気高く清く美しく その④

 

 スバル座から無事生還した猛者ってことで一般生徒間でも有名になり、かつ、かの有名

な不良少年マタノの女である道管陽子とも知り合いらしいとの噂も流れたことで、進学校

にいるくせに町の不良達とも街角で出会えば口をきくくらいの斜に構えた生徒達からも一

目置かれるようになり、友達は増える一方。その上、無類の愛国少年ってことで年長の

師達、とりわけ生徒指導教員の下河からは廊下で出会えば、おう愛国少年、しっかり勉強

してるか?と声をかけられる始末で、校風になじめずぎこちなかった坊太郎の学校生活

次第に充実したものになっていったのだが、そんな折り校内でスポーツテストが実施され

ることになった。

 それは、どこの学校でも行われているように、前屈、垂直飛び、反復横飛び、五〇M走、

ハンドボール投げ、持久走等の測定を学年一斉に行うもので中学の頃から何度も経験して

きた恒例行事だったが、坊太郎にとっては冬のマラソン大会と並んで憂鬱の種だった。

 学力優秀にしてピアノの達人、おまけに絵を描かせても玄人肌の坊太郎だったが、こと

運動にかけては箸にも棒にもかからぬほどの音痴だったのだ。ひどい肥満でみるからに重

そうであったり、骨皮筋右衛門で非力な事この上なければ納得もいくのだが、坊太郎は長

身なうえにスラリと均整の取れた体つきで、しかもきりりとした顔つきをしているもので、

どうしてもそこそこはやるに違いないと思われてしまう。

 これまでなら坊太郎の運動音痴は保育所時代から周知の事実であり、運動会の徒競走で

足がもつれようが、掴もうとして掴みきれなかったドッジボールが顔面を強打しようが、

ああまたかで誰もそれを囃し立てようとはしなかったが、友里以外その事実を知る人間は

ここにはいないわけであり、クラス単位で行われる体育の授業での出来事なら影響も少な

かろうが、学年全体、しかも体育館とグランドで時間差を設け種目を男女別に分けてある

からとはいえ曲がりなりにも男女同じ時間に行われるとあれば話は違ってくる。

 たとえ運動音痴の生徒が失笑を買ったとしても名前も顔も見たことのない地味な生徒で

あればほんのさざ波程度の事で影響もなかろうが、タイミングの悪い事に、先日のスバル

座事件、マタノ襲撃事件ですっかり坊太郎の知名度は上がっており、学年一の猛者、愛国

少年として有名になっているのだから、その有名人坊太郎が走り、跳び、投げれば自然に

目が行く。そこで期待通りの結果がでれば、おおさすが有名人坊太郎だけの事はあると拍

手喝采だろうが、走り跳び投げるその仕草がどうみても泥酔して千鳥足のオヤジのように

無様でチグハグにしてアンバランスであれば、どうしたどうした?って事になる。坊太郎

の人気ぶりを大半は好意的に受け止めている空気ではあるが、中にはやっかみ半分で見て

いる生徒もいるだろうし、そうした輩にとってはまたとないチャンスであり、事実以上に

坊太郎の運動音痴ぶりは誇張され拡散していくものと思われた。とりわけ苦手なのは持久

走で、男子の場合はグランドにある三〇〇Mのトラックを五周するらしかったが、これま

での経験でいえば満足にランニングらしく見えるのは最初の一周だけであとはもう息も絶

え絶え、歩いているのか走っているのか区別ができないほどにノロノロとした動きでしま

いには今にも崩れ落ちそうなほど左右に身体を揺さぶり、意識不明でゴールに倒れ込むと

いう体たらくだったから、恐らく今回もその再現となるのは必須で、五〇〇名もの見知ら

ぬ生徒の前でそんな醜態を晒すことを考えただけで生きた心地はしなかった。

 

 突然春の嵐が遅うとか、どこかの不心得者が校舎に火を放ち大火災になるとか、大地震

でも起きてグランドに大きな地割れができるとかでスポーツテストが中止にならないもの

かと祈るような気持ちで数日を過ごしたが、五月の太陽は早、初夏の様子ですこぶる好天、

雨どころか曇る様子すらなく、無事実施されるのは確実と思われた。

 スポーツテストの当日、普段なら自主欠席を決め込み昼過ぎまで寝ている村田さんは、

この日だけは是が非でも行かねばと早起きして山盛りの朝ご飯を喰らっていたが、願い

が通じたのか坊太郎は妙に喉が痛みどこか熱っぽかった。スポテ回避のために水風呂に

浸かったとか全裸で布団に寝ころんでいたわけではないのだが、やはり気に病むそれが

体調を崩したものと思われ、おばさんに体温計を借りて計ってみると六度九分という、

行こうと思えば行けるが、それを根拠に休もうと思えば休めそうな微熱が見て取れ、

どうしたもんか思案に暮れていたら、あんまり無理せん方がええよ、慣れんとこへ来て

張り切っちょったが知らんうちに疲れが溜まっちょったんじゃろうな、などとおばさん

の優しいお言葉。おばちゃんが代わりに学校に連絡しといてあげよう、と電話の受話器

を取り上げたおばさんに抗う使命感も正義感ももはや残ってはいなかった。

 

 二度寝して起きたらすでに昼前で、午前中に実施予定だったスポテはすでに終わって

いるなあと寝起きの頭で坊太郎は思ったが、なんとも後味の悪いものだった。それでな

くとも苦手な運動をやらされ苦しい思いをした上、恥をかかされるという二重苦を味わ

わずに済んだことは幸せだったが、優等生で過ごしてきた自分が、たとえ苦手であろう

が生徒であればみな渋々でも取り組んでいる課題から逃げてしまったという後ろめたさ

が夕方の影のようにどこまでも坊太郎につきまとった。

 進学校であれ、クラスの半分の生徒は運動系の部活動に所属しており、硬式野球部で

甲子園を目指している部員も三名いたし、サッカー部やハンドボール部の数人も全国大

会出場を目標にしていると言っていたが、残りの半分は青白い顔といい、分厚い眼鏡と

いい、いかにもな進学校の生徒で、坊太郎ほどではないにしても彼等とてスポテで失笑

を買うことはあっても肯定的に注目されることなどあるはずもなかったが、それでも決

して学校を休むような卑怯な真似はしないと思われ、そのことが坊太郎の後ろめたさに

拍車をかけた。これから運動系の行事をこなす中で坊太郎のウルトラ級の運動音痴は次

第に認知されていくものと思われ、もし来年のスポテで欠席なんかすれば、ははんあの

野郎ズル休みしやがったなと悟られるであろうが、今ならそれもなく明日登校すれば、

おい風邪大丈夫か?なんて声をかけてくるものと思われ、それも気が重かった。

 こんなことなら、たとえ嘲笑を浴びようが普通どおり登校しスポテを受けるべきだっ

た、ズル休みなどするべきではなかった、と坊太郎はすっかり後悔をしており、その重

苦しい気分はその日の夜、眠りに就くその時まで続いたが、翌日、目を覚ました坊太郎

は一番に、学校に行ってズル休みしたことをみんなに謝ろうと心に決めた。

 ウルトラ級の運動音痴なんてどうせいつかばれることで、いつまでも隠し仰せるわけ

ではないのだ。おい、大磯、風邪はもういいのか?なんて声をかけられたら、すまん実

は風邪じゃないんだと本当の事を言うのだ。風邪じゃないって?法事とか?用事があ

たのか?なんてみんなは、良い方に良い方にと解釈してくれるだろうが、そんなんじゃ

なくって風邪でもないのに風邪だと嘘をついて下宿のおばさんに電話をかけさせてしま

ったのだ、と洗いざらい喋ろう。穏和で朗らかだが見かけによらず芯のあると思ってい

たその男が、まさか仮病つかってスポテごときを欠席かよと聞いた奴等はみな呆れて坊

太郎を軽蔑するだろうが、それもこれも自分の撒いた種、致し方ない、と心の中でシミ

ュレーションして登校したが、生徒玄関でも廊下でも、はたまた教室でもたくさんの顔

見知りの生徒に出会い、「よお、おはよう」「おお」なんて挨拶を交わしたというのに、

誰一人として風邪は良くなったのか?とも、昨日はどうしたんだ?とも坊太郎に声をか

けてくる人間はおらず、緊張しきって登校した坊太郎はすっかり肩すかしをくらった。

というよりも何やらおかしな雰囲気で、登校してくる生徒の多くがいつもと違って表情

が暗く口数も少ない上に、坊太郎と目があってもすっと視線をそらしてしまう。初めは

坊太郎の思い過ごしかと思ったが、いつもは快活な大谷でさえ、おお、おはようと挨拶

を交わしたきり黙ってしまったのを見て、これはおかしいぞと坊太郎は思った。一体何

があったのかとあれこれ思いを巡らせてみて、あることに思い当たった。

 

 みんな怒ってる?

 

 もしかして何らかの理由(村田さんがありゃどうみても仮病だな、と知り合いの一年

生剣道部員に喋った?、おばさんが仮病を臭わすような言い方をした?)で坊太郎の仮

病がばれ周知の事実となり、なんだよあいつ、何がスバル座荒しの猛者だよ、格好良い

事ばっかり言ってるくせに(言ってはいないのだが・・・)仮病かよ、ふざけんなよな、

と坊太郎への怒りが燃え上がって、それが今朝も続いている、そうに違いない。そんな

思いにかられてしまったのである。

 無理もない、昨日は最高気温が今年最高を記録したと天気予報で言っていたし、いく

ら午前中だったとしてもさぞ蒸し暑かったことだろう。その炎天下、走り飛び投げた挙

げくに持久走だから、運動部の子達でも疲れただろうし、ましてや虚弱な子の中には日

射病でふらふらになった子もいたかもしれない。みんな頑張ったのに坊太郎一人は仮病

を使って布団の中だったのだから、みんなが怒るのも無理はないのだ。なんとかしなけ

れば、なんとかしなければと焦りながらもどうして良いのかわからずに悶々として迎え

た朝のHRで入室してきた担任の世界史担当教師は開口一番叫んだ。

 

 隣国韓国じゃあ徴兵に取られた若者が実弾訓練をうけちょるいうのい、ええ若者がス

 ポーツテストごときで学校を休んでどねえするそ。

 

 す、すみません

 

 てっきり自分の事と思いこんだ坊太郎が飛び上がるようにして席を立ち大声で謝罪する

と、近くの席の大谷が、え?大磯、お前も休んだのか?と反射的に驚きの声を挙げ、なん

だ欠席したことにも気づいてなかったのかと自分の存在の薄さを改めて突きつけられたよ

うで失望しかけたその時、大磯一人に言ってるんじゃないと担任は言い、坊太郎に着席す

るように命じた。担任の話では、なんと昨日クラスの三分の一の生徒が欠席し、スポーツ

テストにならないからと坊太郎のクラスだけ自習を命じられ、後日クラス単位でスポテを

実施することになったという。驚いた事に欠席した生徒の中には大谷も含まれていた。

 たかだかスポーツテストごときでクラスの三分の一が欠席する進学校生徒の覇気のなさ

も深刻だとは思ったが、それはそれとして欠席したのが自分一人でなかった事に胸を撫で

下ろした坊太郎だったが、その一方で、律儀に出席登校した生徒達が盛んに交わしていた

話題がひどく気になった。

 というのも、自習を命じられたとはいえグランドでわいわいやっている女子の様子が気

になり、校舎の窓からグランドを眺めていた時にひどく足の速い美少女を見たというので

ある。女子の持久走は1000Mだから、300Mのトラックを3周ほどしかしないというのに、

なんとその美少女とやらはその他大勢の生徒と一周あまりの差をつけてぶっちぎりでゴー

ルしたというのだが、その走るフォームはまるで空を飛んでいるかのように軽やかだった。

苦痛に顔をゆがめる素振りは皆無で、にこやかに微笑みながら走り、ゴールした後も涼し

い笑顔だったという。

 目撃した男子の一人はあれは天女だよ天女と目をキラキラさせ、天女ファンクラブを作

るぞとまで息巻いており、かけっこの早い女子と聞いてまさか友里かよと色めき立った坊

太郎だったが、足が速く運動万能ってだけならまだしも美少女で天女って時点で人違いだ

わなと汗を拭った。

 さすがは市内各校から希有な才能を持った生徒が集まってくる伝統校である、友里以上

にかけっこが早く、しかも天女のような美少女がいるというのだから驚きだが、多感な年

頃の健康な男子なのである、天女の如き美少女が快走するのを目撃すればのぼせ上がるな

と言う方が無理な話で、それは見ていない坊太郎とて同じ事で、是が非でも一目見てみた

いと思い、で?どこの誰なんだ?と尋ねてみたが、どこの誰だかさっぱりわからないのだ

とみな口をそろえる。

 これが男女共学の普通の学校ならば、ああそれは何組の○○だよとすぐに身許が判明する、

というかそれほどの美少女ならもう走る前から話題になっているはずだが、同じ学校のく

せに男子校と女子校に分かれていて一切交流が認められていないおかしな校風のせいで、

目には見えているのに名前もわからず聞けもせず、甘い匂いがすれども姿は見えずで、何

につけてももどかしい限りだった。

 それでもそこまで美少女で抜群に長距離が早ければさすがに誰か知ってるだろうにと、

しつこくいろんな中学出身者に尋ねてまわったが、誰に聞いてみてもうちの中学にあんな

子はいなかったと繰り返すばかりで正体不明。もしかしたら近未来からの転校生かもな、

美少女サイボーグかよ、なんて浮かれ出す始末だったが、その正体不明なミステリアスさ

がさらに天女人気に拍車をかけているようだった。

 

 ちなみに、スポーツテストは翌日の体育の時間に実施され、無論坊太郎をはじめ欠席し

た全生徒が参加した。

 想像を超えた坊太郎の運動音痴ぶりにみな絶句して色を失うかと思いきや、どれもこれ

も運動抜群の坊太郎が敢えて振る舞うひょうきんサービスと受け取られたのか、必死で投

げたハンドボールが足許におっこちて拍手喝采を受け、反復横跳びで脚をくじいて爆笑、

持久走ではふらふらになってゴールに倒れ込むとクラス全員、坊太郎にかけより胴上げと

なり、体育教師からはもっと真面目にやれ、と詰られたが、なんとか無事にスポテを受け

終えた。

 

 

 それから2、3日経ったある日の昼休み、坊太郎がケンゾーや大谷と話していたら、教室

の後の方で人だかりができているので何事かと坊太郎が大谷を誘って覗くと、中心にいた

野村という背の高い男子がヒソヒソ声でこうつぶやき大谷も坊太郎もケンゾーも色めき立

った。

 

 天女ちゃんの生写真はいらんか

 

 なんと今人気絶頂の美少女ランナーの写真を売ってやるというのだ。写真のサンプルを

回覧し欲しければバインダーに挟んである紙に名前と枚数を書けと野村は言ったが、なか

なかそのサンプルが回って来ず苛つき、早く早くとせかして回ってきたサンプルをもぎ取

り食い入るように見つめて坊太郎は目を剥いた。

 そのサンプルは体操服にブルマー姿の天女ちゃんとおぼしき女子がトラックを一人疾走

している写真で、どうやら超望遠で撮影したらしく、かなりのアップで彼女のランニング

フォームを切り取っており、両足はかなり地面から浮き上がっていてまさに宙を飛ぶよう

だったし、少し微笑むような涼しげな表情も鮮明に映し出していたが、なんとその天女ち

ゃんとはまぎれもなく友里だったのだ。

 目を剥いて絶句している坊太郎を指さして大谷とケンゾーは笑い、お前の気持ちわかる

よ、美少女と聞いてはいたが百聞は一見に如かずとはこのことだなあとケンゾーは溜息を

つき、さっそくバインダーに購入希望の旨記入したが、ついでにお前の名前も書いといて

やったからな、と大谷に言われギョッとした。

 同郷の幼なじみの生写真を買ってどうすると思ったが、俺はいいよなんて記入を拒否す

れば、それまでのはしゃぎぶりから見て違和感は拭えず、なんだよ、どうしたんだよ急に、

なんて言われるに決まっており、一瞬躊躇ってはみたものの結局、おおサンキュなんて笑

ってしまった。

 野村と同じ中学出身の生徒が言うには、野村という生徒は中学の頃からカメラ小僧で有

名で、高校野球の地区大会だのパレードだのあちこち出刃って行っては美少女を活写し、

その写真を売りさばいて商売していたらしいが、高校で写真部に入った野村は昨日自習に

なったのを幸いに部室から運んできた超望遠を教室のベランダに据えて盗撮に勤しんでい

たらしい。

 ある者は中学時代に懇意だった女子生徒を通じて、ある者は陸上部生徒を通じて、どこ

の中学出身で何という名前なのか、どんな女の子なのかやっきになって調査中だったが未

だその正体は闇の中の様子でミステリアスな魅力は色あせておらず、写真の売れ行きは絶

好調のようで野村は、いやあ忙しい忙しいと満面の笑顔だった。

 お前らが浮かれてる天女ちゃんってさ、俺の幼なじみなんだけど?と口に出し、求めら

れるままに、音痴で絵を描かせたら幼児並みな上に嫌みな奴だけどさ、学力優秀にしてス

ポーツ万能のスーパー少女だよ、なんてあいつの人となりを語ってやればさぞ喜ぶだろう

にと思ったが、どういうわけか坊太郎は口に出せずにいた。知るも知らぬもないくらいの

知りあいで、たしかにブスではないとは思っていたものの、あいつのことを美少女だの天

女だのと思った事は一度もなく違和感ありありだったが、一人二人のゲテモノ好きが可愛

いなどとほざいているのならまだしも、こう最大公約数的に大勢の男子から美少女と認知

される様子を見ると自分の美意識の方がずれているのかもという気になってくるし、こう

して盗撮された写真で見ると、なんだか始めてみる子のような気もした。

 

 数日後、代金と引き替えに件の生写真を渡されたが、生まれて15年自宅と一本道を挟ん

だその先で見るも見ないもなく見ていたあいつの写真を今更渡されたところでどうしよう

もなく、かといってただではなくなにがしかの現金と引き替えたものをゴミ箱に捨てるの

もどうかと思われ、下宿の机の上に放ったらかしにしたそれは今も机の上に投げてあった。

 

 

 そんなある月曜日、グランドで定例の全校朝会があった。中学の時も全校朝会はあった

が、全校生徒が集合しても六列、男女2列に並んでも12列しかできない小さな学校だし、み

んな顔見知りなわけで楽しそうに私語をしたり笑い声が起こったり、生徒会長の友里が何

か喋れば拍手喝采を贈ったりヤジを飛ばしたりという感じで何時始まって何時終わったか 

わからないような和気藹々としたものだったが、さすがは伝統校、全然雰囲気は違ってい

た。

 まず朝礼台を中心に右半分は男子、左半分は女子が整列しているのだが、男女ともに列

に並ぶ生徒はみな寸分違わず等間隔で中国は秦の始皇帝陵墓から発掘された、かの兵馬俑

さながら、しかも私語をする者は皆無で極めて厳粛であった。

 明治維新の功労者を育てた事で今だに県教育界に大きな影響を及ぼしている人物を先生

呼ばわりして校長が長々と喋るのが定番だったが、ナンセンス、のヤジもなく、じゃあ話

に感銘を受けているかといえばそんな様子は全くなく、そもそもちゃんと聞いているのか

甚だ怪しい感じなのだが、その日は六月はじめに亡くなった本県出身にしてノーベル平和

賞まで受賞した元首相の追悼を兼ねており、登壇した校長が氏の功績を長々と披瀝した後、

維新以後綿々と続く長州閥が絶えることのないよう諸君が後に続かねばならないのだと熱

弁を振るった。

 黙祷に続いて春の県高校総体の表彰があり、野球、ハンドボール、弓道などの好成績が

淡々と伝えられ兵馬俑さながら生徒達は無言無表情でそれを聞き流しており、坊太郎もほ

とほと疲れていたのだが最後に読み上げられた生徒の名前に反応して、おお?っと声を漏

らしてしまい、周囲の生徒が一斉に坊太郎の方を振り向いた。

 県高校新記録を出して女子5千Mに優勝した女子がいるというのである。怪訝な顔つきで

坊太郎を振りかえった周囲の生徒は静かに元の姿勢に戻ったが、それと同時に今度は列の前

の方からどよめきが起こった。身長が高く列の後ろの方にいる坊太郎には背伸びをしてみて

も何が起こっているのかよくわからなかったが、天女だ、おお天女ちゃんだぞ、というざわ

めきがさざ波のように広がってきて、友里が列から離れて朝礼台に進み出て校長から賞状を

受け取ったのだとわかった。

 

 その一件で「天女ちゃん」の本名が藤原友里だということが周知の事となり、その全校朝

会以後、男子達はみな友里の事をまるでプロレスのリングネームのように天女藤原と呼ぶよ

うになったのだが、幸いな事に友里の名前に一人だけ反応して声を漏らしてしまった坊太郎

の事は誰も気づいておらず、相変わらず友里が中山間部の過疎の村出身で、しかも坊太郎の

幼なじみである事は知られないままだった。

 

 

 連休明けに中間テストがあったが坊太郎の結果は散々だった。前回の新入生歓迎の実力テ

ストとやらは総合点は中学の頃と変わらなかったものの、その相対的な席次が大幅に下がっ

ているというものだったが、今回はそもそもテストの結果が芳しくなく、満点の半分以上取

れた教科はないというのに席次は少し上がっているという不思議なものだったが、それはそ

れとしてこんなにも出来ないのはこれまでの学校生活では経験したことのないものだったか

ら少なからずショックだった。

 結果を見せあった大谷もケンゾーも坊太郎とそう大差はなかったが、大谷がやっぱり予習

復習ってやつをやらないとダメかなあ、なんてぼやき、ケンゾーが俺もやらないとまずいと

は思うんだが野球部の朝練や試合があってなかなか手が回らないのだと応じるのを聞いて、

 

 ヨシュウフクシュウとは何だ?

 

 と坊太郎は思った。

 坊太郎がそれを聞くと、大谷は予習復習は予習復習だろうがと呆れるので、すまんが教え

てくれないかとケンゾーに聞くと、授業の前に下調べをして授業に臨み、帰宅してから授業

の内容をもう一回おさらいすれば理解が定着するのだと説明してくれた。

 中学までの坊太郎はどの教科の内容も授業で一回聞けばだいたいは理解できたから授業中

に先生の話を聞く以外の勉強はしたことがなく、出された宿題にしても大概は授業中にすま

せていたし、テスト前だからといって何かテストの為の勉強をしたこともなく、テスト週間

はもっぱらピアノの練習ばかりしていたから驚いた。

 聞けば、ここの生徒はみなその予習復習とやらをやっていると言うし、中には塾とやらに

通ってそこで同じ内容をもう一回教えて貰っている生徒もいるという。そう言われて見れば

下宿の先輩である原田さんは下宿に帰ってきても、下宿のおばさんと一緒にテレビを見て馬

鹿笑いすることもなく、食事が終われば部屋に上がって夜遅くまで机について勉強しており、

一体何をやってるんだろうと不思議に思っていたが、なるほどそういう事だったのかと腑に

落ちた。

 坊太郎がこいつぁ驚いたとこれまでのことを話すと、その話を聞いた大谷とケンゾーは驚

いたという話を聞いて驚いていた。授業で一回教師の話を聞けば理解できたってのはある意

味すごい事だけど、ここじゃそれは通用しないぞ、と大谷が言うと、でもこの学校の教師は

平均点が悪ければ悪いほど教師の自尊心を保てるとでも思っているふうで、授業でやっても

いない応用問題をやたらと出題するから、点が悪くても相対的な席次はあまり変わらないは

ずだぞ、とケンゾーが返し、だから授業でちゃんと聞いてても満点は絶対に取れない事にな

ってんだよと大谷が応じるので、坊太郎も、それで予習復習ってやつをやらないといけない

のか、なんてなんとなくわかったような気がしたが、授業で教えた内容を生徒がどれくらい

理解しているのかを調査するのが定期テスト目的だと思っていた坊太郎としては承服しがた

い気分が残った。

 

 テストで良い点を取るためにはその予習復習とやらをしないといけないらしい事はなんと

なく理解できたが、これまでの坊太郎は学校から帰ったら音楽を聴いたりピアノやギターを

演奏してリラックスしていたわけで、いくらそうすれば良い点が取れるらしいとわかっても

長年培った生活リズムを壊し、一生懸命勉強して疲れて帰ったその自宅でさらに勉強する気

になんか到底なれなかった。

 このままだと両親や村の人達の期待する主席卒業など夢のまた夢だなあと思ったが、まあ

いいや主席卒業は友里にがんばってもらおうと坊太郎は思った。

 

 部活の時は部員練習用のガットギターを使って練習していたが、下宿には実家から持って

きていた父親のガットギターがあって、それで毎日練習できていたからギターの練習には不

自由していなかったが、下宿の部屋にはステレオもラジカセもなく、音楽を聴いて楽しめる

ものといえばFMの入るトランジスタラジオしかなかった。

 ラジオには自分の知らない音楽を予期せぬタイミングで聞けるワクワク感があるが、今の

曲良かったからもう一回と言っても叶わず、大谷が例のギタリストのLPを貸してやろうか

と言ってくれても再生できずと、かなりもどかしい感じがあるから何とかならないものかと

思っていた。

 早い話、ステレオかラジカセを買えば済むことだが先立つものはなく、仮に成績優秀なら

ばそれをネタに親をゆする手もあるが、現状では藪蛇になりかえって自らを窮地においやる

だけなわけで諦めるしかないとは思ったが、雑談の折りにそのことを三上に話すとうちにあ

る古いラジカセを貸してやるわと言ってくれた。思ってもみなかった事で狂喜して三上の手

を握ったら、三上は鬱陶しそうに坊太郎の手をふりほどいたが、ラジカセに自作のスピーカ

ーを繋げればそこそこの音が出るぞと教えてくれた。

 

 自作?

 そう自作だよ。

 作るのか?スピーカーを。

 そう、買えば高いからな。

 無理だろ。

 そんなことはないよ。

 でも。

 うちのどでかいやつも自作だぜ。

 

 そう言って三上はニヤリと笑い、週末には三上に家に行って二人でスピーカーとやらを作ることになった。

   

 

 日曜日の朝、坊太郎が下宿を出ようとしたら原田さんはもう机についており、ご精がでま  

すねと声をかけたら、もうじき期末試験だからねと坊太郎を見ずに答えたが、裏庭に出てい

た村田さんはくわえ煙草で竹刀を振っていた。

 三上はスピーカーを作ると言うだけでそれ以上の事は何も言わず、なにやら煙に巻かれた

感じだったが、実際坊太郎は半信半疑でいた。どれだけ丁寧に銅線コイルを巻けたとしても

あんな綺麗なスピーカーユニットは自作できまいにと思っていて、そこが一番の疑問だった

から、三上の家に着く早々、その事を聞くと、あんなの作れるわけないだろと鼻で笑われた。

なんでもユニットは壊れたラジカセとか古いスピーカーのそれを流用するようで、スピーカ

ー自作とはすなわちスピーカー用の箱を組み立てる事であるらしい。

 三上の家にあった大きなそれは三上が大学生の兄と一緒に制作したバックロードホーンと

呼ばれる形式のスピーカーらしかったが、あれは音道を折り畳んだ内部構造が複雑で部材も

たくさんいるし金もかかるから無理だが、小型のバスレフという形式ならすぐにできるわり

にそこそこ良い音がするんだ、なんて言うもんで坊太郎はすっかりやる気になった。

 作業は合板に部材の寸法を罫書いて電動鋸で切り、箱をボンドで圧着させ、内部にフェル

トを貼って丸く空けた穴にユニットをネジ止めし、裏板に空けた穴からスピーカーコードを

引っ張り出してから裏板を止める、という行程で進んでいき、板に罫書く時には電動鋸の歯

の厚みも勘定に入れて罫書いておかないと組み立てる時にサイズが合わなくなるのだ、とか、

いくら電動鋸でもまっすぐに切るのは難しいから必ず直線切り用の治具を使うのだ、とかボ

ンドで圧着させる時に一応釘は使うが仮止めくらいに考えて主にはぐるぐる巻きにした紐で

締める積もりでやったほうが隙間が出来なくて良いんだとか経験者でないとわからないノウ

ハウをあれこれ語ってくれたが、作業自体も順調で昼前には大方組み上がって後はボンドが

乾くのを待つだけになった。

 

 待つ間、坊太郎は三上の母親の作ったカレーをご馳走になったりしたが、三上とは思いつ

くままにいろんな話をした。

 例のヨシュウフクシュウの話を持ち出して、そういう事やれば良い点は取れるんだろうけ

ど、家に帰ってまで勉強したくないんだよなと坊太郎が言うと三上は、良い事言うねえと笑

って見せ、

 

 家に帰ってまで勉強したり塾に行ったりするやつは馬鹿だよ

 

 と言った。

 そんな奴は結局授業中に疲れて寝るのがおちだし、たとえそれで良い点が取れたとしても

良い点が取れる以外何の取り柄もないつまらない人間になってしまうからね。たくさん本を

読んで、すごい音楽を聴きまくってすげえ絵をいっぱい見てギター弾かないと人間ダメにな

るよ、なんて三上が言うもんで、おまえも家でヨシュウフクシュウとかはしないのかと坊太

郎が聞くと、ヨシュウフクシュウどころか俺は学校でもぼやっと余計な事ばっかり考えてい

てるからな、と笑っていたが、成績は坊太郎ほどは悪くないみたいだった。

 

 三上がサイケの話をし始めて、サイケってやつは薬でラリッた時に見える幻覚とか幻聴が

もとで、それをデザインしたり音楽で表現したりするんだ、とかヒッピーって呼ばれるアメ

リカの若いやつらはコミューンっていう村を作っててそこで自給自足の生活をしてるらしい

けど、そこでは古い貞操観念なんてのはなくって好意を持った相手とは自由に愛し合っても

いいんだ、なんて言うので、それってうちの村の盆踊りに似てるな、なんて言い方でさりげ

なく例の話を持ち出してみたら、なんだそれと興味津々な風だったので、年に二回だけ、盆

踊りと神楽の晩だけは無礼講で合意の上なら誰が誰とやってもとやかく言われないしきたり

になってるんだと話してやると、そりゃすごいなと目を剥いた。

 白人どもが最先端だなんて威張ってるフリーセックスをずっと昔からやってるのか、なん

て感心したような声を漏らすので調子にのって「柿の木問答」について語るとさすがに唖然

として坊太郎の顔を見ていたが、こりゃ世界で一番いかした通過儀礼だぞ、お前の村こそ本

物のヒッピーコミューンだ、と絶賛された。

 

 坊太郎はヒッピーという言葉を聞き知っていたし、ぼんやりとしたイメージは持っていた

が、それは余り肯定的なイメージとは言い難く、どちらかというとボンクラとか不良とかい

う言葉に近い感じだったが、どうやら三上はヒッピーに肯定的につかっているというか敬意

さえ抱いている様子で、お前の村こそ本物のヒッピーコミューンだというのは最上級の誉め

言葉らしいと感じなんだかこそばゆい気分でもあった。

 そういえばヒッピー風のファッションに身を包んでいた陽子には、そもそも白人どもの言

う「ヒッピー」を当たり前の事として受け入れる素地があったのかもな、なんて事も考えた

りした。

 スピーカーの方は三時頃にはくっついたので、以前自作した時に使ったという直径10セン

チほどのフルレンジのユニットをネジ止めして裏蓋を締め、引き出したコードを三上宅のア

ンプに繋いで音を出してみた。無論、低音は出ていないが中高音のクリアさは驚くほどで、

まるで二つのスピーカーの真ん中で人間が歌っているようだった。

 まあ、まともな音が出るまでは当分辛抱しないといけないが、だんだんいい音になってい

くからと三上はスピーカーを撫でた。塗装はニスでもスプレーでもなんでも構わないとのこ

とだったので、今度の週末にでも自分でやってみようと坊太郎は思った。

 坊太郎は貸してくれるというラジカセとできたてのスピーカーを段ボールの箱に入れ、

それを抱えるようにしてバスに乗ったが、バス停まで送ってくれた三上が、今度スバル座で

黄色い潜水艦の映画やるってポスターが貼ってあったが、一緒にどうだい?なんて言うので、

じゃあ陽子に話してみよう、もしかしたらただで入れるかも知れないからと答えておいた。

 

 

 

 翌週の週末、法事があるから帰って来いと連絡があり、坊太郎は村に帰省したが、その折

りバス停から家への道で生田に出会った。

 生田は同じ学年の同級生で地元に残った悪ガキの親分。スポーツ万能という面では友里と

双璧で坊太郎とは全然タイプが違っていたが、どういうわけか馬があい仲が良かった。その

生田と久しぶりに立ち話をしたのだが、少し見ないうちに生田は身体も一回り大きくなって

いて口ひげもうっすら生えており大人っぽくなっていたから、そのことを言うと、

 

 そりゃわしもはあ男じゃけえのお

 

 と「柿の木」を済ました事を臭わせるような言い方をするので、もう済んだのかと坊太郎が

声を潜めると連休明けの週末に済んだと生田は頷いたが、衝撃的な一言を付け加えた。

 「柿の木」の時は青年団の幹部が目隠しをした生田を筆下ろしをしてくれる女性宅まで連れ

て行ってくれ、通された離れは電気が消してあって真っ暗だったらしいのだが、どうもあの部

屋の感じとか相手女性の声からすると、同じクラスだった朱美んとこのお袋さんじゃないかと

思うと言うのだ。

 たしかに筆下ろしの相手女性は村の年増、水揚げの相手男性は村のおやじと決まっているら

しかったが、離婚して村に戻って来ているような女性に優先して依頼するのだと聞いていたし、

いくらなんでも娘の同級生の相手はないだろうと思って坊太郎がそのことを言うと、でも朱美

とは家が近いから幼い頃にはしょっちゅう遊びに行っていてあの母親の巨乳は憧れだったし、

あの少しハスキーな声だっては聞き慣れたものだから間違いないのだと断言するのだ。

 

 掌で掴みきれんくらいでかいくせに、やけに張りがあってのお、うちのオカンと歳は変わら

 んのにえらい違いっちゃ

 

 生田はそう声を潜めて坊太郎の胸を叩き卑猥な笑いをしてみせた。朱美の母親なら坊太郎だ

ってよく知っているし巨乳の見事さは生田の言うとおりだったから、羨ましくもあり生々しく

もあり、少し気色悪くもありで少なからずショックを受けたが、生田はそんな坊太郎の気持ち

の揺れには無頓着で、相手をした女性もそのことは誰にも喋らないのが掟でいくら詮索したと

ころで真相はわからないのだから、そういう事にしておいてくれよ、なんて媚びてみせた挙げ

句に、そういえば紀代美がなあと同級生の名前を挙げた。

 あいつ「柿の木」があんまりえかったけえか知らんが、アレにはまっちょってのお、高校の

先輩とつきあい始めてもう学校でやりまくっちょるんでと馬鹿笑いをした。

 紀代美ちゃんは森林組合の組合長のところの娘だが、小柄なくせに胸が大きく同級生から「

おっぱい」とあだ名で呼ばれていて、実は坊太郎も少し気になっていたこともあって、そこで

もショックを受けた。

 地元の高校には、「放課後の体育館器具庫は三年生、体育館フロアは二年生、一年生は体育

館周辺の警備で、教師が来たら大声で挨拶をして中の先輩に知らせる」という不文律があるら

しく、その場所以外で性交してはならず、しかも一年生同士でヤリたい時は山に入っていくし

かないというのに、紀代美ちゃんの相手は三年生の先輩だから毎日器具庫でVIP待遇なのだ

と、生田はあっけらかんと言い放った上に、

 

 今度の盆踊りの時はわしの相手してもらおう思うてなあ、今交渉中っちゃ

 

 とにやけてみせた。

 隣り村出身の先輩は盆踊りには来れないのだから、その晩くらい相手してくれても罰は当た

らんだろうと言うのだ。同級生の母親が生田の筆下ろしの相手だったとか、気になっていた同

級生の女子と生田が「ざこね」の予定だとか、帰省するなり衝撃の連続だったが、せっかく子

供会を卒業したっちゅうのに盆踊りにも行けんいうのは冴えんよのお、なんて坊太郎を哀れむ

ような事を言われ、やっぱりそうかと坊太郎は思った。

 「柿の木問答」が済んでいない人間はたとえ年齢が年齢でも青年団の団員とは認められず、

盆踊りも9時以降は参加できないと聞いてはいたが、やっぱりそうなのだ。まあそれはしよう

がないよと苦笑いで誤魔化そうとしたのに生田は、なんで連休明けの週末に友里と一緒に帰省

しなかったのかと言うので、どういうことかと聞くと、友里はあの週末に帰省していたから

「柿の木問答」を済ませたはずだと言うので坊太郎は絶句した。

 もしそれが本当なら、この村の同じ歳の子でいまだ「子ども」のままは坊太郎一人というこ

とになる。連休に会った時にそんなこと一言も言ってなかったから、たとえ除け者になったと

しても友里も一緒だしと高を括っていたというのにどういう事なんだと思ったが、ダメを押す

ように生田は、もしかしたらお前んとこのオヤジが相手かも知れんちゅうてわしは睨んじょる

んじゃが、一遍おまえんとこのオヤジにカマかけて聞いてみいや、顔色変えるかもしれんで、

と馬鹿笑いをかまし、坊太郎は危うく腰を抜かすところだった。

 

 村のお寺であった法事には大勢の親戚や知人も集まったが、小さな村の事、地縁血縁もどこ

かで誰かと繋がっていて生田をはじめ同級生の半分は集まっており、その中にはVIP待遇で

やりまくっているという紀代美も、母親が生田の相手をしたという朱美も混じっており、坊太

郎の顔をみると、やだあボウちゃん久しぶり、なんて明るい声で近寄ってきたが、坊太郎とし

ては「やりまくり」だの「生田の相手」だのがちらついて会話がチグハグになり怪訝な顔をさ

れた。同級生の男子たちは皆、生田同様、大人びて見えた。

 

 

 

 気高く、清く、美しく、春開く花と咲き出でん

 

 これは坊太郎の高校の校歌にある一節だが、このフレーズのとおりこの町では子どもは清く

正しくないと生きていけなかった。性交やそれに繋がる行為は喧嘩や万引き以上に汚らわしい

ものとタブー視されたからヨーコみたいに母性の強い娘は理不尽に蔑まれていたが、それは男

子についても同じだった。異性に対して興味津々なのは誰しも同じで、やりたいっちゃねと願

望を語るだけなら共感の笑顔で迎えられたが、実際に行動に移すことは強盗や暴行並にとんで

もないこととされ、ほぼ例外なく童貞であると思われた。

 ところが、この町この学校の誉れである「気高く清く美しい」子は故郷の村では異性と交わ

れないただのガキで「美しく」もなんともなく、いつまでたっても子ども扱いをされる。盆踊

りにしたって九時になれば婆さまと一緒に帰宅を迫られるわけで歯がゆいが、それもこれも村

から町の学校に進んだ事情からやむを得ず、それは友里にしても同じはずと思っていたのに、

何の断りもなく(まあこういう場合断るべきかどうかは別として)さっさと「成人」してしま

った友里には幻滅したというか、裏切られたというかそんな気分も加わって、とてもじゃない

が割り切れない気分だった。

 

 

 クラスではいつのまにか「天女藤原ファンクラブ」が「天女ちゃんの処女を守る会」に発展

的解消をしており、毎日会員は教室後ろの掲示板に各自が知り得た情報をカードに記入の上に

張り出したりして情報交換に忙しかった。

 もっとも情報といっても昨日天女ちゃんは周回コースを二十周走ったらしいという陸上部員

情報とか、廊下を熊野千春と体育館方面に歩いていくのを目撃した等の情報とは呼べないよう

なものばかりだった。そんな事したら坊太郎が友里と幼なじみであるとばれてしまい、どうし

てこれまで黙ってたんだよと会員一同に詰め寄られてしまうじゃないかよ、とびくびくしてい

た坊太郎もホッと胸を撫で下ろしたが、帰省から戻った週の終わりごろ、天女ちゃんの自宅発

見との情報が飛び込んできた。

 情報源は西岡という男子生徒だったが、ある夕方、汽車を降りた駅のホームで天女ちゃんら

しき女子生徒を目撃しそのまま自宅まで跡をつけたというのだ。その結果、天女ちゃんこと天

女藤原の自宅は、駅の東口を出てまっすぐ東に延びた大通りを200Mほど歩いた、大通りに面

したコンクリート造りの2階建ての家だということが判明し教室は歓声に湧いた。

 それは親戚の家から通うという事しか聞かされてなかった坊太郎にとっても新鮮な情報だっ

たのだが、発見された自宅はケンゾーの出身中学校の校区にあるのにケンゾーを始めその中学

の出身者は口を揃えて自分の中学出身じゃないと証言しており、解き明かされたかに見えた謎

はさらに深まるのだった。

 理屈で考えれば、中学卒業後にどこかほかの校区から引っ越してきたとしか考えようがなか

ったが、ならば出身中学校はどこなのか、果たしてどんな人柄で、異性との交友関係等はどう

なっているのか、坊太郎以外の生徒にとっては依然闇の中だったのだ。

 

 

 ところがその週末の事だった、坊太郎が学校に行くと教室にはもう結構な数の生徒が登校し

てきており、坊太郎が教室に入るや鋭い視線を一斉に坊太郎に向けてきた。

 坊太郎への敵意を隠そうとしないその視線に穏やかでないものを感じた坊太郎が、ど、どう

したの??と作り笑いを見せると、「天女ちゃんの処女を守る会」会長の野村が、おい大磯、

なんでこねえな大事な事を内緒にしちょったんじゃ、と詰め寄ってきた。

 

 

 こんな大事なことって??

 胸に手え当ててよう考えてみい

 え?何、何?よくわからないんだけど

     お前、天女藤原の幼なじみらしいじゃなあか

 え?

 ばれちょるんじゃ、はあみなの

 え?

 お前と藤原は同じ山の中学出身で、その学校からここに来ちょるのは二人だけで、しかもお

 前と藤原の家は道一本隔てて向かい、近所も近所、目と鼻の先らしいじゃなあか 

 あらら

 あららじゃねえっちゃ、わしの同級生の女子から聞いたのっちゃ

 はあ、そうなんだ

 そうなんだじゃないっちゃ、どうなんじゃ?ちごうちょるんか?

     い、いや、そ、その通りですが

 しかも、あれらしいのお、藤原はお前の彼女じゃっちゅうじゃなあか。

 はあ?彼女?誰が?あいつが??ないないない、それはないよ。

 嘘をつくな。

 嘘じゃないっちゃ。

 ほいじゃなんでこれまで黙っちょった。

 いや、それは。

 わしらが天女ちゃん天女ちゃん言うて馬鹿騒ぎしちょるのを見て笑うちょった んじゃ

 ろう?

 いえ、滅相もない。

 みんな怒っとるんど。

 

 

 怖れていた事が現実になってしまった。野村以外の生徒も押し黙ったまま坊太郎を睨み

付けており、怒りは相当なものと思われ、このまま何も言わずに黙っていればデマを認め

たと受け取られ、下手をすれば袋叩きにあいそうな険悪な空気だった。

 坊太郎と友里がつきあってるなんてのはとんでもないデマで到底承服できないでっち上

げであるが、いや違うよなんて軽く否定しただけでは納得してもらえそうになかったから、

友里には申し訳ないが、多少事実と異なる脚色も交えて懸命に釈明した。

 

 

 そんな付き合うどころか俺とあいつとは犬猿の仲だぜ

 なに?仲が悪いっちゅうんか?

 あんな顔してるからみんな可愛いなんて思ってるんだろうけど、ただ足が速いだけが

 取り柄のがさつな女で、しかも性根が悪くってなあ俺なんか小さい頃から随分泣かさ

 れてきたもんで、つきあうなんて飛んでもない話でそれどころか、家が近所だっての

 に幼稚園からこっち一緒に遊んだ事も口をきいたこともないんだ

 う、うそつけ

 嘘じゃないさ、泣かされたのは俺だけじゃない、運動や勉強ができるからって威張り

 散らしてさ、運動のできない女子や勉強のできない大人しい子をいじめたいだけ虐め

 てさ、でも誰もあいつに逆らえなくってさ、そりゃ酷いもんだったよ

 いじめ?天女ちゃんが?

 そう、あいつはな、根っからのいじめっ子なんだよ

 おいおい、ええ加減な事言うな、あの可憐な天女藤原が虐めなんかするかい

 いや、本当なんだって 

 貴様、わしらの聖少女、天女ちゃんを侮辱するつもりか

     聖少女?おいおい、なんだよそれ

 聖少女は聖少女、けがれのない永遠の処女っちゅう意味じゃ

 永遠の処女?まさか、冗談だろ?

 なに?なんだお前その言い草は

 いや、別に深い意味はないけど

 嘘つけ、あの子が処女じゃないみたいな言い方したろうが

 まあ、そういう可能性もあるってことだよ

 可能性って何だよ、なにか知ってんのか?おまえ

 そりゃ幼なじみだからな

 本当なのかそりゃ

 まあな

 ま、まさかおまえが相手じゃないだろうな

 いい加減にしてくれよ、俺はそういう女が大嫌いなんだ、迷惑なんだよ

 

 

 一人だけ勝手に「成人」しやがって、という思いが坊太郎の気持ちの奥に燻っていたの

がいけなかった。友里が坊太郎の彼女ではないということは必要以上に伝わったが、聖少

女という言葉に過剰に反応して口が滑り、言ってはいけない事を言ってしまった、と思っ

たが後の祭りだった。彼等の動揺はかなりのもので「守る会」一同は坊太郎の一言に絶句

したまま、押し黙ってしまった。