された。ボックス席は狭い。津田さんの左膝、俺の左膝が電車の揺れでほんのちょっと触れ合った。

 

 つきおうちょるんじゃ、あいつと。

 別に、ただの友達っちゃ。

    友達、へえ友達なんじゃ。うらやましいっちゃね。

 何ねそれ、坊太郎でもテストの話するくらいの友達ならおるじゃろ?

 おるか、わしゃ友達作りに行きよるんじゃないっちゃ、予備校に。

 

  加奈子はムッとして黙った。俺もそれ以上は言わなかった。せっかく、話すチャンスだったのに。ほんとはもっともっと、徳山なんかじゃなくて下関でも博多でも、どこまででも喋っていたかったのに、話せば無限に話す事はあったのに、口が心と真反対の事を喋って。

 

 次は岩国、終点岩国まであと四分です、

           岩徳線乗り継ぎは、岩日線乗り継ぎは…

 

 列車がホームに入って止まる。俺は席を立つ。

 

 ねえ、夢っちゃ、どんなん?さっき言いよった、坊太郎の見た夢

 

  せっかく加奈子が聞いてくれたのに、俺は無視した。列車を降りると向かいのホームに上りの列車がすべりこんできた。その列車に負けないくらいの速さで、俺は陸橋の階段を駆け上がった。

 

  「カナちゃん」、俺を笑ってくれ、いや、嫌いになってくれ。大嫌いに。

         そしたら俺も、お前の事を忘れられる。かも。

 

 

5月11日(木)

 

 昼は外に食べにいくやつが多い。教室は3分の1くらいになる。俺は持ってきた弁当を教室で食べる。弁当組のメンツもだいたい決まってきた。

 食べ終わったら1時の授業再開までやることがない。だからといって行くところはない。だから6階から屋上に続く踊り場に行くことが多い。そこは誰も来ない。コンクリの床がひんやりと気持ちいい。そこに寝そべって昼寝をする。

 今度、七星もって来ようかなと思った。

 

 帰りの電車で考えてた。

 ヨウチャンは立派な社会人だ。自分で働いて稼いで生活している。もう一人前だ。荒井や、山脇、池永は大学生だ。まだ働いてないけど、四年後にはどっかの立派な企業に就職して社会人になるんだから半分一人前。世の中はそう見てる。でも俺はどうだ?予備校生。自分で働いてもないし稼いでもない。親のスネをかじって生きる寄生虫だ。なのに、予備校生だと言えば、なんとなく許される空気がある。大学生みたいに、何年かたてば役にたつ、なんて保障はまったくない。なのに許される。

 週末の夜になると集団でバイク乗り回すやつらがいる。たしかに煩いし、車運転する人にとっては邪魔だろう。だけど、彼らの大半は平日、仕事をしてる有職少年ってやつだ。ちゃんと自分で働いて稼いだ金でバイク乗ってる。なのに世の中は彼らを白い目で見てる。

 なんだか釈然としない。

 

 こんなんでいいのかよ?って思うのだが、津田加奈子に会ってから、何もやる気がしない。後悔してる。あんな憎まれ口叩くんじゃなかった。なんであんな事しか言えないんだろ?。アホか俺は。

 一応、予備校には通っているが、いつもぼーっとしてる。講師の話も右から左に抜けていく。

 

 今日は蒸し暑かった。帰りの電車に冷房が入っていた。

 

 

5月13日(土)

 

 予備校の帰り、岩国駅で電車を降りたら吉松さんに声かけられた。予備校に入る前に会ったきりだから久しぶりだ。たしか7時4分で行くって言ってなかった?って言われた。どこ探してもおらんけえ、嘘つかれたんかのおって思うちょったんよ、と怒られた。あの電車じゃ早すぎるけえ一本遅いのに変えたんよ、と説明したのに、全然聞いてなくて、最近入ったというサークルの話を問わず語りに喋っては、ケラケラ笑っていた。

 俺は聞いてほしかった。この前の電車での事。誰にも話してない。ていうか、聞いてくれそうな人がいないのだ。吉松さんなら一応事情も知ってる。わかってくれそうな気がした。ちょっとそこの喫茶店でクリームソーダでもって誘おうと思ったのに、改札を出たら、じゃねー勉強がんばってねーと吉松さんはどこかに消えた。

 

 サミシイナア、って思った。ダレカニアイタイナ、って思った。

 ダレデモイイカラハナシガシタイナア、って思った。