気高く清く美しく その②

 

 大谷くんの言うとおり米軍の基地の目と鼻の先なら米軍基地めざして行けばなんとかなる

だろうと考えた坊太郎は、いったんバスで駅まで行き、そこから基地方面行きの便に乗り換

え、米軍基地前というバス停で降りたが、基地に続くと思われる大通りの向こうを見るとス

バル座という看板が見え、やっぱりここでよかったんだと思った。

 春先のまだ肌寒い頃でも上半身裸でサイクリングしてやがるとか、もうドアがボコボコに

へこんでて日本人じゃ恥ずかしくて乗れそうもないポンコツの車でも大いばりで乗り回して

んだよとか、はたまた週末になると基地まわりの飲み屋は酔っぱらった兵隊で溢れかえって

いて、身内で大喧嘩して憂さを晴らすか日本人の女の子をレイプするかしか楽しみはないか

らもうハチャメチャだけど飲み屋は飲み屋でお得意さんだから文句もいえなくて、なんて話

を、町から近くの商店に商品を運んでくる配送人から聞かされていて基地周辺のカオスな感

じはわかっていたが、残念なことに同じ町に住んでいながら坊太郎はこれまで基地とやらに

行ったことがなかった。そればかりか白人も黒人も肉眼では見たことがなかった。白人の男

の二の腕は丸太で、黒人の女のケツはビア樽だと思えばまず間違いないわと笑う配送人の話

に幼い坊太郎は頭の中で丸太が胴体から生えている白人の男やビア樽から足た伸びている黒

人の女を想像してゾッとしていたのだ。

 

 そんなこんなで大谷くんや他の生徒達が、基地周辺の映画館などやめておけと言う意味は

なんとなくわかるのだが、電話番号がわからず断りの連絡を入れられなかった上に、よく知

らない女子生徒に内緒で会いに行くという秘密めいた気分、熊野千春のもつ謎めいた感じ、

せっかく町に住むようになったんだから少しくらい冒険してみたっていいんじゃないかって

いう怖い物見たさが坊太郎の背中を押した。

 大通りの両側はアルファベットで書かれた飲み屋の看板が乱立し、それに紛れて衣料品、

ドラッグストアなんかが軒を連ねていて、歩道は道ばたに積み上げられたウィスキーやビー

ルの空き瓶から漂ってくる酒臭い空気で充満していたが、週末とはいえさすがに日曜の朝九

時過ぎでは酔っぱらいどころか人通りも少な目で坊太郎はホッと胸を撫で下ろした。

 

 スバル座の看板のところまで歩いていくと古ぼけて少し傾いていそうな建物が見え、大き

な両開きの入り口の脇には坊太郎も知っているイギリス出身の男四人組のバンドが主演の映

画のポスターが張り出されていて、とてもじゃないが封切り映画を上映するような洒落たそ

れではないにしても一応映画館に違いないとは思ったが、入り口付近には背が高く胸板の厚

い白人の青年数人がくわえ煙草に半袖のTシャツGパン姿でたむろっており、歩いて来る坊

太郎の方をじっと見ているので脇に汗が滲んだ。

 どこを見渡しても熊野千春の姿は見えず、仕方なく張り出されていたポスターを覗き込み、

へえ一緒に見たいって言ってたのはこの映画かあ、これならテレビの番組で紹介された時に

ちょっとだけ見た事があるぞなんて思っていたら、

 

 おいこらこの糞ガキ、ここはお前みたいなヘタレが来るとこじゃねえよ

 

 と明らかにそんな意味の事を英語で言いながら白人の一人が近づいてきて、残りの奴等も、

そうだそうだお家に帰んな、みたいなことを英語で言ってへらへら笑っているので、もう坊

太郎は生きた心地がせず、ごめんなさいと謝って帰りかけたのだが、その時、映画館の中か

らベルボトムのGパンに長袖Tシャツ、サイケなデザインのチョッキを着た髪の長い女の人

が両開きのドアを押して出てきて、

 

 ちょっとおあんたら何つまんない事言ってんのさ、むこう行ってなよ、シッシ

 

 みたいなことを流ちょうでしかもドスの利いた英語で言い返すと、わかったわかったそう

むきになんなよベイビー、って感じで件の白人は両手を広げ肩をすくめて仲間の方に戻って

いった。

 やれやれ命拾いしたわと思って女の人を見ると、驚いたことに熊野千春だったが、その熊

野は坊太郎を一目見て、なんで制服で来るのよ、と坊太郎を指さし頭を抱えて嘆いてみせ、

遠巻きに見ていた件の白人青年達もこっちのやりとりがわかったのか、ゲラゲラ腹を抱えて

笑いだした。たしかに坊太郎は学校指定の黒ズボンに革靴、ワイシャツ姿だったが、それは、

気の利いた私服を持っていなかったからでもあるが、それ以上に担任教師からたとえ休日で

も外出するときは制服制帽ででかけるようにと繰り返し言い含められており、まあそんなも

んかと思っていた事の方が大きいし、坊太郎に言わせばたとえ自分の中学校校区であろうが、

そのヒッピーだかフーテンだかわからないような格好はなんだと言いたかったのだが、呆れ

果てた様子の熊野はこんなところにそんな格好できたら絡んでくださいって言ってるような

もんじゃないのさ、と言って坊太郎の腕を掴むとずんずん映画館の中に引っ張っていった。

 

 映画館の中は超満員でしかも臭かった。空席もなく坊太郎と熊野は入り口を入ったあたり

の最後部で壁に寄りかかった感じで立っていたのだが(いや、たとえ空席があったとしても

とてもじゃないが、超満員の中に入っていける雰囲気ではなかった)通りに充満していたよ

りもずっと濃度の高い酒の臭いで頭がクラクラしたのだが、見ると客は白人黒人の男女で日

本人は一人も見あたらず、その白人黒人達はみなひどく酔っぱらっているらしく口々になに

やらわけのわからぬことを叫び、それに同調したり反発したりしたかと思うと、立ち上がっ

て腰をくねらせて踊ったり男女がキスをしたりととんでもない事になっていて、坊太郎はこ

んなところに居ては大変な事になる、一刻も早く映画館を出なければと思ったのだが足がす

くんで身動きができず、ただ呆然とその様子を見つめていたら映画が始まった。

 イギリス出身の四人組バンドのメンバーが駅だとか街角とかをファンのお姉さん達に追い

かけられながら逃げ回ったり、ヒット曲を演奏したりする映画だとばかり思っていたが、キ

ャーキャー叫びながら追いかけまわすお姉さん達は全然でてこず、スクリーンにはタイトル

も出ずにいきなりどこかのホールが映ったかと思うとドラムセットとスタンドマイク、壁の

ように積み上げられたどでかいギターアンプだけが見えたステージに男三人が現れ、それぞ

れドラム、ベース、ギターをチューニングしているのか演奏しているのかいじくっているう

ちになんだか凄い音がし始め、演奏が始まり、その後も延々とその三人が演奏を続けるとい

う、フィルムコンサートだか、ドキュメンタリータッチの記録映画だかわからない内容だっ

たが、それはそれとして超満員の観客はバンドのメンバーが現れるや総立ちで大声を張り上

げ、坊太郎の村の秋祭りの喧嘩御輿の時でさえこれほどの興奮ぶりはないというほどボルテ

ージは最高潮に達し、以後納まる様子はなかった。

 暗闇の中でも彼等が演奏に合わせて身体を揺らし両手を振り上げ続けているのはわかった

が、どうやら全員がこのバンドの曲を知っているようで繰り返される印象的なフレーズのと

ころでは全員が飛び上がって同じフレーズを叫んだ。初めは大音響も雑音だとしか感じられ

ず思わず両手で耳を覆った坊太郎だったが聴いているうちに妙な感覚に囚われはじめた。弦

を逆順に張ってあるのか右利き用と思われるフェンダーストラトを抱えた左利きのギタリス

トが、トレモロアームを駆使して放つ爆音はこれまで聴いてきたどの音楽とも似通っていな

かったし、いい音楽というのは心を掴まれ意図しなくても歌い出してしまうような感動があ

ると信じていたのに、そんなものは一切なく、いきなり頬をぶん殴られるような衝撃の後、

暴力的で歪んだ音の洪水で意識だとか思考だとかが麻痺させられ朦朧とする感じが、だんだ

ん心地良くなってきて経験したことのない陶酔感を感じていたのだ。隣りにたっている熊野

に、このバンド何ていうバンド?と叫んでみたが、音が大きすぎて全然伝わらなかった上に、

件の熊野は満員の客顔負けにリズムに合わせて両手を振りまわし腰をくねらせており、それ

でも何度か叫んでみたら、面倒くさそうに小さなボトルを投げて渡し、空の右手を口許に持

っていって煽るような仕草をしてみせたので、真似をしてそのボトルを一口煽ってみたらそ

の液体が喉を焼いて胃に下っていき、坊太郎はひどくむせかえった。

 

 

 その後の事はよく覚えていない。

 気がついたら坊太郎は基地前のバス停にある青いペンキで塗られた木製のベンチに横にな

っていて、起きあがってあたりを見渡してみても熊野はどこにもいなかった。頭が少し痛か

った。

 あれは一体何の映画だったのだろうかと訝りながらも坊太郎は駅までバスに乗り、そこで

五つのアーチ橋行きのバスに乗り換えて下宿に帰ったのだが、その間もヒッピーみたいな格

好をした熊野の様子も、アナーキーな映画館の雰囲気も夢みたいに感じられたが、あの音楽

体験は決して嫌悪感を感じさせるようなものではなく、むしろもう一度味わってみてもいい

ような気さえした。

 もし、熊野に出会ったら、何というバンドだったのかちゃんと聞いてみようと思いつつ下

宿に戻り、部屋に上がろうとしたら下宿のおばさんに呼び止められ、しっちょる?日本人の

女の人がはじめてエベレスト言うんかいね?世界一高い山に登ったんと、なんて話しかけら

れたが、そのうち電話がかかってきて、ちょっと大磯くんによ、と受話器を差し出すので、

もしかしたら熊野かと思い急いで電話で出たら友里で、あいつは唐突に、

 

 ねえ、来週の日曜日さ熊野千春とデートしてやってよ

 

 と標準語で切り出した。地元で喋った時は村の言葉だったくせに、友里もこっちにきたら

そうなってんだなと思ったからちょっと可笑しかったが、坊太郎も標準語で、

 

 何言ってんだい、今日会ってきたところだぜ、

 

 と言うと、はいはい冗談はいいから真面目に聞いてね、といつものようにこっちの話は聞

かない感じでとりつく島もなかったから友里の話を聞いていると、熊野って子が友里の親戚

の家を訪ねてきてどうしても会って話をしてみたいから坊太郎に伝えてくれないかと頼まれ

た、なんて言うので頭が混乱してしまった。ちょっとまって、その熊野さんってどんな子な

のさと坊太郎が言うと、友里と同じくらいの小柄でショートカット、目のパッチリした可愛

い子だよ、あんたの好みじゃないの、なんて説明するので人違いだと初めて気がついた。

 

 今日のあの子は熊野千春じゃない。じゃあ一体あの子は誰だったんだ??。

 

 

 坊太郎は訳がわからなくなった。

 あんた一体誰なんだ?何がしたくて俺を誘ったんだ?と坊太郎は偽熊野を問いつめたくて

仕方なかったのだけど、月曜日もあの子が下宿近くの路地で待ち伏せしていることはなかっ

たし、電話もかからず、無論学校内で声をかけられることもなかった。

 

 

 翌週の火曜日の事だった。帰りのHRの時に担任の男性教師が坊太郎の席まで来て、おま

え何かやらかしたのか?とささやくので、何の事かと驚きながらもかろうじて、いいえ、そ

んな滅相もない、なんて芝居がかった返答をしたら、生徒指導の下河先生がHRの後に生徒

指導室に来るようにって言ってたぞ、と言うので青くなった。絶対にあのことだと思ったが、

自分以外では偽熊野しか知る人間はおらず、喋れば自分の問題行動もばれてしまう偽熊野が

まさか自分から喋るはずはないと思われたが、ならばどうして生徒指導の教員が知っている

のか謎だったが、とにかくなんとか誤魔化さないと、と言い訳を考えながら生徒指導室とや

らに向かうと下河という生徒指導教諭らしき中年男性教師が入り口の方に背を向け窓の方を

見ながら煙草をふかしていた。

 部屋には会議用の長机とパイプ椅子が五、六脚置いてあるだけだったが、名前を告げ失礼

しますと頭を下げて部屋に入ると、その中年教師は背を向けたまま、方言丸出しに切り出し

た。

 

 出身中学校の校長は学校始まって以来の秀才じゃ言いよったが、とんでもない ボンクラ

 じゃのう。

 

 たしかにたとえ休日とはいえ米兵だらけの場末の映画館で酒(ウィスキー?)を喰らって

酩酊してたんじゃたしかにボンクラかもしれないが、これまでこんな叱責のされかたは経験

したことがなかったのでムッとしたまま黙っていると、お前みたいなボンクラは学校創設以

来初めてじゃと畳みかけてくるので反射的に、

 

 僕のどこがボンクラなんですか?

 

 と言い返したら、初めて坊太郎の方を振り返ってこう言った。

 

 おまえ、この前の日曜日に制帽を被らずに外出しちょったじゃろうが。ネタは 上がっ

 ちょる。

 

 どうやら酩酊した坊太郎がベンチで寝ているところをバスに乗っていた別の教員が目撃し

たらしく、その教員が伝えた様子を下河は坊太郎に喋って聞かせた。スバル座に映画を見に

行った件だとばかり思いこんでいた坊太郎は別件とわかり胸を撫で下ろしたが、その一方で

ボンクラと詰られるその理由が外出時に制帽を被っていなかった事だとわかり腰を抜かしそ

うになった。

 たしかに普段は被って登校している制帽を頭髪が乱れるのを嫌って被らずに外出したが、

本来なら私服で外出しても何ら法的には問題ない休日に、担任教師の教えを守って制服で

外出したのだから賞賛されてしかるべきところを、制帽がかけていたからというその一点

だけでボンクラとはどういうことだ、ととてもじゃないが承服しがたかったが、下河は澄

ました顔でこう続けた。

 

 

 制服制帽は我が校生徒の誇りど、命の次に大切なものじゃから私的な外出時にも本校

 生徒であるという自覚を忘れんように制服制帽の着用遵守を呼びかけちょる。にもか

 かわらず入学早々その教えを無視するたあ何事か。

 

 この学校に入学できた事は名誉な事と思ってはいるが、だからといってこの学校の制服

制帽が命の次に大切なものだなどと考えた事もなく、いくらなんでもそれはないだろうと

思うものの、こう大上段に構えて叱りつけられると、とんでもなく破廉恥な事をしでかし

たような気分にもなって反論する気力も萎え、渋々すみませんと頭を下げたら、すまんが

お前学校をやめてくれんか、ときた。下河の言う意味がわからず、黙っていると、お前み

たいなボンクラがおると学校の名誉に傷が付く、とっととやめてくれ。高校は義務教育じ

ゃなあけえやめる言やあすぐやめさせちゃるわいと言い、吸い込んだ煙草の煙を坊太郎の

顔面に吐きかけ、短くなった煙草を灰皿でもみ消した。

 

 ここに退学届けがあるけえ、ここで書けや。

 いや、ちょっと待ってください、いきなりそんな。

 いきなり言うて、お前さっきすみませんでした言うたよの?

 言いましたけどそれは。

 罪を認めたいう事じゃないか。

 いや、ですから以後気を付けますから。

 学校におりたいんか?

 そりゃ勿論ですよ。

 校則をちゃんと守れるんか?

 ええ、約束します。

 ほんまか?

 本当ですよ。

 ほんまにほんまか。

 本当ですって。

 そうか、なら今回だけは許しちゃろう。わしも鬼じゃないんじゃ。わかってく れりゃ

 あええ。

 

 

 冗談じゃない、と坊太郎は思った。周囲からは温厚だ穏和だと評され、自分でも滅多な

ことでは激怒することなどないと自覚していた坊太郎だったがさすがに何なんだこれはと

思った。どうして帽子を被らなかったぐらいで退学を迫られないといけないのか考えると

いてもたってもいられなかったのだが、それ以上に悔しかったのは、怒りがこみ上げてき

たのが生徒指導室を出てからの事で、部屋に居る間はあの下河とかいう中年男性の迫力と

いうか威圧感というか、そういうやつに押されてなんだかとんでもない事をしでかした感

が強く反論できないどころか易々と頭を下げてしまった事だった。

 憤慨したこの思いを三上にぶちまけようと荷物を取りに戻ったら、教室には大谷くんが

いて坊太郎が教室に入ってきたのをみると、慌てた様子で駆け寄ってきて、

 

 おい、お前何かやらかしたのか?マタノがマタノが学校の下に来てるぞ、大磯坊太郎

 を連れてこいって息巻いてる

 

 と叫んだ。額には玉のような汗が浮いており、相当に息が上がっていて、学校のある丘

の下から全力で駆けてきたのだとわかったが、マタノって誰なのか、どうして大磯坊太郎

を連れて来いなのか全く理解できなかったが、とにかくマタノの事だどうせ逃げても地獄

の果てまで追いかけてくるから行くしかないぞ、と大谷くんが言うので一緒に来てもらう

ことにした。

 大谷くんの口調からマタノという人が相当危ない人物だとはわかったが、そんな怖い人

に痛い目に遭わされるような事はしてないのだからちゃんと話せばわかってくれるはずだ

と坊太郎は思った。

 

 大谷くんに連れられて学校の丘を降りると、たくさんの生徒が坂道の両側に集まってお

り、てっきり騒ぎを聞きつけ成り行きを見守る野次馬かと思われたが、大きく湾曲する坂

道を曲がって丘を降りるとそこには大型のバイクが数十台エンジンがかかったまま道をふ

さぐように止められており、下校しようにも下校できない生徒の群れだったんだとわかっ

た。

 命があったら後で詳しい事を話してやるけど、とりあえず何を言われても謝まっとけよ、

ええな、と大谷くんが青ざめる坊太郎にささやいた。大谷くんが一台のバイクのところに

駆け寄り、男達の一人に話しかけ、坊太郎の方を指さすと、Gパン、革ジャンにブーツ姿

の長身の黒人少年が坊太郎の方に歩いてきた。坊太郎達よりも年長者であるのは確かだが

果たして何歳なのかわからなかった。縮れて短い頭髪、浅黒い肌。坊太郎を睨み付けてい

た二重の大きな目の奥で鋭く光っていた瞳が一瞬和らいだ。てっきり英語でまくし立てら

れるのかと思っていたら、まるっきり地元の言葉で、

 

 ああ?なんじゃあ、このもやし君が坊太郎とか言う外道か?

 

 と大谷に問いかけ、大谷がゆっくり頷くと、マタノとかいう男は首を肩をすくめて苦笑

いをしながら坊太郎の方に向き直ったが、すぐに笑顔を消した。

 

 わりゃ、わしの女に手出したらしいのお。

 え?ぼ、ぼ、僕はそんなこと。

 とぼけんな。

 いや、とぼけるもなにも。

 ヨーコの事じゃ、お前わしのヨーコに手出したろうがや。

 ヨ、ヨーコさんってだ、誰なんですか?僕は知りませんよ。

 嘘言うな、日曜日、ヨーコとスバル座にしけこんだじゃろうが。

 え?あの人、ヨーコって言うんですか?

 ほれ見てみい、やっぱりじゃ、この野郎、糞もやし野郎のくせにこのマタノ様 の女を

 ようもようもしゃあしゃあと。

    違います、誤解です、しけこんだなんて、僕は連れ込まれたんです、一緒に映 画に行こ

 うって誘われて。

 誘われたじゃ?

 そうです、誘われただけなんです。

 なんでヨーコがわれみたいなもやし野郎を誘うんじゃ。

 そんなこと知りませんよ、ヨーコって人に聞いてくださいよ。

 嘘言うな。

 嘘じゃありません。僕はあの人の名前さえ知らなかったんですから。

 ほお、名前も知らんような女と映画見に行くんかわれは。

 そ、それは。

 ほれ見てみい、下心があるけえ行ったんじゃろうが。

 ち、ちがいますって。

 やかましい。

 本当なんですよ、許してくださいよ。

 許せるか。

 

 マタノが坊太郎のワイシャツを鷲掴みにして右拳を振り上げたその時だった。どこかで聞

いた事のある声が背後から聞こえ、マタノの手が止まった。

 

 マタノさん、相変わらず威勢がええですねえ

 

 振り向くと下宿の村田さんだった。みんなが帰る時間に坂を上がっているのを見ると、ど

うやら今日も学校は欠席して部活にだけ行こうとしているところだと思われたが、マタノと

いう男と村田さんがどういう関係かわかるはずもないがどうやら二人は知り合いらしく、

 

     マタノさん、この子はマタノさんの彼女をどうこうできるような子じゃあないです、多分

 勘違いじゃ思いますよ、

 

 と爆発寸前の空気の中、にこやかに声をかけると驚いた事に、それまでのいきり立っていた

マタノの感じが薄らいで幾分穏やかな口調になった。

 

 村田、なんでそがあな事がわかるんじゃ。

 この子はわしと同じ下宿の生徒ですけえ。

 ん?お前の下宿の?

 ほうです、田舎から出てきたばっかりのおぼこい田舎もんですわい。

 まあ、たしかに冴えんもやし野郎じゃあるが。

 でしょ?今日のとこはそういう事で勘弁してやってくださいや。

 ほいじゃが、こいつがヨーコと一緒にスバル座にしけ込んだのはほんまじゃけえのお。

 マタノさんの事はわしからよう言うて聞かせときますけえ。

     お前がか?

 はい、わしがよう言うて聞かせときます。

 まあ、お前がそう言うんなら。

 

 そんなやりとりをしているところへ白黒のツートンに塗り分けられたパトカーがサイ

レンを鳴らさずにかけつけて止まり、中から背広姿のガタイの良い角刈り中年男性が降

りてきて、おいマタノまた騒ぎよるんかと怒鳴ったら、マタノはその背広の男をオヤジ

と呼び、今帰るとこじゃ、いらんこと言わんで黙っとれや、と苦笑いを返したが、坊太

郎の胸ぐらを掴み直して、今度ヨーコに絡んだらぶっさくけえのお、と恫喝を入れるこ

とは忘れなかった。

 

 

 その日の晩ご飯の時、村田がマタノという男の事を話してくれた。

 マタノという男は村田さんの二つ上で今年十九歳、小学校の時から剣道をやっていて、

県の大会で優勝するなどこの辺りじゃ知らない者はいないほどの剣の達人で鳴らしてい

たが、その連戦連勝だったマタノを中学の地区大会で初めて敗ったのが当時中学校一年

生だった村田で、歳は違えどライバルとして覇権を争った仲だが、マタノは進学した大

阪の剣道名門校で先輩や顧問ともめて退学し、それきり剣道もやめてグレてしまった。

今はこの辺りの暴走族の頭で暴れ回っているという噂らしかった。マタノは米軍の兵士

だった黒人青年と日本人の母との間の混血だから、そのことで随分先輩からは虐められ

ていたらしい。

 村田さんは高校に入学したとたんにグレた自分の事を引き合いにだして、剣道の達人

はみな一回はグレる事になっとるんじゃ、と笑い飛ばした。坊太郎はヨーコという女子

の事も聞いてみたが村田もよく知らないと答え、マタノの彼女ならもうこれ以上関わら

ない方が身のためだなと苦笑いで言い添えたが、どうやってそのヨーコって子と知り合

ったんだ?みたいな興味本位な質問は一切しようとはしなかった。

 

 

 翌日学校に行くと坊太郎は有名人になっていて、学校へ上がる坂道で前を歩いていた

生徒が後ろを振り返って坊太郎の方を指さしたかと思うと、正門のところで挨拶をして

いる教師の一人から呼び止められ、君が大磯坊太郎くんかな?と聞かれたので、はいそ

うですが?と答えたら、そばにいた三人の教師も坊太郎の方をまじまじと見て、ほおと

溜息をもらし互いに目配せをしてみせたし、校舎内に入っても教室にたどり着くまでの

短い廊下で何人もの生徒が坊太郎の方を振り返った。

 たしかに不良など滅多にお目にかかれない進学校で、地元の暴走族が大挙して?押し

寄せ、しかも私服刑事まで出張ってくるという大騒動だから話題にならない方がおかし

いのだが、かといって新入生のくせに地元の不良に目を付けられるとんでもない野郎っ

てどいつだ?みたいな興味本位な視線でもなく、あんな不良にかかわってちゃ大変な事

になるぜ、と忌避している風でもなく、どっちかというと、おおあれが例のあいつか?

と賞賛するというか、テレビのクイズ番組でチャンピオンになった生徒を讃えるような

感じに近く、そのことも坊太郎を驚かせた。

 それを証拠に坊太郎は正門の教師達の輪から離れた後、玄関先で小柄な一年生と思わ

れる男子に声をかけられ握手をせがまれたのだ。町の人は不良もどきの生徒が好きなの

だろうか?と不審に思っていたら、大谷が、

 

 そりゃスバル座に入って生きて出てきた日本人は初めてじゃし、っというかこの学校

 の生徒でスバル座に映画見に行くような豪傑はおらんけえの、

 

 とわかったようなわからないような説明をしてくれた。

 つまりはアマゾンのジャングルに初めて足を踏み入れた冒険家、南極大陸で越冬した

初の日本人みたいなもので、お前は伝説の人物になったのっちゃ、と大谷は坊太郎の肩

を叩いた。しかもヨーコと一緒にしけこむじゃの、普通の人間にはできん快挙じゃしの

お、と付け足すから、そうそうそこなんだよ、あのヨーコって子はどんな子なんだ?君

は知ってるのか?と坊太郎が聞くと、そりゃ自分達はあいつと同じ中学だったから、知

るも知らないもないよ、とだけ言い、で?どんな子なんだい?と聞いても、まあ関わら

ない方がいいよとか、知らない方がいいって、と言うばかりでちゃんと教えてくれよう

とはしなかった。

 

 

 その日は教室移動の時の廊下でも注目を浴び、昼休みには坊太郎見たさの生徒が教室

前廊下に押し寄せ、授業中には教科担当の教師から、お前がスバル座から無事生還した

豪傑か、その割には優男だなあ、などとからかわれているのか誉められているのかわか

らないような言い方で賞賛されと、とんでもない一日だったが、制帽を被らなかっただ

けで退学を迫られた坊太郎としては気が気ではなく、こんな大騒動になってしまったか

らには再びあの部屋で退学を迫られるのは必至だと思いびくついていたら、案の定、呼

び出しを食らった。

 休日に命の次に大切な制帽を被らずに外出しただけかと思えば、こともあろうに立ち

入りを憚られる米兵相手の三番映画館に出入りするとは不良の極み、自首退学しないの

なら学校当局から退学処分にするぞ、なんて怒鳴られるのだろうなと憂鬱な気分で生徒

指導室に入ったら、さにあらずで例の下河という教員、満面の笑顔で待っていた。

 下河は坊太郎の右手を思いっきりの力で握りしめると、坊太郎を若き愛国者と呼び、

ボンクラなどと侮辱した事を詫びた上で、君こそ本校生徒の鑑、と持ち上げた。

 

 我が祖国を空襲、ピカドンで蹂躙し焼き尽くした憎き鬼畜どもは、平和の使者、他国

 の守護神面をしてのうのうとかつての敵国で暮らしているが、日本政府は日本政府

 蹂躙された恥辱を忘れてかけがえのない祖国の大地を鬼畜どもの基地に提供し、鬼畜

 どもにこびへつらっておる。あのスバル座などその典型でもともと基地外の地元住民

 の娯楽の殿堂であったものをいつしか鬼畜どもが占領支配し、入場を試みる日本人を

 暴力をもって駆逐、あたかも鬼畜専用施設であるかのごとき既成事実をでっちあげ今

 日に至っておるが、なんとそのスバル座 に単身乗り込み鬼畜どもに大和魂を見せつ

 け、無傷で生還するとは我らが誉れ、これが愛国者でなくてなんであろう。しかも、

 鬼畜専用施設を侵された恨みと押し寄せた米兵暴走族どもを恫喝一番、追い返すとは

 あっぱれ。

 

  多分に勘違いと事実誤認があるようには思われたが、この下河に言わせると、不良行為

だろうが何だろうが憎き鬼畜米英相手であればすべて愛国行為となるようで、ここでヨー

コとやらの存在や飲酒の挙げ句にバス停で意識不明の酩酊ぶり、衝撃的な音楽体験等を

持ち出して事実誤認を解けばそれはそれでまたややこしい事になりそうな臭いがし、愛

国者呼ばわりは不本意ではあったが保身の為に苦笑いでやり過ごすことにした。

 それにしても、米兵のたまり場みたいな映画館を我が者顔に出入りしたかと思えば、

町の暴走族の頭をして「わしの女」と言わしめるヨーコって子は一体どんな子なのか気

になってしようがなかった。

 大谷の話からすれば相当のワルって感じで、事実スバル座で会ったあの子はどうみても

フーテンかヒッピーだったが、下宿の軒先で話した時のヨーコはミステリアスな雰囲気こ

そあったものの、制服もきちんと着こなし長い頭髪も校則どおり三つに編み込んであり、

とても問題児には見えなかった。

 マタノの恫喝を思い出せば股間のそれが縮み上がる思いだが、なんとかもういちどあの

ヨーコって子と話せないものかと思う坊太郎だった。

 

 

 芝生の庭の奥に、白いペンキで塗られた鎧張りの壁も艶やかな平屋家屋が、舗装された

おおきな通りにそって何軒も続いていて、そこを抜けると見たこともないような大きなシ

ョッピングセンターがあり、その隣りにはボウリング場や映画館があり、さらにその向こ

うには一面芝生が続くゴルフ場だのだだっ広い野球場だのが見える

 愛し合って結婚した最愛の妻は実は魔女だったのだというテレビのファミリードラマや、

海洋公園みたいなところの保安官をしている父親とその息子達が、イルカだの愛犬だのを

つれて大活躍する冒険ドラマでしかみたことがなかった見知らぬ国の光景が金網塀の向こ

うには全部あった。

 薄汚れた瓦屋根に崩れそうな土壁もそのままな民家、舗装もされず雨が振れば水溜まり

のできる道路、破裂した爆弾が作った大きな穴に雨水が溜まってできた池。金網塀のこっ

ち側にあったものといえば、みな薄汚れていて、鼠色か灰色にくすんでいたというのに、

塀の向こう側は別世界だった。

 塀の中のやつらは日本人の子どもをたぶらかすためか、リトルリーグという名前の少年

野球の指導に熱心で、希望すれば日本人の子どもでもそのチームに入る事ができた。塀の

外でも野球はできたが、ユニフォームなど無く、みなてんでな格好をし、グローブだのバ

ットだのの用具もいい加減で、キャッチャーミットなど見るのも希な、いわゆる草野球だ

ったが、塀の中に入ると、ユニフォームも用具も無償で提供されたばかりか、ファウルボ

ールを打ったら必ずみんなで探しにいかないと試合が再開できなかった使用球も、文字通

り湯水のように使い、練習に行くたびに一つ一つがセロファンに包まれた新品を使わせて

くれた。

 週三回の練習が終わると、その後は決まって同じグランドでのパーティーとやらがはじ

まり、塀の中のおばさん達が作ったサンドイッチだのホットドッグだのの軽食やコカコー

ラがずらりと並んだ。おばさん達は、さあどうぞ召し上がれ、と絵に描いたような笑顔を

見せた。

 ただ、そんな天国は塀の中だけで、塀の中の偽善的生活に忍従を迫られ精力有り余った

兵士達はこぞって塀の外に出たがり、八つ当たりの積もりか浴びるように酒を飲んではレ

イプできそうな日本女を探して目をぎらつかせたが、日本人は日本人で負けておらず、民

族の誇りや自尊心と引き替えに奴等がGパンのポケットに突っ込んできたドル札を巻き上

げようと女や酒を提供しと一歩外にでるとそこはまさに欲望渦巻くカオスだった。基地そ

ばの畑に性器がナイフでえぐり取られた状態で放置された売春婦の事件や、あそこに傘の

柄だのコーラの瓶だのが突っ込まれた若い女の子が用水路に投げ込まれていた事件だの、

猟奇的な兵士にレイプされて殺された女性は後を絶たなかったが、地元民は誰でも知って

いるおぞましい事件も全国ニュースになることはなかった。

 

 あの畜生ども、軍規厳しいかなんか知らんが、基地ん中で溜め込んだ鬱憤をみ な塀の

 外にゲロしゃあがる

 

 基地の中の話は年に一回、春の連休に行われる基地解放デーの時に目にした体験を三上が

語ったもので、少年野球の話は実際にそのリトルリーグとやらに参加した三上の友達の話を

三上が教えてくれたもの、そして最後の一言は三上んちの爺ちゃんがしょっちゅうぼやいて

いたという科白だった。

 そんなことを坊太郎に話して聞かせた三上は、そりゃあいつらの威張り腐った態度やケダ

モノぶりには腹が立ってしようがないが、どうやったって力ではかないっこないし、一般の

地元民は触らぬ神に祟りなしで、みな見て見ぬ振りで近づこうとしないでいるってのに、あ

のスバル座に一人で乗り込んで行くなんて大したもんだよ、と肩をすぼめてみせた。

 基地のあたりは無茶苦茶だとは聞き知っていたが、生の外国人を肉眼で見たことさえない

坊太郎には無茶苦茶の意味がわからず、それ故の無鉄砲な冒険で、そうと知っていれば臆病

な坊太郎のこと、そんな大それた事はするはずもなかっただろうにと冷や汗をかいた。

 

 坊太郎も坊太郎で三上にだけは本当のいきさつを伝えておかねばと思ってヨーコとの出会

いから全部包み隠さず話したのだが、そのヨーコって子、なんだか気になるよな、と言うか

と思えば、三上の関心はもっぱらスバル座で坊太郎が遭遇したという上映映画のようで、

 

 ちょい待ち、フェンダーのストラトってもしかしたら左利きだったか?

とか、

 頭ちりちりの黒人じゃなかったか?

 

 とか根ほり葉ほり聞きだし、そうそう確かそうだったよと言うと、

 

 そいつあ間違いなく伝説のロックギタリストだぜ

 

 と興奮気味に言った。

 三上はその伝説のギタリストとやらの熱烈なファン、といっても信奉者に近いくらいのフ

ァンらしかったが、演奏している姿は写真でしか見たことがないんだと言った。もう死んじ

ゃってるんだからアメリカ人でも実物は見れないが、たとえフィルムの中だとしても、彼が

実際に動いていてギターを弾いたり歌ったりしている姿はなかなか見れるもんじゃない。日

本人じゃお前くらいしかいないぜ、と坊太郎の事を随分うらやましがり、やつはどうやって

あのフレーズを弾いてんだろなあ、俺も見たかったなあと繰り返した。「やつ」は「やつ」

は、と三上はそのギタリストの事を「やつ」呼ばわりしたが、

 

 やつは革命家さ、やつは新しい音楽を創ったんだ

 

 と自答するように呟いて頷いた。最初は嫌悪感いっぱいで耳を塞ぐんだけど、だんだん心

地よくなってきて、聞き終わったらもう一回聴いてもいいなって気になるんだよな、と坊太

郎が言うと、一目惚れしたやつが仲良くなってみれば大概はしょうもない奴であるように、

耳障りの良い音楽なんてのは薄っぺらいもんだよ、そこにいけばやつの音は俺達の欺瞞を暴

くから耳を塞ぎたくなるけど、その音は我々をがんじがらめに縛り付けて身動きがとれなく

なっている常識ってやつからハートを解き放ってくれるのさ、だからもう一回聴きたくなる

んだ、なんて言うから、坊太郎がたしかにもう一回聴きたくなったよと言うと、じゃあ今か

ら俺んちに来るか?と言うので一も二もなく同意して学校を出た。

 

 

 三上の家は乗り換え駅から南に一駅行ったあたり、海岸に向かって一面に広がる蓮畑の中

にポツンと建っていたが、古い農家らしく敷地も屋敷も随分と広かった。三上が使っている

らしい二階の部屋に上がると大きなスピーカーが据えられていて、スピーカーの間に木製の

ラックがあり、ラックには見るからに高そうなアンプだのテープデッキだのプレーヤーだの

が納まっていたが、三上は何も言わず本棚みたいな棚にぎっしりと詰まっているLPレコー

ドから一枚を取り出すとプレーヤーに乗せて針を落とした。

 フワフワした電子音がすると思ったらいきなりギターの歪んだ爆音が響き、それに激しい

エレキベースとドラムスの音が被るので、ああこれだ、この嫌な音なんだよなと坊太郎が三

上に言うと三上はニヤリと笑ってみせ親指を立てた。

 聞き終わると、やつの音楽のどこがすごいかわかるか?と三上が言うから、これまで聴いた

ことがない音?かな、と坊太郎が答えると、そうそこだ、やつの音楽を聴いていると音楽は自

由、決まりなんかねえ、と言われてるような気がする、それが全てだよな、と言った。やつは

エフェクターを駆使して新しい電子音を出しただけじゃなくて頭の上にギターを支え持って弾

いたり、歯で弾いてみたりいわゆる常識ってやつを次から次へとぶっ壊していった。ギターは

こう持ってこういう手の形で弾きましょうとか、指で弾くかピックを使いましょうとか指南本

には書いてあるが、そんなものに囚われていたら新しい音楽は創りだせない。チューニングに

したって指南本には440hzのピッチでEBGDAEに合わせなさいとあたかもノーマルチ

ューニングが全てみたいに書いてあるけど、実際ピアノも音叉もねえよってケースもあるだろ

うし、そうなら適当にチューニングするしかないわけだし、440のピッチでチューニングし

たらチョーキングしにくいからと弦を緩めてチューニングするやつもいただろうし、昔のギタ

ー奏者がちゃんと指南本に書いてあるとおりにやってたと考える方がおかしい。そもそも、ブ

ルースのドロップDとかオープンチューニング、DADGADみたいなチューニングだってあ

るのを考えたら、バンドで合わせなくて弾き語りでやる場合だったら実際どんなチューニング

だってOKだったんじゃないかって考える方が自然だと思う。

 宮廷音楽でも歌謡曲、演歌でも、いやこれは小説とか絵画でもそうだろうけど、スタイルと

して確立しちゃうともうダメなんだよ、これはこういうふうにやるべきだなんて思考回路こそ

が諸悪の根元なんだろうね。やつの音楽にはそれがなくって、なんでもありなんだよ。やつの

音楽は邪道だなんて感じる心こそが厄介なんだ。

 そんな会話を挟みながら、結局スタジオ録音のアルバムとライブアルバムの二枚を爆音で聴か

せてもらった。部屋の窓ガラスが震えるような爆音が気になって近所迷惑じゃないのか?と三上

の袖を引っ張ったが、

 

 蓮に聴かせちゃったら蓮根が美味うなる、

 

 と三上は澄ましていた。