はるのうた 後編 その④

  

 二日後の八月九日の夕方、大阪から東田と吉川が来た。

 やせてひょろりと背が高く、頬のこけた馬面に銀縁メガネの東田は岸和田生まれの岸和

田育ちのくせに、どういうわけか阪神でも近鉄でも南海でもなく熱烈なカープファンで、

大阪府落ちて広島県だけ受かったらええのになあ、両方受かったら大阪にせえて親言うや

ろし、両方落ちたらどもならんしなあ、広島の教員になったら好きな時に市民球場いける

やん、なんて言う。もう一人の吉川は大阪人らしく熱烈な近鉄ファン。もと柔道部という

だけあって背も高く胸板も厚い立派な体格で、東田とは対照的なのだが、そんな体型やプ

ロ野球の好き嫌いの問題とは全く関係なく、吉川は、べつにどこでもえかったんやけどな

あ、受験日の都合で受けれそうなん広島県しかあらへんかったんやと笑い飛ばす。

 

 専攻が日本史ということで、京都の交友関係はほぼ専攻内で完結していた。これが経済

学部だとか法学部であれば、一応学部はそうだがサークルやバイトばかりやってて、学部

の友人はほとんどいないなんて学生も多いのだろうが、専攻が専攻で、みな歴史研究した

いがために入学してきているわけだから、学業をさぼってサークル活動(歴史学研究会と

いう左翼系サークルにごっそり所属はしていたが)に熱中したり、バイトバイトで大学に

は顔を出さないという学生はまずいなかった。小学校のクラスそのままに、大学に行けば

ほぼ毎日専攻の学生とは顔を合わせたし、専攻以外の人間との接触もまずなかったから、

自然友人関係は日本史専攻で完結していた。総勢五〇名の専攻のうち、いつもつるんでい

るのは八人ほどだったが、面白い事に八人が八人とも教員志望だった。

 そもそも歴史学専攻なわけだし、できれば歴史学者になりたくて入学してきているわけ

だから、たとえそれが無理でも、せめて博物館の学芸員ぐらいにはなりたい。百歩譲って

も高校の日本史の教員どまりというのが大方の希望だったのだろう。しかし、司馬遼太郎

なんかを読みふけり、いつかはすごい歴史小説をものにしてなんて考えていた自分に限っ

て言えば、入学式翌日の専攻オリエンテーションで、ある年にねえ司馬遼太郎だったかが

好きで、全ての著書を読破しましたとか、歴史小説を書きたいんですなんて言い出す呆れ

た学生がいてねえ全く閉口したんですよという主任教授の言葉を聞いて歴史学者も学芸員

も諦めた。せめて高校教師にと思い、教育実習も高校でやったのだが、採用試験は中学校

教員に鞍替え。なんといっても高校日本史と中学校社会科では採用人数が桁違いに違う。

地方では高校日本史教員採用予定無しなんて事も当たり前だし、どの県の国立大学にも高

校教員養成課程なんてのがあることを考えると、たとえ歴史学界では名の通った大学だと

はいえ、採用される可能性は限りなく少なかった。東田にしろ吉川にしろ、事情は似たり

寄ったりだ。とはいえ大学院を目指し石にかじりついても研究者になると言い切る同級生

もいるわけだから、志の違いと言うべきかもしれない。

 

 お前の家ってほんまうるさいな

 

 と東田は言う。うるさい?長い間暮らしていているが、

そんな事思った事もなかったわけで、何がうるさいのかと不審に思い聞いてみると、そら

そやないか、さっきから、そこんとこで(と窓の外を指さし)ガッシャアアンて衝撃音す

るやろ、それも前触れ無しや、一回や二回ちゃうで、何遍もガッシャアアン、グワッシャ

アンや、そうかと思うと、ゴォォォォちゅうて地響きみたいな音がしてや、なんやこれ思

うてたら屋根の上を右から左へグワアアアアアや、爆音で窓ガラスブルブルブルっちゅう

て震えよるし、こんなとこよう住んでるな、と擬音語の限りを尽して説明する。

 ガッシャアアンとは貨物同士の連結音でゴォォォォとグワアアアアアは米軍爆撃機の爆

音のことらしい。操作場の線路を流れてきた貨物車両が止まってる車両と連結する際、作

業員が併走して飛び映り、足でブレーキをかけるのだが、どうしても衝撃音がする。それ

は駅の構内に官舎があるのだから、どうしようもないわけだし、米軍爆撃機の爆音にして

も、確かに窓ガラスは震えるわ、会話はとぎれるわで大変なのだが、広島からこっちに越

してきた十四年まえから毎日聞いているわけで、今更どうというわけでもない。人間とい

うのは不思議なもんで、なんでも慣れてしまうと不愉快に感じないというか、騒音にして

も鼓膜は確実に震えているのに、その振動が伝わった脳の方は、またそれかい、わかった

わかったという面倒くさそうな感じで、聞こえなくしてしまう特殊な機能があるみたいで、

その事を説明すると、吉川は、わかるわかるうちもなあ、近鉄の線路のすぐそばやねん、

友達来るとな、電車の音がごっついうるさいって言うんやけど、うちの家族誰一人うるさ

いなんて言わへんもんな、ほんま不思議やであれ、なんて賛同してくれたのだけど、東田

は嘘やろぉ、また爆撃機やあと大袈裟に両耳を塞いだ。

 

 

 翌日の10日、広島県の教員採用試験当日。早朝五時半に起き、六時四十四分の電車で

広島に行く。さすがに山口の時よりは落ち着いて臨めたが、それでもあっという間に試験

は終わった。

 1時間目の一般教養は予想通りの出題で問題なく終了。2時間目の教職専門も例年通り

の出題で共通問題2枚、選択問題1枚。共通問題は基礎的な問題がほとんど。とりわけ不

得意で気になっていた地理・公民分野に捻った問題がなく胸を撫でおろす。選択した歴史

分野は2題の論述から1題選択して論述するものと、4つの歴史的用語から2つ選択して

説明するものだった。論述問題は片や「大正デモクラシーの特色とその教育文学演劇にお

ける影響を述べよ」もう一方は「鎌倉室町における武士の荘園侵略について地頭請、下地

中分、守護請、半済、国人の用語を用いて説明せよ」。荘園侵略についてもなんとか書け

そうだったが、近現代史ゼミの自分としては大正デモクラシーは専門中の専門であり、迷

うことなくそちらを選んだ。ほぼ完璧な答案が書けたと思うが、用語解説のほうで少し迷

った。四つの用語とは「食封、三角縁神獣鏡、糸割符制度、祠堂銭」で、糸割符制度はな

んとかわかったが、他の三つがいけない。多分あんな感じじゃないかなとぼんやりとはわ

かるが、歴史学的に説明せよと言われるといささか心許ない。縁が三角形、ギザギザ状の

銅鏡なんて説明じゃあ小学生レベルだしなどと迷っているうちに時間がなくなり、逆上し

て祠堂銭を選択し皇朝十二銭の一つか、高利貸しかどっちかやねんけどなあと関西弁で悩

んだ末に、結局皇朝十二銭の方向で書いた。

 

 山口では大失敗をやらかし地獄を見たが、今回は学生証を落とすこともなく、落ち着い

て試験に臨め、かなりの手応えを感じた。ひとまずは力を出し切ったと納得したのだが、

試験後、東田に用語説明は何を選んだんやと言われ、自信満々で書いた通りを答えると、

アホ、あれ高利貸しやんけと誤答を指摘された。坊主がやなあ信者から巻き上げた銭を高

利で貸してたっちゅうあれやがな、あんなん間違えてたらあかんでと言われ青ざめた。こ

の東田、相当試験準備を頑張ってきたようで、ほとんど予想通りの問題やったなと余裕を

みせる。試験会場に来るときも、電車からカープの室内練習場が見えただけで、おおあれ

が噂の屋内練習場かと目を輝かせ、「野球はカープ酒はカープ」と、カープ球団とは直接

関係ないのに、カープという名前を冠した酒を販売している酒造業の看板を見ただけで、

おおあれが噂の銘酒カープかと感激するほどで、カープの試合が見たいから広島の教員に

なるという動機は強烈やなあと関西弁で思った。

 一方元柔道部の吉川のほうはというと、あかんを連発し、何があかんのと尋ねても、と

にかくあかんわとしか言わず、せやから何があかんかってんと東田がしつこく問いつめる

と、やっとあかんわに、さっぱりやを付け加えた。こっちとしては歴史用語説明問題でし

くじった事が気にかかり、もう少し試験の事を話して出来の如何を分析し、しくじったに

せよ充分合格圏であり、心配はいらんレベルのしくじりだと納得したかったのだが、吉川

があんまり「あかん」と「さっぱりや」を連発するもので気の毒になり、試験の話はそれ

っきりにしておいた。

 

 昼過ぎに試験は終わり、昼飯でも食おうという事になった。お前どっか旨い店知ってる

やろ、連れていけやと東田が言う。そんな事言われても予備校に通ってたのは四年も前だ

し、旨い店と言われてもなあと思ったが、かといってそんなもん知るかとは言えず、探す

振りをして試験のあった国泰寺高校からぶらぶら歩いていると、絶対に近所の者しか来な

いような汚らしいお好み焼き屋があった。せっかく手応えを感じ、力を出し切ったと納得

していたのに、祠堂銭やら皇朝十二銭やらの一件が引っかかって、もしかして二連敗、就

職浪人かと不吉な文言なども浮かんできて、ブルーな気分になっていた事もあり、初めて

の店なのに、小綺麗な店よりこういう店のほうが旨いんやと本当のような意地悪のような

セリフを吐いて店に入った。三人揃ってうどん肉玉ダブルを食べたら、本当に感激するほ

ど旨く、少し機嫌が直った。東田も、ほんまやな、めちゃくちゃ旨いわとえらく感激して

くれた。あかんなあを連発して凹んでいた吉川も、うどんで元気を取り戻してくれるかな

と期待していたが、まあ旨い事は旨いけどなあ、あかんもんはあかんからなあと、相変わ

らずだった。

 食後は二人の求めるまま、セミの大合唱で耳鳴りがするくらいの平和公園、

原爆資料館と回り、さらに広電宮島線で宮島まで足をのばした。

 早起きした事、昨夜も熱帯夜で寝付きが悪かった事、試験の緊張でかなり肩が凝った事

などに加え、異常とも思える蒸し暑さも手伝って宮島にわたった時点でもうヘロヘロだっ

たのだが、二人は初めて見る宮島の海上伽藍に目を見張っており、特に試験終了時には、

あかんとさっぱりやしか口にしなかった吉川は、それまでの落ち込み様が嘘のように立ち

直った。

 大潮で鳥居の辺りまで歩いていける好条件に小躍りし、靴が汚れるのも全く意に

介さず潮の引いた浜辺をずんずん歩いてゆくし、岩国に戻ってきたら戻ってきたで駅前の

ビルに掲げられた屋上ビアガーデンの文字を見上げ、おおビールやビール、ビールが呼ん

でるでとはしゃいだ声で指さす。自宅でも夕食は準備しているはずだからここのところは

自重してさ、と諭すが、おばちゃんに作ってもうた御飯はもちろん食べるがなと言いなが

ら屋上ビアガーデンにかけ上がった。

 

 飲み放題食べ放題九〇分二〇〇〇円という低料金には恐れ入ったが、フライドポテトや、

肉がなくほとんど骨ばかりの鳥の(骨の)唐揚げ、生ぬるい豆腐に冷凍物の枝豆と、ろく

なつまみがなく、客層もギャルなどは皆無で、おっさんおばさんばっかり。中には、隣り

の家から夕涼みがてら来ましたというようなステテコ姿の爺さんがビールジョッキを傾け

たりしており、やれやれと思ったが、吉川はすっかり元気を取り戻し、

 

  岩国はええとこやなあ

 

 としつこく繰り返し、何度もビールをおかわりした。

 ギャル抜きのおっさんおばさん、ステテコ爺さんなどは皆赤ら顔の上機嫌で口々にわけ

のわからぬ事をわめきあいジョッキを豪快に傾けとアガーデンは活況を呈していた。一人

のおっさんが無意味に立ち上がって手を振り回し、そうそれそれと隣りのおばさんの顔を

指さして笑ったかと思うと、別のテーブルでは、機嫌をそこねたのか不意に席を立ってど

こかに行こうとするおばはんを連れのおっさんが慌てて追いかけ、腕を持って引き留める

が、もうしつこいわねえなんて言いながらも少し機嫌を直した感じのおばさんと腕をもっ

たままのおじさんが立ったまま、なにやら話し、肩を抱くようにしてなだめると、それま

での不機嫌さはどこにいったのかというような笑みを見せと皆が皆、それぞれ楽しそうに

飲んでいた。

 東田が、ご機嫌の吉川に何やら耳打ちし、吉川はわいは何でもええでと語尾を笑いで返

し、ほなそういう事でええなと念を押して俺の方を見たのだが、その時一瞬どこか遠くで

雷鳴がとどろいたような気がして夜空を見上げると、流れ星のような赤いランプの光が北

から南へかなりの早さで流れていき、少し遅れて雷鳴は轟音に変わった。東田がこっちを

向いて何やらパクパク大口をあけて叫んでいるのだが、轟音しか聞こえず何も聞き取れな

い。なに?なに言うちょるん?とこっちも大声で叫び返すのだが東田は右耳に開いた右掌

をあてがって聞こうとしているものの、さっぱり聞こえてないようで不機嫌そうな顔で空

を見上げる。米軍爆撃機の轟音でビアガーデンのすべての音が吹き飛ばされたのだが、そ

んなことは地元民には日常茶飯事なわけで、その間も、おっさんおばさんステテコ爺さん

は、迷惑そうな顔など一切なく同じ調子で手を振り回したり、立ち上がったり、手を叩い

たり、煙草を吸っていたりで、なんだかテレビでやっていた大阪の新喜劇の音声だけが急

に爆音に差し替えられたような感じがした。

 

 米軍岩国基地が見たいから、明日基地に連れていけ。

 

 東田はそれが言いたかったようで、

轟音がおさまると、せやからな、どうしても米軍基地が見たいしな、明日連れていってく

れへんかって言うてんのやと繰り返した。あの爆撃音は衝撃的や、あんなごっつい音初め

て聴いたわ、爆音の源を確認せんことには帰られへん。それにあれや、核兵器も密かに持

ち込まれてるって言うしなあ、こら一遍見とかなあかんわなと。岩国といえば五連のアー

チ橋の方が有名で、橋を渡ったところの城山に上がって天守から見下ろせば基地もちゃん

と見えるから、そっちへ行こうやと、あらかじめ考えていた明日の予定を言うが、そんな

遠くから見てもしゃあないと東田は譲らず、すっかりビールでできあがっている吉川も、

せやせや日本の安全保障を考える上で、避けて通れへん問題やからなあと政治家みたいな

事を言う。

 おまけに、そういやあ月に一回は市民が基地の中に入れるフレンドシップデー

っちゅうのんがあるらしいですやん、なんてどこで聞きかじったのか、突然そんな事を言

いだし、もしかして明日でっか?と隣りのステテコ爺さんに話しかけたりする。へべれけ

になったステテコはステテコで、わしらあガールフレンドもへったくれもありゃあせん、

ベースなら(地元の人間は米軍基地の事をベースと言う)顔パスじゃけえいつでも入れる、

なんじゃったらわしが口をきいちゃろうかなんて言い出す。そら願ったり叶ったりですわ

あ、よろしゅうたのんますなんて調子を合わせている吉川に、フレンドシップデーは毎年

一回で、五月の連休の時だけ。そりゃ基地で働いている日本人もいるのだから、パス持っ

ておれば入れる人もいるだろうけど、それは通行パスであって顔パスじゃないということ

をヒソヒソ耳打ちすると、ステテコはそんな事はお構いなしに、トイレから出てきたばか

りの、息子らしき中年のおっさんを呼び寄せ、おい見せるもんみしたれやと顎をしゃくる。

寄ってきた息子らしいおっさんは、へべれけの父親に、そろそろ帰るどとか言いながらも、

吉川の話し言葉を聞いて、あんたらどっから来たん?ああ大阪、遠くからきたんじゃねえ

なんて愛想しながら通行パスを鞄から出して見せる。こら大したもんですななどと大袈裟

に声を上げ東田と吉川が頭を寄せ合って通行パスをのぞき込んだ。

 

 基地は母校の中学校の校区とは川一本挟んだ向かいで、冬のマラソン大会では米軍基地

のフェンス沿いを走る区間もあったほどだったから、行ったことがあるもないもなかった

が、行く時はたいがい自転車で、自転車ならすぐだが歩けばそれなりに遠く、交通機関と

いってもバスか電車だろうが、どっちも便利が悪い。車があればなあと思い、ふと所の事

を思い出した。ビアガーデンを下まで降り公衆電話から所に電話をし、かいつまんで事情

を話し

 

 すまんが車を出してくれんか

 

と言うと、ええでとあっさり引き受けてくれた。明日の九時に家に来てくれるという。

 ビアガーデンに戻ってその事を二人に伝えたが、ふと見ると、ステテコも中年のおっさ

んも姿が見えず、東田も吉川も呆けた顔で座っているので、どうしたと聞くと時間切れら

しくおっさんがステテコを抱えて帰っていったと吉川が答え、東田は俺もそろそろ電池切

れやと付け加えた。

 ビヤガーデンから基地の方を見やると、さっき基地に降り立ったらしい爆撃機がエンジ

ンを吹かして調整している音が聞こえる。滑走路があるはずの闇の奥から轟音がでかくな

ったり、小さくなったりを繰り返していたのだが、小さくなった音が突然階段を駆け上る

ように大きく鳴り響く様は、まるで津波が遙かかなたから押し寄せてくるようで、屋上か

ら見ていると、その轟音が岩国の町全体を飲み込んでいく感じが視覚的に見える感じがし

た。 

 あの中年のおっさんはどうやら米軍に出入りしている業者の社長らしく、この街を米軍

城下町と言い、自分もそうとう儲けさせてもらってるみたいな事を言っていたらしい。

 

 米軍さまさまっちゃ

 

 そのおっさんが口にした科白が気に入ったのか吉川は、その後ずっと

米軍さまさまっちゃと何度もギャグのように叫んだりつぶやいたりしていた。

 家に帰るともう九時を過ぎていた。あんたらどこほっつき歩きよったんね、早う帰りん

さいやと夕食を準備して待っていた母親は不機嫌な声を出したが、茶の間に座り込んだ吉

川の口からはごっつ腹減りましたわと驚くような科白が出た。母親の不機嫌さを取り繕う

ために口にしたのだとばかり思ったが、若いから一枚では足りないだろうと一人二枚ずつ

揚げたでかい豚カツを吉川は言葉通りぺろりと平らげ、いやあすんません、自分はもうあ

きませんわと一枚食べて音を上げた東田の分と、古い油で揚げたフライドポテトを馬鹿食

いして悪酔いし吐きそうな俺の分まで、合計四枚の豚カツを、三杯のご飯といっしょにか

き込んだ。

 

 

 自分は所も東田も吉川も知ってるわけだからみんな知り合いだしいいかなんて思ってい

たがよく考えてみれば所と東田、吉川は初対面なわけで、人見知りで取っつきにくい所と

喋りの東田吉川ではミスマッチで車内が気まずくなってもあれだがなんてちょっと不安に

なっていたが、すべては杞憂に終わった。

 翌日、車で迎えに来てくれた所を紹介すると、東田も吉川も所という名前に食いつき、

ほんまにトコロっていいまんの?なんて素っ頓狂な声を上げ、てことは下の名前はジョー

ジでっしゃろ?なんて冗談を言い盛り上がっている。所という名前は広島のある町では由

緒正しい名前で、所神社なんてその名前を冠した古い神社さえあるくらいだ。幼い頃から

聞き慣れてる俺にはその盛り上がり様に違和感があったが、たしかに全国的に見れば希少

で、テレビで耳にするのは所ジョージしかいないから、トコロと聞けばジョージでっしゃ

ろと言いたくなるのもわからないわけではない。所はなんでも大学入学時さんざんその名

前でいじられたとかで、すっかり慣れっこになっているようで、ほいじゃジョージちゅう

て呼んでもらおうかなんてあっさり返す。所にしてはなかなか良い返しだなと感心したが

、東田は、君がジョージなら、自分は風貌がジョンレノンに似てるからジョンでええわな

んて、誰も似てるなんて言ってないのに、調子のええ事を言い、吉川はほな俺はデブで顔

が怖いから昔からジャイアンって呼ばれてんねん、ジャイアンて呼んでやなんて返し、そ

んなこんなで、あっという間にジョージ、ジョン、ジャイアンで打ち解けてしまった。俺

は所と話すときは長州弁で、東田吉川と話すときは関西弁で話したのだが、所は俺と話す

時も二人と話す時も長州弁で、二人は俺と話すときも所と話すときも関西弁だった。二人

は言われたとおり所の事をジョージ、ジョージと呼び、東田は俺でなく運転している所に、

なあジョージ、この基地内に隠されているらしい核兵器を見てみたいんやけど、基地に入

るええ方法ないやろかと言う。おいおい、昨日のおっさんが言うてたやろ。許可証がいる

ねん許可証が。基地はなあ治外法権でアメリカの領土と同じやからな、無理なんやと俺が

諭すと、吉川はゲートを強行突破したらどやなんて言う。せやせや、勝手に基地作っとい

て治外法権もくそもあるかい、ここは日本やねんアメリカやないねんと東田も同調する。

東田の言葉に促されるように吉川が、ゲート突破したら撃ち殺されるやろか、どう思うジ

ョージと所に水を向ける。おいおい、国際問題になるでと冗談顔だけにしとけよなんて俺

は抑えにかかるが、もともと無口で滅多に非常識な事はしない所の事だ、あはは、さすが

にそれはいけまあとかなんとか、当たり障りのない返答をするものと思っていたのだが、

どういう風の吹き回しか、長州弁しか話さなかったはずの所は、慣れない大阪弁を真似し

て、どうやろ、一発やってみよか?ヤンキー(地元では米兵の事をヤンキーとよび、けっ

して不良をさす隠語ではない)が来てもこっちにゃあジャイアンがついてんのやさけえ、

せやあないやんけぇなんて返す。俺は驚いて運転している所の横顔を見ると、口許に笑み

を湛えている。おだてられたジャイアンはジャイアンで、

 

 よっしゃ決まりや強行突破、ジャイアンが付いとんや、行けジョージ、いてこませ

 

なんてけしかけ盛り上がっている。ところが、国道一八八号線から、東へ曲がり米軍基地

正門まで来ると、銃を斜めに持ったまま立哨警戒中のMPの姿が目に飛び込んできた。

しかもその半袖の制服から突き出た二の腕のぶっとさと言うたら、誇張ではなく丸太その

もので、行ったれ行ったれと盛り上がっていた車内は急に静まり返った。所はゲートの数

十メートル手前までクリーム色のトヨタカローラ一三〇〇ハイデラックスを進めたが、

急にそこで止まった。てっきり丸太にびびったと思ったのだが、びびったはずの所は

 

 よっしゃ、シートベルトせえよ、今からあのゲートを強行突破するけえのお

 

と声をかけ、エンジンを二度三度と吹かす。こいつ完全に壊れとる。やっぱミカって子の

せいか。本気やど。全身が粒立つ。こら、所ジョージやめとけ。何考えとるんじゃと咎め

ハンドルに手をかける。言わんこっちゃない、エンジン音をききつけた丸太が、

 

 こらわれ、トヨタカローラハイデラックス、エンジン吹かして何さらしとんや、挑発し

 てんのか、こらいてまうど

 

 みたいな事を英語で(当然だが)言いながら、恐ろしい顔つきで近づいて来た。

今の今まで強行突破やなどと盛り上がっていたジャイアンは小さな声であかん、何してん

のや、バックやジョージ、ジョージバックやてとつぶやき、核兵器がどうのこうのと言っ

ていた東田も、ジョージやめえ、死にたないと声を震わせる。見ると異様な雰囲気を察し

た検問所内の他のMPも二人三人と外に出て来、斜めに構えたライフルの銃身が太陽の光

でキラリと光った。所はいくぞジャイアンと叫ぶと、ハンドルを掴んでいた俺の手を払い

のけた。吹かしていたエンジンにクラッチを繋ぎタイヤを鳴らして急発進。もうアカンと

関西弁で思った次の瞬間、所は急ハンドルを切り後輪を滑らせてUターンをしてみせ、に

かかったGで助手席のガラスに嫌と言うほど頭を打ち付けた。

 

 冗談きついわ。

 

 山口県人ってこんなやつばっかりかいなとぐったりしてシートバックに背中をもたせか

けていた二人は、基地を遠ざかっても、しばらくぼやいていたが、その後は二人とも、所

を呼ぶときにジョージと呼び捨てではなく、ジョージ君と君づけで呼ぶようになった。

 その後、基地の周囲を(合法的に)一周し、やれファントムだのP3Cだのが飛び立つ

様子なんかを間近で見物し、その後、俺の卒業した高校にまわり、さらに五連のアーチ橋

にも連れて行った。

 アーチ橋を眺めながら、河原のベンチに座ってアイスをほおばっているとき東田が脈絡

もなく、

 

 そういや、例のデパートガールとはその後どうなってんねん

 

と言いだし、ドキリとした。

 京都の友人達に、童貞を捨てた最初の女性だと話した、そのでっち上げ話の架空

の女性の事だとわかったが、所にはそんな話はしておらず、これは面倒くさい事になりそ

うだと思い聞こえぬ振りを決め込み、アイスを舐め続けたが、

 

 なあ、聞いてんのか?デパートガールやデパートガール

 

 と繰り返すので、やむをえず、

 

 ああ、あんなん自然消滅や、それよりほら、あそこ、あの柳の枝見てみ、あそこでやな

 あ佐々木小次郎がツバメ返しの必殺技を編み出してやなあ

 

 と誤魔化した。

 吉川は、え?ほんまかいな、あそこで?佐々木小次郎が?へえ、佐々木小次郎といやあ

宮本武蔵やなあ、巌流島ってこのへんにあんの?とうまいこと罠にはまってくれたので、

いやいや、あれは下関でやなあと調子よく答えていたのに、余計な事に所がデパートガー

ルという言葉に反応し、

 

 デパートガールって何の事じゃ?

 

 とジョンに聞き、え?ジョージ君、君聞いてないの?、こいつが童貞を捧げたちゅ

う、ほら年上の、エッチなお姉さんやがな。経験豊かな年上のお姉さんに、手取り足取り

セックス指南してもろて、うらやましいやっちゃとにやけると、所はえっと声を漏らして

一瞬俺の顔を見た。

 わしゃ雄琴温泉のお姉さんに筆下ろししてもろうたんじゃと所には話してある。ついで

にゼミの女子学生緒川よりこと加茂川の河原で青姦してなんて派手な話まで付け足してい

るわけで、ここで所がおっかしいのお、確かお前、雄琴温泉で筆下ろししたんじゃなかっ

たかなんて言いだし、東田や吉川が、え?お前雄琴行ったんか?いつ?一人でか?そんな

ん何も言うてへんやないかなんて騒ぎだしたら事だし、ましてやよりこの事までばらされ

たら、二人ともよりことは顔なじみで、俺とよりこが恋仲どころか、まったく相手にもさ

れてない関係である事を知っているだけに、はあ?よりこと加茂川で青姦?お前アホか、

そんな法螺吹いたらあかんやろと呆れられるというか、人格をさえ疑われる事にもなりか

ねず、これはえらいことだと脂汗が出た。そこらへんの言うに言えない事情を目線に込め

て祈るような気分で所の目をのぞき込むと、怪訝そうにしていた所は何か悟ったように眉

間を開き、少し考えるような間の後、

 

 ああ、あの人か、最近は話きかんのお、まあそういうのんは、長ごう続かんもんよのお

 

と調子を合わせてくれ、東田も吉川も、続いてないと聞いて安心したようで、東田は、ま

ああれやで、幸せちゅうもんは、一瞬の方がかえってええもんや、きらめいていつまでも

色褪せたりせえへんからな、なんて気取った事を口にした。

 

 昼過ぎ、東田と吉川は岩国駅から大阪に帰っていった。あちこち途中下車もしたいし、

新幹線やのうて鈍行で帰るんやと手を振った。所はホームの見送りまでつきあってくれた

が、その後もデパートガールの事には一切触れようとはしなかった。

 

 

 

 その日の夜、中学からの友人の新居(あらい)から電話があり、明日大島に泳ぎに行こう

と誘われた。赤のマツダファミリア15003ドアハッチバックXGを買ったからそれで

行こうと言う。

 メンバーは新居と新居の彼女の柳沢さん、同じく同級生の茅(かや)と茅の彼女の田辺さ

ん、そして俺の5人らしい。新居も茅も高校時代は同じサッカー部で共に戦った仲間だ。

今年の春に一回会ったきりだったから、久しぶりに会えるのが嬉しく、一も二もなく行こ

う行こうと答えたのだが、五人というところに少し引っかかった。それを言うと、所も誘

ったけど、なんだか用事があるらしく行けないみたいだったぞと新居が答える。夕方別れ

たばかりの所は、そんな急ぎの用事があるなんて言ってなかったがなと思って、用事っち

ゃあ何じゃろと聞くと、さあ自分も聞いてみたんじゃが、ちょっととしか言わんかったけ

えわからんと言う。またしても、ちょっとかと思い、新居との電話を切った後、俺からも

電話してみたが、留守だった。おばさんが電話に出て、車でどこかに出たがねえといった。

翌日の朝、もう一度電話してみたが、まだ帰ってない、そっちに行ってるのだとばかり思

っていたとおばさんは暢気だ。しょうがなく女2人、男3人で出かけた。5人でとはいえ

現実には2+2+1であり、二で割ると出てくる余り一であり、ついでであり、付け足しでも

ある。新居が初めてのボーナスを頭金にローンで買ったという赤のファミリアXGに乗る

ときも運転する新居の助手席には柳沢がおり、後部座席も茅、その次に彼女の田辺、そし

て俺と座ったため、自然と田辺は茅のいる右側ばかり向き、お喋りに夢中だ。まあ他人の

彼女と強いて話したいとは思わないが、去年の夏オールナイトジャズフェスティバルに行

った時の嫌な思い出が頭をよぎる。あのときも、この5人、否2+2+1のメンバーで行った

のだ。ジャズフェスが丘陵地を利用して作られた打ちっ放しのゴルフ練習場で催されたた

め、芝生にねっころがって遠くのステージを見ていると自然2組は2人の世界に入ってしま

うわけで、おお出たで、ナベサダ、カリフオルニアシャワーやと新居に話しかけても、ち

ょっとだけ顔を向けてああそうじゃねとだけ答え、でね、そのバイトっちゅうのがねなん

て柳沢との話の続きに戻り、山下洋輔のフリージャズ演奏に辟易して、これどうなんや、

いつまでやっちょるんかいのと不平を言っても、茅はほんまよお、はよやめえやなんて同

意してくれず、こっちの問いかけは無視で田辺とばっかりお喋りしていたわけで、途中か

らすっかりいじけきり、他の四人がやっといじけた俺に気付いて、ねえねえコーラ飲まん?

なんて機嫌をとっても、うるさいのお、今渡辺香津美先生がギター弾いちょるでしょうに、

なんて不機嫌な声だしたりして顰蹙をかった。

 

 そんな事もあったなあと一人苦笑いをしていると、助手席の柳沢が急に後ろを振り向き、

 

 ねえ、なんで彼女作らなんのん?

 

 なんてぶっきらぼうに言う。彼女と言われ、浴衣姿の磯部さんの姿がフラッシュしたが、

え?作らんわけじゃないんじゃがと言いかけた時、新居が、馬鹿、こいつの彼女は京都に

おるんじゃあ、のっ?なんてフォローし、それを聞きつけた茅が、おお、あのゼミの子か

?加茂川のベンチの?なんてにやけると、田辺は田辺でなになに?ゼミの彼女と加茂川で

デートしよん?と加茂川に食いついて来て、それを聞いた茅と新居が馬鹿笑いを始めるも

んで、なに?なに?なんねえその馬鹿笑いは、感じわるぅと頬を膨らませ、まあその先は

言われんよのおと新居が誤魔化したりしても、頭蓋骨の裏側のスクリーンには花火が夜空

に弾ける映像なんかが浮かぶわけで、去年のように悪い気はしなかった。

 新居と茅は浪人した俺や所とは違い、現役で地元の私立大学に行ったから今年の春、そ

れぞれ保険会社と隣町の市役所に就職した。柳沢と田辺も同じ大学で同学年だから、それ

ぞれ地元ベーカリーとマツダのディーラーに就職した(新居のファミリアも田辺のディー

ラーで従販で買ったらしい)社会人だ。

 いやあ久々の三連休っちゃと保険会社の新居が言うと、ベーカリーとディーラーも、そ

うよそうよ、朝から晩までこき使われてから、休みなんか無いけえねなんて、すかさず返

し(茅は公務員だから、結構休みもあって、こういう時は黙っている)、こうやって敬語

使わんで喋れるのってええよねえと柳沢が言えば、さっきは黙っていた茅まで参加して三

人が三人とも、それそれ、わかるわかると、本当に実感こめて返し車内は盛り上がる。四

人はその後も海水浴場に着くまで、職場の人間関係、とりわけ上司というのか、年上のお

っさんおばはんの悪口だとか、遊ぶ時間の少なさ、睡眠不足などを喋り続けたが、相変わ

らず二ヶ月も夏休みがあり、敬語なんて使った事もない俺は、またしても一人違和感とか

疎外感にさいなまれそうになり、去年なら今頃ふてくされてるところだななんて思ったが

、そのたび浴衣やら花火やら、ザビーのトンスラなんかが思い出され、去年とはえらい違

いだなと一人で笑いをかみ殺した。

 

 周防大島は瀬戸内海で三番目に大きな島らしく、本土と島の間に架けられた大きな橋を

通って島に渡った後も海水浴場に着くまでかなり走った。お盆でしかも土曜日ということ

で、相当混雑が予想され、新居は車を置くところがあるかいのおとそればかり気にしてい

たが、空き地か畑かと思われるような臨時駐車場にはまだ余裕もあり、あっさり車も置く

ことができた。浜辺の方もたしかに賑やかではあったが、芋の子を洗うという程ではなく

天気も晴れたり曇ったりを繰り返し、海水浴にはちょうどいい感じだった。

 

 高校時代炎のストッパーと呼ばれ相手のCFをハードワークでことごとく潰してきた茅

は、大学に入るとサッカーをやめ空手に夢中になった。この男、普段は大人しく控えめな

くせに、サッカーにしても空手にしても、いざ始めるとその動作は過激そのもの。空手に

しても寸止めなんて女々しいことやっちょれるかと、実戦さながらの流派から、さらに究

極の喧嘩空手を求めて分派した、その筋では最高峰と言われる道場に通い、今やそこの師

範格。隣町の市役所に勤めたのも、道場の行事を優先できるという理由かららしかった。

水着になると鍛え上げられた身体に思わずため息が出るほどで、浜辺を通り過ぎる老若男

女みな足をとめて振り返るほどだった。準備運動ついでだと砂浜で空手の型をやりだした

茅を見ながら、少し離れたところで見ていた田辺は、

 

 ねえねえ加茂川でデートって何なん

 

 と小声で聞いてきたが含み笑いをして、「ちょっと」と誤魔化した。その後も茅や新居

がいないときなど、何度か、ねえ教えてや、加茂川でデートっちゃ何ねえとしつこく聞い

てきたけど、そのたびに「ちょっと」と意地悪な顔をみせておいた。

 そのほかの時間は、海の家で借り受けたパラソルの下で寝そべって、通りすぎるビキニ

のお姉さん達の体をじろじろ見て過ごした。2人と2人がちょっと泳いでくると言えば、

荷物の番をせちょいてやるけえゆっくりしてこいやと送り出し、浜辺で遊ぶ2人や2人、

時には4人に、おおい、写真撮ってくれやと呼ばれれば、はいはいただ今、とカメラを持

って波打ち際まで走り、はい2人とも笑って笑って、4人でかたまってえ、いいねえセク

シーだねえとバシャバシャ写真を撮りまくった。昨日の晩、ちょうどいい機会だし、4人

に磯部さんの事を話そうかななんて思ったりしたのだが、4人は今でも1人(たとえ京都

に彼女がいるとしても、地元では1人で寂しく過ごしている)だと思っているようだし、

そんな俺をちょっとからかったり、ちょっと同情したり、ちょっと気を遣ったり、こっち

もこっちで、カップルの2人をちょっとうらやましげに見てみたり、ったくどうしようも

ねえなといちゃつく様子をちょっと呆れた感じで見たり、俺は彼女なんかいらねえよとち

ょっといじけてみせたりするそういう、知らんぷりでいるようでお互いちゃんとお互いを

見ているような関係が心地よくてそのままにしておくことにした。

 しかも、一人でいじけた振りとか、女なんかいらねえやなんて顔しながらも、じつは君

たちは知らないだろうが、ほぼ彼女と呼んでいい女の子と付き合ってんだよな俺、なあん

て一人で幸せを噛みしめる感じは、実はさあ、こうこうこういう事情である女の子と付き

合っててさなんてさりげなく自慢する心地よさよりは遙かに勝っているような気がして愉

快だった。