はるのうた 後編 その⑤

 

こうした人間関係で、泳ぎもせず、丸一日退屈もせずいじけもせず過ごせたというの

驚異だった。それもこれもみな磯部さんのお陰だと思ったが、夜家に戻り一人になると、

無性に磯部さんに会いたくなった。

 

 お盆の間は無理ですけど、十五日以後ならいいですよ。ずっと暇ですから

 

 と磯部さんは言う。帰りの車の中で柳沢は

 

 お盆が終わったらもう年末まで、みんなでゆっくり会える時間なんかないね

 

 と独り言のようにつぶやいた。他の三人は寝ていたのか、聞こえていなかったのか、何

も言わなかった。あいつらはお盆が終われば会えなくなるが、俺はお盆が終わらないと会

えない。十五日まであと何日かなと子どものように指を折って数えた。

 

 採用試験にまつわる一連の出来事や昨日の海水浴のせいか、どっと疲れが出た。昼過ぎ

になんとか起きたものの、体中に鉛の血液でも流れているんじゃないかと思うくらいだる

く、布団から起きあがる時には「起きあがらねば」、立てば立ったで「便所に行かねば」

用を済ますと「ものをしまわねば」といちいち体を動かすのに、その動作を意識しなけれ

ば体は動かず、その感じは動きの鈍いロボットを電波の弱いリモコンで操縦するようだっ

た。

 真夏の午前中サッカーの練習でさんざん走り回った後なのに、練習が終わるや、泳ぎに

行こうぜと盛り上がり、山奥の渓流まで2時間くらい自転車を飛ばし、冷たい川淵に飛び

込み、夕方まで泳いで帰宅しても、1晩寝れば翌日は元気溌剌だった高校生の頃が、遠い

昔のように思われた。

 それでもメシを食うと少し元気になり、3時頃から母親と一緒に庭の草取りをやった。

離婚した父親が故郷の北海道に2人の幼い子どもを連れ帰り、厳しい自然の中で子ども達

がたくましく育っていくというストーリーの、最近お気に入りのテレビドラマでアイヌの

男性ばりに髭をのばした青年が言っていた科白

 

 「こったら地味な仕事ばっかりやってたら、人間、謙虚になる」

 

を胸のうちで何度も繰り返しながら、流れる汗をぬぐいぬぐい草を抜いた。

 しかし、土まみれになって蚊にかまれて、汗しこたまかいて、膝は痛むし腰は伸びなく

なるし、だけど誰も誉めてはくれないし。草抜きなんてのは本当に地味な仕事だ。なのに

母親は草抜きが好きだ。

 

 ちゃんと綺麗にしとかんと、いちゃもんつけられて追い出されるけえね

 

 なんて口では言う。草ぼうぼうにしてたら、それでなくても官舎を取り壊して追い出そ

うと思ってる駅当局に口実を与える事になるからと言うのだが、そんな話が出る、ずっと

以前から一人でやってたわけで、やっぱりそんな住宅事情とは無関係に草抜きが好きなん

だと思う。確かに俺がサッカーが好きだとか、豚カツが好きだとか言う「好き」とは別次

元の感情だとは思うが、好きは好きで決して嫌いなのではないと思う。嫌いならこんな作

業、誰に強制されるわけでもないのに続けてやってはいられないと思う。

 

 我が家が住んでいる官舎には縦十五メートル横十メートルほどの庭がある。かなり広い

なあと感じるくらいの庭だが、それもそのはずで、その庭の奥の方にはもともともう一軒

別の官舎が建っていた。うちが越して来た時にはすでに使われなくなっており、半分崩れ

かけた廃屋だったのだが、数年して取り壊された。母親はその広い庭の真ん中に幅2メート

ルほどの道をつくると、庭を2つに分け、線路側を花壇、その逆を畑にした。花壇には主に

バラの類を、畑にはなす、きゅうり、トマトにほうれん草やトウモロコシなど作りやすい

季節の野菜を植えた。廃屋のあった奥のほうに植えた柳の木とイチジクの木はもうすっか

り大きくなり、イチジクの木はもうじきしもぶくれの果実をたくさんつけるだろう。

 

 庭の草抜きに終わりはない。毎日小1時間、2メートル4方の草を抜いたとしても1周すれ

ばまた元通りになっている。だから母親は毎日1時間か2時間、麦藁帽子をかむり、軍手を

し、モンペに長袖の割烹着、首には手ぬぐいと定番のスタイルで黙々と作業をする。

 ほとんどは無言で作業するが、たまに鼻歌を歌いながらの時もある。そしていつも、夕

方になると決まって、そろそろ御飯せにゃあいけんねと自分に言い聞かせるようにつぶや

いて作業を終え、首に巻いた手ぬぐいをほどき、顔の汗を拭いながらしばらく抜いた場所

を立って眺める。綺麗になったところを見ると気持ちがええけえねと母親は言うが、たし

かに作業を終える頃は日も西に傾いており、家の陰も伸び、陰に隠れて作業していると時

折吹き抜けていく風は汗ばんだ肌に実に心地良い。それはなんだかサウナから出た時の爽

快さにも通じるものがあって、なにもこの蒸し暑い時にわざわざ行かなくてもよかろうに

と言われようが我関せずでサウナに通ってしまうおっさんを思わせるが、もしそうなら、

なにもこの糞暑い真夏の昼間にサッカーなんかせんでもよかろうにと冷ややかな目で見ら

れても、練習を休まなかった自分のサッカーが「好き」と同じレベルなのかと、妙に納得

したりした。

 

 風呂の水で汗を流し扇風機で涼んでいると、新居から電話があった。柳沢もおるし遊び

に来いやと言う。どうやら柳沢は昨日新居の実家に泊まったらしい。来年か再来年、近い

うちに結婚する積もりらしく、実家のおじさんおばさんも柳沢の事を気に入ってるみたい

で、泊まりも公認らしい。

 昼に起きた時の疲労感は汗だくの草抜き作業で消え去り、すっかり回復していたから、

バスに乗って新居の家に行った。

 ナベサダを聞きながら三人でビールを飲んだ。柳沢は話題が切れるたびに、なんで彼女

作らんのと同じ科白を繰り返した。

 

 

 翌日も昼前に起きたが、母親はおらず、1人であり合わせの御飯を食べた。スイカの皮

を漬け込んだのをぽりぽりやっていたとき、そうか今日は親戚の人と墓参りに行くと言っ

ていたなと思い出したりしながら食べ終えて、所在なく茶の間に寝転がっていると郵便屋

が来た。

 出てみると井町先生からの手紙だった。井町先生は高校3年生の時の担任だ。1年浪人し、

京都の私立大学に進学することにしたと高校に報告に行った時、おまえは不思議な男じゃ

のお、ほんま箸にも棒にもかからん成績じゃったのによう合格したのお、フェニックスじ

ゃ、不死鳥じゃと口を極めて喜んでくださった。今春の教育実習でも、指導教官にはなら

なかったものの、同じ社会科教員の一員として随分お世話になった。そのお礼もかねて出

した暑中見舞いの返事だったのだが、返信は葉書ではなく封書だった。同じ教員、しかも

歴史教育を目指してくれた事を嬉しく思う事に始まり、今の教育界の閉塞感を破るくらい

の元気で生徒と向き合えとか、採用試験なんてのは絶対に教員になろうと思う者だけが通

るもんだから、絶対に諦めるなとか、励まし勇気づけの言葉が便箋3枚に渡って丁寧に書

きつづってあった。とりわけ、

 

 何をしても自分の一番良いところをのばすことだ。人の真似はだめだ

 

 という一文が心に残った。

 誰もおらず、静まりかえった茶の間にあぐらをかいて手紙を読んだ。読み終えると、窓

に移動して窓枠に腰を下ろし、2度目を読んだ。2度読み終えると、縁側に移動して縁側か

ら両足を庭に投げ出し、ぶらぶらさせながら3度目を読むと、もう1度茶の間に戻り寝そべ

って手紙を畳の上に3枚広げて1枚目から読み、今度は逆さまの3枚目から逆に読みと合計5

回も繰り返して読んだ。開け放った窓から縁側に風が抜けていき、窓にぶら下げていた風

鈴が余韻をのこして鳴り、汗ばんだ肌に心地よかった。

 読み終わって磯部さんに電話した。家の人が出るものと緊張していたのだが、はい磯部

服飾店でございますと電話に出たその声は磯部さん本人で、ホッとした。磯部さんはお久

しぶりでございます、お世話になりますなんてお店の人みたいで、先輩、試験はどうだっ

たんですか?うまくできましたか、と、いの一番に採用試験の事を聞いてくれるんじゃな

いかと思っていた期待は見事に裏切られた。忙しいから会えないといっていた例のお盆の

行事ってもう終わったのと聞くと、はい一応と答え、じゃあ暇なんじゃと含み笑いをする

と、ええまあなんて返事で始終素っ気なく、少し冷たいと感じるくらいで、面食らってし

まったのだけど、そこは勇気を振り絞って、明日映画でもどう?と言うと、

 

 そういうご希望でしたらもちろん

 

 なんて、良いのか悪いのかすぐにはわからないような言い回しで煙に巻かれ一瞬考えて

しまったのだけれど、電話の向こうで、お父さんみたいな声が、どうした?お客さまか?

なんて言っているようすが聞こえ、磯部さんも無言で頷いている気配。どうやら了解って

事らしいと判断し、じゃあ待ち合わせの時間を相談しようと口を開くと、ついついこっち

まで客のような口調になってしまい、

 

 それでは明日午後1時に駅前のバス停という事でよろしゅうございますか

 

と言うと、やっと含み笑いのような声が聞こえ、ええ、はい承りました、それで結構でご

ざいます、ではそういうことで、今後ともよろしくお願いいたします。どうもありがとう

ございました。失礼いたしますと電話を切られた。

 

 

 もうじき終戦記念日で、テレビでは戦争関連の番組が目に付く。NHKは『市民と戦争』

というドキュメンタリーを、民放は映画『「日本の一番長い日』を放送した。『日本の…』

は全くの反動的なプロパガンダ映画で、大根役者演じる極悪軍人が、戦争を平和的に集結さ

せようと努力する天皇とその側近達をないがしろにして、終戦の玉音放送をさせまいと躍起

になっており、その一面的な、しかも世論を「戦争終結に我が身を挺して努力した天皇」と

いう方向に誘導せんがための過剰な演出に興ざめだった。

 天皇とその側近、とりわけ最後の重臣と呼ばれた西園寺、その秘書の原田熊雄なんかは後

白河院顔負けに、(朝鮮中国での既得権益を死守するためには)開戦やむを得ずと思えば好

戦的軍部内閣を上奏し、戦局危く敗戦やむなしと見れば皇族内閣を上奏しと政局戦局、世界

情勢なんかを見極め、むしろしたたかにそれを利用しているわけで、軍部は言うまでもない

が、彼ら黒幕の戦争責任こそ追求すべきと思われる。

 だが、この映画の効果か、世間では、軍部の独走で戦争が始まり、罪のない多くの国民を

巻き込んだが、最後には天皇の英断でやっと戦争を終結させることができたのだという図式

が定着しており、映画を見ながらその事をぼやくと、海軍兵学校出の父親は馬鹿な事を言う

なと世間の常識を追認してみせる。父親は、時折気持ちの浮き沈みが見受けられ、発言にも

多少辻褄が合わぬ事があったり、論理に飛躍があったりしたが、それは病気が言わせている

ものなので聞かぬ振りをしたり、うんうんと頷いて、さも賛同しているような振りをし、で

きるだけ余計な事は言わないように務めてきたが、心配していた義父の不幸によるショック

もさほど長引いている様子もなく、駅長試験とやらを気に病んでいるところも伺えないので、

よせばいいのに、つい熱くなって持論を展開すれば、母親まで加わって、あの時代に生きて

なかったお前に何がわかると反論しようのない言い方で論破され、きわめて後味の悪い思い

をした。

 そのせいだか、寝る前、教育実習だの採用試験だの、就職関係の事で中断していた卒論の

準備を、そろそろ再開せねばという気になった。

 

 

 午後1時、駅前のバス停で待ち合わせた。つもりだったのだが、10分たっても20分たっても

磯部さんは現れず、焦げ付いた太陽を見上げ、もしや、すっぱかされましたかね?と太陽に聞

いていたら、バスでなく大きな黒塗りの車で現れた。おじさんとは呼べないくらいの、磯部さ

んよりもすこし年上と思われる男性が路肩に寄せた車の道路側の窓からこっちを睨むように見

たことから考えると、いわゆる左ハンドルというやつで、きっと(あまり車の事は詳しくない

のでわからないが)ドイツかどっかの外車だろうと思った。恐らく身内の人だと思いベンチか

ら立ち上がって軽く会釈をしておいたのだが、その男の人は会釈を返す様子もなく、無視をさ

れた格好になった。

 教育実習の時のような、紺色のスカートに純白のブラウスという地味目の姿で車から降りて

きた磯部さんは、運転していた男の人に何か言われ、それに苦笑いでわかったわかったと言い、

右手を挙げて車が走り去るのを見送ったが、車がいなくなると、ごめん、ずっと待っちょった

んじゃろ。ごめんねと何度も謝った。車を運転していたのは自分の兄だと磯部さんは言った。

 映画はアメリカ映画が2本。1本はコロンボ刑事役で有名な男性俳優が女子プロレスのマネー

ジャー役で出演している映画、もう1本はさえないボクサーが一人の女性と巡り会う事で立ち直

り世界チャンピオンにまで登りつめるという人気シリーズの第三弾。コロンボの方はドタバタ

で派手さばかりが目立つ、いかにもなB級映画だったが、さすがに人気シリーズのほうは迫力

があり、ストーリーもリズムよく展開し、思わず引き込まれてしまった。なんとなくミーハー

な感じがして避けていた類の映画だったが、不思議なほどしっくり来て、自分も「君がいたか

ら闘えたんだ」と言って磯部さんの頬にキスしたくなった。

 映画の後向日葵でコーヒーを飲む。

 

 夕ご飯までには帰ってこいって釘をさされたんよ

 

 と言うので時計を見ると、すでに5時を少し回っており、夕ご飯って何時ねと聞くと、6時く

らいかねと言うので、おお、それなら30分は話せるじゃんと言うと、30分もじゃないっちゃ、

30分しかよと口を尖らせてみせた。花火大会までなら「30分しかよ」ではなく、「30分しかで

すよぉ」と先輩後輩の関係を意識した話し方になっていたはずだが、30分しかよという言い方

で、ひどく近しい関係になったような気がして嬉しかったのだが、明日も会いたい事を伝えると

、連ちゃんは親の手前まずいんよと言うので、じゃあ明後日はどうなんと聞くと、それも同じっ

ちゃと言う。ほいじゃあいつならええんと少し不機嫌な声を出すと、何か考えるような表情で

コーヒーを啜ってから日曜くらいと、そこで言葉を切り、ちょっと間をあけて、かなと続けた。

 俺は少し考えてというよりは、少しむっとした感じで、すぐには返事をせず、口をへの字に

曲げて、5日も待たにゃあいけんのかとぼやき煙草に火をつけると、磯部さんは眉間に皺をつく

って上目使いにこっちを見ながらコーヒーを啜るので、わかった日曜でええよと妥協した。

 

 9月末に、採用試験の結果がわかるまでは一番気が楽な時期なんじゃねなんて磯部さんは言う。

その通りだ。9月から先数ヶ月は決断の時だ。試験結果がわかり、1次が通れば2次に向けて準備

すればいいだけだが、もし駄目なら、それによっては卒業後の身の処し方も考え直さなくちゃな

らない。

 そもそも教職を目指してはいるものの、国鉄職員が嫌で、いわば消去法で決めたようなところ

もあるわけだし、自分にとって教職って何なんだというところから、もう一度考えてみる必要も

ある。それに卒論だって。研究者の道を諦めた身としては、一生で一度きり、人生最初で最後の

学術論文だ。今の自分の持っている力の全てを注ぎ込みたい。

 そんなことを、いつになく熱く語った。頷きながら聞いていた磯部さんは、聞き終わると、ぽ

つんと一言、いいなと言う。いいなって、何にも決まってないし、広島は少し期待してるが、山

口は完全にアウトだし、広島が1次通ったからといって2次でどうなるかわかんないし、そこが通

って採用者名簿に登載されたからといって、採用がない学生もいるって話しだから、そう、何に

も決まってないんだから、何がいいの?と聞くと、いいじゃん。良いことありそうと心底うらや

ましそうに磯部さんは言う。自分なんか結局民間も受けず、家業の手伝いをすることになりそう。

うちの実家はかなりの老舗で他人が見れば商売うまくいっているように見えるかもしれないけど、

あのへんは随分寂れてきてるし、あそこじゃ先がないし、兄さんは服飾屋さんやめて別の商売始

めるって言い出して。それ手伝えって言われてて。よその人雇う余裕ないのよ。だから、なんて

いうのか、そんな感じで、自分で自分の道を切り開いて行こうとする感じがうらやましい。だか

らいいの、と言った。

 アマゾンに探検に行く人を見送りに行って、決してアマゾンに行くことのない人が、いいなあ

自分も冒険してみたいなと言ってるみたいだと言った。うらやましがってる人は安全だし気楽だ

けど、冒険に行く方は命がけだ。と不満そうに言うと、磯部さんはアマゾン?と笑う。そうそう、

大木の根本に座って休んだら大蛇が出てくるじゃろ、ぎゃあちゅうて叫んで川に飛び込んだら、

ピラニアがぶわあっと寄って来て、あっちゅうまに、骨と、皮よと大袈裟に手をくねらせたり、

指先を激しく動かしたりして、大蛇やピラニアの真似をして見せると磯部さんが大笑いするもん

で、こっちもついついつられて馬鹿笑いし、またしても居合わせた客と店主に顰蹙をかった。

 

 そんなこんなでふと時計をみるともう七時だった。六時には家に戻っていなければいけないと

言ったくせに、磯部さんはいっこうに店を出る様子もなく、時計を見せても、アチャーと言うだ

けで立つ気配はない。帰ったら家の人に、先輩が無理矢理引き留めるけえ、ぶちせんなかったけ

え、ちゅうて言やあええっちゃと言うと、ええねそれ、そうしようと笑った。

 駅前のバス停まで送ろうと言ったが、始発のバス停より少し先のバス停まで歩いたほうがバス

代が安くなっていいんじゃないかと言うので、少し歩く事にした。磯部さんは大勢の買い物客で

賑わう中通り商店街のアーケードを西に歩きながら、今は駅前周辺にその座を奪われてしまった

ものの、かつては銀座2丁目商店街と呼ばれ岩国城下の中心地だったという実家界隈の昔話をする。

 

 傘屋さんに鍛冶屋さんに焼き印屋さん、そして染め物屋さん。今は廃れて少のうなったけど

 小さい頃、近所にはいろんな職人の店が軒を連ねちょって、職人さんが家で作ったものを同じ自分

 の家で売っちょったんよ。職人さんはどこの家も通りから見えるところで作業しちょって、傘屋さ

 んが番傘を張っちょる様子とか、染め物屋さんが柄の下絵にそって糊を塗って、それにそって染料

 で幟の柄を染めてく様子とか、通りを歩いちょったらいつでもそういう様子が見えて、つい立ち止

 まってのぞき込んじょったら、あっっちゅう間に時間がすぎて。そうそう、筋向かいには銃砲店。

 銃砲店って看板だしちょるんじゃけど、要するに花火屋さん。ほらあの花火大会も、あの店が一手

 に引き受けてやっちょるんよ。浄水場の辺に火薬庫があってね、毎日一回の見回りが法律で義務づ

 けられちょるとかで、おじさんが飼うちょる秋田犬連れて火薬庫まで見回りに行くのに、ついて行

 きょったんよ。あそこの店は毎年夏の一日だけで一年分稼ぐんで、とかやっかみ半分で言われてね。

 

 アーケードは西に歩いていくと、買い物客が減り、2、3人連れだった仕事帰りのサラリーマンだの

水商売らしい派手な衣装の女だのが次第に増える。その先は歓楽街だ。寿司屋、居酒屋の西にはキャ

バレー、ピンサロが続き、その向こうにはトルコなどの風俗営業の店まで混じる。若い男女が二人で

歩くようなところではなかったから、居酒屋が見え始め、客引きの声が聞こえるようになった辺りを

右にそれてバス停のある大通りの方へ足を向けた。裏通りはぐっと人通りが減り、電飾の類もなく、

賑やかなアーケードとは対照的に、薄暗く静かで、気味悪くさえある。通りに面して古びた和風旅館

の塀だの、普通の民家然とした建物だのが続くのだが、入り口にはご休憩ご宿泊いくらと表示が見え

る。その隣りの鉄筋コンクリート造りの建物もビジネスホテルと看板は出ているものの、ホテルの名

前は「エリザベス」で、どうにも怪しい。

 いつのまにか磯部さんは昔話をやめ、二人とも無口になる。

 

 ねえねえ

 

 と磯部さんが言うから、え?なに?と言うと、

 

 ううん別になんでもない

 

 と言うから、へえ、そう、なんて答える。また、しばらく行くと、ねえと言うから、なに?と聞く

と、今度は少し間があって、何か言いかけるのだが、もうちょっと間があって、

 

 まあいいや

 

 と独り言のように言う。そのやりとりを三回繰り返したところで、大通りに出、バス停が見え、

見るとちょうどいいタイミングでバスが来たので、走ろうか?と言うと、満員だから次のにすると

立ち止まるが、目の前をがらがらのバスが行き過ぎる。

 バス停のベンチに2人で座りバスを待った。ねえと今度は俺が言い、磯部さんがえ?なに?と聞

き返した。俺はいや、べつにと答え。ふうん、いいの…と磯部さんが答えた。そのあとずっと無言

だったのだが、遠くにバスのヘッドライトが見えた頃、ねえと磯部さんが言い、何?と聞くと、い

や、いいですと腿の上に置いた両手を見ながら敬語で言うから、何も答えずにバスのヘッドライト

を見ていた。

 バスはウィンカーを点滅させ、速度を落としてバス停に滑り込んできた。このバスにもほとんど

乗客は乗っていない。てっきり乗るのだと思っていたからベンチから立ち上がった。圧縮された空

気が一気に吐き出されるような音がしてバスが止まる。磯部さんは膝の上に置いた両手を見つめる

ばかりで、いつまでも座ったまま立ち上がろうとしない。行き先が違うのかと思いバスの行き先表

示を見たが、例の観光地行きを示す文字が見て取れる。ブザーが鳴りバスのドアが開く。もちろん

降りる客はいない。これも乗らんのんね?と言ったのと、もう一度バスのブザーが鳴ったのとが、

ほとんど同時だった。磯部さんは感電した猫のように突然立ち上がり、バスのステップに飛び移り、

閉まりかけていたドアに吸い込まれた。紺色のフレアのスカートがめくれて、白いふくらはぎから

膝の裏側の白い肌が見えた。

 磯部さんが慌てて飛び乗った事に驚いて、ベンチに尻餅をついた格好のままあっけにとられてい

たのだが、気を取り直して、走り出したバスに向けなんとか手を挙げて日曜日になと大声を出すと、

磯部さんは窓越しにこっちを見たが、その顔は少し怒っているようでもあり、少し泣いているよう

でもあり、少し笑っているようでもあった。

 

 

 家に帰ると、まだ九時前だというのに父親は布団に転がって鼾をかいていた。えらい早いねえと

言うと、母親が今日駅長試験じゃったんよと言った。昨日、テレビで見ていた映画を反動的なプロ

パガンダ映画だと言った時、馬鹿なことを言うなと珍しくむきになったその理由、母親もあの時代

に生きてなかったお前に何がわかると父親を庇うような事を言った理由が少しわかったような気が

した。鼾をかいている父親の顔を見ていると、どうせ駄目じゃろうけどね、と顔の汗を拭き拭き母

親が言った。

 寝る前に絵を描いた。磯部さんの肖像画。夜中の十二時前から新居にもらった佐野元春のカセッ

トを聴きながら描いたのだが、ほんの悪戯書きのつもりが、いざ書き始めると夢中になってしまっ

て、気が付いたら夜中の3時だった。すごく清楚で可憐な感じに仕上がった。今度の日曜日会った時

に、上げようと思った。

 

 

 それからしばらくは、尋ねてくる者も電話もなく、卒論ための論文整理と草抜きと、気が向いた

時のトレーニングで過ごす。暇だ。例年、この時期は馴染みの運送会社で引っ越しのバイトをして

いるころだ。今年もバイトに来るんだろと、7月始めに誘いの電話があったのだが、さすがに採用

試験を控えておりそれどころではないのでと断った。大学1年の年から、春夏春夏と、季節労働者

さながらその運送会社一本で働いてきた経緯から、今からでも電話をすれば雇ってくれそうだった

が、引っ越しの仕事はお盆がピークで、お盆を過ぎた今は、貨車の荷下ろしぐらいしか仕事がない。

あの貨車の荷下ろしってやつは何度かやったことがあるが、真夏には塩をなめなめやらないとぶっ

倒れるというほど過酷な上に単調であり、あの重労働のために電話をする気にはなれなかった。

それに、平日は会えないというものの、もし突発的に明日会えますよなんて磯部さんに誘われた時、

いやあ実はバイトがと重労働のせいで会えないなんて事が起こったら、これ以上の悲劇はないぜと

思い、そんなこんなでバイトは避けてきた。

 

 5日後の土曜日の昼過ぎに電話があった。母親がにやけた顔で女の子から電話よと言うので、磯

部さんだと思い、そうか明日の時間の事だなと見当をつけて電話にでると、

 

     先輩ごめん、日曜ダメなんよ

 

    といきなり言う。敬語抜きの砕けたしゃべり方で、どうやら実家からではなく、近くの公衆電話

からなのだとわかった。なんでダメなん?と聞こうとしたのだが、そう聞く前に、むこうから、父

親が旅行に出て来週の半ばまで帰ってこないから、その間店番しないといけないとか、あんまり出

歩くなといい顔しない親に頑張ってあれこれ言い訳してきたけど、もう万策尽きてとかいろいろ言

った。

    言い訳を聞いている間、どういう訳か『日曜はダメよ』という昔むかしの映画のタイトルが思い

出され、そんな映画見たことなどないくせに、なんだか見た事があるような気もして、何度も頭の

中でそのタイトルを音読しているような感覚になったのだが、ふと、この前磯部さんを車で送って

きたお兄さんという人の険しい視線に出くわした。

 

     何かあったんか?お兄さんに、何か言われたん?

 

 と聞くと、

 

 いや、まだ何も言われとらんけど

 

 と答える。言われてないのならいいじゃないかと思うけど、「まだ」というのは、このままいけ

ば確実に何か言われそうだと言うことらしい。やはり、お兄さんという人は俺に良い感情を持って

いないようだ。わかった、それじゃ日曜がダメならいつならいいのと聞くと、夏休み中は無理だみ

たいな事を言いにくそうに言う。ちょっと待てよ。そりゃないじゃろ。さすがに声を荒げるが、

磯部さんはごめんねと謝るばかり。待てよ、まさか俺、何か嫌な事でもしでかしたかと思いヒヤリ

とする。いやそんなはずはない、おかしな事などしていないはずだと思う。しかし、自分が気づい

てないだけで、なにかとんでもないような事を言ったのかも知れないと、念のため昨日までの事を

あれこれ思い出してみるが、これといって思い当たるものもない。

 

 おれ、何かしたかな。

 

 と、恐る恐る聞いてみる。

 

 してないですよ、

 

 と磯部さんはキッパリ言った。先輩は、何もしてないですよと同じ事を平たく言った。

 じゃあ、なんで?夏休み中会えないってことは、もう年末まで会わないって事じゃんと不満そう

に言うと、ため息が受話器にかかる音がして、しばらく無言が続いた。でも磯部さんの吐息だとか、

自動車が磯部さんの背中を通り過ぎていく音だとか、どこかの家から聞こえてきている家庭用カラ

オケ機の演歌だとか、公衆電話のそばに生えている樹木の葉っぱが風にそよぐような音だとか、そ

んなこんなの気配は受話器を通じて感じとれた。それは受話器を通して耳から入ってくる音でしか

なかったはずなのに、受話器に耳を押しつけるようにして次の一言を待っている自分には、実際に

磯部さんのすぐそばに居るよりもずっと生々しく迫ってきた。

 職人町の街角。細い路地。公衆電話のそばに受話器を握りしめて立つ磯部さん。頬が紅潮しており。

 

 じゃあ、一緒に山口に行きますか。

 

 しばらくして、磯部さんは、敬語でそう言った。 

 

 

 

 午後からテレビで甲子園の高校野球の決勝を見た。

   26六日に磯部さんは山口に帰ると言った。

 決勝の組み合わせは広島商業対徳島池田高校。

   26日一緒に行ってくれますかと磯部さんに敬語で言われ絶句した。

 広島商業は攻め達磨の異名をとるツタ監督率いる徳島池田高校に完膚無きまで叩きのめされた。

   山口なら親はいないので、自由に会えますよと磯部さんが繰り返すから、わかった俺も行 

   くよとかろうじて答えた。

 決勝のスコアは12対2。

   詳しいことは25日に相談しようと言うことで電話を切った。

 勝ったチームの選手達がうれし泣きに泣いていた。

   25日の夕方7時頃電話してくださいと磯部さんは敬語で締めくくった。

 決勝戦を隣りで見ていた母親は、ゲームセットのサイレンを聞くと、しょうがないねえそう言う

 ときもあるよと独り言のような事を言い、草取りせんかねと言うので一緒に庭の草取りをした。

 

 

 夜、卒論の準備を始める。伊藤隆の『大正期革新派の成立』を六十ページ余り読む。

 

 マルチェロがそろそろ寝ようかというと安紀子はうんと頷く。風呂上がりに扇風機の前で涼んで

いた安紀子が電気を消そうと立ち上がると、マルチェロは安紀子の腰に抱きついた。もう、せっか

ちなんだから。安紀子はTシャツにショーツだけ、マルチェロはパンツにランニング姿。マルチェ

ロは何も答えず安紀子の腿に頬ずりをする。消すわよ。安紀子が言うと渇いた小さな音とともに部

屋が暗くなり、同時に二人の体にくすぶっていた小さな炎がめらめらと燃え上がった。

 マルチェロが布団に横たわった安紀子に覆い被さり、激しく唇を吸うと、マルチェロのいきりた

つ股間に手が伸びてきた。それに答えるようにマルチェロも安紀子の股間に手を伸ばす。しばらく

まさぐりあうと、マルチェロは安紀子の、安紀子はマルチェロの秘部を覆っていた布をはがしとり、

そこを口に含み、あるいは尖らせたベロで突起物をつつき、亀裂にそって舐め上げ、肉棒をしごき

と愛撫し始める。暗闇に台所の蛇口から滴が垂れるような湿った音が響く。そしてマルチェロが安

紀子の膝を割り、開かせ、そこに体をねじ込むとマルチェロは。

 

 次の日の早朝、夜明けの薄明かりの中、開けはなった窓からひんやりとした空気が滲みてくる部

屋で股間をしごき大量の精子を飛ばした。意図的に作り上げた妄想なのか、目覚める前に見ていた

淫夢の続きなのか定かでないが、マルチェロが安紀子とセックスするシーンをじっと見ていた。

 

 自慰行為に耽るとき、人は一人称でしているらしい。俺とお前。僕と君。私とあなた。カメラは

自分の目の中に埋め込まれていて、視点は自分にあり、当然キスをするときは、相手の顔がアップ

になってフォーカスが甘くなり、暗がりが広がる感じ。正常位であれば相手の顔や胸を見下ろす感

じ、後背位であれば相手の背中や尻が見えている感じになるようだ。友人の話から総合するとどう

やらそういうことらしいが、自分の場合は違う。見知らぬ彼と彼女がセックスしているのを覗くイ

メージだ。俺はいつも映画館のライトを落とした客席にいてスクリーンを食い入るように見つめて

いる。

 たとえばプレーヤー経験のあるサッカーならば、テレビで試合をみておれば、いつのまにか気持

ちが入り込んでいってドリブルしているプレーヤーに同化する。ボールを蹴るときの感触だとか、

相手に接触するときの身体の痛みだとか、汗一杯の顔が大写しになれば蒸し暑さが伝わり、雨であ

れば地面のぬかるんだ感じなんかもリアルに感じられる。それは野球だとか相撲にしても同じで、

一度だけしかやったことのないビリヤードなんていうやつだって同じだと思うが、逆にゴルフなん

て一度もやったことのないものはいくらニクラウスの華麗なアプローチショットだとか言われても

ピントこない。それと同じで、童貞にとってのセックスはどれだけたくさん成人映画を見ようがい

つまでたっても、スクリーンの中での出来事でしかなかった。

 男は決まってマルチェロだった。マルチェロとはもちろんイタリア映画でおなじみの伊達男マル

チェロ・マストロヤンニだ。相手の女性はその時々お気に入りの女の子に変わるのだが、今回はも

ちろん安紀子。安紀子とは磯部さんの名前。マルチェロと安紀子が交わる部屋は磯部さんの下宿の

あの六畳間。風呂上がりとか扇風機の前で涼む状況とかは、明らかに所のアパートのイメージだ

と思った。

 早朝の自慰行為は爽快だ。寝ているのではなく目が覚めているのだという自覚はあるのだが、

目が覚めているとはいえ、夢の中で目が覚めた時のような感覚であり、それは、寝る前に、雑に

でっち上げた手前勝手な卑猥なイメージと比べると雲泥の差なのだが、とりわけ今日のそれは格

別だった。磯部さんは

 

 自分の下宿に泊まっていいですよ

 

 と敬語でいった。一緒に行ってくれますかとはそういう事だと思ったが、なんだか俺がしつこく

磯部さんに会いたいと言う、その究極の目的をずばり言い当てられたような気がして心臓が止まり

そうになった。二十二年間セックスとは自分以外の誰かがするもので、自分はそれを記録した画像

や映像を見る人でしかなかった。しかし、このまま地震津波などの天変地異が起こらず、アメリカ

とソ連が戦争がおっ始めることもなく、過去数ヶ月のような感じでごくごく普通に時間が過ぎて行

きさえすれば、数日後自分は確実に磯部さんと一緒に山口に行き、そして磯部さんの下宿に泊まる。

そして夜になればあの六畳間で一緒に寝ることになる。その時、プロレスでタッチ交代するように

マルチェロとハイタッチを交わし、そして自分はあのスクリーンの中に入っていくのだ。

 大量に飛ばした精子をティッシュで拭き取ると、心地よい疲労感を感じながら二度寝した