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作品①『ゴリポンとボクと、基地の街で』

 

 

ゴリポンと呼ばれていた木村宗八くんはボクの憧れだった。

 

小学生のくせに身体が大きくゴリラみたいだけど運動神経抜群で少年野球はピッチャーで4番の大スターにして喧嘩最強。その強さは同級生の中では圧倒的で、ボクはずっとゴリポンになりたいと思っていた。というのもボクは生まれつき虚弱な体質で幼い頃から何度も喘息で入退院を繰り返しており、喧嘩など強い弱い以前の問題でボクと喧嘩をして勝ったからといって何の自慢にもならないと思われるような存在だったからだ。

 ゴリポンはいつもたくさんの取り巻きを引き連れていたが、本当に心を開いてうちとけあえる子はいないとボクは見抜いていた。というのもゴリポンに近づいてくる連中というのは腕力で人を脅し、いい格好したいのだが、ゴリポンほど強くもなくゴリポンと仲良くなれば他の奴等にでかい顔ができると踏んでいる輩か、勇敢にもゴリポンに挑みはしたもののあっさり喧嘩に負け軍門に下ったチンピラ、もしくは露骨に子分になりたいと擦り寄ってきたような奴等々、恥知らずで狡猾なやつらばかりだったからだ。しかも勉強のできないゴリポンの事を内心小馬鹿にしているくせに、そんなことはおくびにも出さず木村くん木村くんと表向きはへいこらするばかりで、そのくせ裏ではゴリポンと渾名で呼び捨てにしており、ゴリポンの方でもそんなあいつらの嫌らしさはちゃんと嗅ぎ分けているはずだと思った。

 

 ボクは友達を作らない方針だった。事実クラスの中にも親しく口をきくような対象はおらず、登校して帰宅するまで一言も喋らない日などもしょっちゅうで、休憩時間などはいつも一人で図書室にいくのが常だったのだが、ゴリポンなら友達になってもいいなと密かに思っていた。というか、もし友達を作るのであればゴリポンしかいないと思っていたのだが、かといってあの連中のように自分から擦り寄っていく積もりは毛頭なかった。そもそもあんな下劣な奴等と一緒にされるのも癪だったし、友達になりたければいくらだってやり方はあるさとボクは思っていた。

 そんなボクがゴリポンと仲良くなったのは六年生の二学期。班がえがあり、ゴリポンが班長である三班の一員になったことがきっかけだった。小学校のクラスは五、六年が持ち上がりで担任も変わらなかったから、その時まで一年と一学期の間、ボクはゴリポンと同じクラスにいたのだけれど、その間一言も言葉を交わしたことなどなく、それだけを見ると友達になるきっかけなど皆無に見えるのだが、実はその間ずっとゴリポンの言動を観察して趣味嗜好を冷静に分析しじっとチャンスを待っていたのだ。

 ボクの予想通り、ゴリポンは隣の席になった無口でチビで虚弱で透明人間みたいな子がまるで宝物のように大切に扱っているノートを見て、興味を覚え、その子に何のノートか尋ねたのだ。

 シネマノートさ。

 そう答えればゴリポンは食いついてくる筈だと思っていた。というのもゴリポンは大の西部劇ファンだったからだ。

 シネマノートとはボクが名付けたノートの名前であり、文字通り映画鑑賞記録とでも言うべきノートだった。喘息で入退院を繰り返していた小三の頃始めたものだったが、その頃は金曜ロードショーや土曜映画劇場など、洋画を中心に放映するテレビ番組が多く、ボクは暇に任せてそうした映画を片っ端から見まくり、その都度感想などを綴ってきたのだった。もちろん読書感想文のような観賞後の感想なども文章にしたが、それ以外にも制作年、監督名、主演俳優名(これくらいなら新聞の番組欄を見れば載っていた)、ストーリー、そして番組の始まりと終わりに解説者である映画評論家の喋るエピソードなども細大漏らさず聞き取り書き込んだ。特に気に入った映画は印象に残るシーンを色鉛筆で絵に描き再現する懲りようだったのだが、大して感動もせず題名と制作年、監督名くらいしか書いていないものも含めてゆうに一〇〇は越えていた。その頃は空前の西部劇ブームでありテレビで放映する映画も自然西部劇が多く、実際ノートの三分の二は西部劇映画の記録でウェスタンノートと改名しても差し支えないほどだった。

 大の西部劇ファンでしょっちゅう子分を捕まえては決闘ごっこをしていたゴリポンはたまたまめくったページに描いてあった『荒野の一ドル銀貨』のジュリアーノ・ジェンマの似顔絵や、クリント・イーストウッドが持っていた銃身の長いコルトピースメーカーの鉛筆画に目を見張り感嘆の声を上げたが、他のページを次々とめくり続けるうちにだんだん無口になりすべて見終わると大きな溜息をついた。

 それからと言うものゴリポンは暇さえあれば笑顔でボクに西部劇の話題を振ってきた。それは何かの拍子に姿を現した陳腐な透明人間に苦笑いしながら近づいたものの、透明人間の才能の非凡さに驚嘆しさらに親近感を覚えたというような接し方であったが、ボクは話しかけられると慎重に言葉を選び、できるだけ控え目にゴリポンの知っている十倍の蘊蓄を傾けた。

 ゴリポンは『駅馬車』とか『OK牧場の決闘』とか『シェーン』『夕陽のガンマン』などいわゆる古典と呼ばれるような作品が好きで、騎兵隊がアパッチを蹴散らしたり、流れ者のガンマンが悪徳保安官を一人で成敗するような話がお気に入りだったが、ボクはインディアンこそ先住民であり白人なぞ後から来た侵略者であること、馬に跨り羽飾りをつける事以外のインディアンの習慣風俗がすべて映画会社の作り出した出鱈目であること、むしろその頃映画館で公開されていた『小さな巨人』だの『ソルジャーブルー』だのといった作品こそ見るべきであることを(この日のために映画雑誌を読みあさり知り得た情報ばかりだったが)さりげなく語ってきかせたりするようになった。

 

 シネマノートだけで効果は充分とも思えたが、ダメ押しの意味でボクはさらに大切にしていたもう一つの宝物を学校に持参することにした。少年野球の世界でその名を知られた名選手ゴリポンは期待通りそれは何かと尋ね、ボクは満を持して答えた。

 コーちゃんの記録さ。

 コーちゃんとは、ボクが小学校三年生の夏、甲子園の決勝で延長一八回を投げ抜いた伝説のヒーローにして、その年(一八七二年)夏のオールスター第三戦戦で王、長島を見事に討ち取った近鉄の投手太田幸司の事だった。ボクは丁度入院していた一九六九年の夏、暇に任せてつけ始めた野球のスコアブックにあの伝説の延長再試合の二七イニングスを記録する幸運に恵まれた。その頃はまだスコアブックもつけ始めたばかりでスターティングメンバーやランニングスコアはまともに書かれているものの、ヒットも塁打は正確のようだがなぜか6(ショートを示す番号)の前に点があったりして外野へのヒットの書き間違えか、内野安打のつもりか見分けがつかない上に、ストライクボールもいい加減で公式発表では二六二球放った事になっているコーちゃんの投球数もなぜか二〇〇を切っており、それというのも三回裏と八回表は空白で何も記入されておらず、恐らくトイレに行ったか、医師の回診があったかだと思われたが、とにかくそんな調子で内容は極めていい加減なものだったのだが、当時の同級生で野球のスコアブックをつける事ができる子は皆無であり、スコアブックの存在さえ知らない子も多く、ゴリポンは記録された試合が太田幸司のあの伝説の試合であるだけでも驚きの上に、それを三年生の時に記録したと聞いてからは物も言えない様子で、それはまさにそれまで六等星だと小馬鹿にしていた星が絶対等級で言えば太陽と同じなのだと再認識したような感じであり、スコアブックを手に酸欠の金魚のように口をパクパクさせるばかりだった。

 それ以来、当然の事ながらゴリポンとボクは西部劇の話のみならず高校野球の名場面の話をもするようになったのだが、それは島本講平の箕島と北陽、東海大相模とPL、ジャンボ仲根の日大桜ヶ丘と日大三校の日大対決などいわゆる名勝負と言われた決勝戦にとどまらず、ボクが東京からこの町に越してきた年に初出場した地元の高校が四国の学校に逆転負けをくらった一回戦の試合にまで及び、その都度ボクはスコアブックをめくって記録をみせるのだった。

 

 

 

 六年生の秋、ゴリポンの誕生日会に呼ばれた。

 誕生日会するけえ来てくれやと学校の帰りに肩を叩かれたのだ。ボクはゴリポンに誘われた事が嬉しくて速攻で快諾したかったのだが、即答してはボクのゴリポンに憧れる気持がばれてしまうと思い、聞くはずもないのに母親に聞いてみないとわからないから明日返事するからと勿体をつけ、翌日許してもらったと反対する母親を説き伏せた感じまで付け足した。ゴリポンは誰にも言うな、内緒だぞと何度も念を押した。確かに誕生日会をするときは、周りに人がいないときこっそり誘う、できれば招待状のようなものを作っておいてそれを渡すのがマナーとは聞いていた。人がいるところで誘うと俺も俺もと収拾がつかなくなり、中には何で俺を誘わないと怒り出す奴まで出て大変な事になるからだと。そのマナーで言うとゴリポンの誘い方は模範的であり満点であったのだが、どこか言いようのない違和感があるのを感じていた。

 ボクはゴリポンお気に入りのリボルバーのプラモデルをプレゼントに買った。子どもの小遣いではかなり高価で、こんなにするものなのかと驚いたが思い切って購入した。回転式の弾倉を持つ、やけに銃身の長い銃だ。早撃ちのガンマンなどはむしろ銃身の短いタイプを愛用しているようで、そのことはゴリポンも知っているはずなのになぜかゴリポンは銃身は長いに限ると常々言っていたからそれを選んだのだが、案の定、包みを開けるとゴリポンは目を見張って「すげぇ」とつぶやいたきり絶句した。

 ゴリポンの家は飲食店のようで、入り口の看板には焼き肉・ホルモンとあり、壁や机、座敷の畳には、臭いを嗅いだだけでお腹が鳴りそうな甘辛い臭いが染みついていた。

 

 促されて店に入ると、机の一つにコーラが二本置いてあった。

 チョンパ ー 。(家の人はさかんにゴリポンのことをこう呼んだ)

 お母さんかお姉さんかわからなかったが、店の奥の調理場のような所から声がかかるとゴリポンは席を立ち、輪切りにされた巻きずしをうずたかく盛った大皿をもって戻ってきた。ゴリポンはプラモを組み立てながら、巻きずしをほうばった。ハッピバースデェートゥーユーの歌も、バースデーケーキも、クラッカーの爆裂音も、色紙を切って作った鎖の飾り付けも何もなかった。もちろん、真っ白なエプロンをしたお母さんが、山盛りのカシワ肉の唐揚げかなんかを持って現れる事もなかったし、カーディガンかなんか着込んだお父さんが現れて「これからも仲良くしてやってくれよな」なんて言うシーンも無かった。家の人さえもいないガランとしたお店のテーブルに腰かけボクとゴリポンはひたすら巻き寿司をほうばり、コーラでそれを流し込んだのだが、その間もボクは自分以外に誰が来るのか気になって仕方なかった。

 そもそもゴリポンは学年の親分でありゴリポンが誘えば軽く二、三十人の同級生が集まるだろうと思われたが、その友達のほとんどはボクと全くタイプの違う子達で、例えばゴリポンが入っていた少年野球チームのメンバーである西田とか植木なんかは一年中真っ黒に日焼けしていたし、小学生のくせに身体は筋肉質でひきしまっておりいかにも野球少年といった感じで、虚弱なボクなんかとは人種が違うという感じだった。もちろん話した事など一度もなかったが、ゴリポンとは仲が良く野球以外にもしょっちゅう一緒に町中を自転車でぶらぶらしているところを見かけていたから、当然呼ばれているのだと思った。

 ボクが密かにコバン(小判鮫のようにいつもゴリポンの傍にいた一番弟子みたいなやつ)と呼んでいた河原や他の子分達も当然貢ぎ物をもって集まるのだろうと思ったし、喧嘩の強さでは学年で一、二を争うと噂されていた嶋田なんかも喧嘩友達という点でははずせない存在ではないかと勝手に決めつけていたが、もし彼らが来たらボクはどうすればいいのだろうと思うと気が気ではなかった。ボクは野球もやっていなかったし、喧嘩も弱い。ただゴリポンと同じクラスの同じ班でたまたま一緒になっただけという間柄のボクはクラスの違う西田や植木なんか共通の話題などあるはずもなく、コバンに至ってはボクの事をオヤマオヤマとさかんにからかい小馬鹿にしていたわけで、そんなボクがゴリポンと仲良くなった事を快く思っておらず、この誕生日にまで招かれているところを見れば当然ゴリポンにわからないように嫌がらせをしてくるものと思われた。それに話の展開次第ではゴリポンがボクの映画や野球のスコアブックの知識などを持ちだし、いつものように話して聞かしてやってくれみたいな展開も予想されたが、あんな下劣なやつらに大好きな映画の話しや宝物の野球のスコアブックの話しをするのは潔しとしなかった。かといって彼らとうちとけるきっかけはそこしかなく、それ以外で盛り上がればボクはその盛り上がりの輪の中からは外され隅のほうに追いやられるのは確実で、それはそれで嫌だなと思うとますます憂鬱で寿司もあまり喉を通らなかった。 

 しかし、すべては杞憂におわった。寿司を食べ尽くすや、裏の広場にいこうとゴリポンが言ったのである。作り終えたばかりのリボルバーを手にすると早撃ちとガンスピンを見せてやるから来いと言い、ボクには壊れかけた銀玉鉄砲を投げてよこした。

 誕生会は終わったようだった。つまり他には誰も呼んでなかったのである。

 誘われた時にボクが感じた違和感の正体はこれだったのだ。他の誰にも言うなと言ったのは他の友達に来て欲しくなかったからなのだとわかったが、果たしてどうして一人だけで、なぜボクがその一人だったのかゴリポンはその理由を口にしようとはしなかったが、やはりボクの見立て通りあの子達の事が傍目で見るほど好きじゃないのだとボクは思った。

 ゴリポンはすごく嬉しそうだった。学校では見たことがないくらい嬉しそうな顔で寿司をほうばったし、できたばかりの銃を、まるで手放したくない幸福のように固く握りしめた。

 

 

 

 ボクは中学生になってゴリポンと別のクラスになってしまい途方に暮れたが、せめて部活だけでも一緒になりたいと勇気を振り絞って野球部に入った。

 もともと喘息持ちで病弱なボクは野球などしたこともなく、下手とか上手いとかいう以前の問題で、それどころか、夏の炎天下のグランドにずっと立っていられるのかでさえ心許なかったがスコアラーとしてならいけるはずだと思っていた。

 というのも近所に住むケン兄(大学生のお兄さんで、どうも祖父の遠い親戚らしかった)から詳しいスコアの付け方を教えてもらっていたのだ。ケン兄はもと高校野球の投手で近隣では剛速球で鳴らし将来を嘱望されていたらしいが肩を痛めやむなくスコアラーに転向した経歴の持ち主で、自らの投球の経験に裏打ちされたスコア理論はボクの稚拙なスコアとは比べ物にならず、夢中になったボクは暇を見つけては部屋に上がり込み教えを請うていたのである。お陰で高校野球のみならずプロ野球にまで手を広げ、ボールカウントとともに変化球などの球種も併記し、投球の傾向まで分析したりしていた程で選手は無理にしてもスコアラーなら上級生にでも負けない自信があった。

 ただ、野球部というのは学校の中でも柄の悪い生徒の集まりであり、不良グループの親分みたいな上級生もおり、ボクの母親などは野球部に入りたいと口にしただけで卒倒しそうになったくらいで、そんな中に入るのはゴリラの群にハムスターが紛れ込むようなもので、当の本人も正直なところ果たして上手くやっていけるのか心配ではあったのだが、ゴリポンに相談すると事もなげに入れ入れと言い、わしが助けてやると約束するわけで、それはそれで心強かったが、いかにゴリポンといえどもなにせ新入生なわけで、そんな安請け合いを信じてもいいのかわからなかったが、とにかくゴリポンと同じ部員になれればという一念で勇気を振り絞った。

 驚いた事にゴリポンは上級生の間にも顔が広く、さすがに部活の間は敬語を使ったが、部を離れるとほとんどの上級生とタメ口をきき、そんな人間関係をバックに何かとボクに便宜をはかってくれ、お陰で同級生は言うまでもなく上級生からも理不尽なイジメを受ける事もなく、その上主将を通して顧問教師に口をきいてくれ入部後すぐにスコアラーに収まることができた。

 驚いた事にスコアをつけられる部員は三年生の補欠に一人いただけで、それもごくごく基本的な記録しかできず、誰の打席の何球目に盗塁をしたとか、誰の何球目に暴投があってランナーが進塁したとかいう場面になるともうお手上げだったので、完璧な記録ができた上に、あの伝説の延長十八回を小三の時点でリアルタイムに記録したという話は不良の上級生達にも驚きをもって迎えられ大いに重宝がられた。

 当のゴリポンはというと、一年の春の大会からレギュラーに抜擢されレフトで五番。三年生の四番が敬遠された後の満塁で走者一掃の長打をかっ飛ばしたり、ワンナウト三塁、レフトフライでタッチアップしたランナーを矢のような送球でアウトにしたり大活躍だった。

 ボクはゴリポンが打席に入るとまるで自分の事のように緊張し、心臓が口から飛び出しそうになったし、ゴリポンが打席でフルスィングするとボクの身体も感電したように動いてスコアブックに幾筋も鉛筆の跡をつけたりした。

 

 

 

 ゴリポンは時々標準語を使った。それは多分ボクが始終標準語で話していたからで、それはすごく嬉しい事であり内心自慢だった。

 ボクは小学校五年生に上がる時、東京からこっちに越してきたのだが、なかなか方言がうまく喋れなかった。方言にしても標準語にしても、話し言葉というのは一部分だけ真似してもしっくりこないもので、方言なら主語から述語まで、さらに語尾、文末の処理に至るまですべてトータルでコーディネートしないと様にならない。

 例えば「わりゃあせんないのぉ」という言い方があった。

 こっちでは普通に使う言い回しだが、「わりゃあ」が主語で標準語なら「君」とか「おまえ」崩して「てめえ」という感じだ、「せんない」はこっち独特の形容詞で、嫌な奴だなと相手に不満をぶつけるようなニュアンスになる。そして文末の処理は「のぉ」、標準語なら「ぞ」とか「な」あたりだろうか。

 東京で言えば「てめえ、面倒くせえ野郎だな」くらいの意味なのだが、主語のところで「てめえ」と始めてしまうと「せんない」が出てこないし、無理して続けると博多人形の頭のところにフランス人形の頭部をくっつけたような、背広に下駄を合わせたようなちぐはぐな語感になって、苛立った気持ちより恥ずかしい気持ちが先に立ち、口ごもるという感じになる。だからボクは始終標準語で喋った。

 わりゃあ、クソせんないのお。ぶっさくど。(ぶっとばすぞという意味)

 他の奴に方言で怒鳴りまくっていたゴリポンは急にボクに向かって「それでさ」などと口にしたし、ちぐはぐな感じやトータルなコーデネートなどお構いなしに「あいつってさ、ぶちいかしてるっちゃ」「わしゃあお腹減っちゃった」などと言い放ったが、そのギャップがおかしくてボクは吹きだしてしまうのだった。

 

 

 ある日学校で、ボクは標準語で思わせぶりにゴリポンに話しかけた。

「時々木村くんみたいに強くなれたらと思う時があるんだ。もし喧嘩が強ければオヤマオヤマとからかわれても簡単にぶっ飛ばしてやれるからね」

 それはゴリポンに小判鮫のようにへばりついている河原の事だった。小判鮫のようだからいつもは内心コバンと蔑称で呼んでいたのだが、そのコバンが中学になって別のクラスになったにも拘わらず野球部で一緒になり、ゴリポンのいないところでボクを小突いたり、オヤマオヤマと呼んでからかってくるのが鬱陶しくてたまらないとほのめかしたのだ。たしかにボクは髪を長くしていた小学生の頃はちょくちょく女子と間違われていたくらいでオヤマと呼ばれても仕方ないかと自覚していたのだが、コバンのそれは傍目に不良でもなく虚弱でカスのようなボクが学年の親分であるゴリポンのお気に入りになり、はてはゴリポンの口利きでスコアラーに収まり、かつては一番弟子だった自分が疎んじられ遠ざけられている事に不満を募られているからに違いなく、何かと嫌がらせをしたりボクがゴリポンと話すのを邪魔するわけで、せっかく勇気を出して野球部に入ったものの小学生時以上にゴリポンに近づけない一つの原因となっていたからである。

 ゴリポンにあいつ鬱陶しいからやっつけてくれ等と告げ口のような事をするのはボクの好みじゃなかったけど、そういう思わせぶりな言い方をすればゴリポンがボクの真意を斟酌し何等かの行動を起こすということもわかってきていた。予想通りゴリポンは鼻の穴を開き眉をひそめ、二日後コバンが野球部を辞めた。廊下で出会ったコバンは彫れ上がった頬を隠すようにしてボクの傍らを通り過ぎ、ボクはほくそ笑んだ。

 

 

 ゴリポンのお父さんって人は「お爺さん」だった。お母さんって人も「お婆さん」だった。なにしろゴリポンのところは八人兄弟で、ゴリポンはその末っ子らしく名前も宗八と書いてソウハチというくらいなのだ。一番上のお兄さんはもう三十才を過ぎており、結婚して子供も居たくらいだから、ボクや他の友達の両親より、世代がかなり上だった。ゴリポンはそれをすごく嫌がっており、小学生の頃も、運動会などの学校の行事で親が来るのを極端に嫌がり、今日うちのジジイが来ると下唇を剥いて見せたが、ボクは運動会を見に来てくれる「お爺さん」がうらやましかった。それだけじゃない。「おばさん」や「おじさん」たちも含め一族総出で運動会におしかけテントを占拠し昼の弁当の時間になると大勢でお弁当を広げるゴリポン一家がうらやましくて仕方なかった。

 ボクのところは、運動会にはお母さんとお父さんのお父さん、つまり本物の「お祖父さん」しか来なかった。ボクの家族は母親と祖父とボクの三人家族だった。もちろん父親もいたが、その父親はボクが小学校に入学する頃ある病気になると、その後も入退院を繰り返し、とうとう勤めていた東京の会社もやめてしまった。それが小学校四年生の時だ。しかたなく家族で父親の実家のあるこの町に越してきたが、父親は隣町にある病院に転院したままでほとんど会うことはなかった。

 祖父がやっていた蓮根畑の仕事を母親も手伝いはじめたが、東京生まれの東京育ちのくせに母はすぐに土地にとけ込み、祖父とも随分前から一緒に暮らしているように仲よくなった。いつかなんかは夜ボクと一緒に二階の六畳間で寝ていたはずの母親が、朝起きてみると階下の座敷の祖父の隣で寝ていたりした。

 だから父親は運動会なんか一度も見に来てくれた事はない。

 

 ボクは毎週、日曜日になると決まって母親と祖父と三人で父の見舞いに出かけた。汽車で二駅行った町の病院に父はいた。

 学校では外出するときは必ず中学校の制服と制帽を着用するようにと厳しく言われていたけど、病院への見舞の時だけはいつも私服だった。ベルボトムのジーンズにTシャツ、坊主の頭には鳥打ち帽をかぶせた。

 駅をおりると川沿いを上流に向かってテクテク歩いたが、海からさほど離れていないその川には、いつも海魚が群れて泳いでおり、ボクは立ち止まって魚を見る事が多かった。立ち止まっている間に祖父や母親が先に行ってしまい、ボクとの間が離れてしまうのがうれしかった。三人一緒にいると誰が見ても連れなのだとわかってしまう。

 そんなボクの気持ちを見透かしてか、母は世の中に恥ずかしい病気なんかないのよと白々しくボクを諭した。悲しい病気はあっても、恥ずかしい病気などないと母が言うと祖父も、食べ過ぎたらお腹が痛くなる。重い物を持ちすぎたら腰が痛くなる、悩み事が多すぎたら心が風邪をひくだけの事じゃと臆面もなく後を継いだ。

 一番辛いのは父さんだもんね。「いい子」だったボクは母や祖父に調子を合わせて、そんな心にもない事を言い、祖父や母に笑顔を見せると母親が持っていた弁当の包みを受け取り先にたって歩いた。

 母親にしても、祖父にしても、知り合いや近所のおばさん達には内蔵が悪くて入院治療中という事にしていることをボクは知っていた。東京で起こった悪夢の数々は実家あたりの人にはばれていなかったのだ。

 面会室に姿を見せる父親は夢を見ているように朦朧としているか、激しい口調で誰かをののしるかどちらかだった。薬が効いているときは廃人のようで母手作りのおむすびを手に持たせてもらうと、それを食べながら赤ん坊のように唾液を垂らしたが、薬が切れているときはまるでヤクザのように悪態を付きながら弁当を祖父に投げつけたりした。時には異常に袖の長い拘束服を着せられて屈強な男性職員に引きずるように連れて行かれる事もあった。

 母の気持ちも祖父の気持もよくわかっていた。みんな父親が嫌いなのだ。父さえいなければ我が家は平和でのほほんとして笑って過ごせる。仕事もせずに金ばかりかかって、一向に治りそうにないこいつさえいなければなあ。あの人と出会いさえしなければこんなことにはならなかったのに。祖父や母親の声が聞こえてきそうだった。それに、父の調子が悪くて暴れた日には、決まって母親が夜、祖父のいる階下に下りて行くこともボクは知っていた。

「優しい笑顔だったのよ、笑うと八重歯がこぼれてね」

 母は結婚したころの父のことをそう話すことがあった。

 赤ん坊のボクを抱いて微笑んでいる父。よちよち歩きのボクの手を引いて微笑んでいる父。はしゃいだ表情のボクを肩車して微笑んでいる父。三輪車に乗る僕の後ろを追いかけながら微笑んでいる父。たしかに優しい笑顔だとボクも思ったが、それは全部アルバムの中。ボクが物心ついた時には父の魂はすでに病気に冒されており、八重歯がこぼれる優しい笑顔などアルバムの中でしか見たことはなかったのだ。

 祖父と母は父の事を嫌っていたけど、ボクはそれ以上で、何より父の子である事が恥ずかしかったし、バレたら死んでやるとさえ思っていた。あの父親の息子であることがばれるのは子供社会からはじき出される事で、それはボクに死ねと言う事と同じだったのだ。だから、知られない為のありとあらゆる努力をした。勉強を頑張りいい成績を取る。成績がよければまさか精神病患者の息子だなどと誰も疑わないはずだとボクは固く信じていた。そしてできるだけ友達は作らないこと。とりわけ必要以上に親しい友人は、「秘密」漏洩の元だと思った。ボクは一人でいい。ボクは孤独でいい。「秘密」がばれるより、その方がよっぽどいい。ゴリポンに出会うまではそう思っていた。

 

 

 

 二年生になった。

 相変わらずボクは虚弱でひ弱なもやしだったが、かろうじて炎天下のグランドにも立てるようになったし、喘息の発作はもう半年以上も出ないままで、身長もすこしばかり伸びなんとか坊主頭も似合う中学生になっていた。

 ボクはゴリポンと同じクラスになった。小学校の六年生の時以来であり、ボクは有頂天になった。これからはいつでもゴリポンと話しができると思うと嬉しくてしかたなく、とりわけ必要以上に親しい友人を作らないように心がけてきたその封印を解き、ゴリポンに誘われるまま部活の後自宅とは反対方向にあるゴリポンの家に寄り道したりするようになった。始めは週に一回だった寄り道は次第に回数が増え、週に二回になり三回になり、やがてゴリポン宅まわりのルートが下校時の通学路となった。

 

 毎日のようにゴリポンの家に寄るようになって、ゴリポンの家族や店の常連さんたちとも顔見知りになったが、その人達がみな揃ってなまりのきつい方言を話すのに驚いた。地元の方言は喋るのは苦手だったものの、聞く方は平気で聞き取りに困った事はなかったのだが、その方言はまったく単語すら聞き取れず、果たしてどの地方の方言なのか首を傾げたものだが、やがてラジオ放送で一番よく聞き取れる外国の放送と似ている事に気がついた。さらにそのきつい方言を喋る近所の常連さん達は、養豚業に廃品回収、運送屋に屑鉄屋と自営業ばかりだったが、毎日欠かさずゴリポンの店で夕食を取る事にしているようで仕事を終えた大人達やその家族が夕方になると三々五々店に現れたが、その中に野球部の不良の親分のような上級生達の顔もあり、ゴリポンとは兄弟同様に接しておりゴリポンが上級生達に顔が広い理由もわかりすべてに合点がいった。

 

 ゴリポンと共に過ごすようになって、ゴリポンの野球以外の生活がモデルガンと煙草、この二つで満たされていることを知った。ゴリポンは六年生の頃と同じように、今でも西部劇に目がなくクリント・イーストウッドに憧れており、段ボールを切り抜き色を塗ったガンベルトに小遣いを溜めて通販で購入したというモデルガンを差し、早抜きや、ガンスピンを披露して悦に入っていた。時折高校生の兄が隠し持っている煙草をくすねてきては、それを口の端に銜えて銃を構えてみせた。

 本革のガンベルトにずしりと重いコルトピースメーカーのモデルガン、テンガロンハットに牛革のブーツがあればなあとゴリポンはぼやいた。ゴリポンが持っていたモデルガンは、見かけは重厚な感じだがその積もりで手にするとボクがプレゼントした例のガンプラ並みの重さしかなく、それは拍子抜けするほどで情けなく、ゴリポンがぼやくのも無理はないと思った。しかしゴリポンは雀の涙ほどの小遣いしか貰っていないようであり、モデルガンはおろか、煙草でさえ買うのもままならずやむなく兄の隠し持っているものを密かにくすねているようであり、ボクに至っては必要な時にその都度使い道を申告しないとお金をもらえないわけで、金があればなあは二人の口癖のようになっていた。

 

 

 そんなある日、スコア理論の達人にしてもと剛速球投手のケン兄の部屋に上がり込んだ折りボクはケン兄に無修正ポルノ写真を見せられ度肝を抜かれた。それは一糸まとわぬ金髪の白人娘が満面の笑みでベットに寝そべっている三つ折りの大判の写真だったが、日本国内では違法とされていたにも拘わらず金髪娘のあそこに張りつくタワシのような陰毛とその奥の艶っぽいクレバスが明瞭に写っていた。ケン兄はそんな非合法な写真を年端もいかぬボクに見せつけたのである。

「ベースのゴミ捨て場にいきゃあ、ごろごろしちょる」

 ベースとは特にアクセントを置かず平たい発音をすると野球の一塁二塁のベースや楽器のウッドベース、エレキベースを意味するが、最初のベにアクセントを置くと地元の米軍基地を差した。地元の人で米軍基地を米軍基地とか基地とか言う人は希で、みなベースと発音したものだったが、ケン兄はその米軍基地に隣接する基地専用のゴミ捨て場でそれを拾ったのだと言い、そこに行けばこんな無修正ポルノ雑誌など他の新聞や雑誌とともに投げ捨ててあると言う。もちろんタワシもクレバスも日本国内では禁止され違法だが、アメリカ国内では合法で、たとえ日本国内であろうがベースの敷地内は治外法権でアメリカ領土と同じ扱いだから、アメリカ国内並みに無修正ポルノも大いばりなのだと。 

 ただし、そのゴミ捨て場から拾ってくる行為は密輸と同じ事だから、もし万が一MPにでも見つかればその場で射殺されるのは確実。日本の警察に見つかっても、未成年だから逮捕はないにしても補導は間違いなし。少年院行きだ。それでも拾いに行く度胸があれば行ってみろとウィンクした。

 

「拾いにいく度胸ある?」

 ボクは事情を説明し、ケン兄の口にした注意事項も分かり易くしかも二回繰り返した上でゴリポンを挑発した。そもそも拾いに行きたいと思ったのはボクであり、虚弱でひ弱なくせに女性への興味は人一倍のボクはもっとたくさんのポルノ写真が見てみたくて仕方なかったのだが、当然の事自分一人で行く勇気などあるわけがなく絶対に無理だと思ったし、自分から行きたいなどと言い出すのはセックスに興味津々だということを告白するようなもので、それはそれで照れくさくできればゴリポンをその気にさせ無理矢理とか強引にとかで誘われ仕方なくついていったという形にしたかった。事実ゴリポンが一緒ならできるような気がしたし、それにボクにはあるアイデアがあり、ゴリポンにとっても決して悪い話ではないと思っていたのだ。

「ごろごろ」と「確実」と「間違いなし」がゴリポンの頭の中で錯綜したようで、眉間に皺を寄せ、細い目を見えなくなるくらい更に細めて沈思黙考したゴリポンだったが、しばらくしていきなり立ち上がると、ボクの期待どおり行くぞ、付いてこいと鼻息を荒くした。

 しかし、いざ行ってみると「確実」や「ごろごろ」は全くの嘘だった。たしかに言われたところにゴミ捨て場はあったが、MPどころか係員一人いない基地のはずれであり、でかい焼却炉があるだけの只のゴミ捨て場でしかなかった。ゴミ捨て場だから大量のゴミが捨ててはあったものの、ほとんどが木箱や段ボール箱や英字新聞の類で、いかがわしい雑誌など全く見あたらなかった。

 肩を落として帰ろうとしたときボクは英字新聞の束の間に挟まった雑誌を見つけ指さした。くくってある紐をほどくのももどかしく引き抜いてみると「PLAYBOY」の文字が表紙に踊っていた。やったぞ。でかした。お宝発見だ。

 ヘイ ボーイ。

 その時だった。甲高い叫び声が焼却炉の奥から響き、走り寄ってくる軍靴の音が聞こえた。泡を食ったボクはその雑誌を放り出すと自転車に飛び乗ったが、律儀なのかそれともセックスにどん欲なのかゴリポンは地面に落ちた雑誌を拾いに戻ってしまい、そのことが生死の分かれ目になった。

 ヘイ ストップ。

 MPの叫び声に被さるように乱射されるマシンガンの銃声。耳や頬をかすめて飛んでいく弾丸の一つが遅れて飛び乗ったゴリポンの自転車のタイヤで炸裂。道路に投げ出されたゴリポンの身体に弾丸が襲いかかり、蜂の巣にされ血まみれになったゴリポンの死体がアスファルトに転がった………。

 

 生きた心地はしなかった。たしかにMPらしき米兵はヘイ、ボーイと制止するよう呼びかけたが、それを振り切って逃げ出してもマシンガンは乱射されなかったし、バイクもジープも戦車も装甲車もファントムも地対空ミサイルも核兵器もボクたちを追いかけてはこなかった。

 

 校区にある恵比寿神社まで命からがら逃げおおせたボクはお宝を神社の裏のお堂の中に隠す事を提案し、しばらく様子を見ようと言った。もし捜査の手が及ばなければ、取りにくればいい。ゴリポンは荒い息のまま黙って何度も頷いた。

 恐る恐る開いた翌日の新聞には、何物かが米軍基地から密かにポルノ雑誌を持ち去った事件の事など何一つ掲載されておらず、教師の呼び出しに怯えていた学校でも特に大きな変化はなかった。警察のパトカーやベースのジープが学校のまわりをうろつくような事もなく、胸を撫で下ろしたボク達は、一週間ほどして「ブツ」を取りにいった。

 神社の裏でゴリポンと一緒にじっくり観察を試みた。見たこともないような美しいカラー印刷だった。ふかふかの毛皮のような白い敷物のしかれたベットの上で両足を大きく広げたポーズ。綺麗な焦げ茶色の革のソファの上で四つん這いのお尻を見せながら振り返っているポーズ。全裸でシャワーを浴びているポーズ。全裸でバイクに跨っているポーズもある。どれもこれも、ことさら性器を強調するかのようで、たまたま写ってしまったのではなく、明らかにそれを見せるためのポーズだと思われた。ゴリポンもボクも何も言わず無言だった。初めて見る女性の性器に言葉を失い、股間を熱くしてただ食い入るように見つめ、そして震える手でページをめくっていった。

「一枚百円で売るってのはどうかな?」

 ボクはずっと温めていたアイデアをゴリポンに提案した。しばらくはお互い自宅に持ち帰り存分に楽しむとして、その後はお互い一番のお気に入りを一枚ずつ抜いて、残りは売り払ったらどうだろうと提案したのだ。雑誌からカラーのグラビアを切り抜けば、大小取り混ぜてどう少なく見積もっても五十枚はあり一枚百円で売れば五千円になる。折り込みの大判は千円だ。同級生はアイドルの水着のピンナップで興奮してオナニーしているような奴等なのだ。こんな過激なグラビアが一枚百円なら土下座してでも買うぞ。それに共犯を増やす事にもなる。もし全員銃殺になっても五十人道連れだ。儲けたお金でモデルガンと本革のガンベルトとテンガロンハットと牛革のブーツを買えばいい。

 あったまいい。

 ゴリポンは極細の目を見張り、ボクの提案に諸手をあげて賛成してくれたが、ボクはボクでこんなお宝を手にする事ができたのは木村くんのお陰であることを口を極めてほめそやした。

 売る相手の表情を見極めてグラビアの値段を決めたり、まとめ買いをする奴に小さな白黒写真をオマケでつけてやったり、さらに売上金の計算や保管まで商売上のこまごまとしたやりとりは全部ボクが仕切った。ゴリポンは商談の間睨みをきかせ、相手が脅し半分に代金を値切ったり、つけで購入して代金を踏み倒そうとするのを防いだり、自分たちから買った事を口外しないように口止めしたりと用心棒のような役目をするばかりで、それもボクがあいつはどうも喋りそうで気になるなあとか、あいつなら脅せば高く買うかもしれないなとか呟くだけでゴリポンは、ばらすんじゃねえぞと締め上げたり、金もってこいやと押し売りまがいの事をしたりするようになった。

 写真は完売。ボク達は子供にしては法外な大金を手に入れた。

 

 

 

「あの話、知ってる?」

 調子に乗ったボクは後日ゴリポンにささやいた。ベースの硬球の話だった。基地内にあるリトルリーグのチームのメンバーに入っている奴等が、練習の時に湯水のように硬球のニューボールを使うんだと話していたのを聞いた事があるのだ。

 ベースの白人達は毎日練習の度に三ダースくらい新しいボールを使う。それは使い捨てでいちいちファウルボールも拾いに行ったりしないから硬球なんてそこら辺にごろごろ転がっているわけで、一度使ったボールは言うまでもなく下手すれば新品をくすねたってどうってことない。そんな話だった。

 無修正ポルノはまさに命がけであり、いくら大金が稼げるからといったって命がいくつあっても足りやしない。その点硬球なら安全だ。だって練習ごとに二・三球ずつくすねてこさせて一つ百円で買い、それをスポーツ店に持っていって五百円で売れば結構な儲けになる。資金は潤沢にあるんだし、持ってくるだけ買い取ってやればいい話で、四の五の言えば二百円で買い取ったって充分儲けになる。

 わしにまかせとけ。

 ゴリポンは目を輝かせ、仕入れ役の下級生に話をつけると言った。スポーツ店の親父は五百円で仕入れたボールを千円で売っていた。なんちゅうてもローリングス社のボールじぇけえのおと新品の硬球を両手で撫でるように持った。嘘か本当か知らないが、アメリカ大リーグの試合球と同じで、日本ではちょっとやそっとじゃ手に入らないとヤニで黒くなった歯をむいた。

 

 

  ビジネスは順調だった。みるみるボクたちは金持ちになった。約束通りゴリポンとボクは儲けたお金で手にずっしりと重いピースメーカーや、ガンベルト、テンガロンハットやブーツまで通信販売で買った。そしてタバコも自由に吸えるようになった。

 米軍基地の対岸、誰もこない堤防の内側で、くわえタバコにモデルガンで、荒野のガンマンごっこをして遊び、疲れると二人で堤防に寝そべってタバコをくゆらせた。

「ボクの父さんは入院してるんだ」

 ボクは紫煙をくゆらせながら中学生なら誰もが知っているある精神病院の名前を口にした。その病院は、誰かが突拍子もない事や破廉恥な事をしでかしたり、間違えるはずもない単純な問題ができなかったりすると、○●病院に行けとか、○●に連れていかれるでぇと必ず引き合いに出される類の病院であり、そこに入院していると告げればそれだけで精神病患者であることが知れてしまうほど有名な病院だった。

「もう長いんだ。小学校に入った頃からずっと。だから毎週日曜日には病院に会いにいくんだ」

 ボクは妙に愉快な気分で、バレたら死んでやると思いずっと胸にしまいこんでいた秘密を口にした。それはゴリポンがボクにとって初めてできた心を許す事のできる親友であり、そのことを心から嬉しく思っていたからに他ならず、ボクの一番の秘密を明かす事はボクのゴリポンへの友情を形で示す事だったのだが、同時にゴリポンにも誰にも言えない秘密を喋れという暗示でもあった。

 案の定、しばらく眉をひそめて考え事をしていたゴリポンは、意を決したように顔をあげると自分がチョウセンジンなのだと告白した。

 ボクら子ども社会ではチョウセンという言葉は単なる国名などではなく、人や物をけなしたり馬鹿にしたりするための最高の侮蔑の言葉であり、たとえば寸足らずのズボンを履いている奴がいれば格好悪いなと言う代わりにお前チョウセンかと言ったし、どこかのユーモラスな音階の音楽が聞こえてくれば、なんじゃこれチョウセンかと言いみなで笑いあっていたわけで、そのチョウセン人であることはボクの父親の持病同様隠さなければならない重大事項の一つであり、まさにそのことと引き替えにうち明けるには充分すぎる秘密だった。ボクはゴリポンの反応にすこぶる満足し、人生で初めて好きになった女の子を見つめるような気分でゴリポンの横顔を見たけど、ゴリポンは煙草を銜えたままそれ以上何も言わなかった。ただ、紫煙が青い空に吸い込まれていく様子をいつまでも見つめていた。

 

 

 

 野球部は女子生徒から人気があり練習を遠巻きに見ている女子も多かったし、試合の時には女子から手作りの弁当を渡されたりする上級生もいたくらいで、一年生からレギュラーに抜擢され活躍するゴリポンは黄色い声援を受ける資格充分だったが、悲しいくらい女の子にもてなかった。

 極端に細い目や顔一面のにきびはどう贔屓目に見ても不細工であり、おまけにやたらと逞しい身体は仁王様のようで怖すぎたのだと思う。郷ひろみにしても野口五郎にしても、人気のあった芸能人はみなおしなべて目が二重でパッチリとしており、身体の線も細く、男なのか女なのかハッキリしろよと言いたくなるような奴ばかりで、そういう意味では色白でマッチ棒のようなボクの方が時代の趣味にはあっていると思われた。そもそもゴリポンは喧嘩っぱやくて、口も悪く、優しさというかデリカシーのかけらもなかったし、とてもじゃないが同級生の女子とどうのこうのという雰囲気ではなかったので、セックス自体には興味はあってもそれは大人の女性への憧れでもあり、小便臭い同年代の女子には興味はないのだろうと思い安心していた。それはボクの勝手な思いこみではなく、同級生全員の一致する思いだったと思う。だから余計にそのことが以外だった。

 

 ある初夏の夕方、自宅の離れで惰眠をむさぼっていると、どこからか起きろというゴリポンの声がした。夢のお告げでも聞いているような気分でまどろんでいると、突如、無防備なボクの鼻頭に何かが直撃し、その激痛でボクは飛び起き、寝ぼけたままファイティングポーズを取った。見ると離れの窓の縁に、笑って目が線になったゴリポンの顔が乗っかっており、ボクは学校の図書館で見た江戸時代の獄門台の生首の写真を連想してゾッとしたのだが、持ってきてやったぞと畳の上に転がるドーナツ版を指さすのを見て、窓からボクの顔にそのレコードを投げてよこしたのだとわかった。

 そのドーナツ版は、ボクが貸してくれ貸してくれと幼子のようにつきまとってお願いしていた井上陽水の『夢の中へ』であり、大量のわさびを一気にほおばったような鼻の激痛や滲む涙も忘れてボクはドーナツ版を拾い上げ小躍りして喜んだ。ゴリポンは、兄貴の部屋から盗んで来るのが大変だったこと、最近兄貴は桜田淳子に首ったけだから一週間くらいは大丈夫だろうということを恩着せがましく喋っていたが、ボクは嬉しさの余り全く聞いておらず大袈裟に敬礼かなんかをして誤魔化した。ゴリポンはボクの喜びように満足した様子で手を挙げて窓から離れ前庭に投げてあった自転車に跨ったが、気をつけてとボクが手を振ると、何の脈絡もなしに勝手に照れて俯いた。

 わしはB面の方が好きじゃ。

 ヒットしている『夢の中へ』よりB面の方が断然歌詞がいいのだとにきび面を真っ赤にして言うと、照れ隠しのように猛然と走りさった。

 『夢の中へ』よりいい曲って何なんだ。あの、『夢の中へ』のイントロの脳天を突き抜けていくようなあのギターのリフよりいいと言うのか。ボクは早速B面を上にして、ドーナツ版をプレーヤーの上に置き針を静かに下ろした。

 聞こえてきたピアノのしらべは神秘的で奥深い洞窟の暗闇から聞こえてくるようで、洞窟の奥でそれを奏でる美しい妖精が見えたような気がしたが、そんなピアノに低く唸るベースが重なった。B面のタイトルは『いつのまにか少女は』

 君は静かに音も立てずに大人になった 。

 ゴリポン、誰か好きな子でもできたのかなと少しボクは不安になった。

 

 

 これは付き合ってみてわかったことだがゴリポンはみかけほど不良ではない。確かに一度怒り出すと手がつけられないが余程理不尽な理由でもない限り人に暴力を振るう事もなく、兄からくすねてきた煙草をくわえてモデルガンの空砲を鳴らすのが関の山で、その煙草にしても見た目重視で映画の中の俳優達に成りきるためのアイテムの一つにすぎず、その意味では極めて健康的な野球少年で、見かけ大人しく虚弱で悪事などとはおおよそ無縁に思えるボクの中に燻っている邪心のほうがよっぽど質が悪いと思われた。

 ボクはゴリポンと一緒ならなんでもできるような気分になり、ゴリポンをけしかけたり挑発したり、そそのかしたり、そんなこんなで一年生の頃にはしなかったような事をさんざんやらかすようになった。

 最初は悪事の発覚を恐れ悪戯は学校外と決め、学校では一年の時と同じように真面目な顔をして過ごしていたが次第に自堕落な気分は学校生活をも汚染していった。授業も面倒臭くなった。注意をしない気の弱い先生の授業ではいつも二人で喋り倒し、怖い先生の時は二人とも居眠りした。休憩時間になると教室後方の空間でバレーボールを使ったサッカーをした。後ろの出入り口の引き戸と対面の壁がゴールだったが、白熱してくるとボールは床を離れ派手にバウンドし、そのうちの何回かはドアや窓に当たり物の見事にガラスを割ったが、ボクとゴリポンは顔面蒼白の同級生にウィンクをして職員室に報告と謝罪に走った。

「ガラス屋にいって買ってこい」

 先生がそう怒鳴るのを知っていたからだ。壊した物は自分で直すのが当たり前だった。「ちゃんと最後まで直します。すみませんでした」

 最敬礼で謝ると、ボクとゴリポンは学校を飛び出した。もちろんガラス屋に行くには行ったが、急げば三十分くらいで行ける往復に四時間くらいかけた。大人のいない場所を探しては二人でタバコを吸った。肉屋のコロッケを食べて学校裏の河原で寝ていたこともある。ガラスやコロッケの代金はグラビアや硬球の儲けから支払った。

 

 極めつけは、土曜日夕方のドッジボールだった。

「ゴリポン、教室でドッジボールしたことある?」

 一度でいいからやってみたいと以前から思っていたアイデアだった。教室という密室で派手にドッジボールをやったらさぞ面白かろう。練習も終わった土曜の夕方、ゴリポンをそそのかすとゴリポンは喉を鳴らして喜び返事もそこそこに教室に戻った。各クラスに一つ配球されていたバレーボールを手に、教室の前と後ろに別れて立った。教卓のところにゴリポン、後ろの黒板の前にボク。ルールは簡単。どちらかがボールを相手の身体にぶつければ勝ちだが、いざ始めてみるといつの間にかゴリポンが投げるボールに当たらないようにボクが教室中を逃げ回るゲームにすり変わった。ゴリポンは強肩だった。ものすごい剛速球がうなりをあげて飛んできた。スリル満点だった。間一髪で逃れると、的をはずれたボールはロッカーの角で跳ね上がり、天井でバウンドしてすごい速度で落ちる。さらに机の角にぶつかったボールは思いも寄らぬ方向に飛び上がり、窓ガラスを割った。ガラスの割れる乾いた音がボク達の興奮をあおった。調子に乗ると、ゴリポンは生徒机の上に駆け上がり義経の八艘飛びよろしく机の上を走り、逃げまどうボクめがけてボールを投げ下ろしたりした。机は横倒しになり、中から教科書やら書道道具やら、デザインセットやらが床にぶちまけられ、椅子はひっくり返った。教師机の上の花瓶にボールが当たって倒れ床に腐水の異臭をぶちまけ、黒板上の校訓を揮毫した額はガラスが割れて吹き飛び、天井からぶら下がった蛍光灯の何本かは爆発音を残して砕け散った。まさに命がけだった。ボク達が去った教室はいつか図書館で見た東京大空襲の写真集そのままだった。

 肩で息をし額の汗を拭い心地よい疲労感に満たされながらゴリポンとボクはもうすっかり暗闇の中に沈んだ教室を後にするのだった。押さえても押さえてもこみ上げてくる馬鹿笑いが、誰もいない校舎に響いた。

 

 

 

 クラスには日直という制度があり、日替わりでクラスの雑用をこなす約束になっていたが、「帰りの会」では一人一本ずつ牛乳を飲むことになっており、その牛乳を廊下の端っこにある牛乳置き場まで取りに行き一人一人机の上に配ってまわるのも日直の仕事であった。ある日、たまたまその日直だったボクが牛乳置き場に牛乳の箱を取りにいくと、その場に居合わせた尾中という隣のクラスの生徒が声をかけてきた。

 嫌な予感がした。実に嫌な奴だった。うわさ話が大好き。人が嫌がる事が大好き。弱い者を虐めるのが大好き。そういう意味ではコバンなんかの比ではない。

「お前、この前の日曜日あそこにおったろ」

 その尾中がいきなり絡んできたのだ。

 日曜日という、その言葉だけで何が言いたいのか全てがわかった。つまり日曜日精神病院に入院している父の見舞に行ったボクや家族の様子をどこかで目撃したと言いたいらしかった。顔から血の気が引いたボクの顔を見て尾中は心底うれしそうな顔をして見せた。生きててよかった。そんな心の声が聞こえてきた感じだった。

 尾中は声を潜めボクの細い肩に腕を回すと耳元に口を寄せ、左の親指と人差し指で輪を作り、黙っておいてやるから出すものだせやとゆすりたかりの科白をボクの耳に滑り込ませた。ポルノ写真とベースの硬球で小金を稼いでいる事をどこかで聞きつけたようだった。

 こいつの事だ、たとえ金を渡したところで黙っている保障はない。それどころか一度金を渡したら死ぬまでせびられるのが落ちだ。

 尾中がボクらの秘密をどこかから嗅ぎつけ黙っててやるから金を出せと脅してきた。ボクは尾中の話を少しだけ変えてゴリポンに喋った。案の定ゴリポンは手許にあった牛乳瓶を掴むと血相を変えて教室を飛び出した。ゴリポンは手にした牛乳瓶で尾中の額を殴りつけ、ゴリポンが自分に襲いかかることなど予想すらしていなかった尾中は全くの無防備でその牛乳瓶をもろに食らい額を割り、教室は鮮血で染まった。

 木村くんは間違ってないよ。あんなやつ当然の報いだよね。ボクは丁寧に言葉を選びゴリポンの労をねぎらった。

 

 

 

 秋になり新チームがスタートした。抜けた二年生のエースを引き継いでゴリポンがもともとやっていた投手に戻ると、まさに水を得た魚のように遺憾なく才能を発揮し、投手で四番、新チームは文字通りゴリポンのワンマンチームとなった。少年野球の時からチームメイトだった西田や植木にしてもゴリポンとはもはや格が違い、部員は早い話全員ゴリポンの手下みたいなものだった。

 ボクはと言えばスコアラーの実績はゴリポンと同じ一年からであり、もはやベテラン中のベテランと言え、特にライバル校の二つの中学についてはエースが一年時から出ていた関係もありデータは揃っており、決め球の球種はもとより投球の傾向(こういう場面ではどういう球を投げるかとか、ランナーのいる時といない時での投球内容の違いなど)も把握していたため、打席の度にゴリポンにアドバイスをし、それがことごとく当たりゴリポンの得点圏打率は八割を越えた。それだけじゃない。練習内容やスタメンの選定、挙げ句の果てには下級生の躾に至るまでゴリポンはボクに意見を求め、そんな事もあろうかとケン兄に借りた専門書を読み漁っていたボクは、書き溜めたメモをもとに練習方法のあれこれを指示し、部員の特性や打率打点得点、犠打の成功率などのデータをあげつらってスタメンを選び、下級生の練習態度を観察しては態度の善し悪しをランク付けしゴリポンに報告した。もはやゴリポンはボクのアドバイスに頼りっきりで、ボクなしには何もできなくなっていた。

 顧問はというと自分を無視してスタメンを選んだり練習方法を指示したりするボクやゴリポンの事を疎ましく思っている節があり何かと不機嫌な顔をしたが、そもそもこの顧問教師はまだ若く、ボクと同系の優男で勉強は出来たかも知れないが、野球の経験は絶対にないと思われた。ところが生徒に舐めらるのが嫌なのかそんな事はおくびにもださない奴で、そういう弱味を見せてくれればもっとフレンドリーに接し、ボクのデータやアイデアを提供したものを、逆に頑なになるばかりでほとほと愛想が尽きた。

 もともとこの顧問は部活への情熱など微塵もなく、練習でも下手くそなノックをしに出てくるだけでそれが終わればとっとと職員室に戻っていたのだが、それは一つに野球部の顧問のなり手がなかったところを若輩者である事を理由に押しつけられ嫌々就任した事情があると思われたが、それ以上に去年のキャプテンをしていた先輩(ゴリポンの幼なじみでもあり、不良の親分のような人だったが)の力が絶大で完全にチームを支配下においていたからであると思われ、指導力のない顧問では口を挟む隙もなく、やむなくすごすご引き下がっていたという感じだった。そこにきて新チームになりそろそろ顧問らしくしろとかなんとか先輩教師や校長かに尻を叩かれたのか、妙に出しゃばる場面も見え始め、意図的にゴリポンの指示の逆を指示してみたりすることも出てきてボクは腹をくくった。

「もしあの先輩だったら放っておかないだろうね。あんな顧問いるだけ邪魔だもの」

 ボクは去年のキャプテンの名前を挙げ、その先輩の統率力を褒めちぎり、顧問教師をほぼキャプテンの言いなりにさせていたその力量を称えた。やっぱりキャプテンてのはああでなくっちゃね。

 ムッとしたゴリポンは部員を集め、顧問には返事はもとより何を聞かれても一切返事をするなと命令に怒気を含めた。たとえ下手でも情熱をもって練習に取り組み、生徒とともに汗を流そうという姿勢が見受けられれば反対する部員も出ていたのだろうが、もともとやる気のなさを見透かされている顧問に同情する部員は一人もおらず、むしろキャプテンの指示が遅いと思われるくらいで部員は皆大きく頷き、その後一切顧問と言葉を交わす部員はいなくなった。怒った顧問は影響力のない部員の胸ぐらを掴んだりして顧問を無視する態度を咎めたが、ゴリポンを初めとする無言の部員達に取り囲まれ、語気を緩め苦笑いなどを挟みながら顧問の指示に従うように諭し始めたが、それでも無言の部員に終いには涙目になって弱々しく謝罪した。

 

 

 

「真崎ってさ、どう思う?」

 ある日、ゴリポンにそう聞かれ、ボクはドキリとした。

 真崎とは女の子の名前だった。バレーボール部のエースアタッカー。バレーボール以外でも、小学生の頃から陸上や水泳で大きな大会に出ていたスポーツウーマンだった。さっぱりした性格でどんな子にも気軽に話をし、まわりを取り囲む友達の輪の中心で短い髪を掻き上げては凛々しい笑顔を見せる。唇からこぼれる白い歯が健康的。それがみんなの共通した思いだったろうし、当然思いを寄せる男子が多かったが、ゴリポンはその真崎の名前を口にした。

「可愛いよな」

 少し気取って標準語でそう言うとゴリポンは顔を真っ赤にして俯いた。ボクは井上陽水のレコードの件を思い出しピンときた。ゴリポンが『いつの間にか少女は』を聞きながら思い浮かべていた少女って真崎だったのか。ボクの不安が当たった。

 ボクはゴリポンの真崎への思いを知り少なからず嫉妬したが、同時にひどく困惑もした。実は二ヶ月前のボクの誕生日、一年生の時に同じクラスだったその子から変な手紙を貰っていたのだった。その手紙には、ボクの事を守ってあげるとあった。ボクの事は「全部」わかっている。何があっても自分がボクの事を守ってあげるからつきあってほしいと。曲がりなりにも男のボクを守ってあげるとは失礼なとボクは不愉快だったし、そもそも同級生の女子には興味がなかったから、しばらく返事もせず放っておいたのだが、その真崎の事をよりによってゴリポンが好きだという。

「どうしてあの子が好きなの?」

「誰にも言うなよ」

 ゴリポンは精一杯怖い顔をしてボクを睨んだ末、蛸のように唇を尖らせたと思うと唐突に「ボ」とだけ言って絶句した。いつもは「わし」粋がっても「俺」としか口にしなかったゴリポンが、自分の恋心を「ボクは」という気取った主語で語ろうとしているのかと一瞬思った。「ボクは」で始めるということは、文末を「○○だもん」で締めくくる積もりかと想像し、吹き出しそうになった。

「ボ、ボインじゃけえ」

 ところが、全く予想外に方言丸出しでそう言うとゴリポンは気まずそうに視線を宙に泳がせ、あいつもうブラしちょると付け足した。大胆な事を口にしたゴリポンだが、じゃあその真崎に彼女の性的な魅力にも触れながら積極果敢に話しかけたりしているのかというと全くそんな事はなく、そもそも硬派のシンボルのようなゴリポンが軽薄にもにやけ顔で鼻の下を長くして女子に話しかけるなど出来るわけもなく、どうがんばったって部活の時通りすがりにチラと横目でユニフォーム姿を盗み見てボインでしかもブラをつけている事を確認するくらいが関の山。あとは遠くで真崎の姿を見て溜息でもついているのだろうと思われた。そんなゴリポンの様子が忍ばれいじらしくもあったが、悔しまぎれにボクは内心毒づいた。

 確かにボインだけど、ブラなんかしてないよ。

 

 その真崎という子がボクを待ちぶせていたのは、手紙をもらって二週間くらいしてからの事だった。土砂降りの雨が降った日、ボクの家のそばの蓮根畑のあぜ道にその子は傘をさして一人で立っていた。その子はボクの名前を呼ぶと、付いてきてと顎をしゃくり神社のほうへ歩き出した。ボクは子分に言うように命令されたことが悔しく頬をふくらませたものの渋々ついていった。付いてきてと言った後の、その子のねちこく絡みつくような視線が妙に引っかかったからだ。

「知っちょるよ、全部」

 神社の本殿の裏側まで行くと、その子はいきなり精神病院の名前を口にして唇の端を持ち上げ、ボクは青ざめた。その子の家はどうやらボクの家の遠い親戚で本家筋にあたるらしく、ボクの祖父が金を借りに行った時に父の入院の事情を喋ったようだった。おまけに母と祖父の関係も知っているような口ぶりで。

「守ってあげるけえ、つきあってや」

 真崎は手紙の通りに喋った。ボクのような美少年で虚弱なタイプが好きだと、ボクが歯ぎしりして悔しがりそうな事まで付け足した。そしてつきあってくれないとばらすけえねと腕組みをした。その目は小動物をいたぶりながら味わい尽くす猫そのままだとボクは思った。寸前まで、馬鹿にするなと怒鳴りつけ蓮根畑に突き落として帰ってくるつもりだったボクは、ばらすけえねの一言で震え上がってしまい、やむなく週に一度、月曜日の夕方、真崎の家を訪ねる約束をした。月曜日は真崎の両親も大学生の兄も帰りが遅いのだった。

「ねえ、私の胸大きい?」

 部活帰りゴリポンの誘いを苦しい言い訳をして断り、誰もいない真崎の家を訪ね二階の部屋に入ると、真崎はそう言ってTシャツの胸を張ってみせた。真崎のそれは、ポルノ写真でさんざん鑑賞した金髪娘のそれと同じくらい大きく張りがあって、Tシャツの上からでも乳首がツンと天井をむいているのがわかった。ブラジャーをつけていないみたいだった。最初はたまたま着けていないのだと思ったが、行くたびにそうであり、部活動の時はユニホームや練習着越しにもブラジャーを着けているのは見てとれたから、しばらくしてそれがわざとなのだと気が付いた。

 何度目かに真崎の部屋を訪れた日、真崎はいつものように誇らしげに胸を張っては自分の胸を見るように促したが、それを無視して目をそむけるボクに業を煮やし、休めの姿勢で立っているボクの手をもって強引に自分の胸のところに導いた。固くコリコリとした乳首が掌にあたり、ボクの股間のそれも同様に固くなった。

「見せて」

 真崎はボクに命令した。学生ズボンを自分で下ろし、ブリーフも下ろしてブツを見せろと命令したのだ。Tシャツ攻撃でさんざんいたぶられ、ボクのそれが硬直してズボンのベルトのところからはみ出しそうになっているのを知っていて、わざと命令し、にやけた口を両手で被う。真崎という子はそういう子だった。

「ばらされてもええんじゃね」

 命令を拒否するとことごとく同じ科白で脅し、青ざめたボクが言いなりになってズボンを下ろしブツを露出させると、履いていたきつめのジーンズを思い切り引き上げ、膝をこすり合わせて下半身をもじもじさせながら、ぎらつく視線でしばらくボクのそれを握ったりしごいたりしたが、挙げ句いきなり口に含んだ。それでなくても他人の手で握られたりしごかれたりして一触即発のピンチだったボクのそれは、なま暖かい真崎の舌先に即座に反応し、主の意志とは無関係に華々しく精液を噴射してしまい、ボクはとんでもない粗相に色を失ったが、当の真崎は可愛い顔からは想像もつかないような獣のような唸り声を上げたかと思うと、突然ぐったりとなり、唾液混じりで薄く白濁した液体を広げた掌の中にだらしなく吐き出した。

 とんだ粗相に秘密を公表されるものと観念したボクだったのだが、しばらくして起きあがった真崎は予想外にご機嫌で別人のように優しく、何度もゴメンねを繰り返し絶対誰にも言わないでねとボクの頭を抱き寄せ、自分の張りのある豊かな胸に押しつけた。

 そういうつきあい方だった。

「ほんと、可愛い子だよね」

 ボクはとりあえずそう話しを合わせゴリポンに微笑んでみせた。ボクの耳の奥で井上陽水が歌っていた。

 

 

 二年の秋の修学旅行でボク達は九州へ三泊した。何泊目だったか憶えていないが山の斜面に建つとても大きな和風旅館に泊まった。それは増築増築を重ねたためか廊下を歩いていくと二階だったはずがいつのまにか地下一階になっていたり、玄関から奥に向かって歩いていたはずなのに気がつくと再び玄関に出ていたりと廊下が迷路のように入り組んだ不思議な旅館で、ボク達はその迷路がすっかり気に入り、あっちへいったりこっちへきたりとはしゃぎまわった。

 遊び疲れてボクが自分の部屋で休んでいると、例の真崎が一人でボク達の部屋を覗いた。ゴリポンは迷路探検から帰っていなかったが、人気者の来訪に大喜びした他の男子達は大はしゃぎで部屋に招き入れ真崎とトランプを始めた。そのトランプの間も真崎はトランプの輪に入らず一人テレビを見ているボクの方を時々盗み見ては妙に色っぽい目つきをしたりしたが、今津という男子が教師が突然部屋の点検に来たらまずいからと、押入から毛布を勝手に引っ張り出してきて真崎の頭からすっぽりとそれをかぶせ、教師が来たらしらばっくれようと口裏を合わせた。ボクはそのやりとりを聞いてある事を思いつき胸が躍った。ゴリポンには可愛そうだがボク以外のしかも女子なんかに心を奪われるゴリポンにも責任があるんだぞなどと心の中で呟いたりした。

 ちょうどその時ゴリポンが迷路探検から帰ってきた。ゴリポンは予想通りめざとく掛け布団の生徒を見つけると誰だと指さしたが他の男子がその名前を言い出す前にと、ボクは満を持して「シゲだよ」とある男の子の名前を口にした。シゲとはいつも誰かから訳もなくからかわれている男子の名前で、暇つぶしにヘッドロックをされたり、突然背中におぶさられて廊下を走らされたり、気まぐれにコブラツイストをかけられたりしていたのだが、絡まれると泣きそうな顔をするくせに凝りもせず天敵の前をうろちょろする不思議な男子で、ゴリポンも天敵という意味では筆頭といえ、シゲの名前を告げれば真崎だとは知らず、いつものように「シゲ」に絡んでいくものと思われた。

 わりゃあシゲ 。

 修学旅行ではしゃいだ空気があった上に、シゲという格好のからかいの対象の名前を聞いたゴリポンはいつもは聞けないおチャラけた声を出すと、犯したろうか、ハメたろうかと野卑な科白を口走りながら、なんとその毛布の主に覆い被さり「シゲ」を強く抱きしめたのだ。ゴリポンは盛った雄犬のように腰をカクカクと動かし股間を「シゲ」に擦りつけ、おまけに「シゲ」の胸のあたりを両手で激しくもみほぐした。

 ボクは予想以上の展開に慌てて腰を浮かせたが遅かった。突然、金切り声が聞こえゴリポンは感電した猫のように後ろに飛び退いた。金切り声を聞くまでもなく、抱きついた時の妙に柔らかな感触ですぐに事態を察したのだろう。

 このケダモノ。

 真崎は毛布をはねのけると、凍り付いて立ちつくしているゴリポンを睨み付けると罵声を浴びせ、大股で畳を踏みつけ部屋を出ていってしまったのだ。

 部屋には異様な空気が残った。みんな息を潜めて畳を見つめテレビだけが「のんびり行こうよ俺たちは」と歌っていた。すっかり色を失い幽霊のようになって部屋の外に逃れ出たゴリポンを慌てて追うと、ボ、ボインじゃったと精一杯気丈に振る舞ったものの、その声はうわずり波打っていた。

 

 

 

 ボクは秀才だった。自分でいうのもどうかと思うけど、そうだった。多分ゴリポンもそう思っていたはずだし、他の生徒だって異論はないはずだ。もちろん父親の血統を覆い隠すために強いて勉強してきたからでもあるが、もともと勉強は好きだったし、読書にいたっては主食のようなものだったから、一年の時は三百人くらいいた生徒の中で一桁の成績だったし、写生コンクールや読書感想コンクールでは何度も表彰されたりした。

 そのことはボクにとって生きていくための保険だったのだが、二年生になって逆に足枷となった。

 ほいじゃが、お前はえずいけえのお 。

 時々、ゴリポンは冷ややかな目でボクを見た。「えずい」とはボクの住んでいた町では「頭がいい」という意味だった。ゴリポンはボクの事を頭がいいと誉めてくれる。そのことは間違いなく嬉しいが、「えずいのお」と「えずいけえのお」とではニュアンスが違う。「えずいのお」は率直な称賛を意味するが、「えずいけえのお」になると、称賛しつつも多少批判的な感情が混ざってくる、しかもその前に「ほいじゃが」がつくと称賛よりもむしろ批判の比重が大きくなるのだ。

 ゴリポンは言うまでもなく勉強が大嫌いで、小学校入学以来、家に帰って宿題をしたことなど一度もなく、それどころか鞄を開けた事すらないということで成績が三百人中二百九十番をはるかに越えているというのに全く意に介しないという見事な男っぷりだった。

 そんなゴリポンにとってボクは厄介な存在だったらしい。世間でいう学業成績という尺度でいえばボクは雲の上の存在ということになり、月とすっぽんという関係になるのだが、ゴリポンの価値観からいえばそんなもの屁のツッパリにもならず、頭はいいが虚弱でバットの一本も満足に振れず炎天下に立っていることさえおぼつかないボクは箸にも棒にもかからないどうしようもない奴であり、そういう意味で蔑みの対象で養護してやるべき存在なのだが、そんなボクがある場面では突然周囲から畏敬の対象に変身してしまうわけで、その距離の取り方に随分戸惑っている様子だった。

 だから「ほいじゃが」の前には、やすやすと触法行為に手を出し不良そこのけの事をやってしまう事への驚きや称賛、そして体力的にも運動能力的にもゼロに近い事への同情が来る。そして「ほいじゃが」(しかしの意味)と続くのだ。

 お前は時折不良じみた事をしてみせる「ほいじゃが」本当は優等生だからな。喧嘩も弱く虚弱で針金みたいな腕をしている「ほいじゃが」秀才だからな。馬鹿な振りをしている「ほいじゃが」頭いいからな。だからどこか信用できない。だからお前に騙されているような気がする。

 お前はえずいけえのおという科白には、そんなニュアンスが含まれており、一緒に悪さをしてもどこか気を許してない部分がある事に気がついていた。

 そんなこんなで、ボクの成績は二年生になって落ちた。劇的に落ちた。一桁だったそれは、すぐに二桁になり、やがて百番を突破した。

 成績表で成績が下がっているのを見た母と祖父は驚いたものの、そうはいっても今までずっといい子でしかも秀才できたボクに全幅の信頼を寄せており、思春期だしそれくらいのぶれはあるよと逆に慰めたりしていたが、百番を越えるとさすがに慌てだし、連日夕食の折りに何か悩みがあるのかとか野球部の部員に虐められているのかとかあれこれ聞きだそうと躍起になったが、全く意に介さず時折うるせえんだよと悪態をつくボクの様子に言葉を失い、やがて悲しそうな、どこか父親を見るのと同じような目をするようになった。

 ボクはボクで成績が落ちるたびに大袈裟に頭を抱え、絶望した振りをしながら成績表をゴリポンに見せた。自分を貶め、ゴリポンの成績に近づくことでゴリポンの心のひっかかりを取り除けると思った。

 ゴリポンも初めは一緒になって笑っており、本当の男の価値にやっと気がついたかと嘯いてみせたりして、ゴリポンの成績に近づいて行くごとにボクへの親しさも増したように思われたのだが、見かけとは違ってナイーブで感受性の強いゴリポンには、それが永遠に歩けない車椅子の障害者に、さも歩けないような振りをしてみせたりするような擦り寄り方であり、侮蔑的だと感じられたのか、ある時ゴリポンは思いもよらなかった事を口にした。

 わりゃ、馬鹿か。

 ゴリポンは前後の脈絡もなく突然怒り出した。

 これはゴリポンの事を良く知るようになってからわかったことだが、ゴリポンにはもともとそういうところがあった。情緒不安定とでもいうのか、竹を割ったようなと思いこんでいたゴリポンのそれは、親しくなり深く付き合っていくうちにかなりややこしいものだとわかった。機嫌が悪かったり良かったり、ささいな事で乱暴になったり、急に優しくなったり、おちゃらけたり気取ったりして標準語で喋ってみたかと思うとぶっきら棒に一日中品のない方言を連発してみたり。しかもその規則性がまったくわからない。天気が良い日は機嫌がいいとか、雨が降るとふさぎがちになって突然暴力を振るうとか、ボクが元気がないと優しくしてくれるとか、そういう規則性があれば多少は対処の仕方があるものだが全く見抜けないのだ。たとえ天気が良かろうが機嫌の悪いときは悪く手の施しようがない。最悪の日にはまるで山の天気のように分単位で機嫌が変わった。さっきまで冗談を言いじゃれ合っていたのに、突然不機嫌になってボクを突き飛ばしたりした。原因がわからないボクはその度に途方に暮れた。だからこの時も正直ああ、またかと思ったのだが。

「お前は東大ヘ行きゃあええんじゃ。東大へ行って日本をええ国にせえ。馬鹿の真似だけされてもうれしゅうないわ」

 いつもならゴリポン得意の気まぐれとして聞き流したかもしれないその科白だったが、その日は自分の頬を殴打されたような気がした。単純でたやすく騙せると高をくくっていたゴリポンがボクの気持を見透かしたような科白を吐いたのだ。そのことが冷水を浴びせかけられたように感じられた。

 のぼせ上がっているうちに、百番を突破した成績は百五十番になり、すでに二百番を過ぎようとしていた。考えてみればゴリポンの言うとおりだった。ボクがゴリポンの男っぷりに憧れたように、ゴリポンはボクの優秀さに憧れたに違いなく、意図的に成績を下げるような小細工など必要なかったのだ。ボクは自分の傲慢さを悔い改め、二年も終わろうとする二月、二年最後の学年末テストを前に決断した。

 「まじめに勉強するぞ」

 ボクは決意した事をゴリポンに話し成績挽回を宣言した。気弱な先生の授業でも私語に現を抜かすような事はしなくなったし、怖い先生の授業でも眠らずに起きているようになった。授業中は教師の説明を聞き、ノートも写すようにした。練習問題を解けと指示があれば解くようにしたし、出された宿題もきちんとやり始めた。

 一方のゴリポンはというと、ボクの決意を聞いてやる気になったかと肩を叩き励ましたくせに授業が始まると昨日のドリフは傑作だったとか、ラジオのキンドンでこんなギャグがあったとか以前と同じように話しかけ、それはちゃんと勉強して東大へ行けと怖い顔をした事などすっかり忘れているかのようで、自然、ボクの返事はおざなりになり、時には問題に集中してゴリポンを無視したりするようになるわけで、ゴリポンは露骨に不満そうな顔を見せるようになった。業を煮やしたボクは作戦を変えた。

 甲子園のヒーローインタビューとかでさ、切磋琢磨とか臥薪嘗胆とか四字熟語をさりげなく入れるとカッコいいね。女子にもてるだろうね。やっぱり学力って大切だよな。木村くんに学力があれば鬼に金棒だろうなぁ。どう?一緒にやってみない?

 わりゃ、馬鹿か。

 いつもならおだてに乗っていっちょやってみるか等と重い腰を上げるゴリポンだったが、さすがに勉強だけは無駄だった。お前とわしは生き方が違うんじゃ、一緒にするなと怖い顔をされた。 

 

 それからしばらくした音楽の時間、ボクはゴリポンと大喧嘩をした。

 一年生の頃、音楽はボクの大好きな教科の一つだった。夕方帰宅すると、母は夕飯の用意をしながらいつもプレーヤーでクラッシックのレコードを聞いており、母に問い質してみたことはなかったものの、その曲は恐らく入院する前いつも父が聴いていたそれだと思われ、そのいかめしく難関そうな音楽も、その音楽を形作っている音楽理論は熱心に聞けば思ったほど難しくもなくボクの胸にストンと落ちた。理屈がわかると音楽が楽しくて仕方なく、週に一回か二回のその時間を待ち焦がれたものだった。自然テストも常に九〇点を超えていたし、成績も常に五段階の五だった。

 ところが二年生になってからというものテストはいつも十点とか二十点。なにせ、二年生になって音楽の授業をまともに受けた事など一度もなく、音楽の時間は階段教室の一番上でゴリポンと縦笛を剣の代わりにしたチャンバラをする時間と決めていたからだ。

 ちゃんと音楽の授業を受けるとボクは心に決め、その時間はゴリポンが何を言ってきても一切返事をしなかった。

「やっぱりお前は、えずいけえのお」

 嫌みを言うゴリポンをボクは初めて煩わしいと思った。ゴリポンはボクの顔をきつい視線で睨み付けたが、ボクと木村くんは生き方が違うんだろとゴリポンがボクに投げつけたあの科白を投げ返してやると、ゴリポンは授業中で教師の前にも拘わらず、激高して手にしていた縦笛をボクの顔に投げつけた。縦笛はいつかの井上陽水のドーナツ版のようにボクの鼻頭に当たりボクは派手に鼻血を抜かした。

「東大へ入れって言ったのは、ゴリポンじゃないか」

 ボクも縦笛を投げ返し、それがきっかけでボクとゴリポンはその場で取っ組み合いになった。とは言っても、ほとんどボクが一方的にゴリポンに殴られて終わったのだけれど。

 

 

 

 音楽室での喧嘩いらい、すっかりゴリポンと気まずくなった。

 ゴリポンはいつまでも腐った女のようにすねてほとんど口を聞かなかったし、期末試験が終わるまでは目も合わそうとしなかったが、テストが終わればまた元通りになるさと呑気に構え、うっちゃっておくことにした。というより自分の成績の事で頭が一杯で、ゴリポンの気持ちまで考える余裕がなかったというほうが正しいかもしれない。隣の席のゴリポンは人が変わったように机にかじりつき勉強を始めたボクに背を向けるようにして毎日授業中に鼾をかいた。

 その一方でボクは二年になって初めて真面目に勉強した。テスト週間用のスケジュール表も作った。平日は一日五時間。休日は八時間勉強する予定にした。一年生の頃と同じやり方だった。学校が終わると家に走って帰ってすぐさま教科書を開き、夕飯と風呂とトイレ以外は机にかじりついた。そうだこれだと思った。これでだいじょうぶだ。秀才のボクなのだ、本気でやればすぐに成績はもとに戻ると本気で信じていた。しかし、結果は散々で、二百番を少し切っただけだった。一年間を棒に振ったツケは思っていた以上に大きく、そう簡単に取り戻せるとは思えずボクは大変な事になったと青ざめた。

 困ったのはこれだけじゃない。ゴリポンは別人になった。予想外にテストが終わってもゴリポンのすねた態度は変わらず、ボクが声をかけても「おお」とか「ああ?」とか言うだけで、会話はとぎれがちだった。全く無視することはなかったが、以前のような体温はまったく感じられず、ボクらの会話は錆び付いたひげ剃りように上滑りしたり、耳の悪い老人同士のようにギクシャクしたり、壊れかけの風車のようにからから空回りしたりした。

 

 

 

 二月の終わり、雪が降り校庭一面真っ白になった日の朝だった。どういうわけか、よそよそしかったゴリポンがボクを誘い生徒玄関の外に連れ出した。

「真崎の事どう思うや」

 唐突な上に、質問の意味がよく掴めずボクが黙ったまま答えないでいると、あの子は天使っちゃと遠くを見るような目をし、ゴリポンは真崎に告白したと言った。直接呼び出して付き合って欲しいと言ったのだと。ボクは、「ケダモノ」とゴリポンを罵倒した真崎をいまだに未練がましく思っていた事に呆れたが、たとえ不細工でも女の子だというだけで口を利けなくなってしまうゴリポンが自分一人で告白をしたというその勇気には驚いた。しかし、それ以上に驚いたのは真崎が天使だというその的はずれな評価であり、真実を知っているボクは驚きの余り鼻血を抜かすところだった。

 真崎はまるで遊び飽きた玩具のようにボクを捨てた。代わりに月曜日の夕方真崎の部屋を訪れるようになったのはボクと同じような色白で虚弱な感じの一年生の書道部の美少年だった。真崎の趣味はそういう子なわけで、ボクの時と同じようにあの部屋でまたブラジャーをつけていないTシャツの胸を張りその子を挑発し、いたぶって楽しむのだろうと思われた。

 ゴリポンは振られたらしかったが、そんな事は全く意に介していない様子で、真崎の事を女神のように崇め奉り褒めちぎった。なんと真崎は最後まで一生懸命ゴリポンの話を聞いてくれたのだと言う。ケダモノの自分の話を頷きながら最後まで聞き、ありがとうとお礼まで言った。自分に好意を持ってくれるのは嬉しいが今は部活に打ち込みたい。男の子の事で気持ちを乱したくない。ゴリポンも野球に打ち込んでほしいと、逆に励ましてくれたのだと言う。だから天使なのだと。

 ゴリポンは三学期になって遅刻が増え、一時間目の途中に来ることが多くなっていた。

ゴリポンは、水飲み場に積もった雪を手袋もしていない手でかき集めて握ると、野球のボールくらいになったそれをしばらく弄んでいたが、急に悪戯っぽく笑うと、大きく振りかぶって頭上に掲げた。大喧嘩する前のように、じゃれてボクに投げつけてくるのかと一瞬思ったが、ゴリポンは大きく溜息をついたと思うと、スイッチの切れたテレビのように笑顔を消して雪のそれを足許にポトリと捨てた。溜息をついたときの白い息が冷たい風に流されて、ゴリポンはゴジラのように見えた。昨夜、なかなか寝付けなくて仕方なく店のビールをこっそり飲み、それで起きれずに寝坊したのだと言うと大きな口を開けて欠伸をした。そしてうつむくと、はれぼったい眠そうな細い目をさかんに指でこすった。

 それが二年生でゴリポンと交わした最後の会話だった。

 

 

 

 三年になりボクはゴリポンと別々のクラスになった。ボクは一組。ゴリポンは六組だった。廊下の端と端。まったく行き来はなくなった。ボクは二年の時とは人が変わったように勉強しはじめ、そしてゴリポンと知り合う前のようにまたひとりぼっちに戻った。ゴリポンとは野球部で毎日顔を合わせ、相変わらず相手投手攻略法や練習方法、スタメンに下級生の躾と問われれば一通り答えたが、ゴリポンのほうも惰性で聞いている感じで練習後にボクを自宅に呼ぶ事もなくなった。

「あいつカツアゲやっちょるんで」

 そんな噂話を耳にしたのは昼休みの教室だった。今野と岩見という男子生徒を中心に男子達がうわさ話で盛り上がっていた。ボクは一人離れた机について昨夜済ませるはずが一問だけやり残した数学の文章問題をやっていたのだが、噂のカツアゲの主がゴリポンである事を知りボクは驚いた。

 駅前でやっていると今野は言った。相手は高校生。駅のトイレに連れ込んで金かせやと低い声で言うだけで現金を差し出す。それでも出さない命知らずにはとっておきのリボルバーを取りだす。モデルガンだからといって馬鹿にしびびらない奴には銃把を鼻頭にお見舞いするのだ。鼻っ柱を銃把でへし折られた相手は鼻血を流しながら命乞いをし金を差し出すはめになる。巻き上げた金をポケットに入れるとゴリポンは銃口から出る煙を吐息で吹く仕草を決めるのだ。男子達は半信半疑ながらも「カツアゲ」という非行の、甘く危険な香りと高校生を震え上がらせる銃の感触に取り憑かれたように、はしゃぎまわっていた。

 

 ボクはゴリポンの噂話を聞きながら、昨夜の事を思い出していた。

 ボクが数学の最後の文章題に手をつけたとき、もう夜中の一時を過ぎていたと思う。二階に寝ているはずの母が階段を降り、祖父の寝ているはずの母屋の座敷のほうに入っていく音を聞いたのだ。ボクの住んでいた父の実家は、南向きの玄関土間を入ると左に二間続きの座敷、その奥の階段を上げれば二階に六畳間が一つ、座敷の西には短い廊下で繋がった離れがあるという、典型的な百姓家であり、昔父親が使っていたという離れの八畳がボクの部屋だった。

 ボクはその物音を合図のように手をつけ始めた文章題を諦めノートを閉じ、部屋の電気を消すと、しばらく暗闇に目を慣らしたのち擦り足で廊下に出た。そして、座敷まで来ると少し開いた障子の前に立ち止まり、闇の中でうごめく二つの影に目を凝らした。蚊取り線香の臭いがふいに鼻をつき、廊下に張られた桜の床板が時折きしんで悦楽に緊張感を与えた。闇の向こうからはいつものように猫が牛乳を舐め取るような湿った音と低い唸り声が聞こえてきていた。

 最初偶然にこの音を耳にした時、寝ていた祖父の具合が悪くなり、それを母親が介抱しているのだと思い声をかけそうになったが、その実、母親はまるで真崎がボクにしたような事を祖父にしていたのであり、母親が義理の父にという組み合わせの違和感はあったものの、倫理的な拒絶感も少年特有の潔癖さからくる怒りも、父親への憐憫の情さえ感じる事はなく、恥知らずにもボクの股間は硬直しその興奮に我を忘れた。

 ボクを脅し命令し思うままに操ろうとするその態度には辟易したものの、真崎の舌先のなま暖かさとぬめり具合、口腔内に放出する際の快感は忘れ難いばかりか、それを求める気持は真崎に捨てられてからというもの殊更強くボクの内側から沸き上がりボクを惑わせ苦しめた。 

 

 噂話を与太な話とせせら笑う一部の男子に、今野は自分もゴリポンと一緒にカツアゲをやったのだから間違いないと自慢気に言い張り、岩見を捕まえて現場再現の寸劇を始めた。

 ボクと別れたゴリポンの周りには、かつて小学生の頃ゴリポンを取り巻いていた連中が群がるようになっていた。この今野もその一人で、一人では何もできないなんちゃって不良に過ぎなかったがゴリポンの威を借りて高校生を脅す快感に酔いしれているようだった。優等生然とすまし顔で歩く高校生役の岩見の前にゴリポン役の今野が立ちはだかりリボルバーの形をさせた手を突きつけ凄むと、高校生役の岩見は両膝を床につけ両手を顔の前で擦り合わせ命乞いをしてみせた。あっしには関係のねえ事でござんすと今野が映画俳優顔負けの決めぜりふを吐くと大はしゃぎの声で教室中が沸き返った。

 ボクは何度も同じ方程式を書いては消した。いくら聞くまいと方程式に意識を集中しても、今野の凄む声、男子達のはしゃぎまわる声、母親の出す牛乳を舐め取るような湿った音は一向に止むことはなく、ボクは消しゴムを持った手を激しく小刻みに動かすことを繰り返し、何度も消された方程式の消し跡と消しゴムのカスで一杯になったノートはやがて皺になり大きく破れ穴があいた。

 

 

 ボクたちの野球部は地区予選を無敵の快進撃で突破し県大会出場を決めたが、その県大会を間近に控えたある日、とんでもない出来事が起こった。

 突然三年の野球部員全員が教師に呼び出され、理科室に集められた部員は何も聞かされぬまま、一人また一人と眉間に深い皺を刻んだ教師達にどこかへ連れて行かれた。

 ボクの番になり促されるまま生徒指導室と書かれた個室に入ると野球部の駄目顧問、生徒指導部長、そして背広を着込みがっちりした体格の見慣れない男が待っていた。あとで背広の男は刑事だとわかった。

「米軍の硬球を横流ししたんはお前じゃろう」

 生徒指導部長が聞き慣れない「横流し」という言葉を口にした。言葉の意味がわからずに答えずにいると、刑事が盗んで売ったりした憶えはないかなと猫撫声を出し、あの事だとわかった。スポーツ店がアメリカ製の硬球を売っていると警察にタレ込みがあったらしい。アメリカローリングス社製の硬球だ。刑事は、このボールを使ってるのは米軍だけで、スポーツ店の主人は中学の野球部員から買ったと白状しているんだよと、教師の手前だからか取って付けたような優しい声を出したけど、もちろんボクはしらばっくれた。他の部員も当然関わりを否定したらしかったが、ゴリポンとボクがそんな事を話しているのを聞いた事があると誰かが喋ったらしく、後日ゴリポンとボクだけが二度目の事情聴取ということで警察署に呼び出された。

 三年生になって狂ったように勉強しなんとか回復の兆しが見え、かつての成績には届かぬものの、やっとボクが目指していた地元進学校の合格圏に入ってきたところなのに、硬球の事がばれればそんな努力は水の泡。さらに硬球の事から足がつき、米軍のゴミ捨て場からポルノ雑誌を盗み出した事まで明らかになった日には、ケン兄の言った通り銃殺はないにしても少年院送りは間違いない。ボクは青ざめ、もはや生きた心地はしなかった。

 生徒指導部長の車で警察署まで連行される間、口を真一文字に結んで一言も喋らなかったゴリポンを、警察署につくとトイレに誘った。

 ボクは精神病患者でもチョウセンジンでもそのことをコソコソ隠し立てしなくていい世の中にしたいと思っている。だから必死になって勉強している。東大にいって世の中を変えるんだ。なのに今こんなところで躓くわけにはいかない。今こんな事で少年院送りにでもなったらボクの理想は叶えられなくなる。

 困ったなぁ、ほんとうに困ったなぁ。

 ボクはゴリポンの隣で小便をしながら、そんな独り言を喋った。そんな世の中ならいいなというのは全くの出鱈目だったけど、口に出して言うと本当に自分がそれを目指して勉強しているような気がし始め、最後は少し語気が強まった。

 ゴリポンは以前のように不機嫌になることもなく黙って耳を傾けたたが、小便を済ますとそのことには何も答えず、そのまま一人で便所を出ていった。

「お前と木村がやったのはわかっとんじゃ」

 学校での事情聴取とは打って変わって、刑事は乱暴な言葉遣いをし机を叩いた。ボクが怯えて黙り込むと声色を変え、取って付けたような笑顔で部活や勉強、高校進学と雑談を続けるのだが、合間にお前と木村でやったんじゃろと同じ質問を何度も挟み、それでもボクがうんと言わないのを見ると、三度に一度は大声をだし机を蹴り上げた。

 それは大便に行きたいのだが何らかの事情で我慢を強いられている時の「腹痛の波」のように次第に間隔をせばめて繰り返し押し寄せボクを追いつめたが、ボクは歯を食いしばって否定し続けた。長い取り調べに意識が朦朧としはじめた頃、取調室に入ってきた別の若い刑事がボクを担当していた刑事に耳打ちする内容を聞いてボクは迂闊にも歓喜の声を上げそうになった。

「木村がゲロしましたよ」

 声を潜めた積もりのようだったが、その若い刑事の喋る内容はまるでボクに言っているかのように明瞭に聞き取れ、ボクは心の中でほくそ笑んだ。

 ゴリポンはボクの憧れだったけど、それは幻想だった。だってゴリポンったら真崎が天使みたいだと言ってみたり、ボクが東大に行くのが使命だと言ってみたり、どうしようもない馬鹿だよ。もうつきあいきれない。ゴリポンには悪いけど一人で罪を被って少年院に行ってもらうことにしたよ。少年院って言ったってせいぜい半年くらいのものだろうし、すぐ帰れるんだから安心しろよ。どうせゴリポンは勉強も嫌いな訳だし高校なんか行く気はないのだろうから、少年院に行った方がかえって社会勉強ってことで為になるかもしれないしね。そんな事よりボクは同じクラスの飯田くんが気になっているんだ。それはもはや憧れといってもいい。陸上部の飯田くんはハンサムでしかもカモシカのようなしなやかで綺麗な脚を持っている。それだけじゃない。成績も抜群だし何しろ女子にもてる。噂では付き合っている他校の彼女とセックスも済ませたらしい。ボクと同じ進学校を希望している秀才なのにそっち方面も進んでるなんて最高にいかしてる。ボクはもう金儲けや子供じみた悪戯には飽きたんだ。そんなことより早く彼女をつくって思う存分セックスを楽しんでみたいんだ。あんな真崎みたいなあばずれじゃなくて純真で気だてが良くってなんでもボクの思い通りになる彼女とね。でもだからといってボクの方から飯田くんに擦り寄っていくなんてボクの好みじゃない。別にそんなことしなくても飯田くんがボクの方を振り向く方法をいくらでもボクは知っているんだ。焦る必要はない。とりあえず希望の進学校に入ってからでも充分なのだ。のんびりやろう。

 とんでもない悪夢が待っているとも知らず、間抜けなボクはそんな身勝手なことをひとり考えた。