坊太郎日記 その②

                   ~京都・衣笠・思案に暮れる~

                    1980年 2回生

 

1980年5月31日(土)※二回生になりました

 今日、俺は一人さみしく二十一歳になりました。誰も祝ってはくれませんでした。まあ、土曜日だし、1日下宿でダラダラしてたし、明日、俺、誕生日なんだよね、ってわざとらしく宣伝した訳でもないし。なのに、密かに俺の誕生日を調べて、自腹切ってケーキ買って来てくれて、お誕生日おめでとうなんて言ってくれる女の子を期待してる。

 ホント、おめでたい。そんなやつ居るわけねえ。世の中を舐めてはいけない。現実は厳しいのだ。

 二十歳になった時のような感慨は一切無い。あ、そうか、今日、俺の誕生日じゃん、今日で21歳かあって独り言を言っただけ。さっき退屈しのぎにクラス名簿見てたら、俺はクラスで8番目の年長者。荘さんが、俺より少し早く21歳になってた。幼い系のあの子が俺より年上、いや月上だったとはね。

 

 奥浩平の「青春の墓標」を読む。高野悦子も影響受けた奥浩平。中核派の奥浩平。民青の奴らがトロ、トロって蔑むからどんなんや?って構えて読んだ。ごめんな、奥君。許してくれ。俺は考えを改めるわ。

 

 真摯、純粋、生真面目、本気

 

 そんな言葉が浮かんでくる。きれい事を雑記帳に書いてうっとりしてる民青、共産党によっかかってノホホンとしてる民青。なぜ俺が彼らに違和感を感じるのか、そのぼんやり抱いていた感じを、奥浩平は、これだって突きつけてくれた。すごい本だ。

 

 

6月4日(水)

 プロゼミでショックを受けた。今日は、俺らの班の発表だった。

 

 武士とその本質について

 

 武士イコール在地領主という前提でみるなら、武士の成立はいつになるのか?という問に俺らはこう考えた。

 武士は上層領主層が武装化したもので、余剰生産物が増え、生産力が向上するにつれて武装化した武士が、農業経営から離れて恒常的な武士団を形成する。その極まった形が織豊政権、そして近世江戸幕藩体制である。故に、在地領主が武装化しはじめた時期こそ武士の成立。つまり10世紀がそれにあたる。

 

 ところが杉橋教授はこう言った。

 職業的武士の成立は11世紀の初めと考えられる。職業的武士はやがて在地化していく。つまり、職業的武士→在地化→在地領主的武士。

 まさに俺らの考えとは真逆なのだ。俺らの元ネタは安田元久とか吉村さんの論文だ。

 在地領主=武士を前提とした研究方法はもう古いですよ、今は上横手さんとか、石井進さんとかの職業戦士論の方が注目されていますからね、と杉橋教授は言った。

 史学史的知識、史学会の地図を持つ必要がある。俺らは地図も持たずにジャングルを彷徨う間抜けな冒険者だ。論文整理。大変な作業だが、やらねば何も始まらない。つらいなあ。

 

 夕方、岡山の下宿に行ったら、根尾と谷口が部屋から出てきた。谷口は俺の顔みるなり言った。

 

 山下くんドラム上手いんやね

 

 谷口は笑いながら俺の胸をツンツンする。どうやら、例の録音を聞いたらしい。カルラ、お前何やってんだよって思った。この前から録音が流行ってるのだ。カルラの部屋で飲んでる時、カルラがこっそり俺らの会話を録音してるのだ。小一時間録って、さあ、今のを聞いてみようか?なんて言って再生する。俺らは録られてるって気づいてないから好きな事喋ってるのだが、冷静に第三者の耳で聞いてみると、これが実に面白い。っていうか間抜けなのだ。アホな事しか言ってない。

 で、(山下くんのドラム)ってのは、テレビの歌に合わせて俺が割り箸で炬燵板を叩くパフォーマンスの事だ。自分でもドラムはそこそこ自信あるし、それを聞かれてもどうってことないのだが、酔った勢いで谷口って結構可愛いよな、とか、でもおばさんっぽい感じもするよなあ、とか言ってたような気がするのだ。

 

 おい、なんか変な事言ってた?俺、言ってないよな?な?

 変な事?あたしが可愛いとか?

 

 クスクス笑いながら二人は階段を降りていった。

 

 

6月8日(日)

 4日連続雨。急に思い立って夕方ひとりで河原町へ出かける。高島屋で森田童子のコピー譜を買って、新京極の映画館で「遙かなる山の呼び声」と「もう頬杖はつかない」を見る。

 俺は密かな感動を胸に映画館を出る。外はもう深夜で、新京極の通りはがらんとしており、俺は映画の余韻を反芻しながらバス停に向かうはずだったが、外は生気溢れる人で溢れかえっており、まっすぐ歩く事さえ難しく、番組が終わるや否や賑やかに鳴り出すテレビコマーシャルみたいだなって思った。

 

 昨日、カルラに聞いた話。

 谷口って気が強い子だけど、そのことをすごく気にしてるらしい。いつだったかプロゼミの時、マサヤとやり合った事があった。谷口が発表して、それについてマサヤが質問したんだが、その答えはおかしいってマサヤが食い下がって、じゃ、あなたはどう考えてるの?って言い返して、それがヒートアップして、先生が、まあまあって止める騒ぎになった。豊島なんかは、その時の必死な顔がすごかったよな、って真似して笑ったりする。谷口も、やめてよ、と言うものの、面白がってゲラゲラ笑ってるんだが、本当はその事で随分落ち込んでたらしい。短気だから、すぐ熱くなってああなっちゃうのよねって。

 へえ、谷口ってそんな子なんだ。

 

 金曜日、暴走族志村の下宿に行ってみた。半年ぶりかな。ここんとこ、疎遠になってて、民青のオルグ以外で話した事なかった。ああいう主義主張と友情は別ものだし、このままじゃ、ほんとに友人じゃなくなっちまうって思ったから。小1時間喋ったけど、久しぶりに楽しかった。

 赤旗、取るわって2千円渡しといた。

 

 

6月9日(月)

 T.S.Eliotの授業にて。あのハゲ頭の英語の先生、良いこと言った。

 

 詩人の心が自分の過去や体験に向かう事があるかもしれない。しかし、向かう事があっても、のめり込んではいけない。詩人が詩を書くとき、過去の体験の仲に生きている人間と、詩を創作する人間と、2人の人間が存在しているが、その2人は全く別人でなければならない。もし、2人が重なった時、その詩は三文詩になってしまう。

 

 俺が書く小説は生々しすぎ。書いてる俺と、記憶の俺が完全に一致してる。それであんなにつまらないんだってわかった。

 

 英語の後、山下くんは行かないの?って谷口が言った。おお、って答えたのに、聞こえなかったのか、ねえ、行かないの?って同じ事を聞くから、俺はいかないの、って念を押した。

 明日、カルラゼミのメンバーで鑑真和上の展覧会を見に行くと言うのだ。そりゃ、谷口も行くんなら行きたいけど、奈良だと早起きしないといけない。それに史学史を3週連続サボってるのだ。これ以上はサボれない。谷口は(ふぅーん)って言った。

 

 

6月10日(火)

 人間は言葉を操る唯一の動物だそうだ。でも、俺は言葉が嫌いだ。あやふやでいい加減。あんなむなしいものはないと思う。人は話をするとき、自分の考えが先にあって、その考えを言葉に置き換えて喋ってるのだろうか?俺には先走る言葉を考えが追いかけてるようにしか思えない。

 動物の方がよっぽどすごいって俺は思う。だって、やつら喋らなくても意思疎通ができる。目つきや仕草だけで全部わかっちゃう。俺が、そしてあいつが動物なら、俺がどんなに好きなのか、どんなに真面目かわかるはず。芝居がかった台詞や嘘に惑わされる事もないだろうに。

 

 今、朝の5時、なんだか目が覚めてこれを書いてる。こんなに早起きできるんなら、行けば良かった。もうじき、あの子も眠い目をこすって起き出す頃だ。あの子は俺のいない奈良の空の下で何を思うのだろう。

 

 

 今、夜の11時。

 結局、奈良に行かなかったのは俺と久保だけ。俺は夕方、体育館前のグランドで久保と一緒にボールを蹴った。汗をかいた。蹴って走って肺が破裂しそうだった。

 

 なんだか豊島も谷口が好きなのかな?って昨日、思った。前から谷口の事をからかったりしてたが、それは恋愛感情とは無縁な事なんだと勝手に思ってた。でも、昨日のはしゃぎぶりを見て、あれ?って思った。

あいつ人気ものなんだな。

 

 高中の新譜買った。6枚目のLP。青色のレコード。夏だね。

 

 

6月12日(木)

 自主ゼミの日。書記。つまらない一日だった。

 だって、ゼミの間も、やれ奈良駅でマサヤが転んだ、やれ鑑真像の真似をして豊島が笑わせた、お昼に食べた三輪素麺が美味しかった、とか仲間内で盛り上がりやがって。俺は行ってねえっての。俺には何の事かわかんねえっての。

 それでも、平田や根尾相手に冗談を言った。一緒に笑った。ちゃんと目を見て話した。その横で、あいつはマサヤとじゃれ合ってた。わざと無視してんのか?。

 日によってえらく可愛く見えたり、癪にさわったりする。嫌な時はこんなおばさん、どこが良いんだよって思うのだが、ちょっと優しい事言われたり、いたずらっぽくからかってくると無性に可愛く思える。

 

 俺は一浪だが、谷口は現役だ。島津さんもそう。なんとなくそこに引っかかるところもある。だって、立命館の文学部日本史に現役で合格したんだ。きっと高校じゃ誰もが知る秀才だったんだろう。おまけに可愛い。岩国高校の同級生で考えてみても、現役で合格できそうなやつって、すぐに浮かんでこない。浪人してガリ勉してやっとこさ入れた俺なんかとは、そもそも出来が違うんだよなって、年下相手に妙に卑屈になったりしてしまうのだ。俺みたいな馬鹿、相手にする訳ねえよなって。

 マサヤは谷口とじゃれてる。背中をバンバン叩きながらゲラゲラ笑ったかと思うと、どうでも良いことでムキになって大きな声で言い合いをしたり。まるで小学生だ。それがうらやましい。俺や豊島にあんな顔は絶対にみせない。現役のマサヤとは同級生同士の気安さがあるからな、って思うが、それだけじゃないような気もする。

 本来なら先輩後輩の間柄なのに、どういう訳か同級生。阿呆な先輩と天才後輩が同じ学年で同席。洒落にならん。

 

 

6月23日(日)

 体調が悪い。起きてるのか寝てるのかわからない。ずっと頭痛がするのに、頭痛なんかしてないような気もする。何時間寝ても寝不足。夢の中で歩いてる気分。

 

 岡山が岡山に帰った。理由は誰も知らない。

 昨日の夕方、やつの下宿に行ったらマサヤと谷口が出てきた。岡山カルラがいないって心配してた。どうやら岡山に帰ったみたいだって、二人は言ってた。朝刊だけが部屋の前に置いてあったらしい。心配して様子を見に来るって事は、何かあったんだろうが、俺は何も知らない。何かあったのか?って聞いても、うん、とか、まあちょっとね、と口を濁した。俺には言いたくない事なんだと思った。

 別れ際に「バイバイ」って谷口は手を振った。何がバイバイだ、って俺は舌打ちをした。

 

 森田童子のLP3枚、尾崎に借りた。テープにダビングした。

 

 淋しい時はほほをよせて

 悲しい時は胸をあわせて

 

 高野悦子が生きていて歌を作ったら、こんな歌を作ったんじゃないかと思った。森田童子の声が高野悦子に聞こえて仕方なかった。

 

 

6月24日(月)

 総選挙。自民248 共産29。大敗。

 俺は共産党支持者じゃないが、自民党よりはずっとまし。みんな何を考えてるのだろう。地道に働いていれば自分もいつかは資本家になれるとでも思ってるのだろうか?。一流企業のサラリーマンでも身体が資本の労働者。蛙の子は蛙。でかい蛙になれても、蛇にはなれないのに。

 自民党が強行採決で反動化を進めるなら、俺はどんなセクトとも手を組む。身体を張ってそれを食い止める。

 

 未来を信じ 未来に生きる

 そこに青年の 生命がある

           末川博

 

 

6月26日(木)

 学校への行き帰り以外、ずっと雨降り。

 体調が戻った。岡山も戻ってきた。が、何も言わない。何も言わないから何も聞けない。なんか気軽に聞けない感じ。

 

 自主ゼミはじめてから、自主ゼミのメンバーで行動することが多くなった。基本、自主ゼミの日は終わったらみんなで学食。わいわい言いながら夕食を食べる。大阪から来てる根尾や平田、田ノ上や吉川も食べて帰る。昼は別の事が多いが、夕食はゼミでなくても一緒に食べたりする。

 昨日も、ゼミはなかったけど、夕方談話室で喋ってたら、メシ行こうか?って事になってみんなで食べた。俺は谷口の左隣に座った。右隣にはマサヤ。谷口の向かいは豊島。やつら、奈良に行った時の事をネタにしてあれこれ話してた。

 谷口のミニスカが、とか、大根足が、とか、年を考えたほうがいいべ、女子高生じゃねえんだからな?とか豊島がからかい、もう、エッチ、スケベ、と谷口が過剰に反応し、マサヤが、でも、パンツは見えてへんし、あれくらいえんちゃう?豊島くんも喜んではるし、と言い、わっと盛り上がった。俺は黙々と喰いながらそれを聞いていた。上気したせいなのか、谷口から石けんの良い匂いがした。エメロン使こてんのか?って俺は心の中で思った。

 

 俺は好きな子には、調子にのって滅茶苦茶言っちゃうんだよな

 

 今日、豊島がそう笑ってた。谷口の事だなって、言わなくてもわかった。豊島は谷口をからかってる時が一番楽しそうだが、俺は真逆。一番好きな子は無視。無関心は最大の愛情表現だ。ひねくれてる。

 というか、もしここで俺まで、谷口が好きだってアピールし始めたらどうなるだろ?って考える。年上のおじさん2人が、年下の子の気を引きたいが為に競り合う光景なんて、考えただけでも頂けない。

 しかも、どっちが勝っても入学から今日まで続いてきた友情はそこで終わる。それは淋しい。恋愛か友情か。坂口安吾なら、この偽善者めが、って罵るかもな。

 でも、それを言うならマサヤだろ?とも思う。俺や豊島よか、よっぽどマサヤの方が仲が良い。見ようによっては付き合ってるともとれる。おまえら、つきあってんのか?って聞いたら、やだなあ、おじさん、すぐそういう事考えるんだから、不潔、とか言われそう。ったくガキの気持ちはわかんねえわ。

 

 

6月27日(金)

 人文地理学のレポートの締め切りが明日に迫っていた。面倒臭いなあって放っておいたのだが、やらない訳にはいかなくなった。

 4講目からレポートに取りかかる。まず文献資料室に。めざす書籍を発見して必要箇所をコピー。そのあと図書館に戻り資料をあさる。文字通り、図書室の隅から隅まで歩き回り、なんとかレポートが書けそうな資料を揃え、エイヤって感じで一気に書き上げる。レポート用紙10枚。

 午後10時。閉館後、図書館前の広場で一服。俺、久保、岡山、尾崎の四人で自販機コーヒーを啜った。

 何事も駄目なようで絶望がちらつくけど、気がついてみればなんとかなってる。レポもそう。史料購読もそう。谷口の事も同じようになればいいのにって思った。

 

 

6月30日(月)

 やだよ、スコンクで負けたらどーすんだよ

 

 って尾崎が尻込みした。

 体育は卓球。5人ずつチームを組んで団体戦をやってる。で、今日の対戦相手は女子5人組。なんと達人安達がいる。県大会ベスト4だったという達人には勝てそうにないし、この際だから一敗は捨てようって事になり、みんなの目が尾崎に注がれた。尾崎はすべてを察してそう言ったのだ。スコンクで負けるとは21対0で負ける事らしい。面白かったのでみんなでゲラゲラ笑っちまった。

 

 結局、安達は島津さんと組んでダブルスに出てきた。相手は俺と豊島。俺がきつめの下回転サーブ。ポーンと浮き上がる島津さんのレシーブを豊島が安達の手元にスマッシュ。この作戦がもろにはまった。次々と決まるスマッシュ。次々にあがる歓声。みんな面白がって試合を見に来た。谷口も腕組みして見ていた。島津さんは唇を尖らせ、ほっぺたをふくらませて俺をにらんでいたけど、心を鬼にして下回転のサーブを出し続けた。それでも21対19。危なかった。安達もダブルスじゃ力を出せなかった。

 

 谷口は英語を休んで2限目の体育から来た。体育着に着替えたやつはフロアに降りてくると、そこにいたマサヤを見つけて「おはよう」って言った。そしたらマサヤは「全然はやないし」って笑い、やつはうるせえ、とか言いながらマサヤの脇腹にげんこつを入れた。

 いいなあって俺は思った。俺にも何か言うかなって思ったけど、やつは無視して俺の前を通り過ぎた。

 俺は路傍の石だった。誰も省みようともしない路傍の石。

 

 

7月1日(火)

 ピラミッドはもちろん支配者のものだ。しかし、ピラミッドは大衆も見ている。それはあくまで神殿であり、大衆の心に還元できる要素を持っている。

 東大寺の大仏でもあれは支配者のため雑穀の粥を啜って貧しいもの達が作った。しかし、自分達の作ったものに遠くからであっても手を合わせる事ができる。

                                               陶芸家 松山祐利氏の話

 

 

7月4日(金)

 下宿の部屋に一人でいると素直になれる。俺は谷口に呼びかける。優しいことも言う。山の中の静かな湖面のように俺の心にはさざ波さえ立たない。なのに朝になると、見栄や意地で武装して俺は下宿を出る。

 

 今日もすれちがい。一緒にいても心はすれ違いだ。差し出したグローブの下をボールがすり抜けていく。必死で飛びついた手をかすめてサッカーボールはネットを揺する。俺が必死になればなるほどすべてが俺の傍らをすり抜けていく。

 

 安岡章太郎の「幸福」を読み返す。完璧だ。安岡さんはいいなあ。ほんと俺は「幸福」が好きだ。いつか俺も「幸福」みたいな作品を書いてやる。

 

 

7月5日(土)

 昼頃久保から電話あり。日本史Bのメンツが足りないから助っ人で来てくれって言ってる、という。先月から文学部ソフトボールリーグが始まった。俺は日本史Aチーム。俺のチームは先週勝ったばかり。面倒臭いなあと思いつつふらふらと行ってしまった。行かなきゃよかった。

 相手は哲学1回生。俺はキャッチャー。試合は悲惨だった。守備が守備になってない。外野は球を後ろにそらすために外野に立っていたし、内野は一塁へ暴投するためにゴロを取った。そして何よりピッチャーは相手にホームランか四球を与える為にボールを投げ続けた。これが悲惨でなくてなんであろうか。

 スコアは20対2。

 

 

7月8日(火)

 今朝、変な夢を見た。夜中の3時(だと思ってる)下宿の俺の部屋を誰かがノックする。ドアを開けるとお袋さんだった。

 

 はよう、お風呂に入りんさい

 え?でも、今夜中の3時よ

 

 お袋さんは淋しそうな顔をして黙ったまま階段を降りていく。ちょいちょいと俺が呼びかけると、階段を降りたところで何か言いたそうな様子をし、でも無言で立ち去る。

 

 なんかいやな予感がする。去年の年末を思い出した。カープが日本一になった日の夕方、喜びを分かち合おうと岩国に電話した。電話に出たお袋さんは、お父ちゃんは仕事でおらんよ、と誤魔化したが、その時、親父さんは入院先の鉄道病院にいたのだ。心の病が再発。職場で奇行が目立ちはじめたので上司が説得して入れたらしかった。帰省してはじめて知った。あんた勘の鋭いところがあるけえねえ、いきなり電話してきてお父ちゃんおる?って聞くけえ、ドキっとしたよ、なんてお袋さんは言ってた。たしかに俺にはそういうところがある。だから余計に気になる。何もなければ良いのだが。

 

 

7月12日(土)

 今日の夜、10時04分、山陰線経由で帰省する。部屋の掃除をした。いつ誰が入ってきても恥ずかしくないようにがんばった。布団は畳んでベットの上に積み上げた。荷物は昨日送った。あとは汽車に乗るだけだ。

 

 谷口は17日に帰る、ってマサヤに言ってた(のを隣で盗み聞きした)。心は京都に残る。抜け殻が帰省する。山陰線から三江線への乗り換え駅で、谷口に暑中見舞いを出そう。

 

 

 

 

 

 

※夏休みの日記は割愛

 

 

 

 

 

 

 

9月10日(水)

 帰って来た。京都。

 一昨日、岡山の姉のところに寄る。一晩泊めてもらう。野辺くんも忙しい中、後楽園につれていってくれた。姉も元気そうだった。

 そして昨日の夕方5時ごろの新幹線で京都へ。午後7時着。もうすっかり暗くなっていた。

 

 今日、昼過ぎに起きて久保の下宿に行く。夜、12時くらいまで話しをして過ごす。なんだか1ヶ月くらいずっと京都にいるような感じがした。

 

 

9月13日(土)

 昨日の夜、自主ゼミのメンバーで学食にいたとき谷口に言われた。

 

 暑中見舞い、二枚もありがとうね

 

 え?坊太郎2枚も送ったの?なんで?あーわかった、暑中見舞いと残暑見舞いって事か?えらい丁寧やな、俺らには1枚しか来てないのにな?とかみんなにいろいろ言われた。 

 たしか、帰省途中、乗り換えの江津駅で書いたはず。あまりの蒸し暑さに耐えきれず、駅前の喫茶店に飛び込んだ。そこでアイスコーヒーをチューチューしながら書いた。みんなに宛てて書いた積もりだったがポストに入れた瞬間、不安になった。谷口に書いたっけ?。結局、絵はがきかなんか買って改めて書きなおしたのだ。

 

 いやいや、江津駅が死にそうなくらい暑くてなあ、え?2枚も送って

 たって?いやあーもう意識が朦朧とするくらい暑かったって、まあそ

 ういう事よ

 

 なんて馬鹿笑いで誤魔化した。あいつ何か見破ってる感じ。ぜんぶわかっててからかってる感じ。

 

 

 

9月14日(日)

 昨日、暴走族志村の下宿でウィスキーを飲んだ。あいつ、彼女ができたって言ってた。日文の1回生らしい。民青仲間だってさ。

 

 恋愛も政治運動も全部民青で完結ってか?

 おいおい、いくらうらやましいからって、そういう事いっちゃ駄目ず

 ら

 うらやましい?馬鹿言うな、そんな職場結婚みたいなの御免だぜ

 じゃ言うけど、お前、右翼の娘とつきあえるか?いくら美人でも無理

 だら?思想的に共感できるって事は大切な事ずら

 

 酔っ払った俺らはそんな感じでけなしあって楽しんだ。

 

 今日は昼過ぎまで寝ていた。一日中、下宿にいた。何もする気がしない。何をしても面白くない。心から打ち込めるものなんて何もないのだ。

やっぱり、俺は志村がうらやましいのかもしれない。

 

 さっき、外に出たら寒かった。昼はまだ夏だが、夜はもう秋だ。湯をわかしてコーヒーを飲んだ。ひさしぶりに湯を沸かした。

 

 

9月17日(水)

 キャンパスの人混みの中を志村が彼女と歩いていくのを見た。素敵な光景だった。志村も随分かわったよな。入学式の後の自己紹介の時、あいつは言った。高野悦子のいた大学はどんなところかと思って来ました、って。そして、酒飲んで言った。俺はなんで生きてんのか、俺に生きる価値があんのか、そればっか考えてたよ。いつか下宿で見た卒業アルバムが忘れられない。上目遣いで世の中を恨むような眼差しであいつは写ってた。見た瞬間、背中に悪寒が走った。冷たい目をして骨張った身体で、ニヒリズムに身を固めて生きてたな。

 キャンパスの人混みの中をあいつは彼女と歩いてた。素敵な秋の日だった。

 

 やっぱりうらやましいな。煩わしくて面倒で、嫌気がさすほど好かれてみたい。彼女がいたら楽しいだろうな、一人ぼっちで歩くって退屈だよな。

 そんな事ばっか考えるのってほんと不純だわ。

 

 

9月23日(火)

 前期試験。こっちにきてから試験の準備ばっかで嫌になる。はやく終わってほしい。

 さっそく、明日は第一弾、ドイツ語の試験。昨日も今日も部屋に閉じこもって試験勉強。30ページの試験範囲を3回、繰り返して読んだ。

 

 今朝の目覚めはすこぶる悪かった。お父ちゃんがまた入院したんよ、とお袋さんが夢の中で泣いてた。実家を離れる時は元気だったし、特におかしな様子はなかった。まさか2週間で急変するなんてあるはずがない。と、思うのだが、あるはずのない事が起こるのが我が家の現実ってやつなんだよな。しかも、俺には予知能力ってのがある。これが始末に負えない。

 

 

9月24日(水)

 今日、試験が終わって下宿に帰って来たら仕送りが届いていた。同封されていた手紙には「こっちはなんとか元気でやっています」と書いてあった。(なんとか)に引っかかった。やっぱり具合が悪いんだと思った。お父ちゃんが訳の分からない事を言い出して困ってるんだけど、さすがに手紙には書けない。それ故の(なんとか)なんだ、と。

 10円玉を山ほどもって下宿を飛び出す。スナックの前の公衆電話から実家に電話する。話し中。5分ほどその辺をうろついてまた電話。まだ話し中。普通なら(明日でええわ)ってやめちゃうとこだが、ますます不安は増すばかり。また5分ほど歩きまわってかけたら、お袋さんが電話に出た。

 何を長電話しよるんかね、と怒鳴ったら、あんた、いきなり何を怒っとるんね、よいよじゃね、と明るい声が返ってきた。やれ、仕送りの書留は着いたかね、とか、お父ちゃんが自動車学校の手続きに行ってくれたよ、来年の春入学じゃと、がんばりんさいよ、とか一方的に喋った。

 なにかあったら電話しんさいよ、と言ったら、何もありゃせんよ、と笑われた。

 ドイツ語はまずまず。最低Bはあるだろう。

 

 

9月30日(火)

 前期試験も終了。それなりに頑張って、それなりの出来。良くはないが単位を落とす事はないだろう。

 試験終了の開放感からみんなでソフトボールをやって遊ぶ。大学の中央グランドはがら空き。フリーバッティングと称して外野まで飛ばしまくった。爽快。

 やってる時は楽しいのだが、所詮は男だけの遊戯。やめた途端にむなしくなる。テストが終わったからソフトボールって?中学の時と一緒じゃんって思う。成長がない。

 大学生なら彼女を車にのっけてドライブ。試験終わったぜ、海でも見に行くか?って感じ。浜辺に車停めて、夕日を見ながら熱い抱擁、そして口づけ。

 それくらいあっていいんじゃねえの?って思う。

だけど俺には彼女がいない、車もない、そもそも免許がない。なにもない。

 

 

10月1日(水)

 午後、図書館から清心館に向かって歩いていたら、やましたくーんって谷口が走ってきた。胸がキュンとした。なに?なに?どうしたの?って微笑みかけたら谷口が言った。

 

 カルラが清心館、談話室で待っててって

 

 そんだけ?

 じゃねって谷口が走っていく先をみたら、マサヤが立ってた。やましたくーん、明日自主ゼミがんばろね、ってマサヤは手を振った。

 

 君、明日ってつぶやいてみたまえ

   あの神々しいまでのまぶしさでまぶたが閉じちゃわないか?

               明日ってのは実にそういうものですぞ

 

 

 今日の夜の事だ。カルラと豊島と唐津の川尻、そして珍しく大阪鴻池の吉川の五人で久保の下宿に向かってたんだ。俺と豊島と川尻は自転車に乗ってた。大学を出て路地から金閣寺道に出た時、段差を乗り越えた拍子に何かが飛び出した。暗闇の中、一筋の白い帯状のものが暗い舗装道路に転がり出たのだ。ん?なんだ?って自転車を止めたら、おい、何か飛び出したぞ、って吉川が叫んだ。慌てた様子の川尻が自転車を放り出し、急いでそれを拾い上げるや篭の手提げ鞄に押し込んだ。

 おい、ちょっと待てや、おまえ、またやらかしたんか?と吉川が川尻に詰め寄ったが、川尻は無視。さ、行こう行こう、なんて自転車に跨がる。が、吉川は自転車のハンドルを握って離さない。

 

 おまえ、さすがにそれはあかんで、それはやったらあかん、いくら苦

 しいからって、それだけはあかん、返してき

 うるさい、おまえ関係ねえだろ

 関係おおありや、わしはお前の親友やで

 自宅生にはわかんねえんだよ、えらそうに説教垂れてんじゃねえよ

 説教やあらへんがな、友達やから言うてんのやで

 もういい、俺は帰る

 

 川尻は一人暗闇に消えた。

 

 あいつ学校のトイレットペーパー、勝手に持ってきよったんや、と吉川は言った。川尻は仕送り無しだから、ありとあらゆるものを切り詰めている。トイレットペーパーもそうだ。やつの下宿は自腹で買わないといけない。その金が惜しいから大学のを失敬してる。まえまえから気づいてはいたが、気の毒で言えずにきた。でも、やっぱりそれはあかん。そこまでやったら人間失格や。

 最初は笑って聞いていた俺たちだが、なんだか笑えなくなった。身につまされる話。たしかにやったら駄目な事だが。

 

 

10月2日(木)

 久しぶりの自主ゼミ。カルラが書いたレジュメに、ミスターBに炬燵を出させる季節になりました、って書いてあったもんで、谷口に、え?もう炬燵出してんの?なんて言われてしまいました。

 漆黒の闇に豆電球一つ?

 

 帰宅してから史料講読の予習を頑張った。今、授業でやってる史料は寛政異学の禁関係文書。漢文だから分厚い漢和辞典を引きながら読み下していく。実に地道な作業だが史料を読み下して出席しないと当てられた時にえらいことになる。

 とにかく時間がかかる。今日は人物名で躓いた。「蘭清公」という文字が何度も出るのだが、それが一体だれを指すのかわからない。徳川義直ではないかと当たりはつけたものの、そうだという根拠は最後まで見つからなかった。明日の授業で当たらなければ良いが。

 

 この前、下宿代を払いに行ったら、大家さんの奥さんが、山下くん、よう勉強してるなあ、感心やわ、って褒められた。きっと、夜中まで電気つけてるから、勉強してるんだと思ってるんだろう。まあ、そう思ってもらってるなら、あえて訂正する必要はない。

 阿呆なんで、がんばらなどうしようもないんですわ、って笑っておいた。

 

 

10月4日(土)

 試験期間の反動か、昨日今日とよく寝る。今日も昼までグースカグースカ寝て、学校は4限から。後期のみの教職法律学という授業。先生がラディカルで実に精力的。俺の好みですなあ。これからが楽しみっす。

 

 君とイチャイチャしてるところを見られちゃったの

 それをぺちゃくちゃ言いふらされて私ピンチ

 いつもそうなの誰か私に いじわるしてるんじゃない?

 

 ハートキュンキュン 泣き出しそうよひとりぼっちは

 うちへきてきて 心細いのこんな時は

 抱き合って眠るの 抱き合って眠るの

 そうすればとにかく 少しは気がおさまるの

 

 FMでエアチェックした ヘンテコな歌だけどなんか良い

 もろ軽薄なところがかえって切ない 

 俺も鼻歌で「泣き出しそうよひとりぼっちは」なんて歌えるといいな

 

 

10月6日(月)

 夕方から12時頃までカルラの下宿で麻雀をする。東場で東を積もった時、はい上がりとは言ったものの、東だけかあって思った。でも、良く見れば「四暗刻」。我を失ってしまいました。狙って待ってても全然こないのに、上がるときは見えない力に導かれるように上がる。ほんと、麻雀って不思議。

 

 今、午前5時。寝れない夜が続いて昼夜逆転の日々。これはなんとかしないといけないって事で、今日は徹夜です。このまま学校に行くつもりで今頑張ってる訳ですね。

 

 昨日も起きたのは昼。西洋史概説も英語、体育講義も欠席。かろうじて思想史だけは出席しました。ふと前をみると谷口の背中が。2日ぶりに見ました。彼女は黒いセーター。とてもよく似合ってました。

 思想史のあと久保の下宿に行くと、川尻、吉川、尾崎がいました。なんでも吉川がサツマイモを持ってきてくれたから、サツマイモパーティーをやるという。吉川は芋をふかす鍋まで持ってきたって言うから偉い。東大阪からだからねえ。こりゃ食べなきゃ失礼だわって事で6つも食べました。美味かったなあ。

 昨日、豊島は学校に来てなかった。先週も週末は休みだったし。なんとなくわかるような気がする。谷口の事だと思う。最近、谷口はいっつもマサヤといるのだ。朝から夕方までずっと一緒だ。この前も、マサヤがやってるジャズバンドの公演聞きに行ったとかで、シンチャン、サックスめっちゃ上手いんだよってはしゃいでた。その横でつまらなさそうな顔してたんだよなあ、あいつ。

 でもなあ、こればっかりはどうしようもない。どうにでもできるのなら、やつより俺を先になんとかするだろうし。やつはやつなりに、俺は俺なりになんとかするしかないよな。

 

 

10月8日(水)

 ジーパンやシャツが床に投げ散らかしてある。雑誌や辞書が転がって、ケースに入ってないカセットが氾濫。無造作に置かれたレコード。空間には洗濯物が干したまま。アナーキーな俺の部屋に寝っ転がって、適当に本を手に取ったら「二十歳の原点」だった。

 彼女はりりしく書く。

 

「途方もなく寂しい、私は一人だ」と。

 

俺も同じ事書いてるのに、じつに、いじましい。

 

 

10月9日(木)

 俺が小学校3年生の時の事だ。5年生の姉と一緒に俺を座らせて、洗濯物を畳みながら母親は言った。

 

 帝人の食堂にパートに出ようと思うんよ、朝出て夕方には帰っとるけ

 え、あんたらが学校から帰るころにゃ家におるけえ、ええじゃろ?

 

 父親は入院していた。心の病。いつ治るともしれない病気だ。お金がないのはわかっていた。だから仕方ないとは思ったけど、母親がいなくなりそうで不安だった。

 

「貧しくてもボクと結婚してくれますか」

 昔、テレビの「パンツ屋ですう」ってドラマで毎回、森光子が朗読していた詩の冒頭部分だ。いつもテレビを見ながら、ええねえ、と母親は涙をこぼした。

 

 おとうさん、おかあさん……、

 

 夕食の片付けをしながら母親はよく独り言を言った。

 13で引き揚げ、15で母親、16で父親を看取ってからは、親戚の家を転々として大人になった(らしい)うつろな目で皿を洗いながら、母親は自分の両親に何を言いたかったのだろう。

 

 今、夜中の三時。「父よ、母よ」という本を読み終えた。いろんな家族、いろんな親子、いろんな少年少女が出てきた。思春期ってのは、穴ぼこだらけの平原を目隠しで突っ走ってるようなもんだ、って何かの本に書いてあった。なぜ俺は思春期の穴ぼこに落ちなかったのか。引き揚げ者の母親に精神病患者の父親。おまけに赤貧。グレてもおかしくなかったのに。

 

 今日の自主ゼミ。大河原カルラがやたらと鹿児島を持ち出すので苛ついた。知ってるか?西郷さんは地元じゃ「セゴドン」って言うんだぞ、とか、頑張れって鹿児島じゃ「チェスト行け」って言うんだぞ、とか。だから、もう鹿児島はええって、って俺が舌打ちしたら、久保の大馬鹿野郎が谷口に言いやがった。

 

 坊太郎、島津さんに振られたんや、それで苛ついてんやで

 

 え?山下くん、島津さんだったんだ、ああいうタイプが好みなんだ、へえ、知らなかった、って谷口は驚いてた。

 

 

10月10日(土)

 尾崎が行ってみねえか?って誘うので、夕方西大路丸太町にある月光堂という楽器店に行ってみた。中年の店員がフレンドリーに対応してくれたが、こっちが立命だとわかると1人で喋りはじめた。

 

 最近の学生はあかんな、ええかっこしいばっかりや、特に衣笠に文学

 部が来てからあかんようになったな。女の気、引こおもてええかっこ

 ばっかしてるやろ?昔はみんな下駄はいてたもんな、きったない格好

 でなあ、苦学生はそれでええねん。同志社みたいなブルジョア学校は

 あかんわ。

 

 その人が、好きに弾いてええで、って言うもんで、あれやこれや弾いて遊んだ。俺はセミアコのギターに惹かれた。

 結局、マーチン(のライトゲージ)を一組買って帰った。

 

 

 谷口は俺がこれまで好きになった子の中で、1番近しい子だ。高校の時の津田加奈子なんか、同じ小中の出身なのに、高校では一言も喋った事なかったし、一方的に俺が好きになってただけだった。島津さんにしたって似たようなもんだ。1回、茶店で喋ったけど、じゃその後、日常的におしゃべりしてるかって言われれば、全くしてない。声かけたら不自然そのものだ。

 

 谷口は友達だ。

 

 そう言ってもいいと思う。

 高校の時、俺は津田加奈子と友達になれればそれでいいんだって思ってた。それはピュアな俺の気持ちだったんだけど、友達と呼べる好きな子ができた今、幸せかと聞かれると答えはノーだ。手を伸ばせばすぐそばにいる。いつも顔がみれる。挨拶だってできる。からかって笑ったり、文句いってみたりも。じゃ、それで十分幸せじゃんって思うけど、そうじゃないんだよな。逆につらさが増す。毎日会えるけど友達という壁がある。冗談も言えるけど友達という溝がある。これってつらい。結構、つらい。

 秋山さんとは一緒に2人でいろいろ行った。清水寺も、奈良も、帰省してからは花火大会も一緒に行った。いろんな事喋って楽しかった。でも、それは秋山さんが正真正銘の友達だからだ。本当の友達と友達としてつきあうのって、気楽で楽しい。

 でも、谷口みたいに、好きなのに友達って、似てるけど全然違う。本当は一対一で話したいのに、男と女でつきあいたいのに、2人だけの時間が欲しいのに、その他大勢の中の1人って悲しい。

 みんなでいても、広い荒野にぽつんといるような気分になったりする。

 

 自主ゼミやめようかな?

 

 なんて思ったりもする。あいつの顔見なくなれば、忘れられるような気もする。

 けど、やっぱり毎日、あいつに会いたい。3日に1回は何か話しかけてくれるかもしれないし。それにあいつの顔見れなくなったら、もっともっと寂しくなる。それがわかってるから止める勇気はない。

 

 

10月14日(火)

 大学は工場。大学生という商品を作る。同じように作るのに出来に善し悪しが出る。AもいればCもいる。Aは大企業が買ってくれるが、Cだと買い手はつかない。ただ工場にもいろいろあって、不良品だらけの工場もあれば、とびきり上物ばかりの優良工場もある。優良工場のラベルが貼ってあると、多少傷もんでも売れるが、不良工場産だとばれると、どんなに品質が良くても、ラベルだけで敬遠される。世間でいうところの大学格差ってやつだ。

 そこで学生を生産する労働者が教授。低賃金でも寛容と忍耐で生産に従事する。

 

 今日、そんな事を考えた。というのも四限目の史学史の時、非常勤で来る和歌山大の先生が、非常勤講師の賃金は関関同立でカルテルが結ばれてて、もう微々たるものなんですよ、なんて愚痴を言ったからだ。

 それでそんな事を夢想したのだが、一度そう思い始めるとあら不思議、大学の校舎が工場に、教授の来ているスーツが作業着に見えてきた。

 

 カルラと高中正義のチケットを買いに行った。12月7日。店員に聞くと、2階席が5枚残ってるだけだという。2階席かーって渋ってると、もうチケットの奪い合いですからね、残ってるだけラッキーですよ、今買わないとすぐ無くなりますよ、なんて煽られた。

 2階の後ろの方だったけど、仕方なく購入。高中って人気者なんだな。

 

 

 

10月15日(水)

 俺は路傍の石。

 今日は気持ち良い秋晴れ。雲一つない青空だった。夕方、半地下の匿名配布棚から赤旗取って階段を上がったら、ちょうどマサヤと谷口が通りがかった。何を話してるのかわからなかったが、谷口は笑ってた。その笑顔が楽しそうで。幸せを絵に描いたような笑顔だった。

 その笑顔をじっと見ていた路傍の石に気づきもせず、2人は石の前を通り過ぎて行った。

 青空、快晴、一人きり。

 

 NHKの新日本紀行でカープを特集していた。久しぶりに広島の街を見た。岩国って言われてもピンとこないが、広島の街ってなぜか胸にじんとくる。俺の幼少期が、そのまま埋まってる街だから。

 番組の最後。夜の街にぽっかりと浮かぶ市民球場が画面一杯に映し出された。水銀灯の光。エンディングテーマとともに、上空から見た市民球場はだんだん小さくなっていく。

 それを見た時、父親と一緒に野球を見に行った時の事を思い出した。小学校の1年生だった。もうシーズンも終わりの頃だったのかな。握った父親のコートの生地が冷たかった。

 

 

10月16日(木)

 臨時学生大会に出た。人数が足らず流会になった。それでも討論は行われた。むなしい討論を聞きながら、今日の英語の時間を思い出してた。授業のあと、クラス決議を挙げるか否かで議論したのだ。森山が前にでて、いろいろ説明してるのに、みんな好き勝手な事やってる。雑談で森山の声が聞こえない。それなのに採決になるとみんな賛成に手を挙げる。反対者は1人もいない。当然、学生大会にも来ない。

 

 議場は議場で猿芝居。トロのあんちゃんが2、3人。あとは青色の人と、青ざめた人がおきまりの台詞喋って、サクラが喝采。トロが壇上に上がれば、圧倒的多数を笠に着て罵声嘲笑を浴びせる青。静粛にしてください、とは口だけで好き勝手させてる議長はグル。

 10・21の統一行動、行こうか行くまいか。行ってみようかなあ、止めとこうかなあ。

 

 この前の自主ゼミ。俺は対面に座ってるマサヤと谷口をずっと観察していた。以下、観察日記。

 2人とも神妙な顔でカルラと豊島の議論を聞いている。時々、うんうんと頷いたりもする。でも、目に真剣さはない。明らかに退屈している様子。すると、マサヤが谷口の耳元で何やらヒソヒソ。すると、谷口は口を押さえてクスクス。カルラがにらむと、谷口は広げたノートに何やらメモするふり。そのメモを見てマサヤが爆笑をこらえ。

 とまあ、こんな感じ。

 こいつら付き合ってんだろうなあって思うのだが、果たして恋愛関係と言えるのか疑問。どう見たって小学生の仲良しカップルにしか見えないんだが。

 そしたら、また谷口が何やらマサヤに耳打ち。悪戯っぽく流し目で俺をみる谷口。すると、マサヤが何やら走り書きして俺によこす。

 

 ヨリちゃんが、坊太郎、ハンサムやなあ、だって

 

 一瞬、ドキッとするが、ここで取り乱す訳にもいかず、しごく落ち着いて、まあね、って口だけで言うと、二人揃って爆笑し、苛つくカルラが咳払い。

 やっぱり、俺は馬鹿にされてんのかなあ?。

 

 

10月17日(金)

 カープのリーグ優勝が決まった。胡町商店街に集まったファンの大騒ぎがテレビに映った。嬉しかった。でも、広島じゃない街で、広島人じゃないよそ者のアナウンサーがカープを褒めちぎるのを聞くと、なんだか小馬鹿にされたような気になるのは俺だけだろうか。 

 

 1限目の史料講読の時間。教室に入ったら谷口が俺を見てた。授業中もなんだかやたらと目が合って、しかもじっとこっちを見て、目をそらさないからドキドキした。どういう積もりなんだろ。

 明日、谷口は休むらしい。母親が下宿に来るのだそうだ。

 

 

10月18日(土)

 昼過ぎに起きる。起き抜けに煙草をふかしてたら、自分の部屋の汚さに驚いた。

 

 ここはゴミためか?。

 

 雨の前の生暖かさもあって不快極まりない。突然、掃除をしたくなった。

 2時ごろまで猛然と掃除。すっかり綺麗になった。谷口さんレベルに綺麗になった。

 

 4限目の教職法律学に出席。夕食後、カルラ下宿で麻雀。9時ごろ帰宅。

 今まで永原慶二の「日本経済史」の2章を読む。今度の発表レジュメ草案を作らなきゃいけない。分担は50ページ分あるが、なんとかレジュメ3枚に抑えたい。

 

 

10月20日(月)

 スタディー、スタディー、スタディー

 

 今日の自主ゼミはカルラと豊島の議論に終始した。農業共同体から世帯共同体が独立性を強めてゆく、かつそれが小国家群、ひいては大和朝廷にまで拡大してゆく過程についての議論。

 

 夕方、下宿で村井康彦氏の「古代国家解体過程の研究」を読む。基礎演習用に上田が貸してくれたのだ。本文もだが、村井さんの「まえがき」が面白かった。村井さんもかつては歴史研究に行き詰まってカメラの作製に逃げた事があるらしい。あのまま、逃避し続けていたら今の自分はない、と。村井さんほどの歴史学者でもそうなのだ、ましてや、屑の俺なんかが挫折感を味わったって、全然おかしかない。まあ、挫折する前から逃避してるが。

 

 永原氏の経済史の続きを読む。「荘園制の経済機構」のところはちんぷんかんぷんだった。似たような響きなのに、なぜチンプンカンプンで、チチンプイプイじゃないのかなあ、って思った。

 

 田中先生の英語。テストの成績を聞きに行ったら80点だった。

 

 

10月21日(火)

 サブゼミ。プロゼミの発表に向けての準備。先週、ちゃんと発表のてはずは整っていたのに、前の班がダラダラやるもんで時間切れで、今週に持ち越しになったのだ。

 上田が持参した「出挙」に関する史料をみんなで検討した。主税式の式数と定挙、加挙、各利稲の合計があわず、ずっと議論と計算を繰り返した。黒板は数字で埋まった。数学音痴の俺は頭がクラクラした。3時まえ、そうか、これで良かったんだ、って上田が言うので、ほんとはチンプンカンプンだったのに、そうそう、それで良かったんだよ、なんて強引に終わらせた。

 

 夕方は自主ゼミ。討論の間中、ずっと谷口を観察していたのに、今日は俺には無関心、文字通り一瞥もくれず、ずっと豊島をからかって笑ってた。学生会館の部屋の外からは誰かが引いてるギター。それにあわせて歌声も聞こえていた。豊島くんはすごく上機嫌だった。うらやましかった。

 

 

10月22日(水)

 今日、自主ゼミのメンバーで昼飯を食べた。対面の根尾がうどんを啜りながら言った。

 

 あのね、ヨリがね、こんな夢みたんだって。どっかの壁にポスターが

 貼ってあってね、ロックコンサートのポスターなのね、そしたら、そ

 の中には安藤くんとオカマと相葉が写ってんだけど、三人はカッコ良

 く決まってるんだって、なのにその隣で坊太郎が大盛りのご飯をかき

 込んでて、ヨリがそれを見て、かっこ良いねえっ、やっぱ男はこうで

 なくっちゃ、って言ったら、豊島くんがその後ろで、そう、こうこな

 くっちゃって同意してる。そんな夢。

 

 豊島は俺の隣に座ってたんだけど、丼物をかき込みながら彼はつぶやいた。

 

 なんだ、俺は傍観者かよ

 

 え?それって俺の台詞じゃんか、と思って俺は谷口を見た。やつは俺と豊島を見ながらニヤニヤ笑ってた。

 

 

10月23日(水)

 1時を少し回ったあたりで起きだし、2時をかなり回ったあたりで下宿を出る。人文地理の授業を覗いたが、つまらないので教室を出て1人衣笠食堂で焼きそば定食を食べる。

 日も傾きかけた頃で食堂はガランとしていた。俺は夕日の溜まった角の席にドンとすわり、伊藤の本をパラパラめくった。谷川の清水にミカンをいくつも流したような夕日。食堂のおばさんが暇そうに口ずさむ「かあさん」の歌を聴きながら、焼きそばをほうばった。

 

 昨日書留が来た。今日の夜、実家に電話した。久しぶりに親父さんの声を聞く。元気そうだった。

 

 

10月24日(木)

 1限目は史料講読。昨日、予習をがんばったから、早朝から起き出して学校へ。寒い朝だった。薄く霧も出ていた。テニスコートの横を通って理工の裏から入り自転車を止めたら、谷口みたいな子が横を通って行った。あれ?谷口じゃねえか?って軽く手を振ってみせたのに、見えなかったのか振り向きもせずにスタスタ歩いて行く。マサヤはいなかった。

 清心館に入ってエレベータのとこへいくと、谷口が1人で立ってた。なんだやっぱりさっきのは谷口だったんじゃんって思った。おはよ、って声かけたら、鸚鵡返しに、おはよって答えた。前をむいたまま。

 エレベーターが開いたけど、他に誰もいないから、2人だけで乗った。なんだか気まずかったから、寒いね、って愛想笑いしたら、うん、寒いって頷く。なに?元気ないね、わかった寝坊して朝飯抜きだから、お腹ペコペコなんだろ、ってからかってみた。もう、山下くんじゃないのよって、いつもみたいに返ってくるかと思ったら、そお?ってそれっきり何も言わなかった。

 マサヤといるときはあんなに五月蠅いくせに、そんなに俺が嫌かよ、ってすねた。

 

 夕方、自主ゼミ。朝の事を根に持っていて俺は面白くなかった。俺はこんなところで何やってんだよって思ってた。俺の目の前の谷口は、朝とは別人で、マサヤといつものようにジャレついてる。キャーキャー言ったり、ツンとすねてみたり忙しい。それをじっと見ながら、つくづく俺って馬鹿だよなって思った。人の彼女好きになってどうすんだよって。こいつの一体どこに惹かれるんだろう。顔だってよくみりゃ不細工だし。ただの慰めが欲しいだけか?。要するに誰でもいいのか?。

 夕方6時半、自主ゼミ終了。さあ、メシ食いに行こうぜってなもんよ。

 

 カープ勝ったよ、おとっつぁん。

 2対0で迎えた4回、水谷のソロ、5回コウジの2ランで3対2と逆転。ところがどっこいバッファローズ。同店に追いついたのが8回とくら。ああ、目の前真っ暗、神も仏もあったもんじゃねえ、と思ってると、おやおや、一寸先は闇。9回、2アウトからデユプリーのゴロを吹石が大暴投。猛牛くんは暴れ出すと手がつけられない。水沼の右中間ヒットを、今度は島本が後逸。マイク・デユプリー、3塁回ってクロスプレー。タイミングは完璧アウトだが烈タックルを食らった柴田捕手、つかんだボールを思わずポロリン。4対3の再逆転。試合はそのまま終了、カープの勝利。

 

 日本シリーズ見て一喜一憂して、踊ったり叫んだり、かと思うと鬱病かと思うくらい落ち込んだり、暴れたり。去年は幸せだったよなあって思った。今年は日本シリーズ見てても、これまでのように夢中になれない。刹那的に気持ちは動くが、海の波みたいなもんで、波は大荒れでも海の底はじっとしたまま動かない。

 つまらん、面白くない、あほくさいで日々が過ぎていく。

 

 

10月25日(金)

 今日の事は詳細に記す。俺は何も知らなかった。青天の霹靂。衝撃的だったから小説風に。

 

 起きたら昼過ぎてた。今更学校に行く気もしない。谷口の顔を見てはしゃいだり、すねたりするのはもう御免だと思った。明日もあさっても、この週末、誰にも会わなきゃ気分も変わるだろうと思った。

 だからバスに乗って1人河原町に出た。暖かいマウンテンコートが欲しかったし。四条の交差点で降りて、高島屋でも覗こうかと思って歩いてたら肩をたたかれた。誰かと思って振り向いたら谷口だった。学校サボって何やってんの?ってニヤニヤするから、お前だってサボりだろうがって辺りを伺った。マサヤと一緒なのか?って聞いたら、いつもいつも一緒じゃないし、って唇を突き出した。

 ちょっと茶店でもどお?って誘われた。もう、歩き疲れてクタクタなのよ、1人じゃ入りづらいからって言うからそこら辺の茶店に入った。

 みんなと居るときとは全然感じが違った。この前のエレベータの時とはまた違う意味で別人じゃねえかと思ったさ。

 運ばれてきたブレンドコーヒーにミルク混ぜてたら、今度、城山くんが自主ゼミ入るって、と谷口はいきなり切り出した。そういえばカルラがそんなこと言ってたなあって思った。メンバーが増えれば活気が出るね、ってコーヒー啜ったら、谷口はため息をついた。気楽で良いねって訳わかんない事言うんで、何だよそれって言ったら、城山くんは平田さんとつきあってんの知らないの?って言う。

 城山はかっこいい。背も高いし、均整の取れた体格はスマートとしか言いようがない。だってやつは陸上選手なのだ。高校時代、走り高跳びで2メートル越えのジャンプをしたとかで、富山ではちょっとした有名選手だったらしい。ハンサムで、いつも穏やか。優しい奴だ。その城山がなんと平田と付き合ってるという。こう言っちゃあれだが、平田はおおよそ美人とは言いがたい。たしかに性格はおおらかだし、大阪のおばちゃん的な開けっぴろげの人柄は誰からも好かれるが、恋愛関係は話が別だと思ってたから驚いた。

 カルラと根尾。谷口とマサヤ。そして平田と城山か。カップルだらけじゃん、って言ったら、そんな簡単な話じゃないのって不機嫌だ。何が?何がよって聞いたら、だからー、シンチャンもほんとは平田さん目当てだったのよ、って言うのを聞いて絶句した。うそだろー?って目を白黒させてたら、もう山下くんって何にも知らないのねってあきれる。

 谷口の話を要約するとこうだ。そもそもマサヤは平田が好きで仲良くしていたが、そこに城山が現れて、平田はマサヤじゃなくて城山を選んだ。つまりは振られちゃた訳だけど、マサヤは平田が忘れられなくて自主ゼミにも平田さん目当てで入ってきた。谷口とイチャイチャしてるのも、半分は平田さんに当てつけで、気を引こうとしてるのだ。そんなとこに城山くんが来たら、マサヤくんどうなるの?壊れちゃうよ。

 

 え?お前って。マサヤとつきあってんじゃねえの?

 だから、そういう単純な話じゃないの

 ってことは、つきあってねえのかよ

 だからつきあうとか、つきあわないとか、そういう単純な話じゃない

 の、ただの友達よ、話は合うし、一緒にいて楽しいから仲は良いと思

 うけど そういうんじゃないの、それに私だって

 

 そう言いかけて上目使いに俺を見る。え?もしかして、谷口さん、あんたは俺の気を引こうとしてはしゃいでるって?そういうことか?って一瞬、心臓が止まりそうになったけど全然そうじゃなかった。谷口は地元に彼氏がいると言う。

 

 へえ、いまも、つきあってんだ?そいつと

 いや、つきあってはない、卒業するとき振られたし

 へえ

 でも、今でも私が好きなんだって長い手紙よこしたり、地元返った時

 とか飲みに行かないかって誘ってきたりするんだよね、振っといてそ

 んな事すんなよって思うんだけど、ついつい誘われるままに出かけち

 ゃうんだよね、やっぱりまだ未練があるのかな?

 

 谷口はそう言って顔を赤らめた。成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群の二拍子も三拍子も揃ったやつ、学年のアイドルみたいだったらしい。なんで振られたの?って聞いたら、一緒に地元の名古屋大学に行こうぜって誘われたのに、私は京都に行くのって頑張った。そしたら拗ねちゃって、長距離恋愛なんかやってられっかよって喧嘩別れになったらしい。

 つまり、マサヤも谷口も似た者同士だって事みたいだ。谷口もマサヤの気持ちがわかるから、つい一緒にいるって言ってた。それなら俺だって似たようなもんだけどなあって思ったから、ついそれをぼやくと

 

 だって山下くんは島津さんなんでしょ?

 

 って言うから、だから、島津さんには振られたの、って煙草に火をつけたら、でも今も好きなんでしょ?見ててわかるわ、そう簡単にスパッと切り替えられないよね、なんて解ったような事いう。その上、あの西洋史の彼女と二股かけたりするからじゃないの?なんてアサッテな事言うので苛ついた。本当はお前が好きなんだよって告白したかった。これ以上、告白のチャンスはねえぞって思ったけど、今、ここで俺が告白したら、話は更に複雑になるなあって思った。それこそ三角だか四角だか、星形だかわけわかんなくなる。そうなれば自主ゼミは崩壊だ。

 

 谷口は将来の事をついつい考えちゃうよねってため息をつく。男は気楽で良いけど、女はそうはいかない。大学で深い仲になっちゃったら当然結婚も考えるでしょ?。好きで好きでたまらない相手なのに、卒業したからハイさよならって簡単に別れられる?無理でしょ?そしたら大変よ。就職だって好きなようにはできないし、本当に結婚ってことになったら女は地元離れなくちゃいけないんだから。人生かかってんのよ。

 たしかにそうだよなって思った。大学だけのつきあいって訳にはいかない。

 

 だから誰とでも深い仲にはならないようにしてるんだ。

 

 谷口はそう言った。

 

 茶店を出たらもう薄暗くなってた。谷口は根尾と京都駅で待ち合わせしてるって言うので、そこで別れた。バス停まで来てくれたが、別れ際俺に言った。

 

 わたしさ、小学生の時さ、内気な子ですねって先生に言われた事、あるんだよ

 

 

10月30日(木)

 唯物史観というのは日本ではなく欧州のための歴史理論なんです。欧州の歴史的発展を分析して導きだされた考え方。なのに、それを日本の歴史に当てはめるからややこしいことになってる。例えば江戸時代は「近世」ってことにしてるけど、欧州流の歴史に「近世」なんて概念はない。明治維新をどう捉えるのかって問題も同様です。ブルジョア革命なのか、否か。

 僕らがうける混乱や疑問は主としてそこから派生してる訳ですね。いくら当てはめようとしても限界がある。その限界を超越するためには、唯物史観をはじめて導入したときの問題意識を我々が抱き、唯物史観が何であるかを究明するしかないんです。そのために『経済学教科書』を読破しようと思います。

 

 てな事を自主ゼミで喋った。

 

 この前の茶店の一件がなかった事みたいに谷口は以前と同じだ。俺は誰にも話してないが、谷口も内緒にしているようす。別に話してもかまわないような気もするが、なんとなく言い出せずにいる。河原町で会って茶店に行った事も、そこで聞いた話の内容も。

 谷口は相変わらずで、みんなが居るときは俺なんか眼中にないような振る舞い。マサヤとじゃれあったかと思うと、豊島をからかったり。

 ただ、これまで平穏無事に見えていた自主ゼミの風景がまったく違って見えてきた。

 今日は城山が初参加。みんな笑顔で歓迎していたけど、たしかに平田はいつもより嬉しそうでもあり、城山に随分気を遣っていたように感じた。マサヤはそんな平田に苛ついていたのか、いつもより格段とはしゃぎ様が派手で、おい、そこのガキ、五月蠅いぞ、ってさすがのカルラも苛ついていた。顔で笑って心で泣いて。たぶんマサヤも心中穏やかじゃなかったんだろう。そんなマサヤをあやすように?谷口は一緒にはしゃいでやっていた。

 なかなかのややこしさ。この柵に参戦するとなると相当の覚悟が必要だ。あの時、勢い余って、俺だってお前が好きなんだぞ、なんて告白しなくて良かった。

 ただ、ゼミの終わり頃だったか、一瞬谷口と目があった。何気ない視線の遭遇だったんだけど、あいつ目を逸らさないんだよな。2、3秒、なんだか俺を睨むみたいで、え?なにっ?って思ったら、もうマサヤとじゃれついてた。

 「目は口ほどにものを言い」って寅さんは言ってたけど、何が言いたかったのかねえ。

 

 

11月3日(日)

 昨日カルラから話を聞いた。やつの親父さんが会社を首になって困っていたんだが、やっと再就職が決まったという。以前、何も告げずに突然実家に帰ってしまった事があったが、そういう事だったらしい。事と次第によっては自分も大学を止めないといけないくらいの緊急事態だった。奴も家族のために働こうと覚悟してたらしい。

 やれやれだよ、これでなんとか卒業までここに居られそうだ、ってカルラは笑ってたけど、あいつも苦労してんだなって思った。

 

 

11月5日(火)

  昨日の学祭。五輪真弓のコンサートに行ってみた。体育館は満員だった。最後に「煙草の煙」を歌い終わると、バックバンドは全員ステージを降り、一人残った五輪真弓がピアノの弾き語りで「少女」を歌った。言葉一つ一つが絵になって、俺の目の前にひとりたたずむ少女が浮かんできた。素敵な歌声だった。

 尾崎は盛り下がったぜ、ってぼやいてたけど、俺は最高に感激した。

 

 

11月6日(木)

 今日、生協で五輪真弓のLP買った。今、下宿で「少女」を聞いている。繰り返して何度も。

 

 積もった白い雪が だんだん溶けていくのを

 悲しそうに見ていたの 夢が大きな音を立てて

 崩れてしまったの

 

 このフレーズが俺の心にしみてくる。谷口と仲良くなりてえなっていうちっぽけな夢。そんな夢でさえ叶わない。これまで抱いてきた、屑みたいな夢達が俺の頭の中を飛び回る。まったく生きてたって碌な事ねえなあ。死んじまったほうがいいかもな。ああ、死にたくてうずうずしちゃうわ。

 一合ほどの酒で酔っ払いました。

 

 

11月8日(土)

 今、8日の朝。起き抜けにこれを書いてる。

 昨日、俺の下宿に泊まった唐津、久保、カルラに谷口の事を話した。ウィスキーの力を借りて。谷口とマサヤ、そして地元にいる元彼の件。それを河原町の茶店で聞いたと。唐津と久保はビックリしていたが、カルラは知っていた。そうなんだよ、だから谷口とマサヤって、つきあってるとかそういう単純な話じゃないんだよ。けっこう複雑でねえ。ようするに似たもの同士が傷をなめ合ってるって感じかな、なんて解説していたが、でも重大なのはここからなんだ、なんて俺が切り出したら、え?、まさか、おまえ、ちょいまて、根尾が好きだとか言うんじゃないだろうな、なんてトンチンカンな事言い出すから面食らった。根尾が俺の事をブー太郎とか、デブ太郎とか言ってからかうのを見て、もしかしたら俺と根尾ができてるんじゃないかという疑心暗鬼にさいなまれていたらしい。

 

 なわけないだろ、根尾じゃなくて谷口だよ。実は谷口に惚れちまった

 んだ。

 

 そう言うと、腰を抜かすぐらい驚いてた。

 

 前から谷口って可愛いなあって思ってた。でもマサヤがいるし、ここ

 で横恋慕はあかんやろって思えば思うほど気になるんだよなあ。だか

 ら、最初は自主ゼミが楽しみだったんだけど、最近は自主ゼミが辛く

 てなあ。さんざん悩んだ結果、俺は決めたんだ。もう谷口の事は諦め

 る。諦めるけど、あんまり寂しいから、お前らにだけは知っといてほ

 しくてな。

 

 そんな事いったような気がする。

 朝起きたら、カルラだけだった。カルラに聞くと、7時ごろ久保と唐津は帰っていったらしい。カルラも9時頃、出て行った。

 

 ここからは、夜12時すぎに書いてる。だからもう9日(日)だ。

昼過ぎにカルラが来て、2人で嵐山まで自転車漕いだ。家から持ってきていたカメラに36枚撮りのフィルムをいれてバンバン撮った。「禅」っていう名前の茶店でコーヒー飲んだ。

 夕方、カルラと別れて1人下宿に帰った。残ってたサントリーホワイトを飲みながら、汚い部屋で森田童子を弾き語った。

 

 悲しい時は頬を寄せて 寂しい時は胸を合わせて

 

 そう森田童子は歌う。悲しいし、寂しいけど、俺には頬を合わせてくれる人も、胸を合わせてくれる人もいない。谷口だったらマサヤと?いや、地元の元彼とかな。うらやましい。森田さん、こんな惨めなやつはどうしたらいいの?。そう思ったら居ても立っても居られなくなった。

 1人で部屋に居ることの恐怖におびえ、酔っ払ったまま自転車に飛び乗って久保の下宿にかけこんだら、唐津と尾崎とカルラが居た。俺は、俺は安心した。

 

 

11月9日(日)

 ウィスキーを飲んでいます。煙草もふかしています。ウィスキーがうまいです。こんなに美味いなんて、今まで知らなかった。ストレートで飲んでます。美味いな。いや、実に美味い。

 

 何のために今まで そしてこれからも

 生きていくのか わかったような気がします

 いいんです報われぬとも 願いは叶わぬとも

 この気持ちが本当の私だからです

 

 今、山崎ハコの曲を聴いてる。

 

 いま私は飛び立ちます

 ひとつの空にむかって

 

 

11月11日(火)

 昼過ぎ。唐津と豊島と3人で「いこいの広場」のベンチに寝っ転がってた。豊島が。なんか面白いことないか?って空に向かっていった。唐津が、おれ、こんな落ち込んだの生まれて初めてだぜって空に答えた。俺は無言で空を見てた。

 

 青い空は動かない  雲切れひとつあるでなし

 夏の空には何かある いじらしく思わせる何かがある

 

 明日は自主ゼミ合宿だ。行きたくねえなあ。

 

 

11月13日(木)

 合宿が終わった。

 討論は盛り上がらずに終わった。でも夕飯のあとトランプを始めると急にみんな元気になった。俺もはしゃいだ声をあげたりしてトランプに熱中した。キャーキャー言う谷口を見たら、スカートがめくれて太ももが見えてた。ドキッとした。もっとめくれたらパンツ見えちゃうなって思った。その時、谷口の顔が真顔になってスカートを直した。崩れた膝を閉じてベロをだし苦笑いをしてみせる。その視線の先を見たらマサヤが睨んでた。パンツ見えてるぞ、ちゃんとしろよってマサヤは目配せしたのだ。

 目は口ほどにものを言いって、こういうこと言うんだねえって感心したよ。

 

 豊島は、なんだか体調悪いわとか言い、夜11時ごろ1人で帰って行った。

 

 

11月22日(土)

 最近日記を書けずにいた。書けば同じ事の繰り返しになりそうだから。そう、やっぱり谷口に告白したほうが良いのかな?って気持ちと、いや、止めるべきだ、下手な行動は誰かの上に金槌を落とすことになる、って気持ちの間で揺れている。ずっと。

 俺の一人相撲で、谷口やマサヤは俺の事なんか全然気にしちゃいないのにね。

 

 今日は午後から1人で広小路キャンパスに行ってみた。

 探してる史料が広小路の図書館にあるって聞いたのだ。御所を通って広小路キャンパスへ行き、早速図書館に入る。

 老朽化した建物の老朽具合が渋い。壁の汚れがサイケだ。すり減った階段なんか渋すぎて言葉にならない。閲覧室に入ると、居眠りした学生が数人。大きな縦長の窓から差し込む秋の陽が長く尾を引いていた。

 谷口の事を忘れたくて広小路まで来たくせに、こんな図書館で谷口とおしゃべりしてみたいなって思った。大きな窓のそばにある席に腰掛けて、他愛も無い事を小声で話す。いつの間にか外は暗くなって黄色い電灯が灯ったりしても気がつかない。「もう閉館ですので」って図書館の人に言われて俺も谷口も驚いたりする。そんな空想。

 

 お目当ての史料は貸し出し中になっていた。

 図書館を出た時、髪を金髪に染めた小柄な女子学生が正門を出ていくのを見かけた。思わず林香澄を思い出した。あの広島の予備校で一緒だった林香澄だ。ちょっと離れてたからハッキリ見た訳じゃないけど、歩く感じがそっくりだった。あいつ、今、どこで何してんだろうな?。あいつになら、今のこの苦しい胸の内をさらけ出せるのになって思った。

 

 

11月27日(水)

 自主ゼミの日なのに豊島が学校を休んだ。「一人旅」に出たんじゃねえか、なんて大河原は言う。前からかなり本気で「旅に出たい」って話してたらしい。

 俺には豊島が逃げたい気持ちよくわかる。豊島から聞いた訳じゃ無いけど、奴は谷口が好きなんだと思う。そりゃ、あんだけ意味ありげにからかわれたら、その気になるってもんだ。なのにマサヤとのイチャイチャを見せつけられたら悲しくなる。谷口のそういうとこ苦手なんだよな。人の恋心をもてあそぶような。ほんと悪趣味。でなきゃ鈍感。

 自主ゼミ合宿の時、もう10時過ぎだってのに、雨の中、豊島1人で帰って行った。あの時の気持ちはまさに俺と同じだったと思う。俺だって帰りたかった。あの場から逃げ出したかった。

 1人旅って言ったって、いったい何処をほっつき歩いてんだろ。無事に帰って来ればいいけどなあ。

 

 

12月1日(月)

 夕方、パチンコに行った。尾崎と唐津と3人で。やる気満々だったのに、あっさり負けちゃって、ぼやきながら店を出たら、暴走族志村と彼女が向こうから歩いてきて、よおって手を挙げて、そして歩いて行った。

 

 パチンコ負けた上に、見なくていいものまで見ちまったなあ

 

 尾崎がそうつぶやいた。でも、俺は良いなって思った。純粋な意味でだ。春の日差しの中、妙心寺の境内で、暖かい日差しを一杯に浴びる母親と幼子。それを見たような気持ちになった。幸せな気持ちになった。

 なのに、なんで志村と彼女を見るような気持ちで、谷口とマサヤを見れないんだろう。それは、やっぱり谷口が好きだからなんだろうな。

 

 下宿に帰る途中、公衆電話から豊島の下宿に電話した。これで3度目。今日もいなかった。学校休んだのが木曜日。もう今日で5日目だ。

1人旅って言ったって、ちょっと長すぎるような気もするんだが。

 

 

12月2日(火)

 夕方、豊島の下宿に行ってみた。下宿の玄関のところにポツンと立ってた。声をかけたら随分驚いた顔をしてみせた。おいおい、心配するじゃねえか、何処行ってたんだよ、みんな心配してたんだぞ、って言ったら、奈良へね、うん、ちょっとって言ったきり黙った。

 部屋に入っても何も言わないから、おまえ女性問題で悩んでたんじゃないのか?相手は谷口だろ?って思い切って言ったら、いや、違う、そんなんじゃねえよってキッパリ否定した。

 

 最近、体調がすぐれなかったし、いろいろ悩み事もあったから、奈良

 の寺で断食の修行をしてきたんだ、もう平気だ、気持ちが落ち着いた

 よ

 

 俺は谷口の事で悩んでた。俺は谷口が好きだったんだ。だけどマサヤとアイツを見てたら告白どころじゃねえなって思ってさ。だから、俺はてっきりお前も、俺と同じ事で辛い思いしてんじゃねえか?って思ってたんだぜ。そう俺は俺の悩みを打ち明けた。

 豊島は最後まで認めようとしなかったけど、多分、俺と同じだったんだと思った。でも、もう諦めたよ、どんなに好きでも、どうにもならない事だってあるもんな、って俺が洗いざらい喋ったら、終わり頃は笑顔も見せてくれた。

 ぐずぐずしてたって何の解決にもならねえからな、って奴は言った。

 

 豊島の下宿に行ったのは、いつかみんなで牡蠣食った時いらいだ。2人で話したのも、ほんと久しぶりだったな。思い切って行って良かった。

 明日は学校行くわって言ってた。

 

 

12月5日(金)

 杉原が逮捕された。

 

 今日、学校に行ってみたらえらい騒ぎになっていた。俺は何も知らなかったのだが、なんでも3日の日に逮捕されて、「放火犯人は立命館大生」って見出しで翌日4日の朝刊一面にでかでかと載ったらしい。その新聞記事も読ませてもらった。以前、彼が住んでいた下宿の部屋に忍び込んで放火したって事らしい。本人もそれを認めたって書いてあったが、火事のあった周辺では、ボヤ事件が相次いでいて、それも奴がやったんじゃねえかって睨んでるらしい事も書いてあった(これは本人は否定してるらしい)。

 彼とは同じゼミだが、ここんとこ全然見ていない。どうも他の講義もほとんど出てなかったらしい。

 

 

12月6日(土)

 今日も寒い1日でした。夕方、川尻の下宿に行ってみた。昨日、大学の保健センターで診てもらったら「内蔵に疾患がある」って言われたって帰ったまま、今日は学校を休んでたんだ。

 途中、福王子のスーパーでイチゴを買った。そういえば、この春にそのスーパーで谷口を見かけたって川尻が言ってたよなって思い出した。店の中をウロウロしてみたけど谷口はいなかった。川尻は寝間着のまま布団にくるまってカセットを聴いていた。熱は引いたんだけどなあ、なんて言うのを聞きながら二人でイチゴを食べた。

 

 9時頃下宿に帰ったら、カルラが来た。カルラは根尾の事をあれこれ喋った。

 

 俺は根尾と別れなきゃならん。でも未練がある。俺は根尾が好きだけ

 ど、卒業したら岡山に帰らなきゃならん。一人っ子の根尾は親を捨て

 る訳にいかないって言うし。このままズルズルいけばお互い不幸にな

 るのは目に見えてる。だから、深入りしないようにしようって思うん

 だが、最近、根尾はマサヤや谷口に遠慮して一人でいることが多い。

 寂しそうにしてるのを見ればついつい声をかけてしまうから、最近、

 学校を休むようにしてるんだ。どうせもうじき冬休みだしな。ひと月、

 顔あわせなきゃ、気分も変わるんじゃねえかって思うんだが。

 

 そういや、明日は高中のコンサートだ。ひと月前、おまえとチケット買った時は、まさかこんな気分でこの日を迎えるなんて予想もしてなかったんだがなあってカルラがぼやいてた。

 

 

12月7日(日)

 高中コンサート。6時半、京都府立勤労会館。カルラとチャリ漕いで行った。

 前半はニューアルバムから5曲。あまり知らない曲のためか静かなスタート。ところが後半、ブルーラグーンあたりから盛り上がりはじめる。アドリブを織り交ぜながら、次から次へといろんなフレーズを弾きまくる。俺もカルラもステージ前へなだれ込んで踊りまくった。

 アンコールではメンバー紹介を兼ねての即興演奏の後、レディートゥーフライ、アーリーバード。もう我を忘れるってのはこういう事かって思った。このまま永遠にこの時が続けばいいのにって思いながら踊りまくった。

 

 衣笠までチャリで戻り、トンちゃんラーメンを食って帰った。

 

 

12月11日(木)

 クラスで杉原の事、話し合った。

 有志で差し入れしようって事になった。杉原がそうなったのは、俺らの問題でもある。そもそも学校に出て来なくなった時に、声かけた奴が何人いたのか?。俺らだって孤立してひとりぼっちになれば、どうなるかわかんない。そんな意見が多かった。

 あいつが勝手にやった事じゃねえか、なんて言う奴は1人も居なかった。年末のクラスコンパも中止ってことになった。

 

 夕方から自主ゼミ。終わりにみんな一言ずつ今年の感想を言い合った。谷口はこう言った。

 

 私達が部落の事を議論することがすでに差別じゃないかしら。差別を

 無くそうと話し合う事じたいが差別のような気がします。

 

 谷口は俺の顔をチラチラ伺うようにしながらそう言った。ちょっと挑戦的な感じもした。実際あきれた。おいおい今更何言ってんだよって思った。1年の終わりにそんな台詞、聞きたく無かった。もうこの自主ゼミも長くねえなって俺は思った。そんな音にならない不協和音。

 

 

12月13日(土)

 杉原が他の連続放火事件7件全部自分がやったって自白したってよ、って鶴光から聞いた。テレビのニュースで言ってたって。なんだか信じられない気分だ。

 

 あの時代は何だったのでしょうか

 あのときめきは何だったのでしょうか

 みんな夢でありました

 みんな夢でありました

 悲しいほどにありのままに

 君とボクがここにいる

                  森田童子「みんな夢でありました」

                  

 

12月15日(月)

 昼前に学校に行ったら清心館のピロティーで高山が演説してた。大学当局に抗議するって。たくさんの学生が聞き入っていた。自分とこの大学の学生が逮捕されただけで、まだ裁判も開かれてない、ましてや罪が確定した訳でもないのに、新聞報道を鵜呑みにして早々と処分を発表した。この大学当局、とりわけ文学部の対応に断固抗議するって。

 

 高山はすげえなあって思った。現役生で俺より年下で、生意気でいけ好かねえ野郎だ。でも生意気だけあってすげえんだ。野郎の言う通りだぜ。筋が通ってる。もしかしたらホントに放火犯なのかも知れないが、処分は刑が確定してからでも遅くない。それまでは大学当局としても無罪を信じて支援するべきだ。

 そんな不満や怒りを仲間内でコソコソ喋るんじゃなくて、学生課の前で堂々と批判してみせる。おそらく、奴の事だ、演説する前に学生課にも詰め寄ったんだと思う。

 

 ただ、杉原がホントに放火したのか否か。他の連続放火事件に関わってるのか否か。それは全然わからない。なんとも言えないが、たしかに処分は勇み足だ。今は事態を見守り、刑が確定するまでは学生を支援する、そんな大学であって欲しい。

 

 

12月18日(木)

 

 たとえばマッチを擦っては

 悲しみを燃やそう

 燃える炎は血の色をして

 何より僕らを癒やしてくれる

             森田童子

 

 今日も杉原事件についてクラス討論した。昼の1時から日の暮れた7時まで。まず、後藤が今日の午前中、杉原と面会した様子を報告した。以下、配られたメモから転写。

 

 ・運命とは恐ろしい。運命ってほんとうにあるんだな。始めてそれを

  知った。

 ・弁護士から新聞を見せられて、すごい大事になってるんだと始めて

  知った。クラスのみんなに迷惑かけちまったなあって思った。ホン

  トにすまない。

 ・拘留理由開示裁判の時に高山や梶井や後藤が来てくれてるのを見

   て、嬉しくて泣いちゃった。

 ・12日の1件は覚えもあるし、その責任は取るつもりだけど、他の

  7件は俺じゃない。信じて欲しい。本当に俺は何もしてない。

 ・いつここから出られるか解らないが、早く大学に戻って勉強したい。

  長くなって、みんなが卒業するまでに出られないかもしれないが、

  俺はここで頑張る。クラスのみんなによろしく言ってくれ。

 

 後藤の話では7件の連続放火の1件目、9月30日には前期の試験があり、杉原は後藤と2人で喫茶店で3時過ぎまで試験の話をしたという。後藤が日記に書いていたらしい。

 これでハッキリした。もしかしたら他の7件も関係あるかもな、なんて心のどこかで疑ったりしてたけど。ごめんな杉原。

 

 クラスで杉原を支援しようって事になった。警察は他の7件も全部杉原のせいにしようと企んでる。杉原がその警察の脅しに屈しないように、バックアップしなくちゃ。

 具体的には差し入れとカンパ。カンパは差し入れとビラ刷りの資金になる。さっそく300円ずつ集めた。今度の日曜あたり、面会に行ってみるかって久保と話した。(久保は支援運動の会計係を買って出た。偉い)

 

 

12月19日(金)

 最後の史料講読だから、小雨の中、チャリ漕いで学校に行ったら休講だった。教室の前には後藤が1人で座っており。仕方ないのでしばらく後藤と話しをする。杉原の一件があってから、後藤と話す機会が増えた。これまで顔を合わせる事はあっても、ほとんど口をきいた事がなかったから新鮮だ。

 後藤は俺が岩国だって知っており「岩国いいよな、錦帯橋があるもんな」って言った。大概のやつは岩国と聞けば米軍岩国基地を連想するようで、ほぼ例外なしに基地がらみで話してきたけど、錦帯橋がって言われたのは初めてでなんだか嬉しかった。「宮本武蔵」で知ったんだと後藤は言った。彼は萩にも詳しい。中学の頃、萩の地図を眺めるのが趣味で、行った事もないのにまるでそこに住んでるみたいに街に詳しくなったんだとも言っていた。

 心はどこであろうと、どんなに遠くでも旅ができるのさ。旅をしようと思う人、それが詩人なのさ。

 後藤はなかなかの詩人だ。生き方がポエムだ。

 

 

12月20日(土)

 今年最後の自主ゼミ。行きたくねえなと思いながら渋々出席したのだが、人生って皮肉なものよね。

 

 私の考え方は少しおかしかったかなって反省しました。被差別部落の

 事を話し合う事事態が差別だっていうのは、やはり違うなって。もっ

 と前向きに捉えていきたいと思います。

 

 そんなことを谷口は言ったのだ。へーって思った。もしかしたらマサヤに意見されたのかも知れないなって思ったけど、でも、解ってくれて嬉しい。

 

 最後に万歳三唱しようぜってカルラが言い出して、豊島もお?いいねえってノリノリで、みんなで両手を挙げた。悪くなかった。

 

 

12月21日(日)

 早朝、久保と2人で下鴨まで行く。川沿いの道は北風が吹き付け、チャリを漕ぐ俺らの顔は真っ赤になった。警察署で面会したいと伝えると、面会は無理だよって言われた。差し入れならできるけどって言うので、隣接した果物屋で林檎とバナナを買って持って行った。差し入れの書類を書いていたら、初老の警察官の人が、友達か?って聞くので、事情を話したら、そりゃいいわ、元気が出るしな、そういうのが一番な、って自分の事みたいに喜んでくれて、なんだか嬉しくなった。

 俺も久保も、明日には帰省するけど、杉原はこの鴨川沿いの寒い留置場で年越しだ。もし自分がその身になったらと思うとゾッとする。頑張れよ、また来るからなって、それしか言えない。

  

 

※冬休みの日記は割愛

 

 

 

1981年1月19日(月)

 今日は杉原の第1回の公判の日。昼に久保の下宿に行き、バス停で偶然出会った後藤と3人で京都地方裁判所に行く。傍聴には俺ら以外にも高山、梶井、平田、木立、そして三浦教授、文学部学生課の人、杉原のお兄さんって人とその友人らしき人達、全部で30人くらいか。

 1時15分、公判開始。奥の扉から、手錠をかけられた上、腰をひもで縛られ、前と後、2人のごつい刑務官に挟まれるようにして杉原が出てきて俺は息をのんだ。肩まで伸ばしていた頭を丸坊主にされていた。ショックだった。手錠をかけられた友人の姿。ショックだった。しかし、裁判は緊張感もなく始まり、弁護士もはじめから妥協的で、終始平穏な調子で進み、わずか1時間ほどで閉廷した。

 次回は2月15日と決まった。

 

 裁判の後、裁判所のそばの茶店で話しをした。俺はショックが続いていて何も言う気がしなかったが、梶井あさかは「検事がしぶかったよねえ」とか喜んでいて、こいつ何考えてんだ?って思った。

 

 

2月3日(火)

 今年のテストは終わった。手応えはまずまずだ。

 一番印象に残ってるのは「古文書学」かな。教室にいくと授業で配られたプリントをみんなが見ていて、何それって聞いたら、これが出るってよ、なんて言う。え?俺、聞いてねえしって焦った。俺の予想とは全然違ってる。でも、今からじゃ間に合わねえ。やっちまったーって天を仰いだ。

 ところが、配られたテスト問題は「中世文書の機能と様式を書け」というもの。おーーバッチリじゃねえか。俺が準備してきた、そのまんまじゃねえの。ガッツポーズしてみんなの方を見たら、随分渋い顔してテスト問題睨み付けてたさ。痛快痛快わっはっは。

 

 

2月6日(金)

 昨日は「さよなら広小路祭典」

 お目当ては杉田二郎コンサート。40年入学49年卒業という杉田二郎は当時の思い出を挟みながら「ここが地球のまん中」「ANAK」などを熱唱。

 広小路ときくと「二十歳の原点」をイメージする。高野悦子はここにいたんだなって、すぐに思う。かつての若者が激しく情熱をぶつけ合ったのがここなんだ、って思う。

 だけど、それ以外の思い出はない。去年、一回来たきりだ。でも広小路はなんとなく好きだ。古い建物を見ると大学って感じがする。狭い敷地にギュッと凝縮されてる空気も好きだ。

 コンサートの後、提灯行列に参加した。広小路から円山公園まで。俺たちは凍えるような寒さの中、どこまでも続く長い長い列を作って大河原町通りを南へ下った。

 四条で行列にさよなら。ニュートーキョーのビルでジンギスカンとビール。

 

 15日には杉原の公判があるが、親の申し込んだ自動車学校が来週からだと連絡があった。冷たいようだが次回の公判には出られそうにない。すまぬ杉原。