はるのうた 前編 その③

 

 

 夕方、そんな父がすり切れたぼろ切れのようになって母と共に帰ってきた。

 母は荷物を玄関先に投げ出しシミューズ一枚になると、いつものちゃぶ台と水屋の間、主婦の指定席に腰を下ろしたまま動かなくなった。父も背広の上着すら脱ごうとせずちゃぶ台の前に座り込みぼうっとしている。お葬式どうじゃったんと聞くが父は聞こえていないかのように反応せず、母はその質問を無視して荷物の中に駅弁が三つあるけえと指さした。今日は夕飯はせんよと付け足す。息子の入れたお茶を啜りながら三人で無言で駅弁を食べた。テレビはついていなかった。扇風機の風の音と、窓の外から聞こえるヒグラシの鳴き声、そしてむしゃむしゃと三人の咀嚼する音だけが聞こえていた。

 

 昨晩、父親は駅弁を食べるとかろうじて背広だけは着替えたが、そのままタオルケットを巻いたまま布団にころがり朝まで起きず、母親も沸かしておいた風呂にだけは入ったものの早々に布団に転がった。

 今朝の父親は、良く寝たせいか、思いの外元気で、顔だけはいつものようにつまらなさそうな顔だったが、遅れず出勤していった。一方の母親は充分の睡眠ですっかり体力を回復したようで、朝ご飯が終わるや、ものすごい勢いで旅の話をし始めた。

 やれ行きの電車が長くて長くて死にそうだっただの、退屈だからと父に話しかけても、うるさいと言うばかりでつまらないし、しつこく話しかけたら、窓の景色でもみちょれと怒鳴られただのの愚痴に始まって、今まで元気だった人が突然、亡くなるというのは、病気を患って長い間入院しているのと違って戸惑いのほうが先にたつもんだとかの感想を口にし、でもあの人はさすが長男さんじゃねえ、お母さんやらおじいちゃんおばあちゃんを励ましながら、ちゃんと喪主の務めをやりんさったなんて、姉の旦那を持ち上げる。

 確かにこの姉の旦那という人は大人物で、商業高校を出た後デパートに勤めていた姉と付き合いだした頃はまだ大学生だったのだが、すぐに我が家に遊びに来るようになり夕食など食べていくようになったが、まあ一杯いきんさいやと父に勧められると、そうですかなんて楽しそうにビールを飲み、めんどくさいけえ泊まって行きんさいやと言われると、そうですねなどと狭い官舎の六畳間に父や母、そして姉と布団を並べて寝てしまう。翌朝は翌朝で父親や姉はいつも通り早起きして出勤するのに、大学生の彼はいつまでも起きず、昼頃まで寝ており、ついでにお昼も食べて帰りんさいと母親に言われたら、そうですか、じゃあと昼ご飯まで食べて下宿に帰るわけで、高校生だった俺は、これは豪傑だと感心したものだった。

 だからあの人ならそういう大変な時にも動じずにあれこれできるのだろうななどと思ったが、母親の話は酒ではなく焼酎ばかりが出る通夜の席での事だとか、イントネーションとかなんとかでなく単語そのものが別物の九州弁(とひとくくりをすると怒られるのだそうだが)の事とか九州ネタに移り、それは姉の結婚式の時に、嫁ぎ先の実家まで行き、実際に自分も見聞きした事なので生々しく、たしかにそうだったよなあなんてあれこれ思い出し、うんうんそうじゃったそうじゃったとか、そうそうあれは面白かったよねなんて相づちを打ちながら聞いてあげてたのだが、うちのお母さんが死んだときなんかはねと母親の両親が亡くなった時の事だとか、引き揚げてくるまえの朝鮮での事など、いつもの定番の昔話に移りかけたところで、あっそうじゃ勉強せにゃあ、採用試験に落ちたら大変じゃと母親なら絶対に止められない口実を口にして席を立った。

 長々と母親の話につきあったのは、九州の話が面白かったからでもあるのだが、その一方で旅行中の父親の様子が気になっていたからでもあった。母親の話には列車の車内でやかましいと怒った事以外父親の話は出てこなかった。それはもしかして危ない感じだったのだが息子にそんなことを話したところで仕方がないしと敢えて馬鹿話に終始したものか、それともその脳天気な話そのままに、おかしなところは全くなかったのか、最初の話では測りかねた。だから適当に相づちを打ちながらも、微妙なニュアンスを聞き逃すまいと務めたのだが、考えてみればこの母親、息子と同じようにそもそもおしゃべりで、秘密めいた事を胸に納めておくなんて芸当は出来るはずもない。いくら隠そうとしても言葉の端々や顔の表情に必ず出てしまい、その事を指摘すると、ばれたんならしょうがないねと、ありったけをしゃべり出す。そんな母親がここまで脳天気に喋り続けたのだから、どうやら心配はなさそうだなと感じた。

 

 

 五日後の早朝すごいサイレンが鳴り、驚いて飛び起きる。

 何事かと茶の間に行くと、テレビに平和公園の様子が写し出されており、そうか原爆の日かと思った。日頃は立ち入りを制限している芝生広場に並べられたたくさんの椅子は黒服を身にまとった被爆者達で埋まっており、鳩が上空を飛び交い、子ども達が鐘を突き、政府の代表だか地元の政治家だかわからないが燕尾服を着た年寄りが慰霊碑の前に進み出、と式典は粛々と進行し、始終セミの大合唱がまるでBGMのように聞こえていた。

 

 二年前の大学二年の夏、この式典の椅子並べのバイトをやった。市内の小中学校からトラックで椅子をかき集めてきて並べる仕事なのだが、公園に照りつける日差しの強さや蒸し暑さに負けず劣らず、公園一帯を覆い尽くす「熱さ」の方も相当なものだった。公園周辺はさまざまな県外ナンバーをつけた観光バスだの、右翼の装甲車だので埋め尽くされ、赤い布地に白い文字で核兵器廃絶なんて書かれたゼッケンをつけた老若男女で公園は溢れかえる。公園内に侵入した右翼の装甲車が公園内で集会を開く動労の集団に突っ込む。人民服似の作業服を着た動労の組合員達はおのおのがヘルメットに入れてかじっていた氷の塊を装甲車に投げつけて応戦。騒然とした雰囲気になる。機動隊の車両がかけつけ装甲車を取り囲み暴れ回る右翼青年を引きずり出しこづきまわすと、公園に集まった人々から拍手喝采が起こるが、それを見ていた別の右翼は、この公園に集う売国奴の諸君ご機嫌なようだな、真の愛国者とここで公開討論会を開こうではないか等と拡声器で民主団体を挑発し。

 

 そりゃあそりゃあ大変じゃったんでとその時の事を話して聞かせるのだが、そりゃあやれんねと言うだけで母親は大した関心を示さず、洗濯機を見に行ったり、洗い物をしたりしながら、時折こがあな時に日向に座っちょったら暑かろうねなんてつぶやきながらテレビを見る。

 ふと気がつくと、夜には布団を敷いて寝室になる六畳間に父親が座卓を出してなにやら勉強をしている様子。仕事は?と聞くと非番だと言う。せっかく休みなのに仕事しよるんかと聞くと、全く無視して分厚い本を睨み付けている。幼い頃はこうしてこの六畳間で仕事をしたり、勉強をしたりしている姿をよく見た気がするが、大学に行って実家にいないからでもあるが最近はとんとお目にかかった記憶もなく、なんだか懐かしい光景だなと思った。ねえ、何しよるんと繰り返すと、ちょうど洗濯物を抱えた母親が通りかかり、試験勉強じゃとと口をへの字に曲げる。試験勉強?何の試験?と言うと、駅長試験よね、受かりもせんのに受けるんとと洗濯物を小さな縁側に干す。退職まであと三年しかないんじゃけえ、今更受けてもなれるわけないのに、つきあいで受けにゃあいけんのんと、ほんまならとうの昔になっちょるのにねなんて言うと、舌打ちをした父親は、いらん事いうなと手に持っていた消しゴムを母親の尻に向けて投げつけ、尻の肉で跳ね返った消しゴムは畳の上に勢いよく転がった。

 

 朝飯をかき込んで勉強を始める。教科専門の三回目はすでに終わり、三日前から最終確認で問題集をもう一度初めから見直している。教科専門の受験準備は順調に来ている感じがする。明々後日には東田と吉川が来るから、明日明後日で教職教養の見直しをする積もりだ。

 二時間くらいやった昼前、父親が部屋にきて、すまん、ちょっと聴きたいんじゃがと言う。父親は大のクラシックファンで、とりわけ交響曲が大好きなのだが、ステレオやら長年の間にコレクションした膨大なLPレコードなどはみなこの自分が使っている部屋にあるわけで、息子が京都に行っている時なら誰にも気兼ねなく好きなだけ交響曲を聴いていたのだろうが、息子が帰省している間はいちいち息子に了解を求めなくてはならない。しかも、自分と同様採用試験の勉強をしているというのだから、自然低姿勢になる。

 ちょうど切りが良かったし、さっきの消しゴムの一件も気になっていたから、快諾して部屋を譲った。昼飯までトレーニングに行って来るわと伝え家を出る。

 

 朝はカンカン照りだったが、外にでると雲が出てきていており日差しは思ったほどでなかった。生ぬるいそれではあるが風もよく吹いたので意外と気持ちがよかった。小学校は相変わらずプールのところだけ賑わっていたが、グランドを三周四周と走っていると、突然目の前にサッカーパンツにTシャツ姿の所が現れた。所はらっきょの小瓶を呉れた日の翌々日、家に来た。実家に帰ってメシを食い夜九時に寝、熟睡して起きたらなんと夜の十時で、おかしいな一時間しか寝てなかったのかともう一度寝て、朝起きたら日付が一日飛んでいたと三十四時間寝続けた事を自慢げに話したり、その間に見た淫夢の話を詳細に聴かせたりといつもの所に戻っていたのだが、さっきおまえの家に寄ったらグランドに行ったとおばさんが言うので、こりゃあボールを蹴りよるのと思って、実家に戻ってサッカーパンツやら靴やらを持ってきたのだと言った。

 二時間ほど所と一緒にボールを蹴ったのだが、どうやら気持ちは吹っ切れたようで表情もさばさばして見えた。手洗い場で水を飲み、喉の乾きを癒し校舎の陰に座った。プール帰りの小学生達もグランドからいなくなり、プールサイドに建てられたテントの屋根だけが風に煽られていた。

 実家の親には採用試験を受けなかった事は話してないと所は言った。結果が発表される秋ごろ落ちたから留年させてくれと切り出す積もりなんだとか、あの新築アパートはもう今月で解約して来月からはもとのあの学生下宿に戻るつもりだとか問わず語りに喋り、言いたいことを言うと、あぁあと空を見上げてため息のような奇声のような声を上げた。どうしたんじゃと言うと、べつにと苦笑いをした。

 

 夕食の前、磯部さんから電話がかかってきて、明日の花火大会に来ませんかと誘われた。岩国で花火大会といえば例の観光地の花火大会の事であり、たしかに地理的に言えば駅周辺に住む自分は、そこからバスで三〇分ほど離れた磯部さんの実家近くの観光地に行くわけだから、磯部さんにしてみれば来ませんかということになるのだが、それ以外にもなんだかその花火大会にひどく近しい感じが口振りから感じられた。この花火大会、中学の頃一度所と二人で行った事があるが、とんでもない数の人間でバスに乗れず、やむなく二時間ほど歩いて帰宅した覚えがある。その事に懲りて、二度と行くもんかと思っていたというのに、磯部さんの誘いに、そりゃいいねと一も二もなく快諾し行く約束をした。

 

 次の朝、起きた時から今日は花火だという気分がついてまわり、どこで何をしていても気がつくと花火の事を考えている感じで随分気持ちがはやった。花火は八時からで磯部さんとは一時間前の七時に城山対岸、橋を渡る料金所の前で会おうという約束だったのだが、時間が経つのは実に遅く、いつまでたっても日が暮れないので、やむなく教職教養の見直しなんかをして過ごすが全くと言っていいほど頭に入らない。なんとか昼過ぎまで机についたが、部屋にじっとしているのも限界でTシャツとサッカーパンツに着替えて小学校のグランドに駆けだした。

 するとまたしても同じ格好をした所が姿をみせ、多分ここじゃ思うたっちゃと笑った。小一時間一緒にボールを蹴ったのだが、昨日のように喉の乾きを潤すついでに休憩していると、今日花火大会行かんかと所が言う。もう吹っ切れたっちゃと口では言うが、ミカって子の事を忘れたいけど忘れられずにいる様子は手に取るようにわかり、なんとかそんな気持ちのもやもやを誤魔化そうとして自分を誘いにきたのだと察せられた。本当ならそこらへんの所の気持ちを察してやって快諾同行するところである。友情より恋愛を優先する輩を馬鹿どもがと罵ってきた自分としては万難を排して所の力になりたいと思ったが、さすがに言葉に詰まった。無論所と磯部さんを天秤にかけ、磯部さんのほうが所に勝ったから言葉に詰まったわけだが、多少後ろめたい気持ちはあるものの今日のところは譲るつもりはなく、そこのところで迷いはなかったが、果たしてどう断るべきかで逡巡した。

 磯部さんとの事を少しでも話しているのであれば、実はこの前話したあの子がなあと話せたのだが、全くもって秘密にしてきた事をこういう展開で持ち出すのは、あまりにも唐突すぎるし、かといって磯部さんとのなれそめとか話し出せば、なんだか長くなるし、ましてや二度も磯部さんと「寝た」事も付け加えたりすればめちゃくちゃややこしくなりそうだった。磯部さんと「寝た」話でいえば誰かに話したくて話したくて堪らないのが本音だが、今の所にそんな浮かれた話は嫌みとか当てつけ以外の何ものでもなく、とてもじゃないが話せるものではない。やむなく所の得意技「ちょっと」を拝借し、手刀を立てて苦笑いをしてみせた。

 こっちが即答快諾するものと思っていた様子の所は、ちょっとという反応にひどく驚いたような顔をしてみせた。まさかお前、女でもできたんかなどと勘ぐってくるかと思ったが、こいつに限ってそっち系はまずないなとでも思ったのか、なるほどあの九州の親戚のぶんかなどと頷き、訳知り顔に初七日か?とか四十九日か?なんて法事関係だと決めつけた言い方をしてくる。気づかれなかったことに安堵して、そうそうと話を合わせればいいものを、そんな言い方をされるとなんだか急に忌々しくなって、ちゃうわとそんなんやあるかいやとすべてをぶちまけたくなる。が、そんなこっちの気持ちの揺れなどまったくお構いなしの所は一人で法事じゃあしょうがねえのおなどとつぶやき、まっまた来るわと汗びっしょりのTシャツを脱ぎ肩にかけると、上半身裸のまま車の方に歩いていった。

 

 

 かなり早かったが、夕方の四時すぎ家を出た。渋滞が心配だったし、それになにかの拍子、駅方面に歩いているところを所に見られるのも決まりが悪いと思ったからだ。

 花火開始三時間も前だというのに、観光地に近づくにつれ道路は予想どおり混み始め、あとバス停七つ八つという辺りで動かなくなった。仕方なくバスを降りて歩くことにしたが、同じ事を考える人は大勢いるようで、車道を挟んだ両側の歩道は歩いて橋にむかう人で埋まっている。中年壮年のグループを中心に、いかれた若者達に赤ん坊を抱いた家族連れまでさまざまで、時折あちこちで笑い声などが沸いたり、はぐれた誰かを大声で呼び止めたりする様子はなんだか華やかな空気であり、昔父親に連れられて行ったメーデーのデモ隊のようだった。ただ、五時前の熱気は徒者ではなく、久しぶりに綿パンにチェック柄のBDシャツ、ローファーなどめかし込んできたというのに、あっというまに汗まみれになった。前を歩くおっさんのかかとをローファーのつま先でけ飛ばしてしまい、おっさんが転げそうになった。慌てて謝ったが舌打ちをされて睨まれた。

 五時半には橋の料金所の前に着いた。そこは河原への降り口のそばでもあり、花火見物客の大半が料金所の前を通って河原に降りて行く事を考えると、こんなところにぼやっと立っているのはまずいなと思った。同級生や後輩に会ったくらいならいいが、サッカー部の先輩なんかに捕まると、せっかく朝から楽しみにしていた磯部さんとの花火が台無しになる。とにかく待ち合わせの時間まではどこか目立たないところで時間を潰さなくてはと城山へ上がる山道だの、公園に整備されているもとの武家屋敷の辺りだの、人気のないところを探して無闇に歩き回った。

 

 城山に上がるロープウェイの駅のところのベンチに腰掛けて休んでいる時、ふいに城山事件の事が思い出され一人で吹き出した。それは中学に上がると同時くらいに、同級生の間でまことしやかにささやかれた事件だった。その内容は聞くたびに多少食い違っており、いくつかのバージョンがあったのだが、共通しているのは若い男と女が城山の麓で青姦を楽しんでいた際、女の方が膣痙攣を起こしたという点と、男のものが抜けなくなって、対処に困り救急車を呼び、助かったものの、とんでもない赤っ恥をかいたという点の二点だった。食い違っていたのは昼間か夜かで、昼バージョンはだいたい城山の麓で昼間っから青姦するようなろくでなしだから、そういう事になるのだと批判めいたニュアンスがあったが、夜バージョンは野外でなど非常識ではあるが夜なら致し方なかろう、しかも目撃されたのが救急隊員だけで、不幸中の幸いだったと同情的。

 確かに中学生の与太話としては面白かったが、どうせ作り話に決まってるしと思っていたところに、ある日、あれは事実なんだと言い張る男子が現れた。なぜそう言えるのかと皆が聞くと、なんと自分の父親が目撃したのだとその男子は言った。なんでもその父親の話では、あの時は救急車なぞ呼ばず、親切なおっさんがぶら下げていた焼酎を女に飲ませたら、ほろ酔いになったころスポッと抜けたのだという。小さくすぼめた口にくわえた人差し指を勢いよく引き抜くときに出る渇いた音。スポッと抜けたという、そのスポッとは、きっとそんな音に違いないと思ったのだが、スポッと抜けたというあたりがやけにリアルで、その話を聞いていた中学生男子達が、皆一斉に無言になり、斜め上あたりに視線を彷徨わせたのを憶えている。

 

 約束の七時、まだ日の沈みきっていない橋のたもとに行くと浴衣姿の磯部さんがいた。浴衣は白地に鮮やかな原色で何かの花が描かれており、手に持った団扇とのコンビネーションも抜群で、文句無く綺麗だと思ったが、あまりにも眩しすぎてじっくり浴衣を見れず果たして何の花なのかわからずじまい。磯部さんは橋のたもとから下に見える、河原のちょうど真ん中辺り、大きなテントが三つも四つも立てられている辺りを指さして、あそこにいけばうちのテントがあるし、急ごしらえの座敷のようなものもあるんですけど行きますかなんて言う。聞けば観光協会主催の花火大会だが、磯部さんの服飾店はその協会の幹部も兼ねており、いわば主催者のようなものだと言う。最初電話で誘われた時、花火大会に来ませんかと口にした訳や、磯部さんが感じている花火への近しい感じの訳がわかった気がした。特等席でみれますよなんて言われるが、そうなれば磯部さんの両親や親戚の人とも当然顔を合わすだろうし、これほどきまずいこともなく「ちょっと」とまたしても所の得意の台詞を失敬して固辞しておいた。

 

 河原は大勢の見物客でごった返していた。磯部さんの話どおり、特等席のテントに近いほど混雑しているので、そこは避けて岸から二つ目の橋脚のあたりにいくと、幾分混雑が緩く、人もまばらだったので、そのあたりに陣取って花火の開始を待った。

 すっかり日の沈んだ午後八時、中年女性のアナウンスに続いてひゅるひゅるという最初の打ち上げ音がしたかと思うと、漆黒の夜空に菊の割物が咲いた。それを合図に、赤や青、紫にオレンジと色様々な大輪が幾重にも重なりながら天空で炸裂し、炸裂した大輪はというと、すぐには消えず大菊に小菊にと同心円状に次々と姿を変えた。

 花火は炸裂する時に辺りを昼間のように明るくする。その度に、それまで闇に沈んでいた見物客がどんな格好でどんな仕草で上空を見上げているのかが映し出される。男性も女性も半分くらいは浴衣姿。ほぼ全員が上空を見上げながら扇ぐ、その団扇の動きが夜の畑に群れるモンシロチョウのように見えた。

 何度目かに明るくなった時、左斜めに一組のアベックが立っているのが見えた。ジーパンにアロハシャツを着た背の高いリーゼントの男と小柄な浴衣姿の若い女の子のアベックだ。はじめはただ、背が高い男だなくらいの気持ちで見ていたのだが、何回目かに闇の中から浮き上がってきた時、確か女の子の左肩を抱いていたはずそのリーゼントの左手が女の子の帯の辺りまで下がっており、おやっと思い注目していると、次の炸裂の時、帯にあったはずの手が尻までさがって止まっていた。暗くて良く見えず、炸裂した瞬間の映像のつなぎ合わせでしか観察はできていないが、その男の手は、どう見てもさらりと触れるという感じではなく、ある時は揉みしだく感じ、またある時は柔らかい肉の感触を楽しんでいる風情と次第にエスカレートしていくようでもある。かなり崩れた感じの男とは対照的に、女の方はパーマ脱色のない肩までの直毛で、飾り気のないその様子は、女というよりは少女と呼ぶ方がふさわしい程で、もしかして高校生かとも思える。花火の炸裂音は橋を渡った先にそびえる城山に反響してエコーがかかり、増幅されて腹に響いたが、次第に自分の胸の鼓動と重なって聞こえ始めた。青姦。痙攣。焼酎を飲ませスポッと抜け。城山事件が思い出された。

 確かに花火はすばらしかったが、正直なところ後半は花火よりはむしろそのアベックばかりを見ていたような気がする。というのも、暗闇での秘め事と忍従しているのか勉めて平静を装っている感じの女の子の様子に驚いたからだ。男の手が尻の肉をもみほぐしているその最中も、周囲にそれを悟られまいとしてか、空を見上げ歓声を上げ、炸裂する大輪を指さしたり、時折その男に話しかけ笑い声を上げたりと健気なのだ。それを良いことに男の手は、まるで生き物のように女の子の尻でくねくねと動き、尻の肉に食いつき、撫でまわし揉みほぐしと、とどまることを知らない。このままいけば城山事件に発展する可能性もある(いや、それはないか)。少女も少女だ。ちょっとぉやめてよもうなんて大声を出して男に恥をかかせなくとも、ちょっと体を離してみたり、男の左手を強引に掴んで腕に抱え込んでみたりして拒否の意志を示すくらいの事をすればよいものを、こんな態度では男の情欲を煽るばかりだ。いくら健気とはいえ、なぜこの少女は拒絶するような仕草をしないのか。少女の心持ちを推し量れず、なぜ、なぜ、なぜなぜと思案し始めるともう花火どころではない。

 磯部さんはといえば、まったくそのカップルには気がついていない様子で、花火が打ち上がるたびにおおっ、とか、うわぁ、とか子どものように歓声を上げ、三回に一回は拍手をしながら小躍りしてみせる。とてもじゃないが手を繋いでしっぽりとというムードではない。

 

 久々にできた花火と花火の間の空白がやけに長く、しばし休憩かと思われた。いつまでも晴れない闇に包まれ、もし今、磯部さんのお尻を撫でたら磯部さんはどうするだろうなんてことを考えたりする。この少女のように健気に知らぬ振りをするだろうか。それとも、ちょっと先輩、ふざけないでくださいよと声を上げるだろうか。まあ、お尻を撫でるなど極端過ぎるとしても、花火の夜に二人ならんで立っているのだから、手を繋いで夜空を見上げるくらいの事は決して不自然ではなかろうと思うのだが、どうにも手が出ない。そんな事をごちゃごちゃ考えていたその時だ、磯部さんが、いきなり腕に両手を絡ませて来た。磯部さんは絡ませた俺の腕に巻かれた腕時計に目を近づけ凝視すると、おおと声を上げ、その腕を自分の胸に抱え込み、ことさら胸に押しつけるようにして体を寄せてくる。突然の大胆な行動に心臓が止まりそうになり、またしても城山事件が頭をよぎるが、磯部さんは耳に顔を寄せて、あっ次、次ですよなんて空を指さすので、え?何?何なの?と言いながら一生懸命空を見上げると、長めの空白を破るかのように、ひゅるひゅるひゅると一筋の光が天空に駆け登った。その光が一瞬消えたかと思うと、その地点から更に上空で、一発の三尺玉が見事に破裂し、青白い大輪を描いた。墨黒に消えていった青は残像として瞼に残り確かに鮮やかだとは思ったが、似たような破裂炸裂を小一時間も見続けた今となっては、取り分けて印象深いそれでもないと思われ、何を殊更次、次ですよなどと空を指さすのだろうと首を傾げ、もしかしてスキンシップしたいが為の口実だったのかとにやけて磯部さんの横顔を盗み見た。その時だった。ただいま九時をお知らせいたしますという時報が流れ、それに続いてアナウンスの中年女性が磯部服飾店提供でしたと告げるのを聞き、ああ、そうか、そういうことかと腑に落ちたが、気持ち良く揺れていたブランコの鎖が突然切れて地面に放り出されたような気分にもなった。

 その後も、花火が打ち上がるたびに夜空を見上げる磯部さんとは逆に、こっちは前のカップルの尻の辺りばかりを盗み見、気がつくと花火大会は終わっていた。

 

 

 花火が終わるや河原を埋め尽くしていた見物客達は猛然と移動を始め、河原から道路に上がる階段周辺は大変な混雑になった。花火が終わったらすぐに帰ってこいって言われているんですよなんて磯部さんは言ったが、今行っても身動きとれないんだからと磯部さんを引き留め、移動する見物客とは逆に河原の隅に移動しそこで話し込んだ。

 磯部家はお盆はあれこれ行事があり、15日まではちょっと会えないですねなんて磯部さんは言う。国鉄官舎に暮らす我が家ではお盆と言われても墓参りに行くわけでもなく、地域の公園で行われる盆踊り大会を見物に行くか行かないかくらいの事で、忙しいと言われてもあまりピンとこないのだが、磯部さんの家ではお盆の行事というのが大変らしく、親戚は集まるわ近所の商店街の集まりはあるわでてんてこ舞いなのだそうで、こっちとしては三日後の8月10日にある広島県の採用試験が終われば、ちょっとした開放感に浸れるわけで、その暁には磯部さんを誘ってあちこち遊びにいけるかななどと楽しみにしていたところもあり、15日までは駄目と言われてひどく気落ちした。

 その話を聞いている間もさっきのリーゼントと浴衣少女の映像が頭の隅でちらちらし、映像の中でリーゼントの手は少女の華奢な尻を揉んだり撫でたりしており、さらに城山事件の焼酎だのスポッと抜けてだのが映像化されて動き出す。団扇を持つ磯部さんの手や、ぴったりと体に張り付くような浴衣の腰の辺りとか、それにしても暑いですよねなんて、少しだけゆるめた襟元から見える白い肌なんかに目が行き、そのたびに股間がしびれるような感じがしたが、自分は童貞だが痴漢ではないと野暮な正論で自分を説き伏せ邪悪な心を封印した。

 磯部さんはさかんに時計を気にし、早く帰らなくちゃという素振りを見せながらも、じゃ河原から道路に上がる階段のほうに歩きだすのかといえば、そんな様子はなく、他愛のない話しに笑い転げその場にしゃがみ込んでみたり、団扇で拍手をしてみたりもしたし、話がとぎれるともじもじして後ろを向いたりもした。

 

 階段付近の大混雑も時間とともに緩和され、今ならそう難渋する事もなかろうと思い、じゃ帰ろうかとこっちが先にたって歩き出すと時間を気にしていたはずの磯部さんは、え?もう帰るんですかなんて言いつつ、少し遅れて後をついてきた。

 花火が終わって小一時間が経っていた。薄暗い路地を何度も右に左にと折れ、実家のそばまで一緒に歩き、じゃあここでいいですからと言うので、そこで別れた。

 別れ際に、磯部さんは、さっき前の方に変なカップルがいましたねなんて小声で囁いた。あのアベックの事だとすぐにわかったが、不意をつかれたのと、じっと観察していた事を悟られたのかと青ざめたのとで、え?そうだった?なんてしらばっくれてしまったが、磯部さんは、見えてなかったんですかあ?もう私なんて、気になって気になって花火どころじゃなかったですよと語尾を笑いで包みながら言い残し、そのまま小走りに路地の向こうに消えていった。

 

 

 渋滞で今日中に帰れるのかななどと思いながらバス亭に向かったが、乗客自体もかなり少なくなっており、道路もそこそこ動き、普段三十分の道を一時間程度で駅に着いた。もう十一時をすぎていたが、昼間誘いを断った所の事が気になり、駅から所の自宅に電話し、今親戚の家から帰ってきたんじゃがと嘘をついて誘うと、おうわしも暇じゃったんじゃ、すぐ行くわと応じ、駅で落ち合いファミレスにしけこんだ。

 花火大会でのカップルの様子とか、それに気がついていないと思っていた磯部さんが、自分と同様観察し続けていた事とかが気になっていて、それってどういう事なんだろうとずっと考えていた。できれば所に話して、意見を聞きたかったのだが、花火の誘いを断った事情からぶっちゃけるわけにもいかず、仕方なく親戚の家の近くであった盆踊りを見に行ったら、その見物客の中にそういうカップルがいてと、例え話にかこつけて話すと、なんで急にそんな話するんじゃなんて不審がるもんでヒヤリとしたが、まあそのへんは良いとしてどうやと言うと、そりゃ女の子も触って欲しかったのっちゃなどととんでもない事を言う。男がやりたいように女もやりたいのっちゃ。ちゅうても女だてらにやりたいっちゃあ言えんわけじゃし、その辺は男が察してやって、ちいと強引なくらいでやっちゃありゃあええのっちゃ。

 

 同棲しながらやらせてもらえなかった情けない童貞くんのくせに、所はわかったような事をしたり顔で言う。そしてこっちの顔色を探るようにのぞき見るもんで、なんやと不機嫌な声を出すと、こっちの心持ちを見透かしたように、いいや別にとだけ言い、馬鹿笑いをしてみせた。