今日のコンサートって七時だったよねと妻が言うから、さあ?と答えると、もうちゃんと確認しといてよと眉をひそめ、パソコンデスクの引き出しにしまっていたらしいチケットを取り出し、やっぱり、ほら開演が7時、会場が6時半だってよ、と聞こえるように言い、こっちを見ずに、じゃ迎え、5時ね、と言った。なんだか癪だから、5時で大丈夫か?と言うと、大丈夫よ、6時半からじゃないんだから。私の職場に五時に来てもらって、そのあと大学によってあの子を拾っていけば充分間に合うでしょと妻は言った。そう言われればそうかもなと思ったが、5時じゃちょっと遅くないか、やっぱりもう少し早くできないかなと反論してみたら、定時より早くは無理よ、みんな忙しくて、いつもなら6時すぎてやっと少し落ち着くくらいなのに、コンサートに行くから定時で帰るなんて言えるわけないじゃないと不機嫌な顔をされた。


 廿日市市の西の端にある妻の勤め先を夕方出て広島市東区にある郵便貯金会館(今はなんだか別の名前になっているらしいが)7時開演のコンサートに間に合うように行くのに、何時に出ればいいのかという問題なのだが、大竹にある自宅から広島市の中区にある妻の実家に行くときなんかは、自宅からだいたい1時間あれば着いたし、どんなに渋滞しても1時間半を越えることはなかったから、途中で息子の大学に立ち寄ったとしても、2時間あれば問題ないというのが妻の意見だ。それはそれで妥当とも思えるのだが、息子の通っている大学は広島市佐伯区三宅にあり、そこは昔で言う五日市と廿日市のちょうど境目にあたるが、マンションや住宅、そしてスーパーや商店、大手外食チェーン店なんかが建て込んでいる古くからの市街地で、交通量が多いにもかかわらず道路網は貧弱で車の流れの悪いので有名なところだ。長く専業主婦だった妻はわからないだろうが、勤めていた頃は営業車でしょっちゅう通っていたから自分は良く知っている。廿日市駅前を通り佐方方面から入ろうとすればJRの踏切あたりで通れなくなるのは目に見えているし、かといって宮島街道を海老橋西詰めまで行って、そこを左折し川沿いから入っても似たようなもので、広電、JRと二つの踏切が関所のように車の流れを淀ませる。西広島バイパスを降りて波出石交差点を右折するパターンもあるにはあるが、この波出石交差点なんてラジオの道路交通情報では定番の渋滞スポットだからスムーズに走れる方が珍しい。息子を拾って行かないのであれば問題ないだろうが、この渋滞ポイントをよりによって夕方五時過ぎに通る事を考えるともう少し余裕がほしい。


 今日のコンサートを心待ちにしていた、その気持ちは自分も同じで、早くから会場に入り開演前の雰囲気も味わいたいし、アーティストグッズの売店なんかも覗いてみたいし、配られた冊子をめくりながらワクワクした気持ちでオープニングを待ちたい。間違っても開演間近に慌ただしく会場入りなんてのは避けたいのだが、無職で時間を持て余している自分はコンサートを優先させて考え、働いている妻は職場を優先させてしまう。とにかく5時より早くは無理だから、なんとか間に合うようにお願いねと言い放って妻は家を出た。

 今日のコンサートは本当なら春に行われるはずだったのだが、ボーカルの彼が急性ストレス障害という病気でダウンしてツアー中止となった。先月、ツアー再会の知らせが届き、それ以後、今日の公演を楽しみにして過ごしてきた。

 彼らのコンサートは今回で3度目になる。1度目は息子が中学に入学した年。2度目は息子が高校に入学した年。そして今回。1回目2回目のころは自分は働いていて妻は専業主婦だった。働いていた自分は後ろ髪を引かれる思いで職場を後にしたが、妻や息子は海水浴にでもいくみたいにはしゃいでいた。

 

 妻が家を出ると、テレビの朝番組をつけたままソファで2度寝した。洗濯ものは風呂場の洗濯籠に山積みになっており、汚れた食器で台所は溢れかえっているが、洗濯機を回すのも食器を洗うのも億劫でやる気にならない。無職になった直後は申し訳ないような気がして、あれこれやってはみたが、家事を担当していた妻にしてみれば、コツコツと積み上げ守ってきた聖域を野蛮な猛獣に侵されるような心境らしく、もうこんなことしちゃダメじゃない、ああもうこんな事して、あなたは、といちいちダメだしを喰らうのが癪で止めてしまった。床は雑誌だの新聞だのが散らかしたい放題だし、掃除機すらかけないからあちこち埃やゴミだらけだ。

 遠くで聞こえていたテレビの音が突然消えたから、何事だ?と目を開けると、2階から降りてきた息子が寝癖の髪の毛を気にしながら何か言っていた。学校に車で行きたいから車を貸せと言う。好きにしろ。どうせ俺は行くところはねえんだ。と目を瞑ったが、コンサートの事を思い出し、慌てて上半身を起こした。だめだめ、今日はほら、あのコンサートの日だから。5時半頃大学に迎えに行くからな。と伝えると短く舌打ちをし、しょうがねえなあ、じゃあ駅まで送ってけよと付け足したが、洗面所まで行くと、おっさん、やることねえんなら洗濯ぐらいやったらどうなんだよ、家ん中、ぐじゃぐじゃじゃねえか、と吐き捨てた。いちいち反論する気にもならず、無言でソファに寝ころんだ。自分がしなくてもいつのまにか山積みになった洗濯物は片づいているし、汚れ物の食器を食器棚の中に収まっている。そんな事は気がついた人間がやればいいのだ。


 無愛想で携帯ばかりをいじっている息子を駅まで送って戻って帰るともう昼近くになっていた。
 掃き出し窓のそばで、両手を上げて思い切り背伸びをして、着たきりのスェットを脱ぎ捨てた。向こう脛までのスパッツにランニングパンツを重ね、長袖のTシャツを着る。くるぶしまでの靴下を履き、ランニングシューズのひも締め、日よけ用のキャップを被り家を出た。

 

 大学卒業後就職して以来ずっと勤めていた出版社が倒産して無職になってから3年になる。はじめの3ヶ月はハローワークに通ってみた。求人票はどれも年齢制限なしとあり勇んで連絡をとってみたが、どの企業でも例外なく、求人票には書けないのだが50過ぎの人は遠慮してもらっているからと返された。妻はそれまでパートで出ていた事業所に事情を話して常勤にしてもらった。息子と妻を扶養していたはずの自分は妻の扶養家族になり、そして自分は就職活動をやめた。
 就職活動をやめるとすることが無くなった。妻や息子が家を出た後はテレビを見るくらいしかする事がなかったが、昼間のテレビほどつまらないものもないわけで、つけてはいても見るわけでもなく、日がなテレビの前に座って居眠りする生活を2年くらい続けたが、ある日、ついていたテレビでそのコマーシャルを見た。短いランニングパンツにランニングシャツ姿の若い女性が颯爽と街角を走り抜けるコマーシャルだ。その女性は郊外の住宅地、そして田園地帯を過ぎると浜辺に出、そして夕日の沈む海を見ながらスポーツ飲料を飲み干して額の汗を拭うのだが、そんな陳腐なコマーシャルにどういう訳か心が動いた。そういえば中学高校と野球をやっていた頃はよく走らされてたよなと思ったのだ。しかし、自分の思い出の中のランニングはといえば修行とか刑罰と言い換えた方がいい感じで、苦しければ苦しいほど効果があるとばかり教師、監督、先輩から命令強制されたものだ。自分が走りたいから走った事など1度もない。高校で野球部を引退した時の、もうこれで走らなくてもいいんだという解放感は今でも自分の中にある。それ以後今日に至るまで1度も走った事はない。高校生の頃60キロ台の中頃だった体重もその後の30数年で20キロ近く増えた。意味もなく長距離を走る輩を馬鹿だと思っていたというのに、その女性の颯爽とした姿が妙にまぶしかった。こんなすがすがしい顔をして走る人もいたもんだと思った。強制されたものだったとはいえ、あのころは毎日10キロは走っていたのだ。今でもだらだら走るなら4、5キロはいけるさと思い、ちょっと走ってみるかと走ってみたが走れなかった。強制された鬱憤で体中いっぱいにしてた頃は走れたのに、生まれて初めて自分から走ってみようと思ったら走れなかった。腕を振って足を前に出してと思うが、腕は振れないし足が前に出ない。腿を上げなけゃと思うが、おもりをつけたように重くて上がらないし股関節は潤滑油が固まったかのように動かない。心臓や肺は悲鳴を上げ、吸えば吸うほど空気は薄くなり、体は全然前に行かないのに、イメージの自分だけが自分を置き去りにして一人で先に行き、意識を失いかけた自分はもう駄目だと思って走るのを止めた。後ろを振り向くと100メートルも走っていなかった。さすがにショックだった。1年前の事だ。

 

 自宅のある団地を出て坂を下り、その先にある小学校の敷地をなぞるようにぐるりとまわって県道47号線へ出ると、広島岩国道路の高架下の側道を走る。恵川にかかる橋を渡り総合病院の建つ急な斜面を駆け上がり、左手に中学校のグランドを見下ろしながら側道沿いに走る。空気が澄んでいて、瀬戸内海のずっと向こう、四国まで見えるような気がする。建て込んだ民家の間を上りの電車が走り、2号線をトラックが駆け抜け、宮島の遙か上空を米軍のジェット機が飛び去る。

 

 1年前、初めて走った日、自宅に戻っても心拍数が下がらず荒い呼吸もそのままで脂汗やら冷や汗まで出てきて正直危ないと思った。このまま死んでしまうのかと自宅玄関の床に寝ころんだまま思ったりした。もう2度と走らないぞと誓ったのに、次の日になると気持ちが落ち着かなくなっていた。テレビの前に座っていても、いつもならつまらんなあとぼやいているうちにうとうとしてしまうのに、どうしても眠くならない、ふと気がつくと中学高校時代の部活の事を思い出していた。毎朝、五時に呼び出されて学校の周りを一時間くらい走らされた。部活の顧問は正門のところに立っていて、ペースをあげろとか腕を振れとか叫ぶんだけど、みんな敷地の角を曲がって顧問の姿が見えなくなるとペースダウンして、顧問の姿が見えるところまで来るとまたペースアップしてたよな。あのころはペースアップもペースダウンも思いのままだった。
 気がつくと自宅を出ていた。歩くことから始めれば前日のようにはならないさと自分に言い聞かせて団地の坂を下りた。小学校まで来ると、ちょうど学校が終わった時間らしく、正門からランドセルを背負った子供達が飛び出してきた。子供達は何か叫びながら満面の笑みで風のように駆け抜けて行った。自分もあんなふうに笑いながら走れるかなと思った。それ以来、歩くのが日課になった。毎日、1人の時間に自宅を出て歩いた。はじめは小学校まで歩くのがやっとだったが、そこから恵川まで足を延ばし川の流れを見ていると、その先に見える側道の上り坂に挑戦してみたくなって、次の日にはその坂を登った。そんなこんなで、少しずつ歩く距離が伸び、散歩はランニングに変わり、今では1日、往復で2時間ほど、ランニングを楽しむようにまでなった。
 
 造成された団地に建設中の小中一貫校の入り口で折り返す。腿の裏側、アキレス腱、そして上半身のストレッチをして息を整え、元来た道を戻るが、最初の緩い登りは歩く事にしている。しんどい時は歩けばいいのだ。これはランニングを始めて考えた事だが、しんどいと思うのは負荷が自分の体力を越えているからしんどいわけで、そんな時はペースを落とし、それでもしんどければ歩けばいい、時には立ち止まったりしてもいい。べつにオリンピックに出るわけじゃない。身の丈にあった走り方をすればいい。 
 高校の時、同学年に長距離がめっぽう速い女子生徒がいた。校内のマラソン大会ではダントツの1位。もちろん陸上部で長距離を走っていて駅伝でも活躍していた。部活の時間、1人で黙々とトラックを走る彼女を野球のグランドから遠目で見ていたのだが、2年になった時、突然その子が部活を辞めた。理由は走るのが辛くて辛くてもう限界だから、と聞いて驚いた。あんなに速く走れる子でも、走る事は辛い事だったんだと思って驚いた。足の遅いやつでも、めっぽう速い子でも、やっぱり走る事は辛いんだと。でも今はちょっと違う気がする。つらいのは走る事じゃなくて、競走させられる事じゃなかったかと。1人で自分の走りたいように走る事はこんなにも楽しいのだ。


 ウォーキングを始めた事も、ランニングを始めた事も秘密にしている。息子にも妻にも話していない。走るのはいつも妻や息子がいない時間だ。
 おっさん、ちょっとやせたんじゃね?とこの前、息子に言われた。ちゃんと食べてるの?と妻が聞くから、食べてるさって答えたが、何もないのに中年男性がやせるって危ないらしいわよと妻が心配するようなからかうような事を言うから、じゃ病院にでも行ってみるかなと困り顔を作って見せたのだが内心痛快だった。

 

 5時5分前に妻の職場に着いたが、なかなか妻は姿を見せず、電話をしてみようかと思っていると携帯が鳴った。今から職場を出るから車で出口のところまで来てと言う。5時を10分過ぎている。急いで車を回すと出口のところに妻が立っており、車が停止するのも待ち遠しい感じで乗り込んで来たのだが、シートベルトを締めてから鞄を忘れて来たと言いだし、再びドアを開けて職場の建物の中に駆け込んだ。15分ロスをした。車に乗り込んだ妻は5時に出られなかった理由をあれこれ喋り、こういう日に限っていろんな事が次々出てくるのよねとため息をつき、え?もう5時20分、開演が7時で良かったわ、6時半なら絶対アウトだわと腕時計を見た。それでも2号線の流れはスムーズで油ヶ免を通り過ぎ、前空駅前まで信号にも合わずに来たが、前空駅を通り過ぎたところで宮島方面を見ると、チューピーパーク分岐の先に車のテールランプの赤がずらりと並んでいるのが見えた。最近はボートレース開催中でも渋滞することはほとんどないっていうのに、なんでここで混むかなと思い、ラジオで交通情報を聞こうとすると、あっいい、私するわと言い、妻が件のバンドのCDをかけ、イントロのところで拍手をしてみせた。出たぁ、いいねこれ、今日のオープニングは絶対これだわ。口笛まで吹いて盛り上がっている。動かない2号線に見切りをつけて、チューピーの分岐で裏道に入った。混んだ2号線からたくさん車が上がってきているとこっちも身動きがとれなくなるがなと冷や冷やしたが、新幹線高架下の側道も、対巌山の団地の中もよく流れ、その間も妻はご機嫌でCDに合わせて歌い続けていたのだが、阿品台を過ぎて西広島バイパスに合流する辺りで時計を見ると5時45分だった。出発の時にロスした分だけ遅れてはいるが、それ以外はきわめて順調だし、なんとかなりそうだなとホッとしたが、合流地点の坂の上からバイパスの先、宮内交差点方面を見ると真っ暗な闇に4つの赤い列がくっきりと浮かんで見える。またしても渋滞したテールランプの列だ。

ちょっと、なんだか混んでない?妻が不安げな声を出す。バイパスに合流するだけで5分、やっと合流したと思っても5分で20メートルしか進まない。さすがの妻もCDをラジオに切り替えた。事故でもあったのかしらと独り言のようにつぶやくが、ラジオは近く行われる予定の大阪府、大阪市のダブル首長選挙で維新の会の2人が当選するかどうかをしつこく解説し、それが終わっても、オウム真理教関連裁判終結の続報だとか、来日しているブータン国王の説くGNH、国民総幸福量の考え方が現代日本に新しい示唆を与えているだとか、為替相場が70円台の後半を推移しているだとか交通情報とは無縁の事ばかりを喋り、その間も車はのろのろ運転で、自分も妻も黙ったまま、そのニュースを聞くともなく聞き、窓の外の暗闇ばかりを眺めていた。妻の携帯が鳴り、開いた携帯の画面で通話相手を確認するとつけていたラジオを消し、妻は電話に出たのだが、どうやら息子からの電話らしく、そうよ、すごい渋滞でね、うん、わかってる、急いでるから、大学のそばまで行ったら電話するから、もう少し待っててと伝えて電話を切った。再びつけたラジオから6時の時報が鳴り、妻も自分も同時に腕時計を見たが、どういう訳か、それを合図に少しずつ車が動きだし、5分で20メートルだったのが、5分で200メートルは進むようになり、よし、いいぞと思っていると次の5分はまた20メートルになり、どうなってんだとクラクションの一つでも鳴らそうかと思っていたら、また5分で200メートルペースになる。これはもしかしたらと先を見るとやはり「工事中、片側交互通行」の電光掲示板だ。西広島バイパス高架橋工事関連らしかった。このバイパス高架橋ができれば、宮内別れと上平良、速谷神社別れの交差点を通らなくても五日市まで行けるわけで、ずいぶん速くなるだろうになと思ってはみるが、そもそもこの工事って息子がまだ赤ん坊の頃からやってるわけで、いつになったらできるのかななんてどうでもいいような事を考えている。

 片側通行の箇所を過ぎるとそれまでの渋滞が嘘のように流れ出した。みなゲートから解き放たれた3歳馬のようにバイパスを疾走していく。ここまで30分で一キロくらいしか進んでいなかったというのに波出石交差点までの4、5キロを数分で走った。波出石の交差点は案の定混んでいて2回信号を待ったが、それをすぎると川沿いの道は普段程度の混み具合で、6時25分には大学に着いた。
 ちょい、やばくね?もう始まってるよと車に乗り込んでくるなり息子が不機嫌な声を出したが、妻が開演は7時からだから、大丈夫よとなだめる。開演前の雰囲気を味わうのはもう無理だ。アーティストグッズの売店なんかをうろつくのも不可能。配られた冊子をめくりながらのワクワクもあきらめざるを得ないけど、オープニングの時に席にいることくらいなら大丈夫だからと時分を慰める。


 大学を出て、今来たばかりの道を引き返し波出石交差点まで来たが、交差点あたりの混雑ぶりを見て、ねえ、バイパス上がるよりさ、高速4号だっけ、あっちの方が速くね?と息子が言うのを聞いて、そうかその手があったかと思った。バイパスをスムーズに抜けたとしても、降りるのは己斐本町で、そこから渋滞した市内を抜けて白島まで行くことを考えれば、石内バイパスを上がってアストラムライン沿いの県道に出て沼田から広島高速4号線で中広に出た方がずっと速い。中広まで出ればもう着いたようなものだ。あと30分、飛ばせば絶対に間に合う。
 幸いな事に石内バイパスは嘘のように空いており、60キロ制限のバイパスを倍の120キロで飛ばす。アストラムライン沿いの県道はさすがにそこまでは出せなかったが、沼田を右折して広島高速に入るとさらにスピードアップさせた。スピードメーターが140を越えるのを見たが、それから後は見ない事にした。
 中広の交差点に出た時、あと15分よと妻が言うと、郵便貯金会館って駐車場ないよねって息子が不安気な声を出し、この前の時はさ、ほら、川沿いの崇徳高校から少し南に下がったところのコインパーキングに停めて歩いていったじゃない、あそこなら目の前だからと妻が力強く言い返すと、そかそか、あそこなら大丈夫だねと息子も元気な声で応じた。その間に車は中広通りを北上し横川駅を通り抜け太田川にかかる三篠橋の手前を左折して、川沿いに北上した。まだ開演まで十分ある。もう大丈夫だと自分が言うと、ああ、もう絶対間に合わないと思ったと妻が笑った。ところが、件のコインパーキングまで来ると間の悪いことに満車の赤い文字。慌てて川筋から内側に左折して駐車場を探すが、もとより住宅街で商業地区のようにそこここにコインパーキングのあるわけもなく、しかも真っ暗闇で、なかなか駐車場が見つけられない。細い路地を右折左折と繰り返しているうちに一つの小さなコイン駐車場が見つかり、運の良いことにちょうど一台分駐車スペースが空いており、急いで車を停める。あと五分しかないよと息子が言い、俺走るわと駆け出す。ちょっと待って、母さんも走るからと妻が後を追う。ドアをロックして息子と妻が走っていった辺りを見ると街灯のない道路は真っ暗闇で、その向こうに川沿いの土手が街灯に照らされているのが見えた。


 息子と妻の後を追い暗闇の中を土手道を目指してダッシュをかける。足が軽い。腕がよく振れる。100メートルか200メートルかわからないが、それくらいの距離を走ると土手へ上がる坂道に出たが、その坂道で妻を抜いた。
 あっ父さん。
 と追い抜くときに声を出したが、妻はそれ以上喋りたくても喋れない感じで、腰に手を当てて歩くような速さで坂を登っていた。妻の荒い喘ぎ声だけが耳に残った。土手道へ上がって歩道を走る。満車だったはずのコインパーキングの前を通ると満車の文字が消えていて、見ると一番道路に近いスペースが空いている。右手に太田川、道の先には照明に照らされた崇徳高校の正門が見える。その高校の手前にかかる橋を右折して渡りきればそこがコンサート会場の郵便貯金会館だ。橋を右に曲がった辺りを見ると息子が体を揺らしながら走っているのが見えた。息子の影を追う。数百メートルを走ってそろそろ息が切れる頃だが、いつものランニングの成果か、息が切れるどころかむしろ体が温まって呼吸も楽になった感じで、意識したわけでもないのに自然とペースが上がる。後ろから車が来ていないのを確認して歩道を降り、車道を斜めに渡り橋の手前の横断歩道を回避、橋の歩道を右折した。もっと距離があると思っていたのにいざ橋を右折すると息子との距離はほんの少しで、息子はひどく疲れた感じで顎が上がっている。自分の身体にひと鞭入れて腕を振ると腿も大きく上がった。さらにスピードアップして一気に息子を追い抜いた。
 えっ?父さん?。
 息子の声がした。車道にはたくさんのバスやトラックや乗用車が走っていてヘッドライトのまぶしい白やテールランプの赤が入り乱れ、右手の太田川の川面には赤い蜜柑が写り、橋の上を冷たい風が吹き抜ける。歩道を歩く人はいない。誰もいない橋の上をランニングパンツとランニングシャツ、白いキャップを被った中年男性が、これ以上はない笑顔で颯爽と駆け抜ける。中年男性はこのまま街を駆け抜け、川を越え森を抜け、夜通し海を目指して走り、浜辺で朝日を浴びながら腰に手を当てた格好でスポーツ飲料のボトルをあおるんだろう。そんな陳腐なイメージが頭をよぎる。そのイメージが陳腐すぎて可笑しくなる。可笑しくて可笑しくて仕方なくなって走りながら笑ったが、少しも苦しくなんかなかった。

 

 橋を渡りきるとそこは四つ角になっていて、北側への横断歩道を渡ると、そこがコンサート会場だ。横断歩道の信号は青から黄色になりかけていて、そのまま駆け抜ければ充分に渡りきれるタイミングだったけど、あえてそこで停まった。時計を見ると開演一分前。間に合った。停まるとさすがに呼吸が荒い。額にうっすら汗が滲んでいるのを感じて、右手の甲でそれを拭う。振り向くと息子がよたよたと走るような歩くような感じで近づいてくる。

 どうしたどうした、いい若い者が、だらしねえぞ。
  両手をラッパのように口に当て、大声を出す。


 ちょっと待って、おいてかないで。
  息子の後ろから妻の声がする。


 がんばれ、あともう少しだ。
  自分はラッパを夜空の赤い蜜柑に向けた。
 
 妻が来るのを待ち、息子と妻の呼吸が整うのを待った。2回信号をやり過ごし、妻と息子と自分と3人揃ってゆっくり3度目の青信号を渡った。コンサートは始まってしまっていて、開演まえの雰囲気やアーティストグッズや冊子をめくりながらのワクワクどころか、オープニングの瞬間さえも逃してしまったけど、まあいいか、と思った。3人ともよくがんばったよなと思い息子の肩を強く抱いたら、ちょっと、あれ、電気ついてないけどと息子がコンサート会場の建物を指差す。ほんと、真っ暗ねと妻が言う。会場周辺は必要最小限の明かりが点いているだけで、いつもなら会場に横付けされているツアートラックも見えず、会場警備の人影すらない。開演と同時に電気は消すのかなと自分が言うと、ちょっと、ほんとにここで良かったの?と息子が妻の顔を覗き込んでいる。ここだよ、チケットに書いてあるだろ?と妻が手にしているチケットを奪い取って見る。ほら、文化交流会館って書いてあるじゃないか、文化交流会館っていやあ前の郵便貯金会館だろ、ほらここじゃん、とチケットを妻に手渡す。ほんと、確かに文化交流会館って書いてあるわ、と妻がチケットを手に力強く頷く。
 まじ?ちょいそれ、やばいよ。
  と息子がその場にへたり込む。何がやばいんだよ、と自分が息子を見下ろすと、息子  が上目遣いに恨めしそうな顔をして見せた。

 

 それって前の厚生年金会館の事じゃん。

 

 

 

 

スピッツの夜

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